第五十二話
「メイファン王国近衛兵団中佐ハイデル・レイヒ・マウザーであります」
「マヒト王国軍准将だ。以後よろしく頼む」
シェラ・プリムとの婚約、二度に渡る救国の大勝は真人をただの士官にしては置かなかった。
それに来るべきメイファン領への逆侵攻作戦を指揮するためには最低でも将官である必要があったからだ。
メイファンへの逆侵攻には王国内でも異論があり、必ずしも最終的な決定がなされたわけではないが、オルパシア王の心算は決まっている。
しかしそのためには旧メイファン領への最大の関門、ケルドラン城塞を突破しなくてはならないのであった。
ハイデルは今回の出征にあたって組織されたメイファン王国敗残兵のまとめ役を任されていた。
しかしそれは旧メイファン勢力の全軍を意味しない。
メイファン復興を目指す反抗組織には概ね三つの組織が存在した。
ひとつはオズヴァルド伯爵が掌握していた組織である。
現在ハイデルが掌握している兵力がこれにあたる。
マンシュタイン家が援助していたこともあって、旧メイファン勢力のうちもっとも大きな勢力であった。
ふたつめはカニンガム子爵が率いる勢力だった。
こちらはメイファン王国を見捨てて逃亡したオズヴァルド伯爵の傘下に入ることを良しとせず、独自にゲリラ戦を遂行中の武闘派組織である。
今回の再編成に伴って要請は出してみたものの、これまで武力闘争を継続してきた実績から、組織の主導権が握れないなら参加は見送ると返答されていた。
みっつめはバーデルベスという下級貴族に率いられているが、この組織が問題だった。
彼らは失われた王権を認めず、自分たちが新たな主権者にならんとして行動していたからである。
現にシェラフィータとプリムローゼの帰還を、彼らはニセ者と断じて認めようとはしなかった。
頭の痛い問題ではあるがハイデルはそれほど悲観してはいない。
彼にとってもオズヴァルド伯爵は忠誠に値する上官ではありえなかった。
メイファン王国の奪還どころか、組織の維持にすら汲々とする有様であったことをハイデルは覚えている。
それに比べれば現在の状況は天国のようなものだ。
何より、王国の歴史を体現するカムナビの巫女姫と王位継承者がふたつながら見つかった奇跡が彼らメイファン残党軍の力となっていたのである。
その数はおよそ三千名。
かつての大国の戦力としてはむしろ少ない。
三つの勢力を合計したとしても五千に届くことはないだろう。
それはやはり王族という求心力が欠けていたせいかもしれなかった。
ハイデルが所属していた近衛兵団のように王室と密接につながっていた軍人は特にそうだ。
「ハイデル中佐、貴殿の忠心うれしく思いますよ」
「お言葉かたじけなく………」
シェラにねぎらいを受けただけで身も震えるような歓喜がある。
豪奢な真紅のドレスに彩られたシェラフィータは今やどこに出しても賞賛と羨望を集めずにはおかない一輪の薔薇だった。
王族としての威厳と巫女姫としての神秘性も加わったカリスマはハイデルのような近衛出身の軍人にとって神に等しく思えるほどだ。
シェラももはや王族である自分を否定しようとはしていない。
故郷に真人の妻として凱旋するためならたとえどんな汚い政治的術策であろうと受け入れる覚悟である。
そのためにあえて象徴としての自分を前面に押し出すことに否やなどなかった。
………真人准将……もし姫君を泣かせるようなことがあれば我ら近衛決して卿を許しはせぬぞ!
