第五十話
「それにしても妾がけしかけたとはいえ、本気でいきなりハーレムをつくるとは思わなかったぞ」
アリエノールは呆れ顔で呟いた。
それも無理からぬことだろう。
メイファン王国の後継者に王国でも権門で名高いシェレンベルグ家の令嬢と軍の名門ハースバルド家の令嬢を全て妻として迎えるなど前代未聞もいいところである。
しかも悪友であるルーシアに聞いていたところでは告白もまだだということであったはずなのだが………。
「ときにルーシア、恋人になるまもなく婚約者になることに抵抗はないのか?」
「そりゃ私だって恥ずかしいけど……今ここで乗り遅れたら真人は他のみんなにとられちゃうわよ!」
顔を首まで真っ赤に染めながら鼻息も荒く言い切るルーシアはなんとも可愛らしかった。
普段のお転婆ぶりを長年の付き合いで熟知しているだけになおさらだ。
それにしてもなるほど、それは道理だ、とアリエノールは首肯した。
ここで自己主張しておかなければアナスタシアあたりが今後優先権を主張し続ける可能性は否定できない。
「しかしこれは父上の説得が大変だぞ。メイファンの巫女姫だけなら陛下もご理解くださるとは思っていたが………」
ようやくにしてアリエノールは自分がけしかけてしまったことの重大さに気づき始めていた。
メイファンの実質的指導者となるものがシェレンベルグ家とハースバルド家の娘を娶る、傭兵部隊の指揮官であるディアナの影響も見過ごすことはできない。
これだけの影響力が真人一人に集中することは、真人のひととなりを知らぬものたちには甚だ危険に映るであろう。
特に門閥貴族などは真剣に真人を脅威と受け取るはずであった。
「そんなの自業自得よ!責任もって陛下を説得しなさいよね!」
いたずらっぽい笑みを浮かべてアリエノールの肩を叩いたのはルーシアだった。
どうして王女たる自分がお前の恋路を取り持たねばならんのだ!と言おうとしてアリエノールはルーシアの表情に気がついた。
必死に笑いをこらえながら目だけは獲物を狙う獣のように爛々と輝いている。
不吉な予感にアリエノールは咄嗟に話題を変えようとしたが遅かった。
「………アリエノール………あなたさっき面白いこと言ってたわねえ………愛してる男性がいるとかなんとか……娘を目に入れても痛くないほど可愛がっている陛下はそのことをご存知なのかしら………?」
「なっ!!」
アリエノールの白皙の頬に朱が散った。
ルーシアの言うとおり娘を溺愛する父は自分たちに特定の男性ができるのを望んでいないのだ。
もしばれるようなことがあれば愛する彼にどんな身の危険が迫るかしれなかった。
「ルーシア、お前………」
迂闊に本音を漏らしてしまったわが身の不覚とはいえ、親友の思わぬ反撃に咄嗟に言葉がでない。
「……王女殿下、今事の戦が無事に終われば真人殿の言を陛下も無碍にはできないと思うがどうだ?」
何食わぬ顔でアリエノールに交換条件を提示したのはアナスタシアだった。
「全く、恩を仇で返されるとは………」
そう言いながらもアリエノールの明晰な頭脳はアナスタシアの提案を目まぐるしく吟味していた。
彼と添い遂げるために何が必要かと考えていた。
あるいは既成事実を作り上げてしまうしかないかと思案していたところだが、この提案は渡りに船といったところだ。
オルパシア王国を勝利に導き、次代のメイファン国王となるべき真人の願いともなれば、とうてい無視することができないのは明らかだった。
………悪くないかもしれない………
それどころか成功すればこのうえない切り札になるだろう。
「マヒト卿、他ならぬ卿の妻たちの頼みごとだ。万事妾に任せておけ。そのかわり……………………わかっているな?」
背中に冷たい汗をかきながら真人はこくこくと無表情に頷くしかなかった。
どうして恋する女性はかくも強いものだろうか。
シェラもプリムもルーシアもアナスタシアも、自分に対して好意を抱いてくれたことを疑うわけではないが結婚の決断まで下してしまうのはいささか性急すぎる
ように感じられる。
いったいどうして彼女たちが人生最大とも言える決断をいともあっさりくだしたものか、真人にはなんとも理解しかねるのであった。
しかし真人は気づいていない。
真人のいた中御神家が古く世上から隔絶した家柄で一夫多妻制であったのは全くの例外なのだということを。
そして真人の妻の座を狙う女たちの戦いが、とうの昔に熾烈を極めていたのだということを。
ユラリ
噴き上がる瘴気が悪夢を具現させたような気配を感じて、慌てて真人は振り返った。
「なかなか素敵なお話でございますわね、真人様」
「………僭越ながら副官としてそこの傭兵より下に扱われるのは断じて容認できません」
漆黒の死神すら裸足で逃げ出すほど禍々しいオーラを撒き散らすシェリーとアリシアの姿がそこにいた。
「………マヒト卿、卿の手はどこまで長いのだ………正直、卿の不実をなじりたくなってきたのだが…………」
もはやあきれ果てた表情でアリエノールは首を振る。
