第五十四話
「こりゃあ、ちとやべえかもしんねえな………」
フィリオは居並ぶ顔ぶれのあまりの豪華さに一瞬言葉を失った。
このままではアセンブラの猛虎ことフィリオ・セベステロス・アセンブラとしてはいささか不本意な事態になりそうな気配である。
だがもちろんフィリオは真人という獲物を誰であろうとも決して譲るつもりはなかった。
真人との再戦を望むフィリオは、敵対するブリストルの傭兵部隊の指揮官として従軍してはいたものの強兵をもってなるブリストル帝国では残念ながら傭兵の出番は少ない。
しかし後備に置かれて気分を害してはいたとはいえ、真人と戦う日が訪れることをフィリオは一度たりとも疑ったことはなかった。
………あれは兵に殺せる男ではない。
あの真人という男は岩を切り裂き、滝を割るような武芸者がその全能を尽くしてようやく倒せるかどうかという存在なのである。
いかに戦いがブリストルの優位に進もうとも彼を倒すべき資格を持つ人間は限られると見るべきだろう。
そして現在フィリオの予想は半分あたり半分はずれたとも言える。
指揮官としても非凡な才能を見せた真人のためにブリストルは開戦当初の予想を裏切り膠着状態を余儀なくされている。
だがもっとも肝心な真人を倒すべき存在の稀少性については全くフィリオの考えたとおりであった。
ブリストル広しといえどもそんな武量をもった人間は数えるほどしかいはしないのだ。
真人専任にあたる武勇自慢の一人としてフィリオにお呼びがかかったのはつい先日のことであった。
待ちに待った機会に舞い上がったフィリオはつい手加減を忘れてしまい、不幸にもフィリオとともに候補にあがった傭兵仲間を二人ベツドへと送ってしまっている。
もっとも命があっただけ僥倖というべきかもしれなかったが。
あまりに突出したその武量にフィリオの真人専任部隊への選抜は文句のつけようもなく決定された。
問題があるとすればそれは一人ではなかったということだ。
フィリオとしては一対一で心行くまで真人と雌雄を決したかった。
しかし真人の抹殺という命題はブリストルにとって何よりも優先するべき至上のものである。
そこにフィリオ一個人の美学や矜持など入り込む余地はない。
真人一人に対する刺客として選ばれたのは、ブリストルが世界に誇る珠玉の武芸者たちであった。
ウェルキン・アナトリアス
同じ傭兵同士幾度か戦場でめぐりあった相手である。
双剣の使い手で、攻撃よりむしろ守成にその手腕を発揮するタイプの人間であり、フィリオでもこの男の防御を突破することは難しい。
現に負けることこそなかったものの戦場ではついに決着をつけられずにいた。
朴訥なシュバーベンの片田舎の出身らしい温厚な男でいささか傭兵のなかでは浮いた存在である。
噂では故郷の子供たちに送金をし続けているとも聞く。
年のころは四十にさしかかろうというあたりだから妻子がいたとしても不思議ではないが………。
敵としては恐ろしい相手だったが味方になってみるとなんとも力が抜ける存在ではある。
ベアトリス・ニノ・ブランカ
おそらくディアナかそれ以上に女傭兵のなかでは知名度の高い女である。
灰の魔女の異名のとおり火炎系の魔術を得意とし、燃やし尽くした人間の数はとうてい千ではきかない。
生粋のサディストで生きながら燃える苦痛を味あわせることを至上の喜びにしていると噂される。
フィリオにとってはいけすかないが戦歴と実力は確かだ。この手の魔術師にしては珍しく体術を心得ていて近距離戦でもなかなかにあなどれない。
本人を目の前にしては言えないがディアナと決定的に違うのは大柄ではあるもののディアナは目鼻立ちの整った明らかな美人であったのに対し、ベアトリスは醜女であるということだ。
身長は小さく、顔は下膨れで口が大きく、目は釣りあがっていつも狂気の色を湛えている。
恨みを忘れず些細なことで激昂するわずらわしい女だが、真人の武量に対抗するには彼女の魔術は有効な手段であるかもしれなかった。
シンクロード・ダリウス・モートラッド
