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第五十一話


アウフレーベにとってケルドランの敗北以降の日々は地獄と形容するほかないものであった。

常勝を旨とする軍の栄えある将軍職を拝命しておきながら、部下に背かれ、あまつさえ配下の将兵の半数以上を失ったのだ。

12将軍の勇名に傷をつけたとして貶められ、所詮女の身には将軍など務まらぬと宣告されるのは覚悟していた。

しかし降格ばかりでなく、北部辺境への左遷命令を受けたことはアウフレーベにとって痛恨事であった。

辺境は武勲を立て難いばかりか、兵たちも一癖あるものが多く、その掌握に予想される困難は気が遠くなるほどのものだったのである。

何より、真人との再戦への道が半ば閉ざされたということがアウフレーベの心を重くしていた。



ブリストル帝国の辺境部にはかつてブリストルによって滅ぼされた国々の残党が闊歩しており、本国の支援をろくに受けられぬ環境も相まって、恐ろしく損耗率が高いことで有名だった。

だからこそ兵たちの間には実力主義が行き渡っていた。

身分が高いだけの貴族のボンボンはここでは一月と生き残ることはできないのだ。

もっとも、アウフレーベはそういった実力主義の世界だからこそ、予想よりも早く部下たちの信望を得ることができたのだが。


「どうやら本国からのお使いのようですぜ?」


アウフレーベにくだけた敬礼を捧げつつ報告したのは古参の下士官であるマクレーンだった。

だらけた雰囲気に似合わず、軍務には厳格な男だということを、先月の国境での小競り合いを指揮したアウフレーベは知っている。

彼は辺境騎士団の中でも群を抜いた視力を誇っており、偵察斥候の任において、他の追随を許さぬ功績をあげていたのだ。

アウフレーベが指揮官としてその能力を辺境騎士団に受け入れられたのも、その戦いのなかでのことであった。


信頼する部下の言葉にアウフレーベは心の底から驚いたように目を見張った。


「いまだ着任間もない私への使者とも思えぬが………かといって他に本国にかかわりあるような者もおらんしな………」


辺境騎士団のほとんどは辺境を故郷とする地元兵と、問題を起こして左遷されてきた兵たちが占める。

今のところ貴族の出身はアウフレーベだけであり、本国からわざわざ馬車つきの使者が訪れるような人間といえば、やはりアウフレーベ以外には考えられない。


「わずかこの三ヶ月ほどの間に何があった………?」


おそらくは使者の用向きにはあの男が………中御神真人の存在がかかわっているはずだ。

アウフレーベはそれを確信していた。





二頭立ての馬車から降り立った人物はアウフレーベを驚愕させたと言ってよい。

短く刈り込んだ白銀の髪に、見上げんばかりの長身、表情を読ませぬ静謐な瞳はアウフレーベが長年慣れ親しんだよく知る顔だったのである。


「久しいなアウフレーベよ」


「ロンバルティア侯………!!なぜあなたがここに!?」


マンセル・トルフィン・エラト・ロンバルティア侯爵はアウフレーベにとって特別な存在だった。

目の前の彼はブリストルの誇る12将軍に自分が昇進する以前副官を務めていた元上司なのである。

すでに老境にさしかかり、一線を退いてはいるが鍛え抜かれた身体はいまだ現役で十分通用するだろう。

長年の経験に裏打ちされた深い知性などは、アウフレーベもいまだ及ぶところではないと敬意を払っていた。


「フェーリアスの奴が死んだのでな、短い隠居生活に別れを告げるついでにお主を迎えに来たのだよ」


「フェーリアス将軍がお亡くなりに………!」


フェーリアス・ハスドスバル・ジャンバール大将といえばブリストルの12将軍のなかでも最長の軍歴をもち、その手堅い用兵で陛下の信頼厚かった人物だ。

いったいその彼を誰が倒したと………いや、考えるまでもない。あの中御神真人を除いてそんなことのできる人物がいようとも思えなかった。


「………それで私にお声がかかったというわけですね?」


「察しが早いな。そうだ。帝国軍務省はようやくマヒト・ナカオカミ・ティレース・ノルド・シェレンベルグ子爵を第一級の警戒人物と認識した。彼のものに敗北したことはもはや恥でも罪でもない。むしろあの男の武量を直接肌で感じたお主の経験は貴重なものなのだ」


