ガレージ(佑樹)
……そろそろやべぇな。
僕は時計を見ながら内心焦りつつあった。
昨日の晩、姉貴が僕に「なぁなぁユウ君、最近うちの[もんちー]の調子が悪いんやけどちょっとみてくれやん?」と言ったのがそもそもの始まりだった。
ちなみに[もんちー]というのは姉貴のバイクの愛称だ。HONDA BA-AB27 MONKEY。新聞屋のバイクとしてお馴染みのホンダのスーパーカブと同型のエンジンを搭載しながらも車体はカブよりかなり小さく可愛らしいミニバイクだ。
しかし、可愛らしい見かけによらず、アクセルを捻るだけで走るスクーターなどのオートマチックトランスミッションとは違い、大型のオートバイと同様に手動でクラッチを操作し、左足でギア操作をするマニュアルトランスミッションという玄人仕様なので、いわゆるバイク乗りと呼ばれる玄人連中のセカンドバイクとしても人気が高い。
そして、シンプルな構造なので整備資格を持たない素人でも割りと簡単に分解整備や組み立て、改造が出来るので機械いじりが好きな連中からも愛されている。
つまり、あらゆる年代のバイク好きから普遍的に愛されているミニバイクなのである。
そんな姉貴のモンキーだが、メンテナンスは基本的に僕がしている。
それで、昨日は夜中の十二時近くまで、今日は朝の五時に起きてガレージで姉貴のモンキーをいじってるわけだが、どこが悪いのかさっぱりわからない。
確かに調子は悪い。
エンジンをかけてちょっとアクセルをひねって回転数を上げると車体がガタガタと不自然な振動を始める。
エンジンのナットやボルトが緩んでいるわけではない。
じゃあ内部か? とエンジンを分解してみたがまったく異常なし。
あーでもない、こーでもないと一人で試行錯誤しているうちにも時間は無情に過ぎていく。
バイク通勤している姉貴にとって足がないのは困る。
しかし、僕が学校に行くために家を出なくちゃ行けない時間も迫ってきている。
しかたない。
僕はケータイを取りだして、バイクいじりの師匠に電話をかけた。
――プルルルル……プルルルル……
『……おう、祐樹か。こんな早くからどうした?』
「あ、ノブさん、おはようございます。すんません出勤前の忙しい時間に。今、ちょっとええすか?」
『ああいいぞ。どうした?』
「姉貴のバイクが調子悪くていじっとったんすけど、原因がわかんなくて」
『どういう症状が出てるんだ?』
「エンジンかけて、回転数を上げるとガタガタとすごい振動がくるんです」
『……ふむ。それは、走ってる時だけか?』
「いや、停車状態のニュートラルでもそうです。エンジンの調子そのものはええんですけどね」
『それな、車体にエンジンを留めてあるマウントボルトが緩んでるんじゃないか? メンテナンスで結構見落としがちになるところだが、普段からよく使ってるバイクほどジワジワ緩んできて、気がついたらグラグラってことはよくあるぞ』
師匠のノブさんから指摘されたボルトを探し、指でつまんでみる。
いとも簡単に回ってしまった。
「……当たりです。むっちゃ緩いです」
『良かったな、原因が分かって。他にはなにかあるか?』
「いや、それだけです。助かりました」
『いいってことよ。……あ、ちょうどよかった。祐樹、お前部品取り用のZ50Jいらんか?』
「え? なんすかそれ?」
『いやな、俺の知り合いが十年以上使ってない古いZ50Jを処分するっていうから貰ってきたんだが、俺はいらんからな。直すとなると一苦労だが、部品取り用として欲しければやるぞ? お前らのAB27との互換部品も多いからな』
「まじすか? 欲しいです! 是非下さい」
『うん。じゃあ、また今度軽トラで持って行ってやる。それじゃ、俺はぼちぼち仕事に行くから切るぞ?』
「はい。ありがとうございました!」
僕は頼りになる師匠との通話を終えて、姉貴の[もんちー]と向き合った。
エンジンはマウントボルトと呼ばれる長い二本のボルトでフレームに固定されてあるのだが、調べてみるとその二本ともが指で回せるぐらいに緩んでいた。
これじゃあ、振動で乗りにくいはずだ。
てゆーか、ヘタしたら走ってる途中でエンジンが外れるだろうこれ?
背筋に寒いものを感じながら、僕はレンチでその二本のボルトがガッチリと締めなおした。
よし、これでどうだ。
車体にまたがり、イグニッションキーを回して、ニュートラルランプが点灯するのを確認してから、エンジンをかけるためのキックペダルを右足で踏み込む。
――スコンスコン……スコンスコン……ドルンッ!
三回目でエンジンがかかる。
そのままゆっくりとアクセルをひねって回転数を上げていく。
うん、ええやん。あの不自然な振動が出なくなった。
「ユウくーん、うちの[もんちー]直ったぁ?」
エンジン音を聞きつけた姉貴がとてとてと走ってきて、すっかり調子の良くなった愛車を見てふにゃっと相好を崩して笑う。
姉貴は本当に[もんちー]が大好きなんだ。
「うん。ノブさんに相談したらすぐ原因が分かったわ。エンジンを車体に取り付けてるボルトが緩んどったみたいやな。締めなおしたら調子よぅなったわ」
「あーよかったぁ! さっすが持つべきものは頼りになる弟とその師匠やねっ。ご飯出来てるから手を洗ってきてー」
「はいはい」
脱衣所にいって手を洗ってから作業用のつなぎを脱ぎ、学校の制服に着替えた。
濃緑のブレザーに白のポロシャツ、グレーのチェックのスラックス。
ああ、腹減ったなぁ。今日の朝飯はなんやろ?
ワクワクしながらダイニングキッチンに入ると、テーブルの上には姉貴自慢の手料理がところ狭しと並んで……は、いなかった。
明らかに冷凍をチンしただけのシューマイとから揚げとインスタントコーヒーとトースト。
これぞまさしくザ・手抜き朝ごはん。大事なことなので定冠詞をつける。
「……あのー、沙羅姉?」
「なぁに?」
なんかすごくいい笑顔の姉貴。
「あなた一応、免許を持ってる調理師っちゃうの?」
「そやけど?」
「弟が睡眠時間返上であなたのためにバイクを整備していたというのに、冷凍食品ですか? いや、贅沢は申しませんが、せめてこう、温かみのこもった手料理なんかを弟は所望しているのですが」
「はいっ」
姉貴がドヤ顔で、待ってましたーとばかりにずずいっと弁当の包みを差し出してくる。
「ちゃんとユウ君には感謝しとるに? だ・か・ら、お弁当は男子高校生の夢そのもの『自慢の美人お姉さんの愛情たっぷりの手作りスペシャル弁当DX』友達からうらやましがられること間違いなし! そっちを頑張りすぎちゃったから朝食は手抜きになっちゃったけどええやんな?」
「うおっ凄ぇ!! ……ってなんで重箱二段やねん!! これをどうやって持って行けと!? 羨ましがられる前に引かれるわっ!! あと、自分で自慢の美人のお姉さんとか言うなや」
僕の姉貴はまあ、こういう人だ。