その国の出来事
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ベルジア地方の、広大な海原のような平原の西に位置しているのがベルジア西方王国で、王都はアルセオ。
ここは何かを追うように西に向かって移動を続けてきたナフィルにとっての最西端の国であり、街でもある。
始まりはたった一人。自信も無く寂しさをまとっての旅立ちだったが、この街に着いた時にはわずかな自負と一人の少女を伴っていた。
もっとも、自負には多分に苦い感傷が含まれていた。
努力ももちろんあったが、それはほんの僅かしかないと思う。
ほとんどは様々な失敗に基づく悲しみや苦しみ、そして怒りや嘆きだった。
そして・・・・・・。
「大きな街ですねぇ」
小さい身なりで大きな鞄を背負った少女が、そんな苦を感じさせない明るさでそう言った。
「そう遠くでは無いと思うけど、来たことは無いの?」
ナフィルの問いに、少女は達観の表情を見せた。
「仕事をしなくては食べて行けません。私はこの街に来るという仕事をしたことがないので、来たことはないのです」
少女は使用人の風体であったが、ナフィルに接する口調や雰囲気は姉妹とか、女友達と言った感じである。
そのはっきりとした言動に、何やらナフィルの方が思い違いをしているような気分になり、疑わしげな目でその少女を見やる。
「・・・取りあえず宿を取りましょ」
何はともあれ、少女の言い様では、この街には知己が無いということだけは判った。
ナフィルの言葉に、少女は「はい」と快活に答えると、二人は連れ立って大通りへと向かった。
「探しているものが見つかると良いですね」
そう言った少女は、ナフィルに邪気の無い笑顔を向ける。
よく判りもしないでこの娘は・・・。
その小憎らしさと愛らしさに、ナフィルはわざと冷淡に言い放つ。
「エリン、無ければまた別の所へ行くだけよ。もっと遠くにね」
エリンと呼ばれた少女は笑顔に含みを持たせると、
「あはは、ナフィル様、そんなことを言ったって無駄ですよ」
飄々としてそうのたまうと、先頭に立って歩き始めた。
魔法王国時代、ここは辺境だった。
今では人も増え、文化も栄えたようだ。
しかし、ナフィルにとってここは変わらず辺境だった。
ここでなら・・・・・・探しているものが見つかるかもしれない。
色褪せて見える街並みを、ナフィルは冷ややかな目で眺めやった。
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奇をてらうわけでもなく、ナフィルは大通りに面している一軒の宿を適当に見繕うとそこに投宿した。
ナフィル曰く、いずれ住む家を探すのだからどこでも良い、というとても合理的で、そして無味乾燥の意見だった。
エリンには無論異論は無かったが、しかしもう少し遊び心のようなものがあっても良いと思うのだ。
どうも生きていることに必要性とか、義務感めいたものを感じてしまう。
元々趣味など無かったというが、エリンは魔術と、そして師の話をしている時のナフィルの生き生きとした顔を知っている。
それだけに、もう少し普通の生活に目を向けて欲しかった。
そんな思いもあってエリンはついついナフィルを過剰に構ってしまうのだが、それでも、1人の時は悲壮感さえ漂わせるほどに辛い表情をしているのを何度か目撃していた。
翌日、ナフィルは何も告げずにふらりと宿を出ると、エリンは一人残されて暇を持て余していた。
旅装を解いて疲労感にしばらく身を委ねてはみたが、生まれついてから家事に勤しみ、それを生業としてきたエリンにとっては何もしないと言うことが苦痛以外の何物でもない。
ナフィルに雇ってもらった当初、エリンは家事をやらせてもらえなかった。
それはエリンにとっては侮辱にも等しいことなのだが、訴えたところでナフィルは気にも留めずに自らしてしまうのだ。
使用人や給仕として雇ってもらったはずではあったがそれは方便で、ナフィルにはそんな気が無かったのがすぐに判った。
「以前から身の回りのことは自分でしてきたのよ」
その言葉通り、それが完璧では無いにしても、普通にこなせるだけの手際の良さは持ち合わせていたのだ。
にもかかわらず、ナフィルは魔術師だった。
この街に移ることを決めたとき、ナフィルは自分は人間ではないと言い切って、エリンに決別を強いたのだ。
エリンはその時思い知った。
ナフィルは人間だ。年相応に見える少女だと。
そして、無理に人であることを捨てようとしている思えた。
ナフィルにはもう少し人間らしさがあったほうが良い。
美味しいものを食べたり、友達と遊びに行ったり、好きな男性に憧れを抱いたり・・・・・・。
エリンは少し貧相な自分の想像に苦い顔をした。
少なくとも、ナフィルには魔術師が似合っては見えなかった。
思うに、魔術師としては未熟であっても、今で充分魔術師として生きていける。
それは自分の勝手な希望で、ナフィルの意向を無視したものであるけど、あの辛そうな顔を見てしまうと、どうしてもそんな思いを抱いてしまう。
昼時にも戻らず、言付けられていたように食堂で一人食事を取りながらも、ずっとナフィルの事を考えていた。
でも、結局は堂々巡りで、答えを見出すまでには至らない。
自分は、ナフィル様にとって、やっぱりただの給仕でしかないのだろうか。
こんなにも近くにいて、だけど良く知りもせず、そして今も放って置かれている私。
「あなたは何をしているの?」
夕刻、部屋に戻ってくるなり、ナフィルは不可解さを満面に浮かべてそう言った。
「・・・・・・お掃除ですけど?」
することが無くて落ち着かなかったエリンは掃除をして紛らわしていたのだが、ナフィルはため息をついて、これ以上この会話を広げる気が無いことを告げた。
「それより何処に行ってらしたのですか?」
不機嫌そうに問う。
理不尽で矛盾してはいたが、エリンはナフィルの給仕であった。
立場はやはりわきまえねばならないと、態度にはわずかながらも表れていた。
「これからの算段をつけてきたのよ」
そう言って、当面の生活資金だと、エリンが1年かかっても稼げないほどのお金を机に置いた。
それも驚くことだが、ナフィルはエリンをもっと驚かせるような発言を続けた。
「数日中にお城に出向くから、明日家を探しましょ」