ブリストルに隠れもない人斬りで、もしも真人とのことがなければフィリオが標的にしようと思っていた男である。
常に最前線で戦い、数々の武勲を挙げながらも一兵卒であることに拘った真正の戦馬鹿ぶりはフィリオに通じるものがあった。
すなわち強いものと戦いたいという単純な欲求に忠実な男なのだ。
剣士としては正統派の鍛錬を積み、派手さはなく堅実で理にかなった手法を好む。
攻守ともに隙のない一対一の決闘でもっとも力を発揮するタイプの男だった。
いまだ二十代の半ばという若さと戦馬鹿とは思えぬ美貌から兵にも将にも愛される稀有な資質の持ち主であるのだが、あの戦馬鹿ぶりが直らぬかぎり意味はあるまい。
実直にして勇猛、ともに戦うには誰よりも頼りになる戦士であった。
シンクレア・ミナス・ジェイラス
名門ジェイラス家の三男坊でありながら軍を志し、弓の達人として名高い男である。
これまで幾代にも渡って宰相を輩出してきたジェイラス家の人間とは思えぬほど人当たりがよく、将来の十二将軍候補として期待されている。
彼の特徴は神弓と言われるほどの速射ぶりとその命中率にある。
一息で矢を打ち尽くすという早業に加え、遥か先から零れる水滴すら容易に打ち抜くその命中率はブリストルにも並ぶものがない。
しかも彼は矢の速度を自由自在に操れることから、八本の矢を全く同時に着弾させることを可能にしており、かつて国境紛争でブリストルに敵対する国に雇われていた
鉄壁の守備を誇るウェルキンに唯一手傷を負わせるという戦果を挙げている。
一対一ならともかく、強敵を相手にしながら狙われることを思えばフィリオでさえも背筋が寒くなるのを抑えられない男だった。
この五人を揃えてもまだ安心できないというのが真人の恐ろしいところであろう。
神殿からは二人の正司祭が派遣され真人の魔術を封鎖することになっていた。
信じがたいことにその司祭たちは殉教の許可が与えられ………戦場にでればその命を失うことが確定している。
ストラト神の力を直接その身に降ろして行使するには人間の体では器が持たないのだ。
ゆるぎない信仰心と優れた魔力容量の持ち主だけが、ほんの一時とはいえ神の力を代理行使することが叶うということは本来ストラト神殿の秘中の秘であった。
神殿の幹部を犠牲にし神殿内の秘事を晒してでも真人を倒さなくてはならない。
今まさにブリストル帝国はその総力をあげて真人の息の根をとめようとしていたのである。
「………本当に……やべえかもしんねえな………」
つまらない。
あれから自分は間違いなく強くなったのにそれを確かめることができないのは納得ができない。
だが全てが思い通りにならないのならせめて自分が真人を倒さなくてはいけなかった。
フィリオは愛槍を懐に抱えつつ居並ぶ味方を出し抜くことを誓っていた。
「それでオルパシア軍は本当に総勢二万で間違いないのか?」
十二将軍の一人であるアルセイル・ジェリド・ランペール卿は間諜からの報告に首をひねっていた。
ケルドランを守備するブリストルの兵力は三万に達する。
攻撃する側が守備する側より三割も劣勢であるというのはあまりに戦理にはずれている、とアルセイルは感じていた。
実際にオルパシアの動員兵力は予想では四万はギリギリ動員出来たはずなのだ。
「奇兵………でしょうか?」
アルセイルと同様にアウフレーベもこのオルパシアの戦備には疑念を隠せなかった。
確かに膠着状態にあるとはいえオルパシアの戦況は決して楽観できるものではないのである。
むしろ真人が敗北した瞬間に一気に崩壊の一途をたどってもなんら不思議はない。
にもかかわらず王都の守備に余力を残している理由がわからなかった。
「いや………情報源を考えれば別働隊は考えずらいな。それにあのマヒト・ナカオカミと連携のとれる将官がオルパシアにはおるまい」
連携がとれなければそもそも兵を分ける意味がない。
集中した敵に各個撃破されるのがオチなのだ。
それゆえに古来より分進合撃というものはよほどの統率力と戦術眼がなければ成功は難しいとされているのである。
