第三十三話
真人の宣告にもかかわらず軽騎兵部隊が撤退することはなかった。
彼らにも軍人としての矜持があり、恐怖を意志の力で押し殺せるからこそ軍隊は軍隊であり続けることができるのだった。
「ならばよし」
真人もそうした兵士の意気地を貶めるつもりはない。
ただ全力で相手をすることだけが敵に対する敬意の証だった。
森の中に旋風が舞う。
縮地で一気に間合いを詰めた真人は軽やかに長剣を一閃させた。
数十メートルはあった距離を瞬く間につぶされた騎兵部隊は急激な戦況の変化に対応できない。
そもそも軽騎兵の本領は中距離での一撃離脱にあるのであって、間違っても接近戦にはないのだから。
「ひ………退け!退け!」
どんな手妻を使ったのかはわからないがこれでは勝負にならない。
それに目標の少年が得たいの知れぬ魔術を行使することを本隊の指揮官に報告する必要がある。
凄腕の剣士にして異端の魔術師………何も知らずに交戦するにはあまりに厄介な相手だ。
………だが、その決断は遅かった。
「紫光雷」
まるでどんぐりのような形をした鉛弾が一条の閃光となって空気を切り裂いていく。
何かが弾けるような音が炸裂するたびに騎士たちが力なくドサリと馬上から地面に身を投げ出していった。
見れば額に小さな穴が穿たれており、後頭部は見るも無惨な惨状を晒していた。
真人の指弾は指で弾くだけの簡単なものだが、その威力は馬の頭蓋ですら一撃でたたき割るほどのものだ。
生身の人間が受けて無事に済むはずもない。
こうして先行した軽騎兵部隊は後方の味方に貴重な情報をもたらすことなく全滅した。
「いったいこれは何の冗談だ!」
アムルタートは全滅した騎士たちの骸を見て怒りに身を震わせていた。
たった一人!たった一人の武官にどれほどの犠牲を払わなくてはいけないというのか!
アウフレーベの指揮を軍令に違反して離れている以上アムルタートが罪を免れるには輝かしい功績が必要であった。
たとえば抵抗する外務卿とみ目麗しい武官の首というような。
しかしここまで損害が拡大すると二人の首をもってしても功績としての輝きは失われてしまう可能性がある。
………このまま外務卿を追いオルパシア侵攻の一番乗りを果たすか………
一気に国境を突破して国境沿いの村の一つも略奪してやれば開戦の景気付けとしては上々だろう。
…………まずはあの小僧の首をあげることだ。
不慣れな山道の行軍は小僧と外務卿たちの体力を否応なく奪うはずだ。
今はあの小僧をかけずり回らせ疲弊させることができればいい…………。
そして己の腰に佩いた魔力付与された魔剣に視線を落とす。
帝国でも名の知られた魔剣製作者イラストリアスの銘が入った名剣だった。このような機会でもなければアムルタートの俸給で購入できるような品ではない。
とどめはこのオレの手でさしてやる。そしてあの女狐に見せつけてやるぞ………!
アムルタートはようやく己の思考した結論に満足して弩弓を中心とした歩兵部隊の前進を下令した。
発射速度こそ遅いが半弓など比べ物にもならない弾速と低伸性を誇る弩は真人にとっても厄介な武器だった。
射程が長いので同行する文官たち全てが射程内に収まってしまっており、ほとんど全ての攻撃を迎撃しなければならないからだ。
まさにこの瞬間同士討ちを恐れず全方位的に歩兵を突撃させたなら、真人は外務卿たちをすべて庇いきれたか自信がない。
しかし敵はこちらの疲弊を待つ持久の構えであり、真人たちはジリジリとオルパシア王国国境に近付いていた。
…………そろそろか………
既に一つ目の稜線を越え二つ目の稜線へと向かう途中の谷間へ向かって道は下り始めている。
そして真人の人外としか言いようのない黄金の瞳が、遥か先の闇の中で人の悪い笑みを浮かべる友の到来を捉えた。
………………………成れり
事実上このとき、ブリストルの敗北とオルパシアの勝利が決した。
「あ〜あ、また気づいてるよ。相変わらず人間離れしてるねえ真人………」
遠眼鏡を片手に余裕の笑みを浮かべるのは誰あろう闘神ディアナであった。
付き従うのはオルパシア王国傭兵部隊の精鋭約千名……これはオルパシアの保有する傭兵戦力のほぼ半分にあたる。
「姉御の好い人ってのは伊達じゃありませんな………正直この目で見ても信じられませんや………」
