第三十八話
「「「ダメです(だ)!!!」」」
シェラ・プリム・ディアナの声が期せずして重なった。
興奮のあまり目が血走っている。それはプリムですら例外ではない。
「絶対ダメです。ご主人様にそんなことをさせるくらいなら死んだほうがましです!」
「お兄ちゃん………他のお姉ちゃんのところにいっちゃうの?」
「アナスタシアとか言ったかね?鼻もちならないって噂だが……そんなやつに渡すくらいなら…逃げようぜ真人。匿ってくれる国の一つや二つは心当たりがある」
三人とも見栄も外聞も無いいいようである。
思わずラスネールは口の端を歪めて笑った。
「誰も婿養子と言った覚えはないのだが………」
「「「えっ…………?」」」
三人が一様の言葉をつまらせる。
どうもアナスタシアに対する先入観から余計な想像を働かせていたらしい。
「そ、そういう意味ではなくてですね〜」
「じゃあ他のお姉ちゃんのところにいっちゃうわけじゃないんだね!」
「ふ〜…驚かすない………」
「もっとも君が望むなら婿養子であっても私はかまわないと思っているのだが」
「「「やっぱりダメです(だ)!」」」
ラスネールと娘たちの騒ぎをよそに真人は微笑しながら首を横に振った。
「外務卿の申し出は光栄に思いますが父子の契りとは天神の前で己の本体をさらして行うべきもの。政治の餌にする気はありません」
養子というから驚きはしたが、このような工作があることを真人は予想しなかったわけではない。
むしろ正確に予想しえたからこそ、外務卿救出の功をディアナに譲れるように手配したのであった。
王国に流れた情報では外務卿たち一行を救出したのは傭兵の特殊部隊ということになっており、その功績は作戦の指揮をとったディアナのものと認識されていたのだ。
それがどこかでルールを変えられた。
その首謀者は目の前にいるラスネールに他ならないだろうが、ルールを変えるにはウーデットの協力が不可欠だ。
軍務卿もこの件の一味と考えて間違いあるまい。
それは王国内に真人が頼るべき勢力が一切存在しなくなったことと同義であった。
「外務卿の家族となるには私はいささか器が小さいのです。私は私の家族と友を守ることで精一杯ですので」
暗に国家のためなら家族をも犠牲にする貴方とは違って、と言われた気がしてラスネールは苦笑した。
あるいは己の罪悪感がそう思わせただけかもしれないが。
「しかし今はその家族を守るためにも権力が必要ではないのかね?武力だけでは家族の生活までは守れんだろう?」
露悪的な表情を浮かべながらラスネールは真人の決断を促した。
歴戦の外交官らしく動揺の欠片もおくびにも出さないラスネールだが、その心中は表情ほどに自信に満ちたものではない。
わけてもディアナの入れ込みようが誤算であった。
ラスネールの知るかぎり真人には頼るべき知人も縁者もこの国以外には存在しない。
まさかメイファンの巫女姫とは思わなかったがシェラとプリムもそういった環境的には変わりがないだろう。
世間慣れしていないことも考え合わせれば現在の生活を保障する代わりに真人に地位と義務を負担してもらうことは十分交渉の余地あることのはずだった。
しかしディアナのいう匿ってくれる国の一つや二つ……というのはこの前提を根底からぶちこわしかねない類のものだった。
闘神ディアナを手に入れるためなら多少の国際問題を抱えてもよしとする国は確かに一つ二つは存在するからだ。
幼い姉妹を連れて当てどない旅に赴くことはないだろうと踏んでいたラスネールにとっては背筋を流れる冷や汗を実のところ抑えることができないでいた。
恐るべきは真人のフェロモンということだろうか。
「どうぞご賢察ください。私は中御神真人………狂気を糧に守護を司る者……貴方のような公人が身内に取り込むべき男ではありません」
ぞっとするような凍える瞳と視線を交わしたラスネールは自分が真人という少年を見誤っていたことを知った。
いったいどれほどの過酷な経験を積めばこんな冷たい目ができるというのだろう。
これでは到底少女たちを盾に脅迫するどころではない。
ひとたびこの少年が狂気に身を浸せば、冗談ではなくたった一人で国を滅ぼしかねないのではないか。
理由はわからないが、この少年は心の奥底で何かが決定的に壊れている………そんな気がした。
とはいえラスネールも王国の柱石を担う男としてこのままやすやすと引くわけにはいかなかった。
真人に託すべき役割はもはや既定の事項であったのだから。
「………君のなかの狂気を承知のうえで頼みたい。名目だけでいいのだ。君が我が侯爵家縁故のものとなれば君の立場は格段に強化される。その力は使い方さえ誤らなければ王国と君と君の家族に多大な利益を及ぼすだろう。私を信じてみてくれないかね?」
