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第四十話


「新任の隊長ってのは大丈夫なのか?」


そう口にする兵たちの疑問はもっともだった。

兵たちは上司を選ぶことができないが、長の出来不出来が彼らの生命の鍵を握るとなればとうてい無関心ではいられまい。

だがそれを問いたいのは私のほうだ。

今度の戦の危険度はこれまでの比ではない。

ただでさえブリストルの野蛮人共と正面からやりあわなきゃならないのに、中隊長は兵の指揮をとったことすらないど素人という噂だった。

確かにケルドランでは活躍したようだがあくまでもそれは兵としての活躍であって指揮官としての活躍ではないはずだ。

しかもこれも噂だが絶世の美形で士気高揚のために仕立て上げられた張子の虎にすぎないという話もある。


どちらにしろ激戦区に投入されるのは避けられないけどね…………。


アリシア・クルト・フッケバイン少尉は自嘲とともに哀しげなため息をもらした。

巻き添えを喰った兵たちにはどれほど詫びても詫びきれない。

だからこそアリシアはどんな手段を使っても中隊を生き残らせるつもりだった。

なぜなら中隊が南部戦線に再び投入されるのは元中隊長であったアリシアに対する懲罰人事に他ならないからであった。



アリシアは現在22歳。

下級貴族として士官学校を卒業し、武官としては将来を嘱望されるほどに優秀な成績を収めていた。

彼女の人生が狂わされたのはクネルスドルフ派の連隊長に目をつけられてしまってからだった。


スレンダーながら瑞々しい肢体に切れ長の青い瞳が怜悧な美貌を際立たせている。

いわゆるクールビューティーという部類にアリシアは分類されるだろう。

どうやらそれがいたく連隊長の好みを刺激してしまったらしい。

まとわりつかれ意味もないスキンシップは日常茶飯事、まだそれだけなら兵のために我慢していたが性行為まで求められると丁重に断りを入れざるを得なかった。できる限り丁重にしたつもりだったのだが何故か全身に痣を刻印された連隊長は即日王都への喚問とアリシアの降格を言い渡した。


