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緊急文書、届く

「ただいま戻りました」


 ドアを開けてそう言った瞬間、台所から転がり出てきたラクトにがっしりと腕を掴まれた。


「ツツジ! お前大変やったなぁ…とにかく座れ」


 驚いた様子ではあるが、全部解っている、と言いたげな口調のラクトは、ツツジを椅子に座らせると自分もその向かいに腰を下ろした。

 久しぶりの慣れた空気に心底ほっとして、なぜか泣きたい気分になりながら、ツツジは荷物を足下に置く。


「どこまで聞いてるんですか?」


 確認のため一応聞いてみると、頷いたラクトは口を開く。


「お姫さんは名誉の負傷、隊は任務に失敗。怪我をしたオカリ・ユフを身を挺して庇ったツツジ・ナハは、火事場の馬鹿力を発揮させて魔獣に一矢報いたが、あえなく取り逃がした。ちなみに、このあたりが一番盛り上がった」


 相変わらず奥様方は耳が早い。

 ざっくりとしつつも間違ってはいない、しかし途中から妙な脚色と謎の解説が入ったラクトの言葉に、ツツジは一気に疲れを感じた。


「いいんじゃないですか。だいたい合ってますよ」


 ため息混じりに頷いて補足を付け加える。


「第三隊は動ける人間だけで帰ってきました。オカリさんも、本当はまだ安静にしていたほうが良かったみたいですが」


 流石に彼女を置いて帰る事はできないし、当の本人が無理をしてでも帰るとごねたため、この意見だけは尊重された。

 きっと今頃は、フリューゲル屯所の整った環境で手厚く治療されているだろう。


「そして僕はツキサに入る直前に解雇されたって訳です」


 締めくくったツツジの言葉に、ラクトは意外そうに目を見開く。


「安静? 解雇? おい待て」


 どうやらそこまでの内容はツキサに届いてはいなかったらしい。

 ツツジが再び説明しようと口を開きかけたのを遮るラクト。


「こっちでは三日前に国王がお姫さんに会いたかていう書状を出したって、その話でもちきりばい。ツキサに帰り次第、お姫さんは国王に謁見する手筈になっとるっていう話ば聞いたけど」


 そのために急いで帰ってきたんじゃなかったのか。

 ラクトの話に、ツツジは目と口をめいいっぱい開く。


「初耳です」


 かろうじてそう答え、ツツジは少し考える。

 もしかしたら、自分が知らなかっただけで、オカリは知っていたのかもしれない。

 ここ数日ろくに話をしていなかったから聞かされなかっただけで。さらに言えば、じき解雇する自分には伝えなくても良いと判断された可能性もある。


 どちらしろ。


「僕は何も聞いていない」


 帰り次第国王に謁見するという事は、もう時間があまり無いのではないだろうか。

 今のオカリは支えなしでは歩けない。彼女の体調を考慮すれば、無理をさせる事は厳禁のはず。

 けれど、オカリは無理をしてでも行くだろうという事は容易に想像できた。


「冗談じゃない。オカリさんはそんな状態じゃないのに。止めないと」


 呟いて椅子から立ち上がろうとしたツツジ。しかしすかさず彼の腕を掴んだラクトはそれを許さない。


「待て。まだ話は終わっとらん。解雇されたって言うたな? それは、お前はもうお姫さんの供人とやらじゃなか、って事か?」


 ならば、止めに行く必要も無い。


「何のあったかは知らんけど、俺はそう思う。違うか?」


 鋭い視線を投げかけられ、ツツジは言葉に詰まる。

 確かにラクトの言うとおり、止めに行くのはもう自分の役目ではない。

 けれど、フリューゲルで無理するオカリに制止をかける事のできる相手が何人いるだろう。


 団長のゼンリなら大丈夫かもしれないが、それも「フリューゲルのため」という名目が付けばどうなるかわからない。

 オーキは問題外だ。彼はオカリとは犬猿の仲だ。止めに入るならまだしも、焚きつける可能性すらある。

 あとは食堂のコックか? 

