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出会い(香奈)

お父さんから迎えに行くのが遅れるとメールが入ったのは、あたしが電車に乗ってからだった。もうちょっと早くに分かっていれば、学校の図書室で時間を潰せたのに。とりあえず、いつもの駅まで戻って、駅前商店街をぶらぶらして時間を潰すことに決めた。

 

夕方というにはちょっと早すぎる時間だから、電車の中はがらがらに空いていて、学生の姿はほとんどない。部活動をしていないあたしが帰るこの時間は大体いつもこんな感じだ。


うちの学校は大小織り交ぜてかなりの数の部活や同好会があり、掛け持ちもOKだから、大抵の生徒は二つか三つの部を掛け持ちしてアフタースクールライフを満喫している。あたしも、陸上部からマネージャーにと熱心に誘われたけど断った。


あたしはあくまで自分が走ることが好きだったわけで、どんな形でもいいから陸上に関わりたいんじゃない。その辺がどうも理解してもらえないのがもどかしい。あたしが諦めたトラックを走る他の人の姿を見るだけでも厭なのに、ましてや応援なんて……できっこない。やりたくない。陸上にはもう関わりたくない。


でも、陸上以外にやりたいことなんてないから他のクラブに入ろうって気も起きない。こんなんじゃいけないっていうのは分かってる。でも……。



鬱々としているうちに、電車はあたしの町の駅に停まった。


すっかり顔なじみになった駅員さんに定期を見せて改札をくぐる。駅前のロータリーから駅前商店街がまっすぐ伸びていて、その先にちょっと大きい本屋さんがある。歩いていくにはちょっと遠いけど、ちょうど行きたかったからそこをとりあえず目的地に設定した。歩きながらお父さんに本屋さんにいるとメールする。




高校では一限目が始まる前の十五分間、朝の読書という時間がある。


マンガ以外ならどんな本でもいいから読書するというもので、それまで活字を読む習慣がほとんどなかったあたしがマンガ以外の本を読み始めるきっかけになった。


ちょうど朝の読書で読んでいた戦国転生モノのラノベを今日読み終わったから、何か次の本を適当に見繕うつもりで、駅前商店街のアーケードの下を本屋さんに向かって歩いていたあたしは、パン屋さんの前でそれを見つけた。


一瞬、あたしの遠近感が狂ったかなと思って目を擦った。


いや、違う。なんこれ? 縮尺おかしない?


あたしの目の前にあったのは、小さな小さなオートバイだった。形は普通のオートバイなんだけど、大きさが子供用自転車ぐらいしかない。それでもちゃんとナンバープレートが付いているところを見ると普通に公道を走れるんだろう。


「うわぁ、ちっちゃいバイク。……なんこれめっちゃ可愛いやん」

 

白に3本の細いラインの入った燃料タンク、黒い革のシート、赤いフレームの色のコントラストが絶妙で、あたしはついつい近寄ってその小さなバイクを観察してしまっていた。

 

バイクのことなんて何にも知らないのに、あたしはこのバイクの可愛さにすっかり虜になってしまった。一言でいうなら一目惚れだった。


「こんなにちっちゃいのにほんまに走るんかなぁ?」


挿絵(By みてみん)


前に回ったり、後ろに回ってみたり、横にしゃがみこんだりして色々な角度から覗き込む。そのうち、見るだけでは飽き足らずにシートを指でツンツンしてみようと人差し指を伸ばした瞬間――。


「そんなにうちの[もんちー]気に入った?」


「きゃあっ!」

 

いきなり耳元で声をかけられて吃驚して飛び上がった。心臓をバクバクさせながら慌てて振り返ると、ヘルメットを持った長い髪の綺麗なお姉さんがいたずらっぽい表情を浮かべてそこに立っていた。


「あ、ああう……」

 

何か言わなきゃと思うけど、今の姿を見られていたと思うと恥ずかしくて気まずくて言葉にならない。いったいいつから見られてたんだろう?


「……い、いつから?」


「うふ、最初から」


ぎゃあぁぁぁぁ!! 見とらんと止めてよお姉さん!! 頭を抱えて悶絶するあたし。


「やーなんか昔のうちみたいな()がおるなぁって思って。そっかぁ、うちも周りから見たらあんな感じに見えとったんかなーとか思ったり。でも可愛いやろ? この子」

 

そう言いながらバイクのシートをさすさすと愛しげに撫でる彼女。


そんな彼女の様子につられてうなずき、言葉を返す。


「[もんちー]っていうんですか? このバイク」


「そうよ。でも[もんちー]っていうのはうちがつけたこの子の愛称。正式名称はHONDA BA-27AB MONKEYってゆうんよ」


「モンキー?」


「そ。お猿さん用って感じやん?」


「あ、それ、すっごくよく分かります」

 

