友達宣言(佑樹)
「カノジョ、足が不自由なのかい?」
香奈が教室から出て行くのを見送った響子さんが何気なく訊いてくる。
「まあね。中学時代に部活でやった怪我の後遺症がまだ残っとるみたいやな。もう痛みはないって言うとったけど」
「付き合い、長いの?」
「まー、一応、中学も一緒やし家も近所やし、長いっちゃ長いかな」
「なに、幼馴染とかいうベタな関係?」
「いや、高校に入るまではほとんど会話とかせんかったから、そういう関係とはちゃうかな」
僕の返答に響子さんがふむふむとうなずく。
「じゃあ高校からか。……むー、3ヶ月じゃまだマンネリには早いか」
「なんの話しとるんよ?」
どうも会話が噛み合ってないような気がする。
「いや、こっちの話。気にしないでくれ給へ」
曖昧な笑いで誤魔化された。
ま、ええか。
「ところで、朝とちょっと髪型変えた?」
朝はつけてなかった可愛いヘアピンに気がついて話題を変えると、響子さんが嬉しそうに笑った。
「お、よく気付いたね! あたしらは調理実習でいつも帽子を被るからね、帽子でべたっとなった髪を直すのにドライヤーとヘアアイロンが更衣室に常備されているんだよ。よし、気付いたご褒美に1キョーコポイントを上げよう」
またアホな制度を導入してきよったな。
「キョーコポイント? 貯めるとなんか特典があるん?」
またクッキーくれるとか? 今度はベンツのエンブレムを一欠片、サクサクと咀嚼する。
「うむ。10ポイントごとに響子さんとデートができるのだ」
「っげほ! げほほっ!」
「わぁ! 祐樹、大丈夫か!?」
欠片が気管に入った。涙目になって激しく咳き込む。この人の発言は時々、想定範囲の斜め上を突っ走るから心臓に悪い。
響子さんがさっき浅野さんにしたのと同じように背中をさすってくる。
あー、なんつーか……この体勢というか距離感はちょっとまずくね?
さっきから教室内のそこかしこからの好奇の視線を感じてはいたが、それがここにきて一気に跳ね上がる。特に乃木の突き刺すような視線。
「おみゃあは、浅野さんっちゅう彼女がおるくせに! 堂々と二股かゴルァ!!」とその嫉妬に狂った目が言っている。
これはあかん。マジでなんとかせんと根も葉もない噂話に収拾がつかんくなる、と危機感を覚える。
僕と香奈と響子さんの泥沼の三角関係発覚! 速水は二股がけのゲスの極み男! とかまあそんな感じの最悪の構図が目に浮かぶようだ。
事実なら何を言われてもしゃあないけど、濡れ衣でそんな悪名を被るのはごめんだ。
「……大丈夫。もう大丈夫でござる! 響子さんに意表を突かれるとは、この速水祐樹、一世一代の不覚なりよ」
時代がかった言い回しとともに手のひらを響子さんに向けると、響子さんはなんか微妙に不服そうな表情で僕から一歩距離を置いた。
「むう。失敬な奴だな。乙女心が傷つくぞ……」
……そういう発言が周囲の誤解を招くんやっちゅうに。
響子さんがいい奴なのは間違いない。美人なのに気さくで人懐っこくて、案外そそっかしくて、一緒にいて楽しい。正直、この人とは友達になりたいと思う。おそらく響子さんも僕に対してそういう感情、これからも仲良くしよーぜ! 的なものを持ってくれているということは容易に察することができる。
……だが、彼女のスキンシップは正直、今日出会ったばかりのこれから友達になろうって相手に対するものにしてはちょっとばかし距離感が近すぎる。
友達にはやはり友達にふさわしい適度な距離というものがあるのだ。
この距離は自分で言うのもなんだが、思春期真っ盛りの童貞男子高校生には正直刺激が強すぎる。
この人、自分がすごい美少女やっちゅう自覚無いんか?