幸運にも王都に呼び戻されたおかげでテメレーアの惨劇からは逃れることができた。

アリシアの降格を決めた連隊長は敵の弩兵の弓を浴びて戦死していた。

あの戦いに参加せずに済んだことは僥倖といっていい。しかし再びあの激戦区に投入されることを思えば己が幸運を喜んでばかりはいられないのだ。


「嬢ちゃん、今度はうまく付き合えよ。次はまちがいなく命がなくなるからな」


つい黙考に沈んでしまったアリシアに壮年の男が言葉をかける。

口は悪いがアリシアを思っての忠言なのは男の気づかわしげな瞳を見れば一目瞭然だった。

男の名はバラール・ヴォルフラム・ヴィンセント……アリシアが中隊長であったときの副官である。

歴戦の古参兵でアリシアとは父と娘ほども年齢が違う。

経験に裏打ちされた堅実な手腕を持つ中隊にとってなくてはならない男だった。

バラールの見るところアリシアは軍人として得難い資質を備えている。

だが個人的には軍人などやめて幸せな家庭に入ってほしいとも思っていた。

綺麗な娘が穢されあるいは命を落とすのは軍歴の長いバラールにとっても耐えがたい何かであったからだ。

それが信頼のおける上司であればなおさらである。


「そうね………確かに命以上にこの身体が惜しいとは思わないわ」


軍は軍律の維持無くして軍ではない。

軍律のない軍は夜盗と同義である。

だからこそ軍という組織は時として理不尽ともいえる処罰を下す。

明らかに間違いだと思われる上司の命令への抗命に対する処罰もその理不尽のなかのひとつだった。


アリシアは己の胸を抱きしめるように抱え込んだ。

抗命の末処刑されるようなことになれば実家の家族にも類が及ぶことになるだろう。

今は女としての甘い幸せは忘れるべきだ。

そう理性では確信しながらも、背筋を貫く不快な震えをアリシアは押さえられずにいた。


バラールはそんな少女の恥じらいを捨てきれぬかつての上司の様子に、諦念とともに覚悟を固めていた。

もしもアリシアに危機が迫れば自分が命を捨てて相手の命を奪うつもりであった。





「ガンツフェルド連隊長に噛み付いたじゃじゃ馬ってのはお前か」


「はい、アリシア・クルト・フッケバイン少尉です。貴方の副官の任を拝命しております中尉」


アリシアは顔色ひとつ変えなかったが内心では呪詛の言葉を漏らしていた。

中隊長が新米という噂はとんだガセネタであったらしい。

新たな中隊長に着任したのは武勇と軍功には定評のある男だった。

ただし粗野で傲岸不遜なために出世を棒に振っている。アリシアにとって厄介なことに女癖もすこぶる悪いという、まさに最悪の男だ。


リュシマコス・ダムルーク・クレティアス……虎殺しリュシーの二つ名で知られている。

実際に虎を素手で絞め殺したという伝説を持った男だった。



「いいか、オレは反抗は一切許さん。お前もオレの副官になるならそれを肝に銘じておけ」


「……………はっ」


感情を極力排し見事な敬礼を捧げたアリシアは着任の挨拶は済んだ、とばかりに退出しようとしたがリュシマコスはそれを許さなかった。


「では命令する。今ここで服を脱げ」


予想を上回る暴虐な言葉にアリシアの声も思わず低くひび割れたものになる。


「…………それは軍務には関わりないように思われますが………」


リュシマコスの目がスッと細められた。

アリシアの返答が気に入らなかったようだ。


「上官に反抗するような出来そこないが本当に更生したのか確かめるためだ!早く脱げ!それともまた上官に逆らうか?」


「くっ………………」


進退窮まった……とアリシアは感じていた。

このまま逃げることは容易い。

しかしなんの後ろ盾もない自分がそれをすれば今度こそ身の破滅は目に見えている。

理性ではそう理解していてもアリシアの女としての本能は理性に従うのをよしとはしない。

脱ぐことも逃げることも出来ずにアリシアは全身に脂汗をかきながら硬直した。


「どうした?命令が聞けんのか?それとも貴様は脱がされるほうが好みか?」


リュシマコスの野太い腕がアリシアの軍服の襟にかけられるとアリシアは湧き上がる生理的嫌悪感に思わず叫んだ。


「…………いや!」


「やはり性根は変わっていなかったか………だがすぐにオレが変えてやる。オレなしではいられないようにしてやるぞ!」


絶望が目の前を暗くする。

いやだいやだいやだーーー!!こんな男に穢されるために私は今まで純潔を守ってきたわけじゃない!

そこにいたのはもはや怜悧で優秀な軍人ではなかった。

幼い日のままにひたむきな理想を追い続ける理想主義者にして潔癖症な一人の少女の姿があるだけだ。

うずくまり己の身体を抱きかかえるアリシアをいやらしい笑みを浮かべて見下ろすリュシマコスはふと何かに気づいたように天幕の入り口に目を向けた。


「そこにいるのは誰だ?」


まるで突風が吹き上がるような殺気が天幕の外に満ちている。

いかに子羊をいたぶるのに夢中になっていようと、リュシマコスほどの戦士がこの殺気を見逃すことはありえない。


「隠れてねえで姿を現せ!」


抜き打ちの斬撃に天幕の入り口が切り裂かれた。

そこに佇んでいたものは………



「バラール……………」


猛り立つような殺気とともに天幕の外に佇んでいた男はバラールであった。

そして彼の瞳を見た瞬間にアリシアは自分の犯した失策を知った。


バラールは私のために自分が犠牲になる気でいる………!


女の身の自分が呪わしい。

ただ、自分が耐えさせすれば誰も犠牲になどせずにすんでいたものを………!


「ふん、この上官にしてこの部下ありといったところか………」


リュシマコスが腰の大剣に手を伸ばすのを見てようやくアリシアは我に帰った。

指揮官としての能力はともかく、個人的な武勇においてバラールは遠くリュシマコスに及ばない。

ひとたび剣を合わせればバラールが血の海に沈むのは避けられないだろう。


「下がりなさい!バラール!余計なまねをしないで!」


命を無駄にしないでほしい。全ては私の不甲斐なさのせいなのだから。


リュシマコスはいやらしい笑みを浮かべながらバラールを挑発する。

己の武力に絶対の自信を持つが故の残酷な遊びであった。


「どうした?この女を助ける気ではないのか?それともここでこの女が犯されるのを見物したいだけか?」


一瞬バラールの怒気が増す。

しかしリュシマコスが期待しているように激発はしなかった。むしろ溜息とともに憐れむような目をリュシマコスに向ける。


「ま、最初は嬢ちゃんのために命を張るつもりできたんですが風向きが変わりましてね。全く噂ってなあ当てにならんもんですわ」


いったい何が起こったというのか、いたぶるつもりでいた格下の獲物に憐れみの眼差しを向けられてリュシマコスは嚇怒した。


「嬲るか!貴様!」


怒気の赴くままに剣を走らせる。

虎を絞め殺す膂力に相応しい肉厚の太い大型の鉈を思わせるような大剣がバラールに向って振りかぶられた。



「…………己すら御せぬ者が剣を御せるなどと思わぬがよい」



天幕のなかの時が止まった。

呼吸の音すら響かぬ石化した空間で白魚のような滑らかな手がリュシマコスの大剣をその掌で受け止めている。

一切の気配も感じさせぬままに白銀の少年がバラールを庇うように立ちふさがっていた。


目の前の現実が受け入れられない。

オレは虎殺しリュシーだ。剣をとっては将軍にすらひけをとるとは思えない。

それがあんな華奢な腕ひとつで受け止められてしまうなどということがあるものか!



「己が心を御すること、剣を己が腕として御すること、遂には己を剣と合一させ感覚を共有すること。貴官には剣士としての基本が何一つできていない。己を省みぬ剣は剣にして剣にあらず。武にして武にあらず。人にして人にあらざりし獣の勇というべきこと貴官も人ならばわきまえるがよい」



いったい彼は何者だ?

アリシアは目の前の現実離れした光景に息をするのも忘れるほど魅入られていた。

銀糸のように煌めく白銀の髪

天壌の美貌

言葉にするのも愚かしいと思われるほどの圧倒的な武、そして全身を包む赤子が両親に対して感じるような根拠のない安心感


新任は美貌の英雄だという噂をアリシアは思い出した。

彼はたったひとりでケルドランの城塞から外務卿を救いだしブリストルの将を討ち取るという武功をあげたと聞いた。

埒もないうわさととり合いもしなかったが………確か噂の英雄の名は



中御神真人とよんだはずであった。



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