たぶん、お猿さんが乗ってたら普通のサイズのバイクに見えるんだろうな。


「で、でっ! あなたバイクに興味あるんー?」

 

目をキラキラさせながらそう訊くお姉さん。これは類友を見つけたときの顔だ。


「その、全然興味なかったんやけど、このモンキーに一目惚れしたってゆうか……。今初めて興味持ったってゆうか」

 

うんうん、分かる分かるとうなずくお姉さん。


「うちも昔初めてモンキー見たときはそんな感じやったなぁ。もう、どうしてもモンキーに乗りたくて、頑張って教習所に通って二輪免許取って……。やっとこの子を手に入れた時はすっごく嬉しかったんよー」


「へえ……。モンキーに乗るには自動二輪免許が要るんです?」


「二輪免許じゃなくてもええよ。ノーマルのモンキーは50ccだから原付免許があったら乗れるし。ただ、うちの[もんちー]は改造して90ccにボアアップしてるから二輪免許がいるんやけどね。なぁに? さっそく免許取っちゃう?」


「いや、その興味あるけど、そこまではまだ」


「そ。でもただ見たり、指でツンツンするより乗るほうが楽しいわよ」


「……あう」

 

あたしの葬り去りたい黒歴史を指先でツンツンつつきながら、お姉さんは可愛いペイントが施してある半ヘルを被り、あたしの目の前で[もんちー]のサイドスタンドを跳ね上げてシートにまたがった。キーを回して、キックペダルをぐっと踏み込む。[もんちー]はドルンッと車体を震わせてエンジンを始動させた。

 

あ、思ってた以上に重低音。スクーターみたいな甲高い音かと思ってた。


「あなたの家は近いん? 徒歩みたいやけど」

 

と、ヘルメットのあご紐の調節をしながらお姉さん。


「や、その、普段は親に駅まで迎えに来てもらうんですけど、今日はちょっと遅れるゆうからそこの本屋さんで時間をつぶそうかなって」


「あ、そうなんや。じゃ本屋さんまで乗せてってあげる。乗って?」

 

お姉さんが[もんちー]のシートの後ろのキャリアをポンポンと叩く。


「えっ、ええんですか? あ、でも二人乗り……怒られへんかな?」

 

今まで二人乗りなんて自転車でもしたことのない、良い子の香奈さん的にはちょっと抵抗がある。


「見つかんなきゃね。ちょっとの距離やし大丈夫やに」

 

うわぁ、このお姉さん、弛い感じやけどけっこう図太いなぁ。


「でもっ、二人も乗ったら[もんちー]がつぶれちゃうんじゃ……」


「うふふ。うちの子はそんな(やわ)っちゃうよぉ」

 

結局、好奇心の方が勝ってしまって、本屋さんまで乗せてもらうことにした。脱、良い子。リアキャリアに横すわりして、お姉さんの腰に手を回す。


うわっ細い腰!?


「足をタイヤに巻き込まれやんように、かかとをサスペンションの下の袋ナットに乗せる感じで……そうそう。じゃあ、行くわよぉ」

 

[もんちー]があたしたち二人を乗せてゆっくりと走り出す。走り始めだけちょっとふらついたけど、すぐにスピードに乗って走りが安定する。


わぁ!! 思ってたよりも速いんやなぁ!!

 

商店街に軒先を並べる店が次々に後方に流れていく。商店街を歩く人たちが不思議なものを見る目であたしたちを見る。背中越しにお姉さんが気持ちよさそうに鼻歌を歌うのが聞こえる。


ああ、なんか、この感覚久しぶりやなぁ。


風を切って走るこの疾走感。空気がまるで見えない柔らかい壁のように感じられるこの抵抗感。一年近く感じていなかった懐かしい感覚に泣きそうになる。楽しい。心からそう思った。


そっか、バイクに乗るってこういうことなんや。なんかええなぁ。


今までは車の方が便利なのになんでわざわざバイクに乗るんだろうと疑問に思っていたけど、なんか納得した。


[もんちー]はあっという間に商店街を抜けて、お目当ての本屋さんに到着してしまった。


「はぁい! 到着ぅ!」


「ありがとうございました」

 

名残惜しい気持ちでアイドリング中の[もんちー]のリアキャリアから自分の足でアスファルトの駐車場に降り立つ。


「どやった?」

 