「あのさ、響子さん」
「うん?」
「俺と響子さんってさ、今朝初めて会ったばかりでお互いのこととかほとんど知らんやん?」
「まあ、そうだね」
「でもまあ、なんとなく気が合いそうやってのは分かるし」
「うん。祐樹にはあたしのギャグが通じるしね」
ギャグかよ。
「……まあ、それはええけどさ。俺も響子さんとはこれからも仲良くしたいって思うし、せやから……」
「せやから?」
響子さんが期待に目を輝かせる。
「とりあえず俺ら友達にならん?」
響子さんが一瞬唖然として、でも次の瞬間には体をくの字に折って爆笑する。
「……あっはははは! そっか、その手があった! いやまあ、普通に考えてそれが当たり前だ。あははははは! いやぁ、いい! 祐樹のその反応最高!」
「なに? 俺なんか可笑しいこと言った?」
「いやいやいや。おかしいのはあたしの方でね。祐樹は全然間違っちゃいないさ! うん。友達だねっ。友達だ!」
そう言いながら響子さんが僕の右手を両手で掴んでぶんぶんと振り回す。
なんやよく分からんけど響子さんが納得しとるようやでいいとしよう。
やがて、笑いの発作のおさまった響子さんがなにやら吹っ切れたような表情で口を開く。
「ところでさー」
「はいな」
「少し前から目には入ってたんだけど、なんで今更原付の試験問題集なんか持ってるんだい? 祐樹って中免まで持ってるって今朝言ってたよね」
「ああ、これな……」
説明しようとしたちょうどその時、教室に香奈が戻ってきた。
両手にクリーム色の缶コーヒーを一本ずつ持っている。パイプを咥えたおっさんのデザインのアレだ。
「お待たせぇ。やっぱりクッキーにはコーヒーがいるよなぁ?」
笑顔でそう言いながら机の上に缶をこん、こんと置く香奈。
「サンキュ。一二〇円?」
「ん」
「ちょお待ってな……」
僕は香奈が立て替えてくれたコーヒー代を払おうとポケットをまさぐった。……あれ?
「…………ごめん。財布忘れてきたっぽい」
「んー、じゃあ別にええよ。今日はあたしの奢りで」
「いやいや、ちゃんと払うって。……あ、そや。今日もうちに来るやろ? そん時払うわ」
「ぬな――――!?」
奇声を上げたのは香奈ではなく、響子さんだ。
「わっ! なんやねん!?」「な、なんなん!?」
「いま、ちょーっと聞き捨てならんことが聞こえたような気がしたぞ。『今日も』って言った? かなっちはそんなに頻繁に祐樹の家に行っているのかね?」
「あわわわわ……」
にこやかに詰め寄る響子さんの妙な迫力に目を白黒させる香奈。
あー、これは確実に妙な方向に勘違いしとるな。
「ほぼ毎日来とるよ」
「ぬな――――!?」
「バイクの整備しに」
「…………はい?」
響子さんが豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をする。
「香奈ちゃんのモンキーは廃車予定の奴を引き取ってきたかなりボロボロの旧車やからな。免許取ったら乗れるように一緒に直しとるんさ」
「そ、そう。きょ、響子先輩が想像しとるようなコトはしてへんよっ!」
香奈も真っ赤な顔で両手をわたわたさせながら弁解する。
「あたしが想像してるようなコトってなんだ――――!? 五〇文字以上、一〇〇文字以内で説明しろ――――!!」
響子さんが耳まで真っ赤にして香奈に詰め寄るがさっきまでの迫力はない。もう完全に照れ隠しだ。
「……あ、あたし、作文苦手で」
話がだんだんややこしくなってきたので強引に収拾にかかる。
「あーもう、響子さん! さっきの話の続きや! 俺が原付の問題集を持っとる理由は、香奈ちゃんが明日原付免許の筆記試験の日で、試験対策に協力しとるから! で、香奈ちゃんが毎日うちに来てるのは、自分が乗るバイクの整備の為! OK?」
「……は、はい。OKです。話をややこしくして悪かった! ……どうぞ、勉強を続けてくれ」
響子さんがしゅんとなる。そんな彼女の様子にちょっとマズッたかなーと思った。事態を収拾するためとはいえ、語調が強くなりすぎてしまったかもしれない。
別に響子さんを凹ますつもりはなかったんやけどな。
フォローの言葉を捜す僕の前で、響子さんがおずおずと顔を上げる。
「あ、あのさ。その、もしよかったらなんだけど……あたしにも協力させてくれないか? かなっちの試験対策に」
『…………』
僕と香奈は思わず顔を見合わせた。
「……いや、その駄目っていうなら仕方ないけど。あたしもバイク大好きだし、できればかなっちとも仲良くなりたいし。……駄目かな?」
響子さんの目は真剣だった。
「どうする?」
香奈が戸惑いがちに小首をかしげる。
「……響子先輩がそれでええんなら、あたしにはそれを断る理由なんかないんやけど、ええんかな?」
「あたしに気を遣う必要はない。是非とも手伝わせてくれ」
「えっと……じゃあ」
香奈が僕の手から問題集を取って響子さんに差し出した。
「よろしくお願いします?」
その後、三人で時折雑談を交えつつも僕と響子さんが出題者になり、香奈が答えるという形式で筆記試験対策は進んだ。
とりわけ、響子さんが提案した、同じ数字の関係する問題を一括りにして覚えるという方法が香奈には効果的だったようだ。
そんな努力の甲斐あって、翌日の筆記試験で香奈は三度目の正直で合格し、ついに原付免許を取得したのだった。




