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通学(佑樹)

姉貴と二人で朝食を取り、僕ら鍵っ子姉弟は一緒に家を出た。高一の僕は片道20㌔の隣町の公立高校へ、三つ年上の姉貴は高卒の社会人として勤務先の駅前のパン屋へ向かう為、ガレージからそれぞれのモンキーを押し出す。


姉貴が[もんちー]と名付けて愛用しているモンキーは赤いフレーム、白の燃料タンク、黒のシートのコントラストが可愛らしい2005年モデル。姉貴が[しるばー]と名付けた僕の愛車は黒のフレームとシート、シルバーメタリックの燃料タンクと全体的に落ち着いたカラーリングの2002年モデル。製造された年式によって様々なカラーバリエーションを楽しめるのもモンキーの魅力の一つだ。


僕の通っている高校は片道10㌔以上の生徒は原付限定ではあるが、バイク通学が認められているので、16歳になって免許を取ってすぐに電車通学からバイク通学に切り替えた。

 

ハーフヘルメット――通称半ヘルを被り、自分用のモンキーにまたがってエンジンをかける。

 

毎日使っている[しるばー]はキック一発で機嫌よくエンジンを始動させ、心地よい振動がシート越しに伝わってくる。


「じゃあねぇ、ユウ君」

 

バリッと化粧をした姉貴がお気に入りの半ヘルを被り、手馴れたしぐさであご紐をパチッと留める。破れジーンズにMA-1ボマージャケットというワイルドな格好がやけに似合っている。


「ああ。沙羅姉もいってらー」

 

[もんちー]で走り出す姉貴の後姿を見送る。


うん。音を聞く限り調子ええな。


僕もアイドリング中の[しるばー]のシートに座りなおした。


左手でクラッチバーを握り、左足のつま先でチェンジペダルを踏み込む。

 

カシュッと小気味良い音と共にギアがニュートラルから一速に切り替わったのを確認して、左手のクラッチバーを緩めて半クラッチにする、と同時に右手のアクセルをゆっくりとひねりながら発進する。

 

動き出したらすぐにクラッチバーから手を離して半クラッチを解除。

 

スピードが上がってきたらクラッチバーを握り、左足のつま先でチェンジペダルを跳ね上げ、一速から二速、三速、四速と順番にギアチェンジしながら速度を上げていく。


だいたい四速で時速40㌔ぐらいには達している。


最高速はもっと出るが、あえて周りの景色を楽しみながらのんびり走るのが僕の趣味だ。

 

梅雨入り前の六月の気候はバイクで走るのに最適で、朝の湿気を含んだ新鮮な空気の中で僕は風になる。


僕の住む町は、町の真ん中を流れる大河の河岸段丘沿いに発展した縦に長い田舎町だ。木材とお茶と米に支えられているこの町の風景は、そのまんま植林された山と茶畑と田んぼとその中に点在する集落であり、まさに古き良き日本の田舎というキャッチフレーズがぴったりくる。


僕はそんなこの町が好きだ。バイクに乗るようになってますます好きになった。


一日ごとに微妙に表情を変える空や山の景色。初夏の田んぼを渡ってくる風に雑じる土の匂い。茶工場の横を通る時の茶の葉を蒸す匂い。山裾の製材所の杉材やヒノキ材の上品な匂い。


これらはバイク乗りしか味わえない特権だ。


車と違って体がむき出しのバイクは、もし事故ったらその危険性は車とは比べ物にならない。でも、体がむき出しだからこそ、走っている時は周りの風景や空気を視覚だけじゃなく五感すべてで感じ取ることができる。この、自然と一体化しているような感覚はバイク以外の乗り物では決して味わうことができないと思う。


川沿いの道から峠道に入り、長いトンネルを抜ければそこはもう隣町になる。


峠を下って国道に出てそのまましばらく走れば、古くからの町並みが続く城下町の中心部に到着する。


僕の通う高校――県立射和(いざわ)高等学校はここにある。


射和高校はいわゆる総合学科の高校で、A、B、C、F、G、Hの一学年六クラス。A~Cの三クラスが普通科、Fが生産経済科、Gが土木科、Hが食物調理科となっている。普通科も、Aの特別進学組、B、Cの就職もしくは進学組、に分かれていて授業の内容も違う。僕は高卒就職希望なので一年C組だ。