「あのものに限って我々を侮っている……などとは思えぬのですが………」
ケルドラン城塞に駐留するブリストル軍の総兵力三万に攻者三倍の法則を当てはめれば本来九万の兵力を必要とされる。
ましてケルドラン城塞の防御力は難攻不落と表現するに相応しいものだ。
それを二万で攻略するというのは愚者の戯言にしか聞こえないのだが、アウフレーベは真人が愚者でも誇大妄想狂でもないことを知っていた。
必ずやなんらかの勝算を見込んでいるのは間違いなかった。
「索敵は徹底させる。それにオルパシア国内も一枚岩ではないし、そうした国内事情があるのかもしれないだろう。メイファンの勢力も分裂しているし、案外マヒト・ナカオカミも
計算違いを嘆いているのかもしれんぞ」
実際のところアルセイル卿の見解は正鵠を得ていたといってよい。
オルパシア王はこの乾坤一擲の戦いに王都の守備を擲ってでも兵力を投入するつもりであったのだ。想定していた総兵力は四万人。
それができなかったのはマンシュタイン公爵家に不穏の動きあり、という真人からの忠告があったからだった。
「それにしても獅子身中の虫とはこのことだな」
門閥貴族の目をかいくぐるために王が使う密偵の数は限られている。
組織が大きくなれば必ずや情報の漏えいがあるからだ。
特に王宮内に巣食った複雑怪奇な情報網は一国の王であるアルハンブラでさえも把握は難しいのであった。
「商人や旅人を装って公爵の領国から王都に入り込む人間がこのところ急増しております。その数およそ三千は下らぬかと」
おそらくは真人の敗報を聞くと同時に国内の数箇所で同時に反旗を翻し、ブリストルに恩を売る心算であろう。
おかげでこちらは近衛を含めて予備兵力の多くを留め置かざるをえなかった。
今頃マンシュタイン公爵も予想以上に王都の警戒兵力が多いことに苦虫を噛み潰しているに違いない。
普通であれば謀反を断念してしかるべき情勢である。
「…………果たしてどこまで自制が利きますかな」
アルハンブラの傍らにあって共に諜報戦の指揮を執るのは外務卿ラスネールであった。
長年外交に携わり数多くの人間を見定めてきたラスネールにはマンシュタイン公爵がもはや止まれないであろうことがわかっていた。
今回の戦いで真人が勝利すれば戦いの舞台は旧メイファン王国を中心としたブリストル国内に移る。
そうなればロドネーをはじめとする小国が一斉にオルパシアの側にたって参戦し、戦争そのものが講和に向かう可能性すらあるのである。
このまま手をこまねいて戦争が終結してしまうのを公爵が容認できるはずがなかった。
自我を肥大化させた公爵が楽観論にとりつかれて挙兵の暴挙に及ぶのは時間の問題であるとラスネールは見ていた。
だからといって侮ることは絶対にできない。
なんといってもマンシュタイン公爵は王国一の所領と豊富な資金を有している。
また門閥貴族の盟主でもあり、成り上がりものに反感を抱く貴族たちがどこまでマンシュタインに組するかは予想がつかない。
この王宮内にもどこに門閥貴族の親派が潜んでいるか知れたものではないのだ。
「せっかくマヒト卿が王国を支えてくれているのに味方同士で争わなくてはならぬとはな………」
アルハンブラは痛恨の極みとばかりにテーブルを殴りつける。
できればブリストルとの戦が終わるまでは事態を引き伸ばしてマヒトの支援に徹したい。
しかし売国奴どもにこれ以上の我慢を期待するのは難しいと言わざるを得ない。
ラスネール卿もまた己の不甲斐なさをかみ締めていた。
いったい自分はどこまでマヒトに重責を担わせれば気が済むのであろうか。
「………おそらくマヒト卿の陣立ても行程もブリストルには筒抜けでありましょう……あの義息子には借りばかりが増えてしまいます………」
それでもなおマヒトには勝ってもらわなくてはならない。
だからこそ勝って凱旋するマヒトを迎えるために、売国の虫けらどもにはここらで退場してもらわなくてはなるまい。
そのためにはたとえどんな悪辣な手段であってもためらうつもりはラスネールにはなかった。