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第四十四話



ブリストル軍の南方で始まった一方的な殺戮はすぐに全軍の知るところとなったが、知ることと対応することは全くの別物であることは軍を指揮したものなら誰でも知るべきことであった。


まず即応部隊以外は自分の装備を整えなくてはならない。


素手で生身の兵士などいくら数がいてもなんの戦力にもならないからだ。


そしてできうれば鎧の装備もするべきであった。


暗闇での戦闘は昼間における戦闘とは違って急所を外れた攻撃や混乱した味方の誤撃を受けやすいうえ、それを避けることも難しい。


ある程度の負傷を折り込むのが夜戦の常識であるからだった。


だが剣撃の響く喧噪のなかで冷静に装備を整えることは至難の技である。


末端の兵士ほど一人でいることに耐えられず中途半端な装備のまま仲間の姿を探して天幕を飛び出してしまうのが常であった。


そういった衝動にかられる兵士たちを昼間同様の指揮系統に組み込むことはさらに難しい。


結局その場その場で指揮官は己の見える範囲だけの兵の指揮に専念せざるをえないというのが現状なのだ。






目が覚めたばかりの身体は筋肉がほぐれていないばかりか、いかに脳が覚醒したように感じていてもやはり認識能力が十全ではない。


ディアナの率いる傭兵部隊はそういった人間の特質というものを熟知していた。


戦にでればもっとも被害の集中しやすい方面に決まって投入される傭兵部隊は生き延びるための裏ワザとでもいうべきものを一人残らず知っている。


生理学な人間の特質もまたそのひとつだった。




「即応部隊の頭をつぶしたら手当たり次第に火をかけろ!」




無音の魔術が解けた戦場にディアナの大音声が響き渡る。


既に先刻よりの奇襲によって即応体制にあった一万近い兵士たちはほぼ組織的な抵抗力を失っていたが、さすがに指揮官の周りにいた一部の兵は頑強な抵抗を続けていた。


いかに人数が多くとも、戦場の全体を把握できぬ夜戦において指揮の力は絶対である。


指揮官さえ倒してしまえば残るのは同士討ちすらしかねない烏合の衆のみであった。




「こいつぁいい手柄首だわな」




マグレープは使い慣れた円月刀を手に手練の小隊を引き連れて奮戦する指揮官らしき男目掛けて吶喊した。


暗闇での乱戦にそこかしこでブリストルの兵が同士討ちを演じているが、ヴァーミリオンの兵に限ってはそんなことはない。


この数日間ずっと闇に目を慣らし、さらには全員にムスクの香りを焚き染めてある状態で同士討ちはありえなかった。




「早く次に移らないと姉御にどやされるんだ。悪く思わないでくれ」




殺そうとしている相手に悪く思わないもなにもないものだが、呟かれた言葉はマグレープの本心だった。


前段の理由のほうが大きいのは当然であったが。




「下郎が!貴様らの思うようになどいくわけが…………」




「いくんだな、これが」




神速の足運びでたちまちブリストル兵を一蹴する。


軽装の傭兵は速さが命だ。


常に先手を取り続けることで、敵の反撃を最小限にとどめ味方の被害を極限する。


そしておのおのが勝手気ままに動いているように見えてその実阿吽の呼吸で連携する傭兵たちの変幻自在な戦い方はブリストル兵を戸惑わせるには十分すぎた。


闘神ディアナがオルパシアの地を踏む以前……傭兵たちの指揮を委ねられていたマグレープ・ベルカ・ジェライル、通称幻惑のマグレープの名が伊達ではないことを血しぶきをあげて折り重なるブリストルの兵士たちが証明していた。




「こんな……こんな馬鹿な話があるか!」




困惑の極みに達したブリストルの指揮官が悲鳴にも似た叫びをあげる。


目の前の現実が信じられない。


自分たちブリストル帝国軍はヴァーラム・マレーヤ・メイファンといった王国に一度として敗れることなく大陸最強の名を欲しいままにしていたはずではなかったか?


つい先ごろオルパシア軍でさえも鎧袖一触に葬りさったはずだ。なのにこんな盗賊同然の連中に好きにされることなどあってたまるか!




………悪いが答えてはやれんわな




手品の種を明かす手品師はいない。


既にポツリポツリと幾多の天幕に紅蓮の華が咲き始めているのを見てマグレープは踏み込みの速度を上げた。


舞い踊るかのような曲線から直線へ


そのあまりの切り替えの早さに一瞬マグレープの姿を見失う。




………あんなところにいたか!




