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一歩めの勇気はポケットの中

 割れんばかりの歓声が耳に刺さる。

 広場を包み込むその声に、立ち尽くしたツツジは頭が痛くなるような気がした。

 大勢の声は渦を巻いて頭の中を駆け巡る。


 目が回るような感覚は彼の不安を煽り、逃げ出したい衝動に駆られた。

 それでも踏みとどまったのは、手を入れた上着のポケットに一枚のハンカチが入っていたからだ。

 国を出る時に、妹弟子マツラに頼んで作ってもらった、おまじないの刺繍が施されたハンカチ。

 ツツジの為に作られたその品には精霊の加護が宿り、彼を守ってくれる。

 たとえそんな効果が無かったとしても、自分のために作られたそのお守りを持ってさえいれば、ツツジは勇気が湧いてくるような気がした。


 しっかりしろ、と自分に言い聞かせて息を吸う。


 落ち着けばなんて事はない。

 恐ろしいものなど、どこにも無い。


 何度か深い呼吸を繰り返す。

 歓声に包まれた広場で、歯を食いしばるようにして見た演台の上。

 悠然と笑みを浮かべる紅梅の瞳が、大勢の人々に混ざるツツジを見ていた。


 その瞬間、射抜くような視線に身体がすくんだように動けなかった。

 彼女の視線が思い過ごしではない証拠に、目があった瞬間その口元の笑みが深くなった。


 みつけた。


 微かに動いた唇は、確かにそう言ったように見えた。

 固まるツツジの視線の先で、一身に歓声を受けた少女は一礼すると彼らの熱気をそのままに、名残惜しさを見せる訳でもなく潔く演台を降りる。


 それでも止まない大きな声。

 立ち尽くしたままのツツジはさっきまでオカリが立っていた場所を凝視する。

 オカリと、その前の男の演説。

 魔獣を狩り、平和を取り戻す。

 国の平穏を脅かす存在は、不可思議な力と共に隣国からこのグランディスに迫りつつある。

 武術国の国民は戦うことに躊躇などしない。自分の国の為ならば、尚更だろう。

 彼らフリューゲルは人々に支持されており、それは周りの様子を見れば何よりも明らかだ。


 先日、オカリが名乗った事で逃げ出した男たち。

 その理由もやっと理解できた。

 これだけ熱心に支持されている自警団の看板娘であろうオカリを敵に回す事は、街中を敵に回す事に等しいはず。

 いくら街のチンピラでも、そんなリスクを犯すような馬鹿な真似は避けたいに決まっている。

 困ったら自分の名前を出せと言った意味も、今ならわかる。


 だが、ツツジを舎弟にしてやると言ったその真意は何だ?


 世間知らずなツツジに、悪漢から逃げるための手段を与えただけでなく、そこまで言った理由は?

 世話焼きな娘の、後先考えない言葉だろうか?


 わざわざオカリの事を知らないツツジに声をかけずとも、彼女に付いていきたいと思う人間は大勢いるはずだ。

 それこそ、この広場で呼びかければ喜んで手を挙げる人間ばかりだろう。

 団員が欲しいと思っているのなら、ツツジは明らかに不向きで、彼女が特をするような要素はどこにも見当たらない。

 頭をよぎるのは、「中央広場に来い」と今日を指定してきた彼女の笑顔。

 壇上で見せた、大人びてどこか遠くを見ていた笑みとは違う。

 いたずらを仕掛ける子供を思わせるような、年相応の強気な少女の表情。

 約束通り足を運んだこの広場で、確かにツツジは驚かされた。

 そして壇上のオカリの唇は、確かに動いたのだ。

 ツツジに向かって「みつけた」と。


 人々の前から去るオカリの姿を思い出す。


 彼女までの距離は、遠かった。

 走って近づいたとしても、フリューゲル団員たちという壁がある。

 簡単にオカリに会えるのだろうかという疑問が浮かんだが、ツツジは確かめたくてたまらなかった。


 オカリ・ユフという少女の真意。


 彼女が自分との再会を目論んでここへ来ることを指示してきたのなら、うまくやればきちんと会えるはずなのだ。

 そしてオカリが本気で自分を舎弟にしようと思っているのだとしたら。

 彼女たちフリューゲルの活動を側で追う事は、グランディス国内における魔術師に対する動向を調べろ、という任務と一致するのではないだろうか。


 ならば、いよいよもってもう一度、オカリに会わなくてはならない。

 うまく取り入る事ができるならしめたもの。

 そうならなかったとしても、胸に残ったもやを拭う事ができる。


 上着のポケットに突っ込んだ手。

 指先に触れる糸目の模様。

 描かれた模様の意味は、旅の安全と、戦いの勝利を願う模様だと作った本人に教えてもらった。

 