呆れたような声でディアナに答えたのはマグレーブだった。
ディアナがやってくるまでは傭兵部隊の隊長を勤めていた男だが、今ではディアナにあっさりその地位を譲り渡し副官に退いている。
指揮能力に富んだ人間が指揮を執るのが傭兵の間では鉄則である。
傭兵に滅びの美学など存在しない。自分が生き残るための努力を惜しまないのが傭兵という生き物なのだった。
それにしても………とマグレーブは思う。
ディアナが使節団救出のための兵を出すと言い出したときは正気を疑ったものだ。
軍務卿ウーデットの内意を受けているという状況でなければ反対していただろう。
ケルドラン城塞からたった5名の男たちが無事脱出してくるという可能性はそれほどに小さい。
あの闘神ディアナがベタ惚れになっちまうのも無理はねえ………。
むしろ歓迎すべき事態であるかもしれない。
何故なら真人を想って愁いを帯びたディアナは大層色っぽいと傭兵仲間の間でもっぱらの評判であるからだった。
真人が考えていた以上に文官たちの消耗が激しい。
そもそもこうした命のやりとりという経験も覚悟も彼らには無い。
消耗するのはむしろ当然と言えるだろう。
「た、助けてくれ……!もう指に力が入らないんだ………!!」
「掴まっていられない………お、落ちる!」
そして真人たち一行の移動が遂に停止した。
アムルタートはしてやったりという笑みを浮かべて剣を引き抜いた。
「どうやらここまでのようだな小僧。潔く我が剣の錆となれ!」
無数の弩、長槍の槍衾、ごく少数ではあるものの魔術師に囲まれて真人たちは進退窮まったかのように見える。
文官たちは殺気の圧力を身近に浴びて気死せんばかりに怯えていた。
しかし……………
「確かにここまでです。もちろん貴方方がね」
アムルタートが答える暇もなかった。
森の奥から弩と長弓の速射が容赦なくブリストル軍に浴びせられる。
真人という極上の獲物を前にして密集していたブリストル兵は朽木が倒れるようになぎ倒されていった。
「伏兵か!」
アムルタートが気づいたときにはもう遅かった。
超一流の指揮官であるディアナが無能な指揮官の隙を見逃すことはありえない。
絶妙のタイミングで街道の後方に火が放たれた。
退路を絶たれた兵が壊乱するのは当然の戦理である。
兵たちは自らの生存本能に従って我先に森の奥へ奥へと逃げ込み、襲撃からほんの数瞬でブリストルの軍としての機能は崩壊した。
アムルタートは兵卒ほどに虚心にはなれずにただ呆然と立ち尽くしていた。
こんな馬鹿な………オレはここで手柄をたてて今度こそ将軍に………!
ふと気づけば己のほかには誰もいない。
オルパシアの傭兵が自分に向かって弩を向け包囲の輪を狭めるばかりであった。
「小僧………!貴様が!貴様さえ………!」
神すらうらやもう美貌の少年は災厄か、はたまた悪魔か………思えばこの少年にアウフレーベ殺害を阻止されたのが自分の不幸の始まりだった。
この少年を殺す!殺さずにおくものか!!
「牙突」
腰溜めの姿勢から真人が長剣を突き出してくるのが見えた。
速い!自分の想像以上の速さにアムルタートは即座に相討ちの覚悟を固める。
アムルタートの巨体から繰り出される斬撃は真人のほっそりした長剣に胴体を突き通された程度では到底止まることはない。
殺った!
なんともいえぬ酷薄な嗤い顔を張りつかせたまま、アムルタートは叩きつけるような衝撃とともに冥府へと旅立った。
「……………すげえ………」
マグレーブは勝負の一部始終を目撃していた。
マグレーブもアムルタートと同じく相討ちを予想していたし、経験から言ってもそれは間違いの無い事実であるかに思われた。
しかし真人の長剣がアムルタートの腹に触れたと思った瞬間、不可視の衝撃波がアムルタートの腹を通り越して背中から突き抜けていた………いったいなにをどうしたらそうなるのか到底理解できないがそれがマグレーブの目撃した事実であった。
「ん〜〜〜素敵だわ!ダーリン!!」
ディアナがいつの間にか頬を染めた歓喜の表情で真人に抱きついている。
「「「「「ダーリン???」」」」」
荒くれの傭兵たちにとってはアムルタートの死に様よりディアナの壊れっぷりのほうが余程衝撃の事実であるらしかった。