第四十七話
「まったくなんとかならんのか?あの男は!」
マンシュタイン公爵は思うようにならぬ政治状況に憤懣をぶちまけていた。
全てはあの忌々しいマヒト・シェレンベルグの登場から始まったことである。
相次ぐ鮮やかな勝利に王都の評判もうなぎのぼりにあがっておりで爵位を伯爵に進めるべきだ、という意見さえ取りざたされる有様だった。
あんな氏素性の知れぬ男に王国の中枢を担わせるなどあってはならぬことなのに………!
「このままアナスタシア令嬢と結婚してシェレンベルグ家を継ぐようなことになりますと侮りがたい勢力に……あるいはハースバルド家の令嬢という場合もあります。いささかあの男を侮っておりましたな………」
甥のルーデンドルフ子爵が困惑した声で答える。
確かに侮っていた。
シェレンベルグやハースバルドに用意された駒とはいえ、たった一人の男になにほどのことができると思っていた結果がこれだ。
このままオルパシア王国が勝利するようなことがあれば、名誉あるマンシュタイン家の権力が衰退してしまうことすら考えられる。
何ら貢献らしい貢献もしていないのだから当然であろう。
現実にマンシュタインの危惧していたとおり、宮廷内において軍部が権力を占める機会が増加しているのである。
こうしてみると軍部の掌握に失敗したのは実に痛い失策であった。
「急ぎあの男の素性を調べろ。交際関係や出入りする業者まで細大漏らさず調べるのだ………!」
「ようシェラちゃん!今日はいい鳥が入ってるよ!」
「あまりもんだが、この蕪持っていってくんな!」
「プリムちゃんにこのお菓子を持ってっておあげ!」
いつの間にか市場で大人気のシェラであった。
ことの発端は市場でもハースバルド家筆頭メイドとして有名人だったシェリーに買い物のこつを教わっていたときに、シェラが真人に仕えるメイドだということがばれたことである。
ケルドランの英雄の名は市場でも知らぬものはいなかった。
救国の英雄を支える美少女メイドの噂はたちまち市場中に広がっていったのである。
…………明日にはご主人様が戻って来てくれる!!
それを考えるとシェラは思わず踊りだしそうなほどの高揚を覚える。
自然顔に笑みが浮かび、その愛らしさがまた市場の人々の格好の憩いになっていた。
ごちそうのメニューを考えることで忙しいシェラの頭は、時折鋭い視線を向ける数人の男たちの影に気がつくことはなかった。
…………他人の空似ではないのか?
シェラを尾行していたものの一人はかつてメイファン王国に潜入したこともある腕利きであった。
先ほどから見ている無防備なメイドは見れば見るほどメイファンの巫女姫に酷似しているように思えるのだ。
しかしそうであるなら何故マヒト子爵のメイドなどをしているものか説明がつかない。
もはや最後であろうメイファン王国の生き残りである。
要人中の要人として各国の保護を求めることが可能であるはずだった。
……………これは確かめる必要がありそうだな………。
幸い確かめることについては格好の人材に心当たりがある。
メイファン王国の亡命者、オズヴァルド伯爵が主の屋敷に逗留していたのだ。
「開門せよ!我々はマンシュタイン公爵家のものである!速く開門せよ!」
翌朝屋敷を喧騒が包んだ。
使者としては、こんな貧乏ったらしい屋敷など門を開けさせるまでもないと考えていたのだが真人の施した魔術防壁のために一歩たりとも屋敷に踏み込めないでいたのである。
「…………隠れていなさい」
アナスタシアは事態を正確に洞察していた。
おそらく、どういう経路からかはわからないがシェラとプリムのことがマンシュタイン公爵にばれたのだろう。
いまや王国で知らぬもののない英雄となりおおせた真人の情報を、あらゆる階層のものがやっきになって調べていることをアナスタシアは知っている。
真人のアキレス腱を抑えると同時に政治的カードに使える二人の存在が露見する可能性は十分にありえたのだ。
もちろん二人をおとなしく差し出すつもりはアナスタシアにはない。
それでなくとも生活を共にするうちに三人は姉妹同然の仲になっていた。
真人のことに関しては三人とも譲る気はさらさらなかったが。
「当家に朝からいったい何用か?」
扉が開かれえてまずアナスタシアがいきなり応対したことに使者は戸惑いを隠せずにいた。
メイドの素性を確かめ、機があれば連れ去ることを主人に命じられているがシェレンベルグ侯令嬢がいることは任務にとって重大な障害であったからである。
「こちらにメイファン王国の姫巫女がおわすとの情報を得まして………オズヴァルド伯爵が是非にお会いしたいと申されているのですよ」
「シェラフィータ様とプリムローゼ様を出せ!隠し立てするとためにならぬぞ!」
武装したままのオズヴァルドが凄んでみせるがアナスタシアは怯むどころか敢然と反論した。
「礼儀知らずな蛮人に家人を引き合わせる気はない。それが王国外務卿シェレンベルグの娘たる私に対するメイファン王国の礼儀か!!」
公爵の使者は苦りきった顔でアナスタシアに詫びざるをえなかった。
オズヴァルドの態度はとうてい亡命貴族がとるべき態度ではない。ましてここでシェレンベルグ卿を全面的に敵に回せば公爵にどんな制裁を受けるかわかったものではないのだ。
…………そうした政治的駆け引きの全く通じぬ男がいた。
とうのオズヴァルド伯爵その人である。
彼の心は拠り所を求めていた。
メイファン王国の危機に家財を持ち出して真っ先に逃げ出した負い目が、彼をそこに追い込んでいたのであった。
皆殺しにされた縁者たち
なぶり殺しにされた主君
冷たい視線を隠そうともしない残存勢力の戦士たち
裏切り者!卑怯者!売国奴!