 けれど彼はオカリに甘いから押し切られれば負けてしまう。他の連中もそういう手合いばかりだ。

 ツツジが行ってオカリが言うことを聞く保証は無いが、その他大勢よりも少しは効果があると自負している。


 しかし「もう来るな」と言われた。


 オカリがはっきりと言うという事はそういう事だ。

 近くにいたのに、もう何日もろくに会話もしなかった。その上での「来ないで」という言葉は、その通りの意味でしかない。

 この状況を近所の奥様たちが知れば、いわゆる喧嘩別れとして話は広まるのだろう。


 だが、オカリは最後に言ってくれた。

 ツツジの事を割と気に入っていたと、言ってくれたのだ。


 オカリ・ユフという人は、自分勝手で自己中心的で、あまり人の話を聞いてくれないし、ひとりで何でも決めてしまう。

 強引で押しが強くて、一緒にいるといつも振り回される。

 でも、オカリ・フユという人は、嘘はつかないのだ。


 オカリが「来ないで」と言えばそういう事だし、「気に入っていた」と言えばそれも本当なのだ。

 いつも答えだけで、理由は聞かないと説明してくれない。非常に解りづらく、面倒な相手。


 けれど、どうしても心配になってしまう。


 積み重なった彼女の無理が、いつかどうにもならない場所へオカリを連れていってしまいそうな気がして。


 だから。


「僕が行かないと、掛値無しでオカリさんに物申せるひとがいなくなるんです」


 ゼンリもオーキも、腹に何か隠している。

 彼らはきっとツツジより何倍も頼りになる。

 しかし彼らに任せていれば、オカリは引けないところまで行ってしまう。

 わかっていても、行ってしまう。


「ツツジ、必要ない。来るなと言われたのなら、それはお前の仕事じゃなか」

「でも、オカリさんは僕の事、割と気に入ってたって言ったんです。本当に会いたくないなら、あの人は口が裂けてもそんな事言いません」


 それに、とツツジは正面からラクトの顔を見る。


「フリューゲルと王宮が繋がる事は、今後の事を思うと阻止するべきです。フリューゲルは公に魔獣と魔術師は敵だと謳っています。今後この二つが結託してフィラシエルに攻撃を仕掛けてくることも十分に考えられる事です」


 そうなる前に、この繋がりは阻止するべきだ。

 例えそうなったとしても、オカリの側に自分がいる事で何かしら妨害の助言ができるかもしれない可能性も多少はある。


「そいは、俺もわかっとる」


 渋い顔で呟いたラクトは、ツツジの腕を離すと前髪をかきあげた。

 仕方がないだろ、と言った彼は戸棚に向かうと引き出しから一通の手紙を取り出す。


「俺としてもお前の言うことには賛成する。ばってん、今朝、これの届いた」


 見てみろと差し出された封筒には五老の公式印。

 しかし、そのインクは普段届く、依頼報告用のやりとりに使われる封筒に押されているものと明らかに違う鮮明な赤。


「これは…」


 目線だけで問いかけると、ラクトがひとつ頷いたので、ゆっくりと中身を取り出した。

 いやな予感がする。

 四つ折りにされている紙を開く直前、ふとそんな気がした。

 ひとつ息を吸って開いた紙の真ん中に、深い紫のインクで書かれた、少し背伸びをしたような歪な文字が並ぶ。


 緊急事態。即刻ダケ・コシに帰還せよ。詳細は追って伝える。ツキサ脱出後は移転魔法陣を使い至急の帰国を。


 サインは木の五老モクの名が記されている。


「モク様から? どういう事ですか」


 伺うようにラクトを見れば、彼も首を振った。


「わからん。けど、モク様が緊急事態って寄越してきたっていう事は、冗談抜きの緊急事態って事やろ」


 木の五老は伝令の役目を受け持つ。その彼が緊急文書に使う赤のインクで封筒に公式印を押し、即刻帰還を命じてきた。

 長期任務の中止はままある事だが、なんの予告も無く帰ってこいと言われる事は滅多にない。


「僕が、魔獣狩りに同行したからでしょうか?」

「俺の報告書は、確かにもう届いとるやろう。けど、それが理由とも考えづらい。とにかく、わからんとしか言えん」


 そして、すぐ帰れと言われたからには帰るしかない。


「やけん、お前がここでお姫さんの付き人ばクビになった事は、ある意味好都合やった訳だ。わかったならすぐ支度しろ。動くなら一刻も早かほうがよか」


 ため息をつくラクト。

 しかしツツジは素直に頷く事ができなかった。

 彼の言う事も、ツキサを出る準備をしなくてはいけない事も理解できる。


 しかし、このままツキサを後にして良いものか?


 どうしても気になる、最後に見たモコウの表情。微笑んで手を振ったオカリの言葉。


「…屯所に行かせてください。すぐに帰ってきますから」


 手を握りしめて言うと、ラクトは呆れた表情でツツジの目の前に人差し指を突きつける。


「同じ事ば何回も言わせるな。帰る準備をしろ。それに、喧嘩別れしたっちゃろうが」

「喧嘩なんかじゃありません。…それに、フィラシエルに戻るのなら余計会いに行かないと。僕は、オカリさんにハンカチを返してもらってない」

「ハンカチて、まさかお嬢の…?」


 ツツジにとってそれがどれ程大切な物なのか知っていたはずのラクトは、小さく顔をしかめる。無言で頷いたツツジを見て頭を抱えた。


「馬鹿じゃなかとか。はよ行って取り返してこい!」


 その代わり、こっちは勝手に準備を始める。

 怒ったように告げたラクトにひとつ返事をして、ツツジは家を飛び出した。

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