やはり、というべきか。

ロンバルティア侯の発言はアウフレーベの予想どおりのものであった。

いや、ひとつだけ自分の記憶と齟齬をきたしているものがある。


「……シェレンベルグ子爵……?」


「ああ、あのケルドランの戦い後彼はシェレンベルグ侯爵家に養子として迎え入れられたのだ。いまや彼はオルパシアでは知らぬものとてない英雄だよ」


一介の武官であった彼が押しも押されぬ大貴族の仲間入りとは……よかろう、我が名誉ある敵として不足はない。

そうしたアウフレーベの心の動きを察したのかロンバルティア侯は渋面にわずかな笑みを浮かべた。


「全く……昇進を喜ぶには厄介な相手だぞ。一兵士であってもそうだが、兵を率きいらせても危険な男だ」


フェーリアス大将を討ち取った迂回奇襲などは物理的奇襲と心理的奇襲を併用したいっそ芸術とでも呼びたくなるほどのものだ。

そのうえカリスマと武量を備えた指揮官などブリストル軍にとって悪夢以外の何者でもなかった。


「近々オルパシア側からの攻勢がある。その指揮官は間違いなくマヒト子爵となるだろう。もはや更なる敗戦は許されぬ。アウフレーベよ。卿の識見が必要なのだ」


アウフレーベは内なる歓喜を隠そうともせず嫣然と微笑んだ。


「必ずやあのものに一泡吹かせてごらんにいれましょう」







オルパシア中にメイファンの巫女姫との婚約の報を鳴り響かせた真人であったが、その祝いはごく内輪のささやかなものにならざるをえなかった。

本来であればルーシア・シェリー・アナスタシア・ディアナ・アリシアを含めた七人もの妻を得るという非常識さもさることながら、ルーシアの父、ハースバルド卿が真人との婚約に強行に反対したためだった。


「全くあの石頭は〜〜〜〜〜!!」


ルーシアにとっては計算違いもいいところであった。

しかし現在の情勢を鑑みて、軍務の柱石たるハースバルド家の一人娘が他国の王の側室になるということが容認しかねるというハースバルド卿の

見識ももっともなものであり、ルーシアをはじめとする五人については戦争が終了した後に婚約を認めるということで妥協が成立している。

その後に及んでもなおハースバルド卿が反対するようなことがあれば、国王自ら説得役を引き受けるという確約付きでだ。

もちろん水面下でアリエノールの暗躍があったのは言うまでもない。

国王すら手玉にとってしまうとは………アリエノール恐るべし!


「あの………真人様……」


シェラはピンクのドレスに身を包み頭に真紅の薔薇を飾りつけられていた。

いつもは清楚で控えめな印象すら与えるシェラであるが、逆に情熱的な暖色の衣装が普段とのギャップと相まって人目を惹くことおびただしい。

真人も思わず言葉を失って見惚れるしかなかった。


「…………その……ふつつかものですがよろしくお願いします」


ブシュッ


真人のこめかみから何か見えない透明な血がはじけて消えた。

……もうなんというか萌え殺さんばかりの可愛らしさである。

今となっては異世界の果てとなった日本の美意識を捨てきれぬ真人にとって、大和撫子がアヌビア世界に光臨したかと思わせるような光景だった。




目の前でそんな濡れ場を見せられたプリムも黙ってはいなかった。

幼くとも女は女、戦うときと場所は心得ているのである。



「パパ♪」



ゴメスッ



思わず側頭部を反射的に壁へと叩きつける真人がいた。



黄色い薄絹のドレスにフリルのヘッドドレスをあしらったプリムの衣装は、シェラとは逆にプリムの可愛らしさを強調するつくりになっている。

その可愛らしさはそのままに、’パパ’などと呼ばれる背徳感はとても言葉で言い表せるものではない。

真人の右腕に抱きついて頬を摺り寄せるプリムと、左腕に抱きついて真人の肩にしなだれかかったシェラの視線と視線がぶつかり、不可視の火花が散るのを真人は呆然と眺めていた。


人として大事な何かを失った気がするのは気のせいだろうか?



兄様はけだものだったのですね♪


真砂、許してくれ!オレは!オレは―――!


永久に許してあげません♪



すっかり姉妹の軍門に堕ちきった真人をルーシアたちは歯軋りしながら見つめていた。


「次こそは私があの立場に……!」

「全くとんだとばっちりですわ!」

「それにしてもプリムちゃん……やりますわね」

「まあ真打は遅れて登場するもんさ」

「ああ………真人様………」



さすがに宴の主役に食ってかかるわけにもいかず五人は口々に愚痴を言いながらテーブルの隅で自棄酒をあおるしかなかったのである。

彼女たちの目には真人に甘えるシェラとプリムの至福の笑みしか映っていない。

だからいつか自分が真人の隣に立つ日を夢見て妄想をたくましくすることでお互いの憂さを晴らしていたのだった。



だが、真人に注目していれば彼の顔色がどんどん血の気を失っていくことに気づいただろう。

もしも真人が戦争後にもう一度婚約式を挙げることを告げられれば、少なくとも心の中ではこう呟くはずだった。





……………勘弁してください、と。



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