 ツツジにこのお守りのハンカチを手渡してくれた妹弟子は、彼の任務を“戦い”だと言ったのだ。


 魔術師の総本山ダケ・コシから修業の地カル・デイラに流れ、今度はツキサに派遣された。

 今回与えられた任務を、彼女は戦いだと。


 そう、これはツツジの戦いなのだ。


 見えない敵は、立ちすくんでおびえる自分。

 混乱に身を任せて、頭で考えているだけでは何も変わらない。事は進まない。


 戦え。行かなくては。


 大勢の人が怖いだとか、街のごろつきが怖いだとか。

 そういうものに身を竦ませる自分を鼓舞するために、絶対に効くと噂された刺繍のお守りを作ってくれとマツラに頼んだ。

 手に取ればわかる。彼女の刺繍には力が宿っている。

 がんばって、と真剣な表情で言ってくれる新緑の瞳の妹弟子。

 精霊の守護がかかっていなくても、きっとこのハンカチにはツツジを勇気づけてくれるおまじないがかかっている。


 だから、一歩を踏み出すのだ。


 国に帰ったとき、胸を張ってこのハンカチのお礼を彼女に言う事ができるように。



 フリューゲルの隊列は広場を去ってゆく。

 追いかけなくては。

 武術王と同じ色の瞳を持つ少女に、なんとしてももう一度会うのだ。

 唾をのんで一歩を踏み出した。

 彼らの隊列を追いかけているのはツツジだけではなかった。

 小さな子供たちは、憧れの英雄の凱旋を追いかけるようにしてフリューゲルの団員たちの周りを飛び跳ねている。

 まるで人気の役者や歌い手を追いかけるように黄色い声でゼンリの名を呼びながら列の先頭あたりを追う娘もいるし、同じようにオカリの名を呼んでいる少年たちもいた。

 彼らの間を縫うように列の先頭を目指しながら、ツツジは声をはりあげた。


「オカリさんっ!!」


 果たして、自分の声は彼女に届くだろうか。

 大きな歓声や、たくさんの黄色い声。

 その隙間で、たった一度会った事があるだけの自分の声は、オカリに聞き分けてもらえるだけの声量を持っているだろうか?


 列の先頭。

 人々の目や日差しから守るように、頭上に大きな日傘をさされた人物がふたり。

 それはオカリとゼンリに他ならず、ツツジはまっすぐにオカリをみつめ、もう一度彼女の名を呼ぶ。


「オカリさん!! 約束どおり、来ました!」


 あなたが来いと言ったから。

 いったい何が目的でそんな事を言ったのか。

 ツツジの中には理由を知りたいという強い気持ちがあった。だから周りの声に負けまいと腹に力を入れてオカリの名を呼ぶ。


 整った横顔は前だけを見て淡々と歩を進めている。

 口を結んだ顔はあの裏路地で強気な笑みを浮かべていた時よりも退屈そうに見えた。

 広場じゅうが彼女の名を呼んで熱狂しているのに、彼女の周囲だけはその温度から切り離されている。


 では、自分はどうなのだろうか?


 熱狂する人々とは明らかに違う温度と意図で、彼らが呼ぶのと同じオカリの名を呼び、揃った足並みで進む隊列とは交わらない速度と歩幅で彼らの脇を進む。


 誰もがどちらかに属しているこの空間で、自分の位置はどこだ?

 この国に。この街に。まだ馴染めない異邦人はどこに立てばいい?



 大きなざわめきの中、進む隊列の先頭で唐突に足を止めたオカリが後ろを振り返った。

 立ち止まる彼女に合わせるようにして行進は止まり、追いかける人々もつられるように足を止める。

 その中を、ツツジは隊列の先頭目指して進む。

 紅梅の瞳が彼を捉え、血色のいい唇が弧を描くのを見た。

 自分の周囲を固める男たちを退けるようにして大きな日傘の陰から出てきたオカリは、ツツジが目の前に来る前に右手をまっすぐに伸ばして彼を指さす。


「彼が私の供人よ」


 よく通る声で言い放たれた言葉に周囲からどよめきが起こる。

 彼女の言葉の意味がよくわからないまま、ツツジはオカリの前に立った。

 乱れた息が落ち着くのを待つのももどかしく、彼女の言葉の意味を尋ねようとするツツジの手を取ったオカリは笑いながら彼の顔をのぞき込む。


「断るなんて許さないわ」


 きらきらと輝くその表情は、無言で男たちの先頭を歩いていた少女とはまるで別人のよう。

 そんな彼女は唇を動かさずにごく小さな声で続けた。


「来てくれてありがとう。あなたのような人を、ずっと待ってたの」


 ささやかれた言葉の意味を、その場で問う事ははばかられる。

 周囲ではツツジに向かって嫉妬や羨望や、怒りにも似た声が巻き起こっていた。


 その声に包まれながら、彼は確実に自分の位置が変わった事を認識した。

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