余りの手際の良さに目を瞬かせてナフィルを見る。
そして、それに対するエリンの感想は、
「そんなに慌てなくても本は逃げませんよ」
だった。
別に賞賛を得ようとしたわけでもないし、気の利いた感想を期待したわけでもなかったが、ナフィルはエリンの言葉を聞いてこれまで感じてなかった疲れを感じた。
これなら何も言われない方がマシだった。
「・・・お腹空いたから食事にしましょ。今日は朝から何も食べてないし・・・お腹、空いてない?」
「ここでじっとしてましたからね。でも、他の人の作った食事を食べる機会はまたしばらく無いでしょうから頂きます」
余計な部分に給仕としての自尊心らしきものが見受けられる。
にしても・・・。
「エリン、あなた、まさか1日ここで掃除してたわけじゃないでしょうね?」
その問いに目線が泳ぐ。
「自由を頂いたわけではないですからね」
その言い様にきつくなるナフィルの目に、エリンは不満そうに横目で答える。
「・・・もしかして、怒ってるのかしら」
「どうしてそう思われるんです?」
ささやかにやり返し、こんなことで立場を逆転させてみても、むなしさしか残らないのを知っている。
でも、ナフィルにとっての特別でいたいと、心の闇が陰湿に求めているようだった。
「さ、食事にしましょう!」
それを悟られまいと、エリンはわざと笑顔で弾むように答えた。
宿の食堂は一般の酒場兼用のとは仕切られ、その喧騒さは夏の虫の音のように静かに部屋を満たす。
5卓ほどしかないが、今居るのは2人だけ。
食卓には芸の無いありきたりの食事が並ぶ。
それに対してではないため息を二人はついて、どちらともなしに食事に手をつけ始めた。
「それで、あのお金どうしたんですか?」
「・・・いくつか装飾品を売ったのよ」
少し投げやりな答え方。
魔術師然とした冷静な風を装いながら、余り年齢に違いが無いからなのか、エリンには実に簡単に素をさらけ出してしまう。
優位に立つなどと言った子供染みたことなんて考えてやしないのに、エリンが一枚上手なのか、時々自分が魔術師だと意識していることを忘れされられてしまうのにいらつく時がある。
「えっ!? まさかあれ、売っちゃったんですか?」
青い水晶の中に燃えるような赤い輝きを秘めたとても神秘的な宝石を、エリンは何故か気に入っていた。
「あれは貴重なものだし、私にはまだ必要だから売らない。王国期の装飾品は、魔法が込められていなくても美術品としては価値があるのよ。今はもう、人里離れた遺跡にでも行かないと手に入らないから」
普通ではない会話をエリンは平然と聞く。
当初、ナフィルは良く判らないから聞き流していると思っていたが、エリンは疑いも驚きもなく、ナフィルの話を素直に信じているようである。
「それにしても額が・・・・・・一体どれだけ大きな家を買うつもりなんですか?」
ナフィルは少し困った顔をした。
「私もまさかそんなになるとは思わなかったのよ。どのみち家の相場なんて判らないし、あれば良いかなって・・・」
ナフィルは以前から、多少みすぼらしくても1軒屋であること以外、部屋数にもこだわってこなかった。
元々身分を隠しているような存在なので、必要でもないものにこだわりは無い。
格好でさえ、魔術師だから、ではなく、魔術師として必要という理由でしているほどで、余り着はしないが普段着はそこいらの娘が着ているものと寸分の差も無い。
魔術師であれば上流階級であっても不思議ではなかったが、こうした常識外れ的なところは好ましいところだ。
「物騒ですからね。管理が大変です」
呆れつつも、それには触れずに話を逸らした。
「でも、そのおかげでお城に行けることになったわよ」
ごくんと、エリンは咀嚼し切らないまま飲み下す。
「お城にですか? え? だって昨日着いたばかりですよ?」
にやりと、得意げにナフィルは不敵な笑みを浮かべた。
「そんなわけだから明日は色々と忙しいわよ。今日はさっさと寝なさい」
エリンは、妙な胸騒ぎを覚えつつ、取りあえず明日から暇を持て余すことは無いようだと安堵していた。
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宿に泊まった翌日、ナフィルは朝食もそこそこに宿を出た。
ちょっと出てくると、簡単に言い残したのには全く理由は無い。
と言うよりも、エリンのことを気遣うだけの、余裕が全く無かったのである。
向かったのは街の商工会議所。
これまで、ナフィルは領主の元に直接赴いてまともに話を聞いて貰えたためしが無かった。
ナフィル自身も当然だと思うが、年若い女性が魔術に詳しいと言ったところで、まず間違い無く不審に思う。
自分自身でそう思うのだから、他人が、しかも興味以前の問題として不審者を警戒する支配者や権力者と呼ばれる輩が、そんな人間を招き入れるはずが無かった。
ナフィルは、魔術師が受ける反応には2つあって、それが「恐怖」と「興味」であると教わった。
しかし、師であるアルジオは、国王や領主と言った貴族などの権力者からは、それに加えてもう1つの反応があると言っていた。
それが「警戒」である。
王国の魔術師は、再び魔法王国の復興や支配者としての地位を復活させようとたくらんでいる。
荒唐無稽・・・・・・とは、魔術師であればなおのこと言えなかった。
であるからこそ、そうした権力の中枢に近づいてはならないと言っていた。
であるからこそ、アルジオ師は人里離れた荒野に一人住んでいたのではなかったか。
そう。
であるからこそ、ナフィルは師の教えに背いたのだ。
ナフィルが魔術師になるには、魔術師を警戒して古の知識を収蔵し、封印する国や領主に近づかなければならない。
それが一番の近道だった。
その目的が、世俗を求めることではないのだとしても。
であるから、自分が魔術師であることを証明して見せたところで、それを好意的に捉えてくれることの方がむしろ稀で、忌み嫌われるのが普通の反応だった。
最も、本当に知っているならば、取り立てられるか、はたまた捕らえられるか、されていることだろう。
魔術師がお伽噺でないことを知っている人間に、魅力的に、反面恐怖として映ることを、まだ見習いでしかないナフィルでさえ経験として既に知っていた。
ナフィルは考えた。
忌み嫌われるのは力としての魔法。
なら、知識としての魔法ならどうだろう?
