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第五十五話


いかに大陸公路といえどもコラウルの山を抜ける山道はとうてい軍隊が行軍するのに十分な面積は確保できない。

必然的に隊列は長蛇の列とならざるを得ず、数キロにわたってのろのろと進むオルパシア軍の列をディアナは複雑な思いで見つめていた。


「ちと、今回ばかりは憂鬱だね……」


同じ傭兵同士のネットワークであのフィリオが参陣していることはわかっていた。

しかも鉄壁のウェルキンまでいるという。ブリストルが真人の首に焦点をあわせていることは明らかだった。

ディアナの戦人としての本能は先日から最大級の危険を告げていた。

だからといって今更戦いを回避できるはずもないということもわかっている。

ここで勝手に撤兵などしたら真人は政治的に失脚し、結果的にオルパシア王国は滅ぶだろう。


「ままならないもんだよ、全く」


そう言ってディアナは愛しい男の横顔を見つめる。

真人の表情はいつもと同じく微笑を湛え、焦りなど微塵も感じさせないものだったが、その心のうちでは激しい葛藤が渦巻いていることを

ディアナは知っている。

本来なら常に真人の横に傅いているはずのアリシアがひっそりといずこかに姿を消していた。

その理由は真人しか知らないが、今回の戦の決め手となる大事をアリシアに託したことは想像に難くない。

気に入らない相手ではあるが、ディアナは兵站幕僚としてのアリシアの手腕を高く評価している。

そのアリシアをあえて本隊から切り離しての極秘任務となればよほどのことなのだろう。

真人の内心はそのアリシアや従軍しているシェラやプリムの心配ではちきれんばかりであろうに、涼しい顔で微笑む真人が、ディアナには

哀しい。


「この闘神ディアナ………ほかの女はいざしらず、私だけは真人に守られてばかりじゃなく、真人を守れる女だってとこを見せてやるよ」


個人的武勇ばかりではない。

オルパシア軍で真人に次ぐ指揮能力をディアナが有しているのは厳然とした事実であったのである。





ディアナの指摘したとおり真人の胸中は穏やかなものではありえなかった。

だがそれを表に出すことはできない。

なんとなればオルパシア王国軍は真人のカリスマに戦意を依存しすぎている。

主将が暗く沈うつな表情をしていればたちまち戦意が瓦解することは明らかだった。

それでなくともオルパシア王国軍は、この乾坤一擲の戦いに、当初予定の半分しか動員できないという失態をおかしている。

数と練度に勝るブリストル帝国軍との戦いの前に真人が揺らいでいては勝算はおぼつかないのだ。


「………懐かしい匂いだな………」


だが真人の不安の大部分を占めていたのは強力無比なブリストルの大軍勢でも、フィリオをはじめとする一騎当千の武芸者たちでもない。

かつて感じていた神の気配………神気がケルドランから煙るように立ち上っていることだった。

信じられないことだが今回の戦には神の力を相手に戦うことになりそうなのだ。

カムナビとの死闘の記憶が真人の脳裏を駆け巡る。

どうやら今度の戦は己の命を賭けることになりそうであった。


しかしカムナビとの戦いでは何のためらいもなく投げ出せた命を投げ出せなくなっている自分がいることにも真人は気づいていた。

戦うことにしか価値のなかったあの世界ではありえなかった感情であった。

神殺しではない中御神真人個人を慕い、必要としてくれる人間の存在が真人の頑なな心を溶かし変えてしまったのだ。

そのことが再び対峙を強いられた神との戦いで吉と出るか凶と出るか真人には想像もつかない。


それでも負けることだけはできない!