誰もが自分に軽蔑の視線を送っているという妄想を振り払うことが出来ない。
…………それは違う!私は祖国を救うためにあえて離れ機会を待ったのだ!その証拠に私はメイファンの地を再び取り戻して見せる!
我が身可愛さに逃げ出した過去を塗り替えるためには実績が、あるいは権威の保証が必要だった。
たとえば大神殿の巫女姫にメイファンの正統が自分にあることを保証してもらうというような。
「これはメイファン王国の問題なのだ!女風情は引っ込んでおれ!」
やにわに剣を振り上げるとオズヴァルドはアナスタシアを押しのけ奥座敷へと突進した。
さすがのアナスタシアもこれには逆らう術がない。
抜き身の剣にアナスタシアの豪奢なドレスが切り裂かれ、たまらずアナスタシアは悲鳴をあげて倒れ伏した。
「アナスタシア様!」
悲鳴を聞いて黙って隠れていられる二人ではない。
土間の壁を取り払って駆けつける二人を見つけてオズヴァルドは狂喜した。
「おおっ!お探しいたしましたぞ巫女姫様!もはやなんの心配もいりませぬ。私とともに祖国を取り戻しましょうぞ!」
「下がるがよい!下郎!」
シェラの怒号にオズヴァルドは凍りついた。
今この娘はなんと言った…………?
「大丈夫ですか?アナスタシア様!?」
「大丈夫?お姉ちゃん?」
気遣わしげな二人にアナスタシアは苦笑を禁じえなかった。
人として二人のとった行動は正しいが貴族としては落第である。
この二人がメイファン王国最後の王位継承者というのは何かの間違いという気がしてならない。
……………ようやくシェラに拒絶されたのだということがオズヴァルドの脳に浸透し始めていた。
このオレを下郎と呼んだ!
国を滅ぼした巫女の分際でオレを拒絶するのか?
お前たちがしっかりしていればメイファンも滅びずにすんだものを…………!
「ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!「ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!」ふざけるな!」
どいつもこいつもオレを馬鹿にしやがって!
「お前らは黙ってオレのいうことを聞いていればいいんだ!どうせ何の力もない巫女なぞ誰も必要などしないのだからな!」
妄執に自制心を失ったオズヴァルドはもはや暴力をためらうつもりはなかった。
オズヴァルドの合図に配下の兵たちが三人を取り囲む。
武装した兵士八名がシェラたちを連行しようと手を伸ばしたそのとき兵士たちは不可視の刃に切り裂かれ昏倒した。
「終の式、大和推参」
気がつけば風変わりな民族衣装に身を包んだ少年がシェラたちをかばうようにして立ちはだかっていた。
ほんの一瞬の出来事だった。
兵が手を伸ばしたところまでは知覚している。
わずかに風がそよいだような気がした次の瞬間には全ての兵が地に伏せていた。
「こんな………こんな馬鹿なことが…………!」
何故だ?何故どいつもこいつもオレを否定するのだ?
そんな無法な思いを抱きつつも抵抗する勇気をオズヴァルドが持てるはずもない。
「………なんと無礼な!我が公爵家に手をあげて無事にすむと思うな!」
使者の男は厚顔にも責任を目の前の少年に押し付けることで目的を果たそうと目論んでいた。
というよりそれで押し通す以外に方法がなかった。
目撃者がアナスタシアだけなら証言者の多いこちらが有利だ。
マンシュタイン公爵の権限をもってすれば司法がどちらを味方するかは明らかだったのだ。
「無礼はどちらだ………?」
まったく予想もしない第三者の発言に使者の男は慌てて振り返った。
その先にはいてはならない人物がいた。
「…………剣をもって婦女子を囲むのがマンシュタイン家の礼儀とでもいうのではあるまいな?」
オルパシア王国第二王女アリエノールとハースバルド伯爵令嬢ルーシアの姿がそこにいた。
どうやら罠に落ちたのは自分たちであったようであった。
「間に合ったようで良かった」
………そしていつの間にか大和と名乗った少年が真人に替わっている。
「ご主人様!」
「お兄ちゃん!」
「真人!」
三人は思い思いに抱きついて再会の喜びに浸ったのだった。
「……………ずるい………」
王女を連れてくる役割を担った自分も真人に抱きつきたいのに…………
貧乏くじを引かされたルーシアはお冠であった。