もはや魔法が国や権力に影響することは無いと思う。
でも、王国期の宝物や遺跡には、まだ魔術師としての知識が必要である。
しかも、そうしたものは、往々にして王侯貴族が所有しているものである。
であるならば、骨董品や美術品を扱うところは、王城や貴族と関わりがある。
正面切って魔術師を名乗って乗り込んでも意味は無く、実質的にその能力を認めてくれる所を介した方が極めて無駄の無い合理的な方法だった。労せずして口利きをしてもらえると言う道理だ。
紹介してもらった1軒目は、ちょっとこだわりのあるナフィルでさえ興味を惹かれる不思議な魔法の込められた品物を何点か所有する古物商だったが、残念ながら直接王城との繋がりは無かった。
だが、王城に出入りしていると思われる紹介された美術商はまだあった。
港通りの入り口にある、人の出入りが激しい大きい店がロゼット商会である。
元々海上貿易で遠方の品物を取り扱っていたが、傍らで美術品や工芸品を扱っているうちに王城に出入りするようになったそうだ。
にぎわう店の中で店員らしき男に尋ねると、不思議そうな顔をしながら責任者を呼んでくれた。
「責任者と言ってもわししか居らんのだがね」
と、初老の男がにこやかな笑顔で応対した。
男はエドバンと名乗った。
ナフィルの第一印象は、油断のならない目をした男、だった。
もっとも、美術品は真贋や価値を見極めるのが難しく、このように油断のならない男でなければやってはいけないのかもしれない。
ともすれば商人と言うよりも武人と言う方が的確な言い方かもしれないな、とナフィルは思った。
まず、ナフィルは率直に城にある王国に関する古文書を閲覧したい旨を告げた。
その上で、魔術師というのを隠したまま、自分の容姿などの不利な部分を上げて、仲介役を頼んだ。
もちろん、売り込みは魔法の品を見極められることである。
エドバンは、にこやかさと真剣さの割合を逆転させ、
「それが本当なら素晴らしいことだ。私としてもそうした方を待ち望んでおったのです」
と少し大げさに称えて見せた。
それが本心からで無いのはすぐ判った。
それでも、商人というものは「本物」と判れば認めてくれる。
それが打算的なものであっても、ナフィルは真実や誠意以上に、そうした思惑のようなものの方が時に有効であると理解していた。
これも心の痛みから来る感傷めいたものではあったが。
それはともかく、証明するのは難しくない。
魔法の品と思われるものを鑑定すれば良いだけの事だ。
ナフィルは生来の魔術師ではないため魔力の感知でさえ多少の労力を伴うが、最近はそれも難しくなくなった。
基本中の基本だと、まだ叱られる程度ではあるが、取りあえず一々言葉で問い掛ける必要がないだけマシと言える。
だが、エドバンが示したものは、王国期の品物ではあったが魔法品ではなかった。
次の品物も、魔法品ではなかった。
もしかして、疑われる以前に適当にあしらわられているのではないか、と思った。
それが表情に出たらしい。
「わしも余り魔法の品というものが良く判らんでな。では、倉庫に案内しましょう。見つけてもらうほうが早い」
すっかり社交的な笑みを無くして、ナフィルは真剣な面持ちのまま後について店の奥へと入る。
通りすぎる何人かが、不思議そうにナフィルを見ている。
それを、ナフィルは物珍しいのだろうと思った。
エドバンは裏戸から外に出て、店の裏手にある小さい・・・・・・それは、倉庫と呼ぶよりも宝物庫と呼ぶにふさわしい堅牢なものだったが、そこへと向かった。
入り口には、険しい顔をした完全武装の兵士が2人。
思わず、ナフィルはその威容に気圧されてつばを飲みこむ。
「中に入るよ」
エドバンは、全く威厳らしきものを感じさせない着易さで、恐らく易々とは許されない用件を伝えた。
だが、兵士は、脇に避けると敬礼をして扉をさらけ出した。
ナフィルが居ることも、その姿にさえも、全く動じる様子が見られなかった。
ナフィルの方が気遣わしげに、エドバンがその重厚な扉と言うよりも門を開けた後について中へと入った。
真っ先に、王国期の物と思われる意匠を凝らした全身鎧が3体、誇らしげに飾られていた。
それは間違い無く魔法の鎧で、ナフィルでさえ見たことが無い立派なものだった。
「・・・凄い、立派なものですね」
それは確認ではなく、単なるナフィルの感想だった。
「中々のものでしょう?」
エドバンがナフィルの目利きに感心したように、少し誇らしげに自慢した。
「これは王国期の頃の魔法が込められた鎧のようですが、こんなに立派なのは初めて見ました」
どんな魔法なのかは窺い知れないが、よほどの大国の由緒ある貴族などでもない限り、これだけしっかりしたものは所有して無いだろう。
感心しきりに眺めるナフィルを、エドバンが興味深げに眺めている。
しかし一瞬、敵を狙うような殺気を、ナフィルは感じた。
「いや、驚きましたな。それが判ると言うことは本当にご存知のようだ」
エドバンは降参したような表現をして、笑顔で賞賛した。
「見た目以上にお年を召されているのかな? いや、失礼だが見かけは可愛らしい女の子で正直信じがたいものがありましたが、もう充分です」
どういう表情をして良いのか、ナフィルは中途半端な愛想笑いでそれを受ける。
エドバンの表情は、全く飾り気の無い楽しげな顔をしていた。
だが、ナフィルの方こそ、見た目以上にエドバンの方が不気味に感じられたのだ。
「宜しいでしょう。わしから直接国王陛下にお目通り願えるよう取り計らいましょう。それと、出来ればうちの宝物鑑定もしてもらえると嬉しいが・・・」
余りの急展開に戸惑う。
しかし、乾季に雨を欲するが如く、得られる機会は逃したくなかった。
「助かります。鑑定の方は、実は既に他で頼まれてしまっていますが、その後でも宜しければ・・・」
今回は良い方向に話が進んだので、ナフィル自身の予想すら外れて、この街に着いてこんなにも早く、城に入りおおせたのである。
こうも簡単に目通りが叶うなら苦労が無くて良いなぁと、ナフィルは心底そう思う。
その反面、自分の思いの及ばぬものはあるのだという不快感にも、慣れなくてはならないと感じていた。
その後、多少気を楽にしたナフィルは倉庫の品物を見て歩いたが、結局この鎧ほど強力な魔法が込められたものは無かった。
いくつか、魔法の品の使い方を教えはしたが、それ以外のものは命令語などが判らないと使えないのである。
そして帰り際。
「あっ、それと1つお願いが・・・」
ナフィルは腰の小物入れからいくつか品物を取り出した。
自分と、そしてエリンの為に、やるべきことは多かった。
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「これは可愛らしい鑑定家ではないか。よもや見た目で雇ったのではなかろうな?」
嫌味と取るには激しすぎるような事を、国王は全く含みの無い微笑みをしてのたまった。
「とんでもございません」
初老のロゼット商会美術鑑定人エドバンは、その言葉にまともに応じるわけでもなく冷静に跳ね除けた。
美術品を生業とする商才の持ち主で、国王との付き合いも古いと聞く。