高校の敷地は道路を挟んで北側と南側に分かれており、北側に校舎が四棟、南側に体育館とグラウンドと武道館と部室棟がある。自転車置き場は北側の校舎のすぐ近くにあるのだが、バイク置き場は南側の体育館裏だ。おそらく、徒歩や自転車通学の生徒の安全に配慮してのことだろう。




[しるばー]をバイク置き場に停めて道を渡って校舎に向かう。バイク置き場に並んでいる原付は7割がスクーター、2割がスーパーカブ、1割がモンキー、ゴリラ、シャリー、エイプといった自分で言うのもなんだがちょっと趣味に走ったミニバイク。


朝錬を終えた運動部連中や僕と同じく今登校してきた生徒たちに混じって昇降口に着いた僕は、そこでクラスメイトの浅野香奈(あさの かな)に会った。


「おう、浅野さん。おはようさん」

 

すでに上履きに履き替えていた彼女は、ちょっと癖のある肩までの髪を揺らして振り向いた。可愛らしい顔立ちをしているのだが、残念ながら彼女はいつも不機嫌そうな表情を浮かべているので近寄りがたい雰囲気を醸し出している。


「……ああ、速水(はやみ)君か。おはよ」次の瞬間、彼女が怪訝な顔をする。

「……なんなんその手?」


「手?」

 

自分の手のひらを見て、浅野さんの表情の意味を悟る。


「ああこれな。朝、家を出る直前までバイクをいじっとったからさ。一応洗ったんやけどな」

 

バイクのオイルでかなり目立つぐらい汚れている。石鹸の手洗いではおおざっぱな汚れは落ちるのだが、指紋の凹凸の隙間に入り込んだ奴が結構頑固で、ごわごわのたわしとかを使って丁寧にこすらないと落ちてくれないのだ。今朝はそこまで丁寧に洗う時間がなかった。


「速水君ってバイク通学やっけ?」


「うん。今の時期はバイクで走るには最高やに」


「自分でいじったりもするん?」


「まあな。そういうんに詳しい知り合いもおるから、色々教えてもらいながら整備は基本的に自分でするかな」


「ふーん。好きなんやね」


「うん。うちの姉貴もバイク通学しとったから、俺も中坊の頃から姉貴のバイクをいじっとったんさ。十六になるんが待ち遠しかったわ」


「あーバイクの免許は十六で取れるんやったっけ。誕生日いつなん?」


「四月十日。浅野さんは?」


「来週。六月二十二日」


「ああ、じゃあもうすぐやん。免許取る気は?」


「……興味ないし」


「そっか」

 

まだ右足でびっこを引いてる浅野さんに歩調を合わせ、他愛のないやりとりをしながら、なんとなく一緒に教室に向かう。


浅野さんとは中学が一緒だったが、こんな風に話すようになったのは高校に入ってからだ。中学時代の彼女は、中学女子100メートル走の日本記録保持者の超有名人で、いつも人の輪の中心にいて、明るく溌剌としていて、僕にとっては違う世界の住人だった。

 

将来の夢は? と聞かれれば、オリンピックに出てメダルを取ること、と冗談抜きに答えていた彼女は去年、競技中の怪我で選手生命が絶たれた。

 

決まっていたスポーツ推薦も取り消され、誰よりも早く自分の将来を決めていたはずの彼女は一般入試でこの高校に入り、皮肉なことに普通科の中でも進学か就職か決めかねている生徒が集まるC組に在籍している。当時の彼女の取り巻きたちは一人もこの高校には来ていない。

 

浅野さんはうちの弱小陸上部から、アドバイザーとかコーチ的な役割のマネージャーとして熱心に勧誘されたらしいが、そういうのを一切断って、今は帰宅部らしい。


いつもどこか冷めてて、つまらなそうな表情で淡々と話す今の浅野さんは、中学時代の彼女を知っている人間の目から見ればまるで別人で、以前から彼女を知っている人間は敬遠してあえて近寄らず、事情を知らない人間からはクールな一匹狼的なキャラクターと認識され、教室でも孤立気味になっている。

 

だからというわけでもないが、なんとなく同郷のよしみで話すようになり、今に至っている。


「じゃあね」


「うん」

 

教室の入り口で別れてそれぞれの席に向かう。教室内の席順は、まだ席替えをしていないので名簿順であり、出席番号一番の浅野さんは窓際の一番前の席で、二十番の僕は真ん中の列の真ん中だ。

 

自分の席から浅野さんを見ると、彼女は頬杖をついてつまらなそうに窓の外を眺めていた。

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