何故マグレープの姿を空から見下ろしているのか、ということには気づかぬままに暗闇に舞い上がった首は永久に意識を失った。








うっすらと東の空があけかかっても、ブリストル軍の混乱は一向に終息の気配をみせていない。


天幕にかけられた炎が効果的にブリストル軍の再編を阻害していた。


高度に組織化された兵は組織の枠組みをはずされたときに脆い。


強兵であるはずのブリストル軍がいまだに効果的な反撃ひとつ行えないことの理由のひとつがそれだった。




速さを身上とする傭兵たちの軽快な動きも見過ごせない。


奇襲が成功したとはいえ、実際の兵力で十分の一でしかないのは事実である。


決して停滞しない傭兵たちの速やかな行動がブリストルにいまだ実数を把握させていないのだった。




「大陸最強が聞いて呆れるね!歯ごたえがないったらありゃしない」




ディアナの罵声を浴びたブリストルの将の一人が激昂して撃ちかかる。


しかし徒土のうえ獲物が剣ではディアナには近づくことすら難しい。


肩にかけられた鉄鎖が一筋の閃光となって投擲されたかと思うと、まるで柘榴のように男の顔ははじけて飛んだ。


暗闇ではただでさえ見えにくい投擲武器であり、そのうえさらに漆黒に塗られたディアナの鉄鎖の先には同じく漆黒の人の掌ほどもありそうな巨大な分銅が結ばれていた。


分銅がひとたび当たれば爆発したかのように人の部位が宙を舞う。


首が、腸が、もはやどこの部位かすらわからない肉の塊が飛び散る様は兵士たちを恐怖のどん底に叩き落とす。


残虐なようではあっても、重量武器ならではの凄惨な傷口は兵士の士気を著しく阻喪させることをディアナは経験から知っているのだった。




………さあお逃げ、そして案内しておくれよ。あんたたちの親父さんのところへ




手を焦がす炎


死神を思わせる漆黒の女神


いつしかブリストル兵の逃げ惑う姿の中にひとつの流れが出来始めている。


その先には自分たちが狙う大物が息を潜めているはずだった。




「また私に格好いいところを見せておくれ…………ダーリン♪」




戦場を駆ける高揚と恋情の昂りがこれほどに甘美なものであったとは…………


官能の火照りに頬を染めながら熱い吐息を吐くと、再びディアナは鉄鎖を閃かせる。


ぐしゃりという破砕音とともに唇を彩る返り血のしぶきがディアナの下腹部を疼かせる陶酔をより深くしていた。








どこの誰かは知らんが見事な用兵だ。


フェーリアスは自軍が罠に落ちたことを正確に悟っていた。




確かオルパシアには闘神ディアナとかいう傭兵がいたはずだがその者の機知だろうか。


おそらくはほんの数千でしかない軍勢でここまで我が軍を圧倒するとは恐ろしい采配といわねばなるまい。


だが……………




「ブリストルを嘗めてもらっては困る」




味方の悲鳴と怒号を無視してただ黙々と再編された軍勢……その数一万。


それが残る三万の兵たちを見殺しにして整えられたフェーリアスの手勢の全てだった。


おりしも東の空がだいぶ白み始めていた。


奇襲によって実態のしれなかった敵の正体が割れる時が近づいている。




整然と武威を取り戻した味方の姿に、敗残の兵たちが助けを求めて雲霞のごとく取りすがってくるがフェーリアスの手勢はそれを傲然とはねつけた。




「戦神ストラト様の下僕たるものがなんたる失態!なんたる無様!汝らに恥じる心あらば今一度剣をとりて死戦せよ!」




味方すら斬りつけようか、というフェーリアスの獅子吼に逃げ惑っていた兵士たちは急速に戦意を回復させていく。


古来より先頭に立った指揮官の鼓舞ほど兵士たちの戦意をかきたてるものはないのであった。


軍勢の先頭に馬首をすすめ敢然と胸をそらせたフェーリアスの姿は一幅の絵画のように美しい。


稜線から射し込む朝やけの光が否が応にも兵士たちの胸を熱くたぎらせた。




「見よ!あの朝焼けを!いまや奴らの詐術は解け真実が明らかとなる。我らブリストルの勝利という真実が!」




これほどの被害を出しておいて勝利の美酒など味わえようもないが、少なくとも兵にとっては目の前の敵を退けることこそが勝利なのは間違いない。


何よりも大事なことは負け戦に折れかけた兵士たちの心に勇気と誇りを取り戻させるということだ。


フェーリアスの大呼が猛り立つ一筋の奔流となって全軍が反撃に移ろうとしたまさにその時、死神は現れた。






「御見事な言、真に感服仕った。されど貴殿と戦場で巡りおうたは浮世の縁。お命頂戴仕る!」






フェーリアスが軍勢の先頭に姿を現す時こそ真人が待ち望んでいた時であったのだ。








ただ一騎


いまだ顔立ちに幼さを残した少年がただの一騎で駆ける様に誰もが呆然としていた。


とうていあり得ざる事態


自殺行為といっていい事態に憐憫とも嘲りともいえぬ感情が兵士たちの胸に去来する。


とはいえ敵は敵、まさか最高司令官の御手を煩わせるわけにもいかぬ。


護衛の騎士がせめてもの慈悲に一刀で………と進み出た瞬間、真人の剣が振られた。




「我世の理を知り理に依りて斬を飛ばす、斬り裂け」




騎士の身体が出来の悪い人形のようにバラバラに解体される様に彼らは己が敵を見誤っていたことを知った。




「魔術師か………いかん!大将閣下を守りまいらせよ!」




騎士たちが槍襖を形成し魔術師たちが防御呪文を唱え始める。


だが全ては遅すぎた。




…………ここまでも手のうちか………まったく全てに上を行かれたわ………






「少年、名をなんという?」




「中御神真人……縁あってオルパシア王国を守護するものなり」




この若さにしてなんたる矜持か!一個人をして国家の守護者を名乗らしめるとは!




………よかろう、武人の本懐である。


フェーリアスは大剣を空中を飛ぶように突き進む真人に向って振り上げた。


願わくばブリストルの勇者たちに少年を打ち倒す神のご加護があらんことを…………!




膂力の限りを振り絞ってふるわれた剣は、誤たず真人の胸に吸い込まれたかに見えた。


しかし手ごたえがフェーリアスの知覚を震わせることはない。


真人の残像が消えたとき、満足気な表情を浮かべた歴戦の宿将は、四十年近い軍歴に終止符を打った。







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