養子とはいえ侯爵家の息子となれば同じ士官であっても扱いは全く異なる。
武勲次第では佐官に昇進するのも容易だ。
この戦争でラスネールとウーデットは中御神真人という少年にチップを乗せることを決意していた。
彼の軍内での立場の強化を支援し、門閥貴族の介入を阻止する。
そのためにはやはり出自不明の平民では甚だ都合が悪いのが現実であった。
「それにこれはメイファン王国の利益にもつながる話でもあるのだ。彼の国はブリストルの占領され国土は荒廃の一途をたどっているにもかかわらず
今回の戦のために重税を課されて国民は飢餓にあえいでいる。現在王国騎士団の生き残りが反乱を企てているがオルパシアの戦況が好転すれば援兵の派遣も可能だ。場合によれば君が彼女たちを故郷に帰してあげることだって…………」
「私たちのかえる場所は真人様のお傍です!」
ラスネールの長口舌は悲鳴のようなシェラの叫びにさえぎられた。
泣きそうな表情がシェラの内心を雄弁に物語っている。
この娘は故郷を恐れているのだと。
シェラフィータ・ラルフ・グランデル・デ・アウストリアが巫女として神殿にあがったのは6歳のときであった。
そのときのことをシェラは昨日のことのように覚えている。
それは偶像そのものだった………あるいは虚像というべきかもしれない。
神殿の誰も神の力を信じてなどいなかった。そして失われた信仰のかわりに虚栄だけがあった。
民衆の信仰を糧に莫大な寄進を集め建前だけは立派な説教を垂れつつも神への信仰心を失った神官たちのなんと醜くおぞましかったことだろう。
しかもあろうことか自分はその神殿の象徴たるカムナビの巫女姫であり、神殿の長たる大神官は己の父なのだ。
ただ純粋な崇敬の念を寄せる民が怖かった。
藁にもすがる思いで嘆願にくる信者たちがたまらなく恐ろしかった。
自分は飾り。
なんの力もない大人たちの虚栄を満たすための体のいい道具。
いつの日かそれが暴かれて民衆に責められる………そんな日が来ることにいつも怯えていた。
自分の意志では決して生きられなかったあの日々に戻ることなどとうてい認められることではない。
「シェラ………自分が不幸だと思うかい?」
心の襞の奥深くまで染み渡りそうな優しい目でシェラを見つめながら真人は聞いた。
「いいえ!私は幸せです………だって……ご主人様に会えたのですから」
もう死のうと思っていた。
せめてプリムを生かすために。
あの日、真人と出会ってからシェラは初めて生きることの喜びを知った。
「オレも出会えて幸せだと思っているよ。だからこそ、シェラを生んだ国を、土地を、父母を、無数の人と人の繋がりを恐れてはいけない。彼らの全てが、オレとシェラを出会わせてくれた恩人で……オレとシェラにとっての運命なのだから」
生きているということはそれだけで素晴らしい。
死すべき運命を背負っていた真人にはそれがわかる。
生まれ出でること
己より大切な人と出会えること
それは奇跡のような偶然の集積だ。
その奇跡のような偶然を用意してくれた人々へ感謝しないわけがあろうか。
真人の言葉にシェラの胸の奥の何かが溶けていく。
神殿での生活は恐れだけではなかったことをシェラは思い出しかけていた。
父は娘の自分たちには優しい子煩悩な男だった。
自分たちに高価な衣装や人形を与えることでしか機嫌をとれない不器用な男だったが、少なくとも父が自分たちを愛していることだけは感じ取ることが出来た。
幼馴染の少年がいた。
彼の妹が不治の病に犯されて自分がなんの力にもなれないと知ったとき、二度と顔を合わせることなど出来ないと思ったけれど、彼は私の初恋だった。
乳母のマリアンはお菓子を作るのがっても上手だった。
年上の彼女はいろいろなことを自分たちに教えてくれた。
年頃の女の子として気の置けない話をしてくれる唯一といっていい友人だった。
シェラの思いつめた表情が柔らかくなっていく様を真人は満足気に見つめていた。
「外務卿、貴方が私の狂気を許容するというのなら、この戦争が終わるまでの間私は貴方を父と呼びましょう。………もとより戦うことに否やはありません。ただ、たとえ呼び名がどう変わろうとも私は中御神家の守護司であり……狂気を糧に守護を司る者です。どうかそれをお忘れなく」
この世界には中御神と繋がる縁は存在しない。
であるならばシェラとプリムの縁のために一時の絆を結ぶことも許されるべきであろう。
それに国家と民衆のために身を挺する覚悟を背おったラスネールに対して真人は敬意とともに好意を感じていた。