第十五話
「無我夢中で剣を振るった。内臓を潰され左腕をもがれ太股に穴が開いたが負けるわけにはいかなかった………どう戦ったか自分でもよく覚えていないが……気がついたらカムナビの心臓に十拳剣を突き立てたまま倒れていた。もっとも、助かるような浅手じゃない。すぐにオレも後を追ったと思ったんだが………」
「いつの間にかこのアヌビアへと渡っていたのですね」
シェラの言葉に真人はこっくりと頷いた。
「………ご主人様が私たちに打ち明けてくだすったことを誇りに思います。……ひとつ質問をしてよろしいですか?」
「もちろん」
「カムナビ様は死んだのですか?」
「厳密な意味で神を殺すことはできないんだよ。ただ、在り方を変えることはできる。ある者は大地に還って豊穣の力となり、またある者は新しい神として生まれ変わることもある。しかしカムナビは外なる神だ。つまり、オレのいた世界で新生することのできない神だ。…………おそらくもといた世界に還っていると思う」
目に見えてシェラの顔に安堵の色が浮かぶ。
だが、改めて顔を真摯なものに変え重々しい口調とともにシェラは言った。
「我が父母の名にかけて、我ら姉妹はご主人様の過去について沈黙を誓います。プリムも……いいですね?」
そのあまりの真剣な目に真人は戸惑いを隠せなかった。
…………もしかして受け入れられなかったのか………?
そんな思いが脳裏をよぎる。
ルーシアにはあっさり受け入れられたので気にしていなかったが、よくよく考えれば常人が納得できる話ではない。
ただそれだけのことなのに、真人の胸に錐でも刺されたような鋭い痛みが走る。
そして真人はシェラとプリムに、いつの間にか自分がどれだけ自らの心の柔らかい部分を委ねてしまったかを自覚した。
「わかってるよ、お姉ちゃん。ご主人様安心して?私たちは何があってもご主人様の味方だから」
「…………ご主人様、今の話はご主人様が心から信頼できると判断した者以外にはお話にならぬようお願いします。……と申しましても異界より渡られたご主人様には理由がおわかりになられぬはず………しばしお聞きください。これは私が幼い日より繰り返し聞かされた創生の神話でございます…………」
アヌビア世界の主神エンリルが目覚めたとき世界は永遠に続く霧の中にあった。
独り神の寂しさに耐えかねたエンリルは自らの妻として天空神イシスを生み出した。
そしてイシスとの間に大地神アクティア、海神トルネドラ、太陽神アモンを設け創造の御業を開始したのである。
やがて森の女神モイラや音楽神フォイスなど様々な神が生み出され美しい動植物がアヌビアの隅々にまで満ちていった。
後の世に、人はこの時代を楽園紀と呼んだ。
世界が豊穣に満ち、争いも憎しみもなく、飢えも渇きもない………そんな過去への憧憬を人は忘れることが出来なかったのだ。
ところがそんな楽園にも不満を抱く一人の神がいた。
戦神ストラトである。
世界が平和を謳歌する現在、戦神である彼が与えられた仕事は宝物庫の番人であった。
有り余る力を決して振るうことを許されぬ毎日にストラトの不満は深く澱のように心の底に沈殿していく。
そしてある日、自らの守るべき宝物庫から宝剣バルゴと神槍ルドラを持ち去ったストラトは事態を把握していないエンリルを有無を言わさず討ち取りアヌビア世界の征服に乗り出したのだった。
主神エンリルを失い戦いらしい戦いも経験したことのない神々が戦神ストラトにかなうはずもなかった。
強力で知られた山の神クエスは討ち取られ、神々の中でもっとも速い風の神スウィードは自慢の羽をむしられた。
宝剣バルゴはどんな強固な盾でも貫き、神槍ルドラは投げれば必ずあたる槍であったからだ。
いつしか神々に残された領土は海神トルネドラの海都アンフィポリスと、天空神イシスの空中宮殿バビロンを残すのみとなっていた。
さすがの戦神ストラトも海戦と空戦では本来の力を発揮できなかったおかげだった。
しかし日に日に勢力を増すストラトに対してこのままではジリ貧は免れない。
事態の打開を図ろうと一人の神が名乗りを上げた。
………………カムナビである。
太陽神アモンと大地神アクティアの息子である彼は現存する神々のなかでもっとも強力な力を持つ神だった。
彼が司る力は………愛。
愛ゆえに神々の寵児であった彼はストラトの部下の中にも複数の協力者を得ることに成功していた。