しかし真人は己が不実であるとは全く考えてもいなかった。
真人はごく真摯に彼女たちに愛情を寄せてきたつもりであったし、それは全くの事実であったからだ。
問題は、いまだ真人に家族や友人と男女間の愛情の区別がつかずにいること。(少なくとも本人はそう考えていること)
そして一人の男性が複数の女性と関係することを不実とは考えない真人の、というよりは中御神家のゆがんだ倫理観にあるのであった。
妻(予定)たちがそのことに気づき、慌てて真人の再教育に乗り出すのはまだしばらく先のことでなのであった…………。
王国筆頭公爵であるマンシュタインは荒れ狂っていた。
シェラとプリムがメイファン王国の失われたと思われた王位継承者であったという情報は当初マンシュタインを狂喜させた。
いかに高貴な家柄を誇ろうとも、その血からは王位を生み出すことは叶わない。
唯一の王位継承者が女性であり、その配偶者になることが、王族ならぬ身が至高の地位に上るたったひとつの手段なのだ。
その機会を得て狂喜せぬものがいるだろうか。
ほとんど狂ったようになって支援を求めるオズヴァルド伯爵をマンシュタインはよごれた犬でも見るように傲然と無視した。
そのような魅力的な立場をこんな腐った売国奴に譲るなど思いもよらなかったからだ。
むしろ短絡的なこの男が邪魔だった。
メイファン王国の権門の血筋と、まだこりずに襲撃を試みようとしているオズヴァルドを放置しておけばマンシュタイン家の政治的立場を悪化させないとも限らない。
マンシュタインは酷薄な笑みを浮かべ、速やかに障害を取り除くことを決意した。
オズヴァルド伯爵が急な病に倒れベッドの住人となったのはその日の晩のことである。
高熱にうなされた彼は翌日生命だけはとりとめたものの、精神的な錯乱から回復することはできなかったのだった。
マンシュタインはルードヴィッヒ侯爵家との娘と婚約していた三男をメイファンの巫女姫にあてがうことにして、ルードヴィッヒ家には丁重に婚約破棄の旨を伝えた。
ルードヴィッヒ家にしてみれば青天の霹靂であったがマンシュタイン公爵家に逆らう力もない以上涙を飲んで受け入れるほかはなかった。
これでなんの憂いもなくメイファンの巫女姫を掌中に収められると思った矢先に、その事件は起こった。
真人とシェラフィータ・プリムローゼ両姫との婚約が、オルパシア全土に布告されたのである。
ただでさえ戦場の英雄として名声高い真人であるが、この婚約による国民の喝采も実に華々しいものであった。
些細な偶然から死の淵にあった奴隷を救い上げた英雄騎士
その奴隷は実は奴隷に身をやつすことで唯一ブリストルの追求を振り切った王族の姫君であった………
いつしか騎士と姫の間には男と女の愛情が育まれ、そしてやがて二人は結ばれる………
いかにも庶民の好みそうなシチュエーションである。
国民の歓呼の叫びのなかで、真人と巫女姫の婚約はもはや動かしがたい既成事実として王国に浸透していた。
激怒とともに抗議の声を上げたマンシュタインではあったが、この状況からの逆転が至難であることはわかっている。
国王の話すところでは巫女姫が突然謁見を乞いに現れ、命の恩人である真人との婚約の承認を求めたらしい。
これが臣下同士ならあるいは違った展開があったのかもしれないが、厳密な意味でシェラやプリムはオルパシア王国の支配下にはないのだ。
まして双方の合意が為されているとあれば国王としても認めるほかはなかった。
であるならば戦意高揚のために役立ってもらうべきであろう。
国王としてオルパシアの存続を願うその判断には流石のマンシュタインも異を唱えることができない。
しかしマンシュタインにとって大事なことはオルパシア王国の存続などではなく、マンシュタイン家の栄光にある。
その障害になるならばたとえ王国が滅びることになろうとも排除することになんのためらいもない。
「腕の立つ刺客を用意しろ。それと………ブリストルの間者に渡りをつけておけ」
もはやこの王国のために為すべきことはない。
今自分が為すべきことはブリストル帝国にマンシュタイン公爵家を出来得る限り高く売りつけることなのだ。
あのような氏素性のわからぬ輩に大きな顔をさせておく王国など速やかに滅んでしまうがよい。
そしてこのマンシュタイン家をないがしろにした報いをその身に刻んで逝け。
マンシュタインにとって真人が活躍し五分に持ち込んだ現在の戦況はおあつらえ向きと言えた。
なんといってもマンシュタイン家を高く売りつけるためにはオルパシアが優位に立っている方が都合が良いのだから。
真人と国王を切り離し、遠く前線で真人がブリストルの罠にかかるそのときこそ、マンシュタインにとって最良の時が訪れるはずであった。
すでに新たな遠征計画は発動を間近に控えている。
後はブリストルの望む情報を届けてやるだけだ。
復讐の猛りにマンシュタインは恍惚と身を震わせて嗤った。
我がマンシュタイン家に仇なすマヒト・シェレンベルグは今度こそ死すべき運命にあるのだ―――!