先ほどから気遣わしげな視線をよこしているディアナや、御輿のなかでメイファンの近衛に守られたシェラとプリムを守るためになら戦うための鬼

に戻ることなど何ほどのことでもないはずだった。

幸い神気はかつて戦ったカムナビほどに昇華されてはいないようだ。

戦いが真人の計画通りに推移するのであれば打ち破ることは決して不可能ではないだろう。


だがそんな不安とは別に胸に沸々とこみ上げる高揚がある。

強者と戦い、雄敵を打ち破る………武人だけが持ちうる業深き高揚だった。


「全く………度し難いものだな…………」


戦士として戦うべきときに戦えぬほどの恥辱はない。

今まさにこのときこそは、中御神真人として真に戦い、そして勝利すべき場所だった。

カムナビと戦ったときにはなかった高揚と、カムナビと戦ったときにはなかった死への恐怖が真人の感傷をかきたてる。

勝つこと以外考えたことのなかった過去とは違う。

生まれて初めて真人は勝ちたいと切に願っていたのである。






ケルドランに集結したブリストル軍三万は困惑していた。

コラウル山脈の出口にあたるセンギアにおいてオルパシア軍が停止して陣を布いてしまったからであった。


「いったい何を考えているのだ?」


ブリストル軍の主将を務めるアルセイル卿も、オルパシア軍の動向には不審の念を隠せない。

間諜からの情報によれば本気でセンギアに腰を据えて防備を固めているらしかった。

しかしそれでは何のために本国を離れて二万もの大軍を率いてきたかわからない。

それともブリストルは目の前のオルパシアに後先考えず牙を剥く飢狼とでも思われているのだろうか?


「アルセイル卿………その間諜は別働隊の存在などは言ってはおりませぬか?」


アルセイル同様アウフレーベもまたオルパシアの行動には何かしらの理由が存在するものと考えていた。

だがその理由が一向に見えてはこない。

オルパシア軍の攻略目標はケルドラン城塞である。

もしくはケルドランに駐留する兵力の殲滅だ。

だがそれはオルパシア軍が能動的に行動しなければ果たされないのは明白だった。

このまま待っているだけなら、時が経過するだけでオルパシア軍は兵站の負担に耐えかねて撤退することになるだろう。

コウラル山脈の奥深くに二万人もの大兵力が滞在するということはそれだけで恐ろしく物資を消耗するものなのである。

それがわかっているはずなのに真人ほどの武将が何も手を打っていないわけがないのだ。


「私もそれは考えたが……こちらから打って出るならともかくこの城塞周辺で戦うかぎり別働隊にはさほどの意味はないぞ。

仮に後背に回ったとしても城塞の防御には何の影響もないからな」


そうなのだ。

城塞という建造物は基本的に360度全周囲に偏りなく防御力を発揮するように設計されている。

隊を二つに分けることはむしろ各個撃破の機会を敵に与えるだけであり、戦術的には愚策であるというしかないのである。


「いっそ小当たりしてみるか………?」


アルセイルは精鋭によって出戦して敵の出鼻をくじくことも考えてみたが、それは危険性が高すぎると言えた。

今作戦の目標は真人の命にあるのであり、精鋭はその真人の拘束に欠かせない存在である。

万が一半包囲されてオルパシア軍に殲滅されるようなことがあれば作戦の遂行はおぼつかない。

かといってごく普通の兵と逐次投入するのは愚か者のすることであった。

自らの戦力に絶大な自信を抱きつつも、ブリストル軍は城塞内で雌伏を余儀なくされていた。




「土嚢を早く積み上げろ!第二小隊は両翼の樹木をもう少し切り拓いておけ!」

オルパシア陣営では野戦築城の強化に余念がない。

センギアはコラウル山脈の出口として大陸公路が平野に開ける先端にあたる。

道幅は約数十メートルに達し数百名が戦闘機動するのに不足はないほどだ。

だが逆に言えば戦闘に参加できるのは全軍のわずかひとにぎりに過ぎないとも言える。

こうした地形は兵数に劣る側が持久戦を戦うのに適しているが、ひとたび前線が崩れれば機動の余地のない分後続の兵も一気に

敗勢に飲み込まれてしまうという弱点も持っていた。

兵の質でブリストルに劣るオルパシア軍としては、高所を押さえ、野戦築城を利用することでブリストルに対抗しようとしていたのである。

守りきれれば勝ちだ、ということは既に全軍に周知している。


当然疑念はある。

なぜ守るだけで勝ちにつながるのか?われわれはケルドランの攻略に来たわけではなかったか?