どうやら全て女性であったようだが。
彼女らの手引きによってカムナビは宝物庫から最強の盾であるレブロスと最強の弓と矢であるカトラシアを盗みだすことに成功した。
しかも、たまたましまわれていた神槍ルドラをへし折ってしまうというオマケつきであった。
戦局は変わった。
当たったが最後、たちまち傷口が腐れ落ちるカトラシアの矢と、どんな攻撃も防いでしまう最強の盾レブロスを身に着けたカムナビは戦えば必ず勝ち一挙に失われた領土を取り戻した。
その美しくもたくましい雄姿は敵味方を問わずに女神たちを虜にし、カムナビの妻は最終的に16人にまでふくれあがったと言う。
そしてかつての王都、始まりの地アーディルにおいて二人の一騎打ちが始まった。
流石は戦神だけあって戦いはストラトが押し気味に進めるがどうしてもレブロスの防御を突破できない。
対してカムナビもなんとか距離を取ってカトラシアを使おうと試みるがストラトがその猶予を与えなかった。
戦いは膠着し、容易に決着はつかぬかに見えた。
実はカムナビは一つの失策を犯していた。
宝物庫に潜入し目的の武器を手に入れるばかりではなく、その場にあった宝物をすべて破壊してしまうべきであった。
なぜなら……………
いつの間にかどこまでも暗い闇の空間がカムナビの後ろにポッカリと大きな口を開けていた。
暗黒珠ドルゴーン………宝物庫に残されていた異界への扉だった。
自らの策があたった歓喜の笑みを浮かべてストラトが圧力を高める。
見守っていた女神たちから悲鳴があがった。
そして遂に、ストラトの攻撃に耐えられなくなったカムナビが異界の扉へと身を飲まれかけたその時、一瞬の油断をついてカムナビは弓を投げ捨て矢をその手に握ってストラトの両足に突き刺したのだった。
魂切る絶叫があがる。
カトラシアの矢は突き刺さった傷口からたちまちその身を腐らせてしまう。
やむなくストラトは自らの両足を宝剣で断ち切ることでかろうじて命をつないだ。
無様に大地に転がるストラトを配下のものが抱えていった。
しかしそれを咎めるものはいない。
神々の目は若き英雄を飲み込んでわだかまる闇に呆然と注がれていた。
やがて闇が溶けるように虚空へと消える。
…………慟哭が世界を包んだ………
「カムナビはこの世界の英雄だったのか…………」
狂っていなければ良い神だったんだろう。
狂ってはいてもこの世界に還る望みだけは捨てていなかった。それは直に剣を合わせた真人だけが知っていることだった。
「これはあくまでも私の故郷に伝わる神話です。ストラトを崇める軍人国家ブリストルではカムナビ様とストラトの役が逆になっていると聞き及びます。いずれにしろ神と戦い神をも倒すご主人様の力は力を欲するものにとって何を犠牲にして手に入れるべきものです。
そして神を倒したという一事を持って信仰の敵と考える狂信者が、まだまだこの世界には根強く残っています。これが私がご主人様にカムナビ様との戦いを話さないで欲しいと願う理由です。」
シェラもプリムもこれ以上真人が理不尽な争いに巻き込まれるのを己が身にかえて食い止めるつもりだった。
真人ばかりでなく、シェラとプリムにとっても、真人は家族同然のなにかになっていたからだ。
「わかった。カムナビの話はもう二度としないよ。二人とも心配してくれてありがとう」
真人の言葉に二人はパッと顔を輝かせて勢いよくうなづいた。
あんな過去を聞かされたのに、怖がるどころか自分の身を案じてくれる二人がたまらなく愛しい。
「……………そういえば……どうしてカムナビだけ様つけなんだ?」
真人の問いにシェラとプリムの顔が耳まで赤く染め上がる。
「その……カムナビ様は年頃の女性にはとかく人気のある神様なんです……なんといっても…恋愛の神様ですから………」
そういいながら紅くなった頬に手を添えるシェラを見ていると、真人のなかで狂える渡り神だったカムナビの印象が薄れていく。
もしかなうものならばシェラの願いは真っ先にかなえてやって欲しいものだ。そうしたら少しは見直してやってもいい。
もっとも16人も妻のいる男のご利益が当てになるかは疑問だが…………
「男の甲斐性がわからぬとは…………若いな」
16人どころか、さらに数人の妻を追加した神の呟きが世界の片隅で聞こえたとか聞こえないとか………