思いもよらぬところで大量の敵を製造してしまっている気がしなくもない。
もっとも真人が全ての男の敵であることは、ある一部の男性陣の間ではすでに確定した有名な事実ではあったのだが。
アウフレーベがロンバルティア侯とともに召還された帝国軍本部には、帝国十二将軍が勢ぞろいしていた。
戦死したフェーリアス将軍の後任にロンバルティア侯が就任し、アウフレーベも十二将軍位に復帰していたため久しぶりの十二将軍揃い踏みである。
一同をまとめる筆頭将軍にして軍務卿であるジェラルド・ヴィンセント・アンドレッティ公爵が重々しく口を開いた。
「アウフレーベ・ラスク・フェルゼン・ロームクロイツ卿とマンセル・トルフィン・エラト・ロンバルティア卿の復帰を歓迎する。特にアウフレーベ卿には言われなき処分と中傷を蒙ったことをここに詫びたい」
「いいえ、敗将が責を問われるのは自明のこと。かようなお気遣いは無用に願います」
アウフレーベが形式通りにジェラルド卿の謝罪を受け取りつつ、内心は驚愕に震えていた。
自分のいない間にどんな心境の変化があったものだろうか。
アウフレーベの知るジェラルド卿は、決して女である自分の存在を快く思ってはいなかったはずなのだが………。
あるいはアウフレーベの疑心を察したものかジェラルドはさらに言を続けた。
「戦死したフェーリアス卿は私の長年の親友であり、好敵手であり、戦友だった。彼を容易く屠った敵将を甘く見ることは断じてできぬ。今日ここに諸将が参集した理由はほかでもない。あの憎き敵将………マヒト・ナカオカミに対するアウフレーベ卿の見識を問いたかったからだ」
そういわれてアウフレーベは深く頷かざるを得なかった。
なるほど帝国でもっとも軍歴の古いだけあって、十二将軍の半ば以上が何らかの形でフェーリアス卿の教えを受け、あるいは共に戦塵をくぐり抜けてきていた。
いわばフェーリアス卿は帝国十二将軍の重したる人であったのだ。
アウフレーベが敗れただけなら高をくくっていられたかもしれないが、フェーリアス卿を失ってはなりふり構ってはいられないということらしい。
「細作からの情報によれば先日、マヒト・ナカオカミはメイファン王国の王族であるシェラフィータ・プリムローゼ両姫と婚約しメイファン残党勢力をその支配下においたと聞く」
アウフレーベの胸が針に刺されたかのようにチクリと痛んだ。
それが何の痛みであるのかアウフレーベが疑問に思う間もなかった。
ふと頭をかすめた小さな痛みに対する疑問は、それを遥かに上回るアウフレーベの軍人としての驚きに押し流されてしまったからである。
「メイファン軍が奴の指揮下に入ったというのですか?!」
「旧メイファンの戦力は正直恐れるに足りないと考えていた。核になる指揮官が決定的に不足していたからだ」
そういって穂を継いだのは十二将軍の中でも知将をもってなるフェルナンド・ロンドベル・ヴィルヌーブ卿であった。
ようやくアウフレーベも事態の深刻さを認識した。
この戦争のさなかにもかかわらず十二将軍が一人残らず顔を並べたわけを。
もはや真人は武勇名高い武官でも、戦場の雄たる指揮官でもない。
次期メイファン国王という国際的な戦略級の人物となっていたのである。
これでオルパシア王国は大義名分を手に入れるだろうし、旧メイファン領内でもスパイ行為やレジスタンスが活性化することは目に見えていた。
各国の動向も予断を許さない。
「あのものが我がブリストル帝国に挑戦してくるまでそれほどの猶予はない。マヒト・ナカオカミを直接間近に見た卿に聞きたい。卿なら奴をどう見る?あのものを相手にどう戦う?」
聞かれるまでもないことだった。
あのケルドランの敗北以来来る日も来る日もそれだけを考え続けてきた。
マヒトへの借りを返すために。
武人としてマヒトに負けぬ存在になるために。
「彼を人と思ってはなりません」
アウフレーベの言葉に将軍の一人が乾いた笑い声をあげた。
どうやら全ての将軍がアウフレーベへのわだかまりを解いたわけではないらしかった。
「人でないならなんだ?神様か?」
アウフレーベは真剣な眼差しでその冗談を受け止めた。
「それに近い存在です。マールバラの竜退治に出てくる悪竜ロズベルグが表現としては適切でしょうか」
