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半クラッチ(佑樹)

キャブレターのセッティングも終わった[メッキー]は路上に引き出され、その横で作業用のオーバーオールの上に薄手のウィンドブレーカーを着込んだ香奈が着け慣れないヘルメットの顎紐の調整に四苦八苦している。

 

ちなみにヘルメットは姉貴の冬用のジェットヘルだ。


さすがにポニーテールのままではヘルメットは被れないから、解いて下ろした髪が肩の辺りで跳ねている。


せっかく似合っとったのになー。ポニテ用のメットってどっかにないもんかね?


僕がそんな愚にも付かないことを考えているうちに、ヘルメットを着け終えた香奈が革製のライディンググローブを両手に填めて準備を終える。


真夏の、しかも午後の一番暑い時間帯にこの格好は正直かなり暑苦しい。

だが安全のことを考えると仕方ない。


ちなみに僕はつなぎを脱いだハーフパンツにTシャツ。


「うう……暑い」


「気持ちは分かるけどそこは我慢な。教習所よりはましやろ? 教習所やったらこれにさらに肘と膝のプロテクターまで装着せなかんからな」


「佑樹君はえらい涼そうやなぁ?」


「……だって暑いし」


「……ちみぎったろか?」


香奈が人差し指と親指で何かを摘まんでクイクイと捻る動作をする。僕は即座に香奈の手の届かない範囲に逃げる。


「怖っ!! そんなことしとらんと早よう[メッキー]に乗りぃな!!」


「……左から乗るんやったっけ?」


「うん。バイクには必ず左側から乗ること。これ鉄則」


「なんでなん?」


「道路は左側通行やからな。路肩に停車しとるバイクの右側は車が後ろからガンガン走ってくるよって危ないんさ。やよって左側から乗るように習慣づけとった方がええな」


「わかった」


「よし、ほんなら後方の安全確認をしてからサイドスタンドを跳ね上げて[メッキー]に跨って」


「おー、待ってました」

 

嬉しそうに[メッキー]に跨る香奈の後ろに移動する。


「サイドミラーを調整したって。ライディングポジションで俺の胸から下が見える角度に」


「ん。ちょっとそのまま動かんといてな。……うん。ええよ」

 

ミラーの調整を終えた香奈の横に立つ。


車高の低いモンキーに乗った香奈の頭の位置はちょうど僕の胸ぐらいだ。


「そんじゃ、さっきの要領でエンジン掛けてみ」


「うん!」

 

香奈が嬉々としながら[メッキー]のキックペダルを踏み込んでエンジンを掛ける。キック一発で始動した[メッキー]のエンジンは、もうすでに十分暖まっていたのですぐに回転数が安定する。

 

さて、問題はここからや。


「今から走るけど、ちゃんと俺の指示を聴いてその通りに操作してぇな?」


「わかってる」

 

緊張した面持ちで香奈がうなずく。


「まず、クラッチバーを握ってクラッチを切って」


「はい」


「そんで、ギアチェンジペダルを一回踏み込んで一速に入れる」

 

香奈が恐々と左足のチェンジペダルを踏み込むと、カシュッと小気味良い音がしてニュートラルランプが消える。ギアがニュートラルから一速に切り替わった証だ。


「そのままゆっくりとクラッチを握る手を緩めたって。ええな? くれぐれもゆっくりやに。絶対に急につなげたらいかんで……」


「きゃあああぁぁぁ!?」

 

[メッキー]の前輪が一〇㌢ほど地面から浮き上がり、次の瞬間にはバスンッとエンストしてつんのめり、バランスを崩した香奈が[メッキー]ごとゆっくりと地面に倒れこむ。


「あっ! あ、ああああ、あ~」

 

立て直そうとする努力虚しく転倒。

 

あーあ、やっぱりやったったか。

 

マニュアル車のバイクは走り出すときが一番難しい。


クラッチを完全には繋げない、いわゆる半クラッチ状態でじんわりと走り始めなければならないのだが、この半クラッチのさじ加減が初心者には難しい。いきなり繋いでしまうとエンジンのパワーが停車状態の後輪にダイレクトに伝わってしまうので、この通り前輪が跳ね上がったウィリー状態になり、制御不能になって転倒する。


「大丈夫か?」

 

駆け寄って助け起こす。


モンキーは小さいとはいえそれでも五〇㌔以上の重さがあるから一旦バランスを崩してしまうと腕の力だけで立て直すのはなかなか至難の業なのだ。


「……び、びっくりした」

 

香奈の目尻には涙が浮かんでいる。


「こうなるよって急にクラッチをつなげたらあかんのさ。まーでも、これで分かったやろ? クラッチを急につなぐとどうなるか。アクセルをひねってなかったからエンストで済んだけど、これでアクセルをひねって回転数を上げとったらいきなりウィリー走行のロケットダッシュという恐怖を味わう羽目になっとったに?」


「だって、クラッチを握る手からつい力が抜けちゃったんやもん」

 

香奈が拗ねたように口を尖らせる。


「まあ、誰もが一度はやるけどな。じゃあ、ちょっと代わってみ。お手本を見せるよって」

 

香奈に代わって[メッキー]に跨り、ニュートラルに戻してエンジンを掛けなおす。

 

クラッチを切ってチェンジペダルを踏み込んで一速に切り替える。


「ええかい? 今からゆっくりとクラッチバーを緩めてくから、エンジンの音に耳を澄ませとってぇな」


「……」


「クラッチバーを緩めてくと……ほら、ここでエンジンの回転数が落ちるやろ。もう一度クラッチバーを握りこめば回転数が上がる。もう一度緩めると……回転数が下がる。分かる?」


「うん」


「回転数が下がるんは、エンジンに負荷がかかり始める、つまりクラッチが繋がりかけてるからなんやわ。この状態が半クラッチやな。んで、この半クラッチ状態で回転数が下がらないようにアクセルをひねっていくと……」

 

そろーっと[メッキー]が動き始める。


「わぁっ! 動いた!」

 

ゆっくりと前進する[メッキー]と並んで歩きながら目を輝かせる香奈に説明を続ける。


「動き始める時はこんな風に半クラッチを使うんさ。半クラッチ状態やったらどんなに回転数を上げてもいきなりダッシュすることはないでな。んで、一旦動き始めたら、もうクラッチバーを緩めてクラッチを完全に繋いで大丈夫やで今からクラッチを完全に繋いでみるでな」

 

クラッチバーを握る手から力を抜くと、エンジンの回転する力が直接ギアに伝わるようになり、[メッキー]が加速してたちまちのうちに香奈が後方に置き去りにされる。


「おぉー!!」


Uターンして香奈のところまで戻り、ニュートラルに戻してエンジンを切る。


「まぁこんな感じやな。陸上選手が準備運動なしにいきなり本気ダッシュせんのと一緒で、バイクも走り始めは半クラッチにするんさ。半クラッチの感覚は自分の体で覚えるしかないから練習あるのみやね」


「うん。頑張る」


「ん。その意気や」



半クラッチを一般読者に分かるように説明出来てるかちょっと不安。『ちみぎる』は三重弁のスラングでつねるという意味です。女子が言う「ちみぎったろか」は可愛いけど恐ろしい言葉です。

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