ナフィルは内心心配のし通しだったが、今更引き返すこともやり直すこともできない。
ここでは自分の出番は無い。
いくらか大人になったのかそう割り切れたが、これもこれまでの失敗による傷跡が疼くことによる自覚である。
背が低くて見た目も子供のようなナフィルは、いや実際には15・6にしか見えないのだが、それでも精一杯威厳を保とうと、滅多に着ない導師服を着て来た。
王国の魔術学院で使われていた女性用の導師服で、これを着ると気分的にも一層気が引き締まる。
謁見と言っても人数は少ない。
国王と衛士が二人。騎士らしき男。そして鋭い視線で睨む少女。
ナフィルの守護聖霊は少女を危険人物と認識している。
強く意識してナフィルを見ているからだが、もちろん心当たりは無かった。
「魔術に精通しているというが俄かに信じがたい。ま、エドバンが言うのだから全くの嘘でもないのだろう」
国王は、40を過ぎていると言うが、精悍な顔立ちをしていてともすれば実際よりも若く見える。
真剣さには程遠い弛緩した口調や表情といった態度で、ナフィルは国王の真意や人柄を計りかねていた。
国王とエドバンは、儀礼なのか社交なのかよく判らない差し障りの無い話題の応酬を繰り広げた後、エドバンが自分の役目は終わったとばかりに、後ろに控えるナフィルに振り返って前に出るように示した。
謁見に対するお礼を述べた後、名前を名乗ってからナフィルは、
「見た目では良く言われますが、成長が遅いので実際には19になります。魔法王国と魔術は14のときから学んでますので、ご信頼頂ける知識は持ち合わせていると思います」
と前もって決めてある「対外的な説明」をした。
年齢は事実だが、その年相応に成長してきた自覚は無い。
エリンよりも年上のように振舞って、だがその実適当にあしらわれている感がある。
「ほう? して、何が望みか?」
国王の質問は、さらりと核心に触れた気がした。
ナフィルは自然、杖を握る手にしっとりと汗をかいていた。
「各地に残る魔法王国時代の品物や古文書を訪ね歩いております。鑑定をするついでに見せて頂ければと思いまして・・・」
今まで言ってきたことなのに、初めて言うかのような緊張感があった。
鼓動が耳奥に響き、舌がもつれそうになる。
何だろう? 舞台に立って演技でもしているような錯覚。
何だろう? 例えるなら、道化でも演じているような感覚。
どこか文章を朗読するかのような、ナフィルの説明は終わった。
国王は全く表情を変えず、
「良かろう」
と呆気無く了承した。
少し驚いて、だが、周りの様子を見ると誰も驚いた様子も無く、これが日常風景なのだと気付いた。
「王国期の品物を見てもらえ。何や珍しいものもあるやも知れぬ。それと、今は文庫も何人も預かりせぬところ。誰か整理をさせねばと思っていたところでもある。アロルド、後を頼む。お主に預ける故、明日にでも報告せよ」
国王が、傍に控える騎士らしき男に話を振った。
そして、ふらりと立ち上がると、興味も失せたとばかりに玉座の後ろへと退いた。
衛士が続いて下がる。
しかし、心持ち表情を厳しくした少女は、変わらぬ視線でナフィルを凝視していた。
少女は豪勢と言うよりも優美と言う表現の似合うドレスで、剣帯に小剣を下げ、乗馬用の半長靴という変わったいでたちをしていた。
可愛らしい顔なのだろうが、今は勇ましさで武装している。
騎士と言うよりも、青年貴族と言った風貌の男が、人当たりのよさそうな笑みをして礼をした。
「私はアロルド・ブーゲンツと申します。城内におかれましては私がナフィル様の警護とご案内役を仰せつかりました由、以後宜しくお見知りおきのほどを」
「宜しくお願いします」
そう答えながらも、少女が気になってつい視界に彼女を置く。
ただの少女が謁見の間に臨席するはずが無く、想像しなくても王族ということは判る。
問題は、面識も無いのに、何故あれだけの敵対心をあらわにしているのかと言うことだ。
「早速ご案内致しましょうか?」
「そうですね。それが私の目的ですから」
なにやら居心地の悪さを感じて、答えにも身が入らない。
だが、アロルドと言う男は、それを知っていて敢えて触れないようにしているのか、先に立って部屋を出た。
謁見の間を出ると、衛士の他に、厳ついいかにも武人であると言った風貌の騎士が待っていた。
アロルドに礼をすると、脇に避けて、ナフィルとエドバンにも丁寧に礼をし、そして一緒に後からついてくる少女に、最敬礼をした。
この謁見の間は非公式用の小さいもので、同じ階に宝物庫などもあるらしい。
連れてこられた先は、表示も何も無い部屋で、鍵すら掛けられていない様だった。
「どうぞお入りください」
アロルドはためらうことなく扉を開けると、入るように促す。
ナフィルと、そして何故か相変わらず不機嫌そうにナフィルを睨みつける少女が入る。
部屋は、し切りも無い開けた空間で、壁に沿って四周に2段の棚があり、床には大きな物が適当に置かれている。
全体的に空虚さが漂う。
装飾が一切省かれた感じが、なんとなく違和感として感じるのだろうか。
棚には、いわゆる装飾品とか貴金属と言った類のものは無く、小箱や鏡、壷や器、そして皿などが飾られていた。
「ほうほう、やはり良いものをお持ちですな」
エドバンが可も無く不可も無いと言ったような感想を述べる。
ナフィルも棚に近づいて適当に見繕う。
しかし、確かに王国期のもののようだが時代特定は出来なかった。
鑑定にはその品物自体を「見る」必要があるが、その品物に関わるものを知る鑑定のメガネを、ナフィルは事故で失ってしまっていた。
魔力感知にも掛からなければ、古美術などは専門外だった。
ちょっと気が急く。
割と期待されているようではなかったが、それでも、自分の能力を示しておきたかった。
少し苛立つような雑念を生じ、ナフィルの顔から笑みと余裕が消える。
棚に並ぶ中に、少し気になる小箱があった。
それは魔法の品では無いようだったが、それに触れようと手を伸ばしたときだった。
「触らないで!」
ガラスが割れたかのような澄んだ声が部屋に響く。
触れようとしたナフィルの手が、火にでも触れたかのようにその声に反応して引っ込んだ。
驚いて声の主を見る。
それまで一言も発しなかった少女が、噛み付かんばかりの形相で睨みつけていた。
「イレーシャ様?」
アロルドも驚いて声を掛ける。
しかし、イレーシャは答えることなく、その小箱を手に取ると部屋を飛び出していった。
ナフィルとアロルドが顔を見合わせる。
訳がわからず目を丸くしているナフィルに、アロルドが苦笑して答えた。
「あれはイレーシャ姫の祖母様の形見なのですよ」
なるほどと納得しつつも、表情が晴れる事は無い。
結局、見せられたものの中に魔法の品は無かった。
あの小箱も、ただ、どうしてだが触れてみようと思ったことが、少し気に掛かったくらいのこと。
最も、宝物庫に眠るような品物がお目に掛かれるわけではなく、当然の結果だった。
ただ、それでは全く意味が無い。
ナフィルの思惑としてはこの城に眠る蔵書を閲覧出来れば良いのだが、その目的は予想外に達成されようとしていた。