マールバラの竜退治
ブリストルに暮らす者なら誰でも子供のころに聞いたことのある説話のひとつであろう。
カンナエ山脈の主ロズベルグを倒すまでの冒険が英雄マールバラとその仲間たちの叙事詩のなかでもとりわけ人気があるのは有名な話であった。
稚気の欠片も感じられぬアウフレーベの口調に将軍たちは一様に沈黙した。
「………冗談では……ないのだな?」
「このような場で冗談を言える私でないことは皆様もご承知のはず」
アウフレーベ自身、自分が面白みの欠ける性格であることは自覚している。
そのことを今更のように思い出して諸将は暗澹たる気持ちに包まれた。
竜を相手に戦いたい物好きな人間は物語のなかにしかいないのだ。
「数はあのものにとって脅威にはなりえません。なぜなら通常の武器は決してあのものに通用しないからです。現にアムルタートが眼球を狙って剣を突きましたがかすり傷ひとつつける
ことは出来ませんでした。おそらくあのものを害するためには一定の魔力が付与された魔剣か、それに準ずる術が必要となるでしょう」
アムルタートは指揮官としてはともかく剣士としては決して無能ではなかった。
にもかかわらずかすり傷ひとつ負わせることができない。
いや、力の限りに大剣を突き刺しても無駄であるという事実に諸将は息を呑んで瞠目した。
それはもはや人の領域を超えている………。
「悪竜ロズベルグを倒すためにマールバラはドラゴンスレイヤーを用意しました。竜の鱗は並の剣では貫けないからです。そして竜が空へと逃げ出さないように密かに巣に忍び込んで逃げ道を塞ぎました。あのものも同様に一流の魔剣を用意し、逃亡を防ぐためのなんらかの方法を必要とするでしょう」
ようやく将軍たちもアウフレーベが竜退治に例えたわけを理解しようとしていた。
マヒト・ナカオカミと戦うということは通常の戦とは全く次元が異なるのだということを。
「それで……卿ならどうするのかね?アウフレーベ」
ロンバルティア侯は薄く微笑みながらアウフレーベに先を促した。
彼は長年の付き合いから、彼女ほどの負けず嫌いがなんの対応手段も用意していないことなどありえないことを熟知していた。
「我がブリストルの総力を挙げて武勇の士を選抜いたします。傭兵や新米騎士であろうと一向にかまいません。ただ、個人として強くあるならばそれでいい。人数は五人程度が適当でしょう。この五人をもってマヒト・ナカオカミの専任部隊とします。必ずしもあのものを討ち果たす必要はありません。拘束することが出来れば自ずと敵のほうから崩れるからです」
いかに真人といえど第一級の武勇自慢を相手に戦いながら同時に部隊の指揮を執ることはできないだろう。
オルパシア軍は真人の超絶の武力とカリスマによって実態以上の働きを見せているが、所詮真人抜きで戦えばブリストルの勝利は動かないのだ。
自らの武力によって味方の士気を鼓舞する真人が最前線に出てくるのは確実でありアウフレーベの作戦は多少消極的ながら非常に効果的なものに思えるものであった。
「なるほど、味方を見捨ててあのものが逃げる恐れもない。しかも味方が劣勢に立たされればあのものとて冷静ではおれまい」
「はい。そこにつけこむ隙もあるかと思われます。ただ………」
「ただ………何かね?」
公平に見てアウフレーベの作戦案は優秀なものだとジェラルドは考えていた。
おそらくマヒトを実際に見たものでなければこの作戦は考え付くまい。
これでもなおマヒトを警戒するには足らないということなのか?
「あのものは魔術師としても規格外であると聞きます。残念ながら私はあのものが魔術を使う瞬間を見てはおりませんが……その腕次第では足止めも難しいと言わざるをえません」
鬼神の武力に魔神の魔力………。
たったひとりを押しとどめることの困難さに再び沈鬱な空気が流れる。
そのとき、これまで無言でジェラルドの脇に控えていた神殿補佐官が立ち上がった。
「われわれ神殿はあのものを戦神ストラト様の怨敵カムナビに属するものと考えております。忠勇なる我が兵士たちには存分にその武を奮っていただきたい。あのものの魔術は我ら神殿が
必ずや防いでご覧に入れる」
これまで戦場には介入を控えていたストラト神殿が真人に対し牙を剥いた瞬間であった。