いたずらっぽい表情でお姉さんが訊いてくる。


「……めっちゃ気持ちよかったです」


「せやろ! せやろ!! 百聞は一見にしかず。バイクはまず乗ってみんと良さは分からへんのやから!!」


「二人も乗っとんのに、思ってたよりパワフルやし安定感もあるし、その上可愛くて……モンキーってええなぁ」


「やんな? やんな!? ちっさくて、力持ちで、可愛いなんてほとんど反則やんな!? モンキーの良さが分かるなんて、あなたやっぱり見る目あるやん! もうこうなったら免許取るしかないやろ?」


まんまとこのお姉さんのモンキー布教のカモにされてしまったようでちょっと悔しい。


「えっと、前向きに検討します」


「うふ。楽しみにしとるね。……さってと、じゃあ、うちはここで。うちはあのパン屋に勤めとるから、[もんちー]があったらいつでも寄ってな?」


「は、はいっ!」

 

お姉さんがピースサインを出す。それがバイク乗り同士が別れる時のサインってことは知らなかったけど、ついつられてピースしてしまった。


「またねぇ!」

 

最後にそう言ってお姉さんは[もんちー]で走り出した。半ヘルの下から覗く長い髪が風に踊る。仕草のひとつひとつが絵になる人だ。

 

チカチカとウィンカーを点滅させて本屋さんの駐車場から幹線道路に出た[もんちー]が一気に加速していき、たちまちその姿が小さくなる。


速っ!? えぇ!? あれがモンキーの本気!? なんか普通に車とかばんばん抜かしていってるんやけど……。

 

その時になってあたしは、結局お姉さんの名前を聞かずじまいだったことに気付いた。でも、パン屋さんに勤めてるってことは分かったから今度また聞いてみよう。


あたしは本屋さんに入り、あえて今まで足をむけたことのない、男性向けの情報誌のコーナーに向かった。

 

モーター誌売り場で、モンキーのことを扱ってる雑誌がないかバイク雑誌をいくつか物色して、それを見つけた。表紙をまさにモンキーが飾っている【モト×もっと】


ぱらぱらとめくってみると、それはやはりモンキーを中心としたミニバイクの専門誌で、ミニバイクのオーナーたちの、自慢のバイクの投稿写真や、いろいろなカスタムパーツのカタログ、改造の手順の説明なんかが載っていた。

 

改造の手順等の専門的な内容はさっぱり分からないから、投稿写真のコーナーを見ていく。モンキーは老若男女を問わず人気があるようで、オーナーたちの顔ぶれも多種多様。ただみんな、そこはかとなく自慢げな表情で愛車と写っているのは共通で、さっきのお姉さんと同じでみんなモンキーが大好きなんだなと思った。

 

ふいに、ページをめくるあたしの手が止まる。


「え? お姉さん?」

 

さっきのお姉さんと[もんちー]が当たり前のように載っていた。

 

名前:サーラさん 

年齢:19歳 

所属チーム:もんきーず

愛車:ホンダ・モンキー

 

えええええええっ!? なんか普通に載っとるし!

 

ブーツと破れジーンズにMA-1ジャケットのさっきと同じ格好のお姉さん――サーラさんが[もんちー]にまたがり、満面の笑みでピースしている。

 

呆然としているあたしの肩がふいにぽんぽんと叩かれ、振り向くとお父さんがいた。


「あ、お父さん」


「ライトノベルの所にもマンガの所にもおらんからどこにいるのかと思ったら……。こんなところにおるとは予想外やったな」


「あ、ごめんね」

 

あたしは、手に持っていた【モト×もっと】をどうしようかと一瞬迷って、結局買うことに決めた。お父さんは意外そうな表情をしていたが何も訊かなかった。


車に乗り込むなり、あたしは開口一番お父さんに言った。


「なぁお父さん。あたし、十六になったら原付の免許取りたいんやけど」

 

お父さんがハンドルを握ったままちらっとあたしの顔と雑誌を見る。


「……今日、なにがあったか知らんが、香奈のそういう表情を見るのは久しぶりやな。踊り場は脱却したんか?」


「うん。そうかも」

 

あたしがさっきパン屋で見かけた[もんちー]とサーラさんの話をすると、お父さんは「そうか」と口元をほころばせた。


「分かった。原付免許は持っていれば何かと便利やしな。お母さんはお父さんが説得しよう」

 

やった! 物分りのいいお父さんでよかった。


「ありがと。お父さん」


「あまり詳しくは知らんが、確か原付は講習と筆記試験だけでいけるはずやな。原付講習は教習所でやっとるから、とりあえず今から行って説明だけでも受けてくるか?」


「うんっ!」

 

あたしは雑誌の入った紙袋をぎゅっと抱きしめながら、大きくうなずいた。

 

あの夏の日からずっと止まったままだったあたしの時間が再び動き始めた。







とりあえず、まずはここまで。

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