だが、くすぶるような欲求不満が、ナフィルの中を蛇のように這いずり回る不快感となって、ナフィルの精神を苛んでいる。
「文庫へご案内しましょう」
アロルドの声が、温もりを持って雰囲気とナフィルの下がった温度を上げようとしたが、その目的は達せられなかった。
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城の1階に、古文書が収められた文庫がある。
エドバンを貴賓室に残して、衛士を連れたアロルドと共にそこまで降りてきた。
随分と奥まったところにあるそこは、人気の無い闇と静寂に包まれていた。
「余り人が訪れないので、かなり寂れてしまっています」
案内をしてくれたアロルドは、控えめな表現で文庫をそう評した。
鍵の掛けられた扉を開いて中を覗く。
確かに、部屋の中はカビと埃の匂いがする空気で満ちていた。
「昔は熱心に調べていた方が居りましたそうですけれど」
ナフィルが少し興味を引かれてアロルドの顔を見る。
「もう大分昔に亡くなられてしまわれたそうです」
申し訳なさそうに笑った。
僅かな期待が裏切られて、ナフィルの瞳の輝きが薄らいだ。
それは諦めにも似た倦怠感を感じさせ、アロルドは僅かに罪の意識を感じる。
「お気になられるようでしたら調べておきますがいかがなさいますか?」
期待していない素振りが隠し切れなかったが、
「そうですね。まぁ職務に差し障りの無い程度で・・・」
と社交辞令のような返答をした。
「それではお調べしておきます。それと、ご自由にされて良いとの事でしたのでこの部屋の鍵をお預けしておきます」
古めかしい青銅の鍵を渡される。
「ご案内して差し上げたいのですが、私もここには2・3度来たことがあるくらいでして、良く判らないのです。前に1度調べもののために訪れたことがあるのですが、本の名前は判るのですが探し出すのに3日間もかかりまして、整理されてはいないようでした」
ナフィルは、アロルドの説明を聞いて一瞬残念な顔をしたものの、少し思案するように顔をしかめた。
「ブーゲンツ卿、先ほどここで調べものをしていたという老人の方は、文庫の整理とかはされていないのですか?」
当然の疑問かと思われたが、アロルドは別に気にした風でもなく、
「そう言えばそうですね」
と言って愛想笑いをして終わらせられてしまった。
「少し中をご覧になりますか? その間に城を自由に出入りできるよう手続きをしてまいりますが。お疲れであれば謁見の待合所でお茶をおだししますのでお好きなほうを」
本当はすぐにでも文庫を見たいところではあったから、アロルドの薦めを表面上は平静を装って、
「それではそれまで少し中を拝見させていただきます」
と言いながらも、内心は大喜びで従って見せた。
アロルドは迎えにくることを告げて、自分で言うのも変ながら部屋にナフィルを一人残して立ち去った。
今日始めて城に来た人間を、しかも魔法王国を知ると言う少女を、こんなにあっさり信用してしまっているのだろうか?
何とはなしに、自分の意思でして来たものが、誰かの思惑に乗せられているかのような違和感があった。
何処からだろうか。ずっと、地に足がついていない、やわらかな雲の上のように不確かな感覚。
ナフィルは自分一人の行動や安全に対する認識の自覚はあったが、その周囲にまでは当然及ぶべくも無い。
衛士が、ナフィルの待遇を計りかねるような、そんな微妙な雰囲気を醸し出しつつも扉の横に立っている。
気にしたところでどうしようもないのだが、どうにも釈然としないまま、ナフィルはそのまま文庫の奥へと足を踏み入れた。
どういった採光なのか、この部屋は割と明るい。
さすがにランプが無いと読めはしないが、書名くらいなら問題はなさそうだ。
人一人がようやく通れる程度の隙間を開け、ナフィルの家よりも広い部屋を本棚が並ぶ。
当ても無く正面の通路に入る。
見た限りでは、ちっとも判らない本ばかりだった。
メガネをしてみても、文字は読めるが意味が判るわけではない。
しかもこれだけの量・・・。
30歩は軽く歩いただろうか。通路は本棚のある通路に行き着いた。
左手には壁が見える。
本棚に沿って右に向かって歩く。行き着いた先は本棚のある通路。
左右を見て、そしてナフィルは取りあえずため息をついた。
ともかく、かなりの本があることだけは判った。
ため息は、これからの苦労を含めた期待によるものだった。
感知能力を上げてみる。
魔術師としては能力の低いナフィルは、一々魔力を使わないと基本的なことも出来ない。
危険感知と敵意感知だけは守護聖霊の力を得られるが、それが無ければ全く普通の人間と大差ないことを知っていた。
何かを期待したわけではなかったが、それでもナフィルの感知に何かが引っ掛かる。
感じる方向に足を向けた。
左に折れ、行き着いた先を右に折れ、更に行き着いた先が右手に折れている。
その先に、少し開けた空間があった。
そこは、机とテーブルが置いてある閲覧が出来るように作られた場所だった。
使われておらず、人が滅多に訪れないだろうそこに、・・・・・・10歳くらいの小さな女の子がいた。
ナフィルが来たことに気がつかないのか、その女の子は本を繰っていた。
利発そうで少し気が強い感じのする細い目をしている顔立ちの整った可愛らしい女の子。
あまりにも似つかわしくなかったが、それは当然で、彼女は人間ではなかった。
無視と言うよりも非干渉といった感じで、彼女に衝動は感じられず、敵意も無いようだった。
こうした場所には死霊が住みつきやすいのだと、リシュエス師に聞いたことがある。
刺激をしないように、魔力の行使を抑えた。
「ナフィル様、お待たせ致しました」
その時、風のように澄んだ呼び掛けが聞こえた。
ナフィルはそこで思考を一旦切ると、アロルドを待たせないように戻ることにした。
これから毎日のように来るようになれば、異常も普通と変わり無いようになる。
その時の心情は冷めていて、とても澄んでいて落ち着いたものだった。
>5
迎えに現れたアロルドは、開口一番、ナフィル付きの近衛兵を用意する旨を告げた。
「護衛はいりません」
ナフィルの答えに、アロルドは特に驚いたりする素振りは見せなかった。
「そうは参りません。ナフィル様のお立場からすれば、城外でもお側に守り役を置かせて頂きたいのです」
大仰な言い様にナフィルは呆れたが、煩わしさからの拒絶に対して、アロルドは単に使命からの要望という風ではなかった。
まぁ監視なんだろうな、とナフィルは容易にそれを察したが、嫌味を言ってわざわざ心象を悪くする必要も無い。
「ブーゲンツ卿の役務でしたらすげなく断ることも出来ないけれど、せめて城外ではそっとしておいて欲しいんですけど」
やんわりと断りを入れると、アロルドは優しげに微笑んで、
「失礼ながらナフィル様、皆が全て役務にあると承知しているわけではありません。むしろ城外でこそ警護が必要だと思います」
と、少々気に触る発言をした。
それはナフィルに何事か起こることを予測したものだ。
何が起こると言うのだろう?