一人のあるメイファン士官などは口から泡を飛ばして詰問したが真人は取り合わなかった。

ブリストル軍は近いうちに総力をあげて攻撃に打って出る。

真人が地位と名誉にかけてそれを保障すると言われては誰もが引き下がらざるをえなかったのである。

もちろんこの発言はケルドランのアルセイル・アウフレーベ両首脳のもとにも当然間諜から届けられていた。




「わからん………いったい彼の確信はどこから来るのだ?間諜の報告では兵糧の備蓄はあと半月足らずだというが……」


「ケルドラン城塞の備蓄は半年以上………比較になりませぬな」


二人の目にはオルパシア軍……いや、マヒト・ナカオカミがひたすら自滅への道をひた走っているように見える。

複数の筋からの情報でもオルパシア軍の兵力には変化はない。

センギアで待機している二万人がオルパシアの動員できる予備兵力の全てであった。

つまり別働隊は存在しえない。

ありもしない兵力ではさすがのマヒト・ナカオカミでも奇策の打ちようがあるまい。

決して暗愚ではないはずの二人がいくら考えてもオルパシアの採る策が想像すらつかなかった。

半ばこのままオルパシア軍が自滅してもブリストル軍の勝利は得られる、と考えることを諦めかけていた二人の下に、驚天動地の報告が

もたらされたのその翌朝のことであった。


「してやられた……!奴が待っていたのはこれか………!」


マッセナ川の水が干上がってところどころに川底が露出してしまっている。

あれほどの水量を誇るマッセナ川が何の理由もなく干上がることはありえない。

すなわちオルパシアの手によるものと考えるべきであった。


「一刻も早く精鋭をマッセナ川の上流にさしむけろ!オルパシアにはもう予備兵力はない。おそらくは非戦闘員ばかりが川を堰きとめている

はずだ!マッセナ川ほどの水量を堰きとめているとすれば……下手をするとケルドランは水没するぞ!」


これまでケルドランを守護してきたコラウルから流れ出る豊富な水が一転して今度はケルドランに牙を剥こうとしていた。

おそらくマヒト・ナカオカミは軍の内情がつつぬけであることに気づいている。

だからこそ軍以外のところで勝負の決め手を打っていたのだ。

マッセナ川の氾濫がケルドランにどれほどの被害を与えるか今は予想できないが、上流にさしむけた兵が川の決壊に間に合う確率は

決して高くないとアルセイルは見積もっていた。


「ひとまずは褒めておくとしよう。だが策を弄して守りを固めなかればブリストルの強兵に対抗できないのがオルパシアの現実だということを

忘れるな!」


座して死を待つという選択肢はブリストルにはない。

切り開くべき道は常に後ろではなく前にあるというのが、ブリストルの武人たるの信念なのだ。


「全軍我に続け!」


主将の勇気に感染したかのように、ブリストル軍は動揺から立ち直りたちまちその獰猛な本性に立ち返った。

強者が弱者に怯えることがあってはならない。

それは大陸でブリストル帝国軍のみに許されたある種圧倒的な矜持であった。

蹂躙すべき弱者の群れであるオルパシア軍へ向けて、怒涛の勢いでブリストル軍の攻勢が開始されようとしていた。




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新作 元社畜が異世界でホワイトな生活を営むために四苦八苦。幸い土魔法のチートをもらったものの、人間不信な主人公松田毅は、絶対に裏切る心配のない人造人間に心惹かれていく……。 なにとぞご愛読のほどお願いいたします! エルフに転生した元社畜は人造人間を熱望するか?
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