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第二十話





アセンブラの猛虎と闘神ディアナ


このユーレイシア大陸で軍事に係わる者なら一度は聞いたことがあるであろう名である。


軍務の名門ハースバルド家に仕えるシェリーはさすがにその名を知っていた。




…………アスローン共和国連邦の紛争がひと段落したから新たな仕事を探しに来たってわけね………




それでも彼らがブリストル帝国へ士官しようとしなかったのは僥倖と言えるだろう。


百人力という言葉があるが彼らの力は比喩ではなく現実として百人分の力があるのだ。あるいはそれ以上の。


………彼らが大陸に名を轟かしたのは五年ほど時を遡ったボストニア戦役が佳境に達しようとする時であった。






大陸公路とベルグーノ街道の結節点にあたる要衝ボストニアは以前からエルネスティア公国とワルサレム王国の間で度々紛争の舞台となっていたが、五年前は開戦当初のワルサレムの奇襲攻撃が奏功し、陥落は時間の問題となっていた。


死守命令が出た孤立無援のボストニアの守備隊の中に一際目立つ巨躯の男がいた………。


戦力比は10対1………しかも早急な援軍は望むべくもない状況で傭兵たちの逃亡が相次ぐなか敢然と逆襲を敢行したのが後のアセンブラの猛虎ことフィリオ・セベステロス・アセンブラその人であった。




勝ち戦を目前にした兵は命を惜しむという。


勝利の美酒と報償に生きてありつきたいと思ってしまうからだ。


古来より生きようとする兵と死を覚悟した兵が向き合えば死兵が勝つのが運命だった。


わずか一個中隊の傭兵たちがワルサレムの包囲に大穴を空け獅子奮迅の勢いで自らに数十倍する敵を屠ったのである。


中でもフィリオの活躍は群を抜いていた。


並みの男では持ち上げることすら難しい長刀を振りまわし、首級をあげることおよそ百以上その中にはワルサレムの将軍の首すら含まれていた。


しかし死兵が圧倒的な数の前にいつしか力尽きるのもまた古来よりの運命だった。


一人また一人と櫛の歯が欠けるように中隊の仲間が倒れていく。それは個人の武勇ではどうにも覆すことのできぬものだ。


だが、彼らは幸運だった。


戦女神が彼らに祝福を与えていたのだから。




援軍などありえないと考えていたワルサレム軍に射放たれた矢のように疾走する騎馬の群れが襲いかかる。


闘神ディアナ……ディアセレーナ・ヴォルフラム・サンナゼールの来援だった。




闘神ディアナと称されるディアセレーナの恐るべきところは個人の武勇のみならず戦術指揮官として超一級に優秀であるということである。


ディアセレーナが軽騎兵で一撃を加えただけでワルサレム軍は部隊同士の結節を失った。


まるで結んでいた糸が綻ぶように統制のとれぬ烏合の衆に成り下がったのだ。


ことここにいたって立て篭もり続けるほどボストニアの防衛司令官も無能ではなかった。


全軍をもって反撃に打って出るとワルサレム軍はたちまち雪崩をうって敗走した。


後にボストニアの奇跡と呼ばれる戦史に残る戦いはこうしてエルネスティア公国の勝利に終わったのである。




この戦を皮切りに大陸の戦雲渦巻く場所で二人の名が聞こえるようになっていく。


ある時は心強い味方として、またある時は手強い好敵手として。


つい先頃まではアスローン共和国連邦で起こった剣闘士奴隷の反乱鎮圧に赴き大功あったと伝えられていた。




「しかしかくも名高き二人とともに戦える日がこようとはなあ…………」




「おいおい待てよ。オレはまだこの国のもとで戦うと決めたわけじゃないぜ。」




フィリオは苦笑しながら男の言葉を否定した。




「勝ちそうなほうに雇われるのは楽だが高くは売り込めねえ………不利なほうについてこそ己を高く売り込めるってもんだが…………要はこの国がオレにいくらの値をつけるかってことさ。割に合わなきゃ余所をあたらせてもらうぜ」