いずれにしても、ナフィルは自分が特別な扱いを受ける立場ではないことを示さなくてはいけない立場である。
「それなら、試してみます?」
意識して低い声でそう言うと、不敵な笑みをしてねめつけた。
「いや、失言でした。申し訳ございません」
アロルドは気分を害したのが判ったのか、すぐ謝罪したが、ナフィルはそれで納得はしなかった。
魔術師だとは名乗らなくても、魔術には詳しいのだと知られればある程度警戒心が生まれる。
それは人付き合いの煩わしさから逃れるのと同時に、得体の知れない力を使わないとも限らないという抑止力ともなる。
その意図をアロルドに明らかにする。
アロルドは不思議と信じられないというよりも悲しげな顔をして、ナフィルの言うことに異を唱えなかった。
それを聞いて承知はしたものの、
「ですが、女性に剣を向けるのは・・・」
と難色を示した。
だが、ナフィルはアロルドに確実に承知させるためには魔術の力を示すべきだと固執した。
そこで、文庫の側にある小さな中庭にアロルドを招く。
アロルドも少々面を食らいながらも同行した。
ナフィルの見せるコロコロと変わる表情に、アロルドは彼女の本質を計りかねて困惑していた。
「剣を抜いて構えてください」
対峙したナフィルにそう言われて、アロルドは首を振った。
「いえ、ナフィル様。やはり私には出来ません」
むっ、とナフィルは不機嫌そうに顔をしかめた。
「あなたも騎士なら判るでしょう?」
ナフィルは右手を開いてアロルドにかざす。
そしてゆっくりと近付いた。
その距離が、剣を振るう間合いまで近付いた時、アロルドは空気が少し重く感じられた。
ひゅっ、と風が顔を撫でるようにそよぐ。
その瞬間、背筋に悪寒のようなものが走って、敵と対峙したかのような敵対する意志のようなものを感じた。
アロルドは困った顔をしたまま小さく頷くと、ナフィルに少し離れるよう態度で示して、そして腰の細身の剣を引き抜いた。
「こちらに向けて構えてください」
ナフィルは満足そうにそう言うと、翻って小走りに少し間を取った。
「剣先をしっかりとこちらに向けてください。行きますよ?」
すっと小さく息を吸う。
ナフィルはそれまで見せたことが無い、生気に満ちた作り物ではない笑みをしていた。
それが見た目の年齢に実に似つかわしいものであったので、益々ナフィルに計り知れないものを感じてしまう。
「抑えよ」
古ベルジア語に似た古い言い回しの言葉をナフィルが言うと、突然手にする剣が地面に向かって弾かれた。
咄嗟に剣を引いて胸の前で構えようとするが、今度は左からそれをなぎ払われた。
気配が読めない。
後ろに身を引いて間合いを取ろうとする。
その時に間合いを計る意味合いで剣を右に振るった。
その剣は、予想外に目に見えぬ何かに当たった。
驚く。そして剣を引く。
その瞬間、護手に衝撃を感じて剣を手放してしまった。
呆気に取られて剣を、そしてナフィルを見たアロルドの顔を、かすかに風が撫でた。
「これで私に護衛がいらないと判ってもらえたでしょうか?」
ナフィルが少し得意げにそう言って、弾かれて地面にその身を横たえる剣に歩み寄った。
アロルドは自分の手を見つめて二度三度閉じたり開いたりして、そして一息吐いた。
軽い剣なのだが、ナフィルはそれを少し重そうに拾い上げると、柄をアロルドに向けて差し出した。
「ありがとうございます」
奇妙な返答だと思いつつ、感謝の意を示したアロルドにナフィルは微笑みかけた。
それは不敵なものであったが、先ほど見せたような妖しさは無くて、いたずらが成功した時に見せるような子供っぽいものであった。
>6
「魔術師と言うものは実在するのでしょうか?」
ナフィルを送り届けた事を報告に来たアロルドは、真意を探れずにそう問いかけた。
「貴公はどう思う?」
真意を見抜かれないためか、薄く笑ってはいたがその表情は窺い知れない。
「魔法王国は実在した。それを示すものは多く残されている。ならば、魔術師が滅び去ったなどと断言すべきではない。この世には、確かに魔術師と呼ばれている輩は居る」
自分が童話の主人公にでもなった錯覚を覚えながらも、事実として今、権力の中枢にいるという自覚を持って確認せねばならない自分がいる。
「もしそうであれば危険なのではないですか」
「どう危険なのだ?」
疑問に疑問で返す。
普段では考えられない含みのある会話に、気味の悪さと不快感が込み上げる。
黙ったままのアロルドを、さほど感慨も抱かずに見やる。
「もはや魔術師が国を治めたのは過去の話だ。今の世でそれが叶うことは無かろう。だが、その知識と力は、国を治めるのに役立たぬことはあるまい」
先程の件は伝えない方が良い。
そう考えたことには少なからず動揺した。自分の役目を逸脱してはいないだろうか? 、と。
だが、それが最善であろうと、アロルドの勘は言っている。
国王は一見怠惰を装っているように見えるが、その実非常に油断のならない人物だった。
幼い頃からの付き合いがあるからこそ感じ取れる部分で、しかし近くにいる人間でさえ、その本質を見抜くことは出来ないだろう。
アロルドは、この人物に、偶然などと言う理解の範疇を超えた不可解な力によって今の地位が転がり込んだなどとは思っていない。
国王は、自ら望んで、単に自分の器量に寄らず貪欲に今の地位を手に入れた。
前国王の娘婿と言う立場は、決して王座には近くない。
国王は話し過ぎたと思ったのか、決して真意を見せるようなことは無く、おどけたように破願して見せると、ナフィルのことを頼むと言って下がった。
アロルドも、今までの会話で篭った瘴気を払うように、
「承知しております」
と明朗に答えた。
庇護意欲と言うのだろうか、その答えだけは自信を持って答えられたのだ。
>7
翌日、城に訪れたナフィルに関しての警備室と衛兵に生じた騒動は、その僅かな時間に相反して当面の話題を提供した。
だが、ナフィルはそうした扱いには馴れとも諦めともつかない無関心さを装った。
これは儀式のようなもので、どこでもあったことだ。
わざわざ格式高い導師服を着て近寄り難いように見せてはいたが、平民出の兵士などからすれば、貴婦人よりも健康的で活発そうに見える動作や肢体、そしてしっかりとした意思のある力強い目は魅力的に映るようで、すぐさま評判になっていた。
もっとも、当人は想像を絶する文庫の様子に当惑するばかりで、ただただ余裕も無く整理と解読に掛からなくてはならなかった。
そうして3日ほど経った。
ここは昼間でも静けさが支配する。
しかも、めったに人が来ないため、ここに来るようになってから、自分以外の発する音を聞くことはほとんど無かった。
ナフィルの家よりも広かったが、集中していても微かな音も聞き逃さない。
なので、その扉の音を聞き逃すことは無かった。
さほど気が惹かれた訳では無かった。
だが、その音がしてしばらくしても、一向に姿を見せる気配は無い。
退出した様子も無く、また気配を消しているというわけでもなく、そこから動かないようだった。
仕方なく、ナフィルは席を立って通路に出る。
奥まったところに居たので、扉のある通路までわざわざ出て行ったのだ。
そこで見たのは、扉の前で厳しい表情のまま立ち尽くすイレーシャの姿だった。
その後ろには、恐縮というよりも、恐怖に耐えてかろうじて付き従っているといった態の侍女が、戸口から半身を覗かせている。
ナフィルはため息をついた。
「あなた、あの化粧箱に魔法がかかっているって言ってたわよね?」
突然の詰問調に、ナフィルはムッとして睨み返した。
「そんなこと、言ってはしないわ」
イレーシャは眉根にしわを寄せて表情を厳しくした。
「それならどうして触れようとしたの!? あの箱に、何かあるのでしょう?」
「・・・別に何も無いわよ」
答えようも無く、そう簡単に言い捨てた。
真っ直ぐに見るイレーシャに、何故か目を背けてしまう。
しばらくの間、文庫はそれまでと同じような静寂の中にあった。
「あなた、魔術師なんですってね」
そう、確かにイレーシャは言った。
ナフィルが驚いて顔を上げる。
イレーシャは酷く真面目な顔をして、相変わらず鋭い視線を投げかけている。
ブーゲンツ卿が言ったのだろうか?
無論口止めはしなかった。
そんなことを言ったところで、実際に目にしないことを信じる人などいなかったから。
「私が魔術師だとしたらどうなの?」
ナフィルは問い質すことはせず、ただ確認だけをした。
これも、今までに何度もしてきたこと。
そして、その答え次第では、相手を殺すことも厭わないと、そう心に決めた質問。
「この国を奪いに来たの?」
それは意表を付くには冗談が過ぎた。
「・・・なにを言っているの?」
イレーシャの表情は変わらない。
果敢に苦境に立ち向かう戦乙女のように、ただ何かに、必死に抗おうとしている。
彼女は何を怒っているのだろう?
何に、そんなに必死なのだろう?
私が、何かしたのだろうか?
「あなたがどう思っているか知らないけれど、この国は私たちの国よ。誰にも渡さない。あなたが魔術師だとしても」
そう断言したときの彼女には、決意よりも悲壮感があった。
>8
翌日、アロルドからの招待を受けた。
貴賓予備室で、もうお昼も間近いというのにお茶をいただく。
「先日お話したここで調べものをしていたと言う老人の件です」
忙しい身の上であるにもかかわらず、アロルドはすぐ調べてくれたらしい。
「オルバー・コルセウスという老人で、王室侍従長を勤められた方ですが、引退された後に文庫に篭って、建国時のことを調べていたそうです」
ナフィルは、少し奇妙な印象を受けた。
アロルドは客観的な報告という形でナフィルに伝えてくれているが、それがどうも事務的に過ぎる感じがする。
「2年近く調べていたそうです。ですが、ある時突然、それまで毎日のように来ていた文庫に姿を見せなくなり、間もなくして病死なさったようです。今から20年以上も前になります」
そこまで言ってお茶を口にする。
「残念ながら、判ったことはここまでで、具体的に何を調べていたのかは不明です。家族は奥様だけで、翌年にはお亡くなりになっていて、今は屋敷も人手に渡ってしまわれました。この話も当時の知り合いのご子息から聞いたもので、当人もそれ以上の詳しいことは憶えていないそうでして、余りお役に立てずに申し訳ございません」
アロルドはようやく血の通った温かみのある口調でそう言った。
どうしてだか少しほっとした。
「いえ、私とは余り関わりのあるようでも無いですからお気になさらずとも結構です」
表面上、気を使ってそうは言ったが、アロルドの反応はとても気になった。
それでも、それよりはまず当面解決しておかなくてはならない方を優先することにした。
「それより、差し支えなければイレーシャ姫様の事をお聞きしたいのですが」
アロルドは苦笑した。
「姫様がまた何かご迷惑をおかけしましたか?」
その一言で、彼女が色々とやらかしているらしいことが判った。
「彼女なりに考えて、一生懸命なのです。これから話すことは他言無用に願います」
アロルドの笑顔が消え、鎮痛と称するような真面目な顔になった。
「姫様には姉君が居られまして、アヌエット様と言いますが、国王はアヌエット様と、ご婚約されておられる近衛騎士との並列で、次期国王にと願っておられます。ですが、少々言い難い事ながら、姉姫様はあまり自分のお立場を理解されていないように見受けられます」
ナフィルは顔をしかめた。
それは話題が極めて重要で深刻なことに対してではなく、自分が既にそう言ったことに巻き込まれていることに対しての不快感からだった。
「この国では、恥ずかしながら望まれての王位継承が中々行われておりません。それは、まあ昔からある禍根のようなものでして、それが原因で常に権力争いのようなものが起きています。これはナフィル様にも言えることですが、そうした力関係がこの城の中にはありまして、人は常に何れに属するかを定められてしまうのです」
それまで割とはっきりとしていた口調が、妙なところで言葉を濁した。
アロルドはその辺りを敢えて明確にはしたくないようだった。
それはともかくとして、
「と言うことは私は国王派という事でしょうか?」
ナフィルは自分の立場を確認してみた。
それに対して、アロルドは一層厳しい顔をした。
「少なくとも、現国王に属する人間と見られているのは間違い無いでしょう」
少々歯切れの悪い言い方だが、その答えにナフィルは嘆息せざるを得ない。
「そう言ったことで、イレーシャ姫は、あまり王位を継ぐという意識の無い姉姫をお守りするために、ああして武具を身に着けておいでなのです。それは、周りに対してだけでなく、姉君に対しても、そしてご自身に対しても、そうしていることを知らしめようとしているのでしょう」
アロルドの顔と口調が、悲しげに曇る。
ナフィルは呆れるのを通り越して悲しかった。
ナフィルよりも年下なのに、彼女は、ナフィルのように中途半端に力などあるものだから、その望みを叶えようと足掻いているのだ。
しかも、ナフィルはそれが自分のためだと判っているのに、彼女は、この国の為に、しかも簒奪という歴史で積みあがってきたこの国の歴史に対抗して、ようやく得た僅かな権力を守らんとして、一生懸命なのだ。
アロルドはそのことを知っていた。
「私も、この場に、この地位に居りますのは自分が望んでのことではありません。ナフィル様が承知なさる必要はございませんが、この国の歴史は、少なくとも人が死ぬことなど厭わない悪しき感情によって動かされてきたのです。そして、それは今も、誰かの思惑によって、良くも悪くもなっております。そうしたことに巻き込まれないとも限りませんので、どうか発言や行動にはご自重を願います」
それは、アロルドの全く個人的な願いだった。
だが、既に充分巻き込まれているとも言えた。
勝手な言い分だとも思うが、しかしナフィルが自ら望んでここにいることに違いは無い。
「ブーゲンツ卿、あなたはどうして私にそこまで親切なのでしょうか? 私のことを信じておられるのでしょうか?」
アロルドは少し困ったような顔をしてから、そのまま笑顔を作ろうとした。
「ナフィル様が常に威厳を保ち、警戒心を持って必死に頑張っておられるのを私は知っています。純真で、素直で、でも虚勢を張られて苦悩されていることも。イレーシャ姫に良く似ておいでなのです」
「うっ、そんなつもりでは、ないです」
ナフィルは顔を赤らめて、はにかみながら困ったように顔を俯かせた。
こんな少女が何かを企んでいるようには思われない。
ナフィルは間違い無く魔術師だろう。だが、それがどうしても着慣れぬ服を身に纏っているような感は否めない。