あえて負けそうな側につく………そう言ってのけた圧倒的な自負に傭兵たちの間からため息が漏れる。


男なら一度は言ってみたいセリフのひとつではあるだろう。


慌てたのは傭兵局の管理官である。


これほどの逸材を手放すことはできない。ましてブリストル帝国などに行かれたりしたら利敵行為ですらある。


かといって彼が要求するに足りる給料を用意することは難しい、というよりそこまでの決裁権がないのであった。




「…………明日まで待ってくれ。なんとか希望に沿うよう努力しよう。」




そういうのが精一杯だった。




「しょうがねえ………明日の昼にまた来る……色よい返事を期待してるぜ」




フィリオの言葉に管理官はこの後の上司との折衝の難しさに思わず苦笑を浮かべる。


それを見たフィリオはいたずらを思いついた小僧のようにニカリと笑った。


それはまるで十代の少年のように無垢な笑みだった。




「あんたの苦労を少しでも軽くしてやるためにちょっとひと肌ぬいでやろうじゃないか。おい、野郎ども………肩慣らしにひとつ付き合えや!」




空気の比重を十倍にしたような重苦しい闘気を叩きつけられた野次馬が蜘蛛の子を散らすように我さきにと逃げていく。


冗談ではなかった。フィリオの膂力は手加減してさえいとも簡単に人を殺す。




「ちっ………これじゃなんの示威にもなりゃしねえ…………」




「無茶を言うな。お前にとっては肩慣らしでも彼らにとっては命に係わる問題さね」




いや、十分示威にはなっている。


アセンブラの猛虎という名が傭兵たちにどれほどの脅威を与えるかという意味においては。




人垣がなくなって閑散とした石畳に真人とシェリーだけが残されていた。




「私も傭兵として登録していただきたいのだがもうご都合は善いのだろうか…………」




帰りかけていたフィリオが信じられないものを見るような目でグルリと振り返る。


ディアセレーナもまた驚きを隠せない様子で目を瞬いていた。




見れば少年としか言いようの無い年齢である。


ただ少年であるというだけなら傭兵の世界にはままあることだが、この少年は絶対に違う。


なにせまず武装をしていない。


長剣を佩いてはいるが鎖帷子どころか皮鎧すら身に着けていない。


貴族の御曹司のような絹であつらえたシャツと黒一色に染め上げられたズボンといういでたちは断じて傭兵と言えるようなものではない。


しかも絶世の美形だ。


黄金率をかくも体言できるものかというスラリとした体形。


女性に見紛うばかりの美しく整った鼻梁。


陽光を受けて光輝く白銀の髪。


どこをどうすればこの少年の口から傭兵などという言葉が出てくるのか。




「坊や………来る場所を間違ってやしないかい?」




王立騎士団に入隊するというのならまだ納得できなくもない。


この線の細さではまず使い物になるまいが。




「私の名は中御神真人と申します。これでもこの国に一家を構える身、心配はご無用に願いたい」




二人の呆れとも侮りともつかぬ視線を受けて真人もいささか気分を損ねていた。


自然言葉がぞんざいな口調になる。


管理官は呆れてものが言えなかった。この少年は伝説の傭兵に本気で腹を立てている!




「坊主、お前も傭兵になろうってんならさっきのオレの台詞を聞いていたな」




「もちろん」




「いい度胸だ。それじゃひとつ肩慣らしに付き合ってもらおうか。それが嫌なら家に帰ってベッドのなかで震えてるんだな」




そういいながらもフィリオは少年がこのケンカを買うとは微塵も考えていない。


こんな華奢な少年がフィリオの超人的な武技と争うのは自殺行為以外の何者でもないからだ。




ディアセレーナもフィリオの大人気ない態度に呆れつつもこれが少年のためだろうと思っている。


これほど見目麗しい少年が戦場で屍を晒すのはディアセレーナの趣味ではなかった。


美しい少年は傍にはべらせて愛でるのが一番だった。






「肩慣らしと言わず全力を出して下さい。貴方なら私も手加減せずに戦うことが出来そうだ」






真人の暴言とも言える一言に空気が凍りついた。


フィリオの瞳に狂気の色が宿る。




「いいだろう。オレが全力を出すまでお前が生きていたらの話だがな!」






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