戦場で血と泥にまみれ、宮廷で権謀術策に明け暮れているアロルドには、ナフィルの虚勢が清々しいほどに可愛らしいものに感じられた。
「イレーシャ姫にお伝え下さい」
ナフィルが少し言い辛そうに切り出した。
「私は誤解されているようです。理解して欲しいとは望みませんが、敵対するものではないことを知っていただきたいと」
相変わらず紅潮した顔のまま、それでも居を正してそう言った。
>9
コンコン、と控えめな扉を叩く音がした。
ナフィルが見ていた本から顔を上げる。
余り人が訪れないと言われていた割には来訪が多いなと思うが、その原因が自分にあれば苦情を訴えるわけにはいかなかった。
「ナフィル様はいらっしゃいますでしょうか?」
この静寂にさえかき消されそうなほどの声がした。
ナフィルは小さな腰掛けから立ち上がった。
その声には聞き覚えがあった。
「今行くからそこで待ってて」
ひっ、と息を呑む声がした。
驚かせてしまったのだろう。
少し罪悪感を感じるが、恐らくはあのお姫様の命令で嫌々来させられたに違いない。
迷路状に立ち並ぶ本棚の奥まった所から歩み寄る。
その時間が意図せず彼女に緊張を強いたのには違いなかった。
ナフィルが彼女を見止めたときには、顔は今にも泣き出しそうで、前掛けを強く握って両肩を怒り肩のように強張らせていた。
ナフィルが絶え切れず顔を背けるようにして吹き出す。
姫よりも年下というその侍女があまりにも可愛らしいのだ。
最近はエリンも可愛らしさが抜け切って、どちらかと言うと保護者のような立場になっていたから新鮮味もあったのだろう。
ナフィルの様子を見て、その少女は益々泣きそうな顔をした。
「ごめんね。そんなに怖がらなくても大丈夫よ。何を言われたのか知らないけど、私は身を守る力しかない落ちこぼれだから」
しゃがみこんで下から少女を見上げると、困惑したようにうろたえて、
「すいません。私怖がりだからいつも姫様に怒られるくらいで、だから、あの、すいません」
と言って泣き出してしまった。
結局、落ち着かせて用件を聞くのにナフィルは尽力する羽目になるのだが、久しぶりにこれほど楽しくて気持ちが安らいだのには感謝すらしてしまった。
取り繕ったり探り合うようなことは、ナフィルには精神的にも負担が重いのだ。
だが、用件の方は余り喜ばしいものではない。
イレーシャ姫の招請は、対応を間違えるとこの城でのナフィルの立場が危うい。
メールと言うその少女はナフィルを連れてくるように言われていて、ナフィルはすぐさま後片付けをして行かなくてはならなかった。
あたふたという態のメールの後について歩くと、通りすぎる人達から微笑ましげな顔をされる。
姫とこの侍女は、この城の中では割と好意的に思われているようだった。
それが一見平穏に見えるが、それが表面的に過ぎないと言うことを確信させられたのは、イレーシャ姫の私室に案内された時だった。
第一印象は「簡素」だった。
飾り気と言うものを極力排除した部屋は、この年齢の少女には似つかわしくなかった。
特別にしつらえた調度品というものは無く、兵舎で使われていても不思議の無い実用本意のものだった。
身だしなみに使うだろう家具や化粧品が性別の違いを示すのみで、大きめに飾られた花篭が少し浮いて見えさえした。
イレーシャはいつもと変わらぬ厳しい顔をして、腕組みをして待ち構えていた。
が、その視線はナフィルではなく、隣でナフィルに隠れるように恐縮して立つメールに向けられていた。
「メィルの粗相は、後でしっかりとお仕置きします。すぐにお茶の用意をなさい」
恐らく、早く連れてくるように言われていたのだろう。
ナフィルは一瞬、助けようかとも思ったが、イレーシャはすぐさまナフィルに対象を移してきたから、ナフィルとしてはその決戦場に臨まなくてはならなくなった。
絶望のあまり泣き出しそうなメールをよそに、二人は何処からか用意されたと思われる不釣合いな豪華な椅子に、カップを2つ並べたらそれで一杯の小さなテーブルを挟んで座った。
「あなたはどうして魔術師になったの?」
話し掛ける間もなく、突然そう問い掛けられた。
ナフィルは問い質す気も無くなって、怒るよりも呆れてため息をつく。
「私は師の志を継いだだけです。たまたま魔術師だったから、私も魔術師になっただけのことです」
イレーシャの眉根が少し緩んだ。
「私も、生まれたら第二王女だった、それだけ」
イレーシャはわざと感慨を含ませないように、吐き捨てるようにそう言い切った。
「アロルドは随分とあなたを気に掛けている様だけれど、私はそんなに簡単には信じないわ。見た目や言葉だけで信じて、それが国を損なってきたのを知っているから」
メールがイレーシャの言葉にかき消されるように、
「失礼します」
と言ってカップを置くと、逃げるように部屋を出ていった。
それを待って、ナフィルは口を開いた。
「口で信じて欲しいと言っても、それが無理なことは私も知っています。なにせ、この見た目や年で、魔術師だ何て言っても誰も信じてはくれないですから」
「では、どうやって私に信じさせるのかしら?」
イレーシャの問いに、実はナフィルは答えを用意していなかった。
魔法を見せたところで、それが信用される根拠にはならない。
何か無いものかと部屋を見渡すが、この部屋にはいっそ潔いと言うくらいに物が無かった。
だが、ナフィルは、それがあったことに感謝した。
「あの小箱を見せてもらって良いですか?」
イレーシャはそれを一瞬躊躇し、
「壊したり傷つけたりしないように」
わざわざ注意をして、渋々といった感じで許した。
事前の感知で、これには魔法が掛かっていないのは判る。
それでもナフィルに気を惹かせるのは、恐らく魔法に近いほどの意思や念が込められたものだからに違いない。
ナフィルの師、リシュエスは王国期の死霊術師であり、魔力に近い性質を持つ魂は、稀に強い思いが魔法と同じ働きを起こすと言っていた。
いわゆる霊視と言うものは、魂に触れることが出来るほどの魔術師、それは死霊術師と冠されるほどの魔術師のみが許される技だ。
ナフィルはリシュエスの魂と、そして「全き神聖」の強力な魂への干渉によって、感じることは出来た。
しかし、それはもちろん結果的に得られたものに過ぎず、目があるから物が見えるのと何ら変わらない。
小箱に、そっと触れてみる。
小箱に込められた思いは、柔らかくて暖かい慈しみと、柔らかくて冷ややかな憂い、だった。
「私には大した力は無いから詳しくは判らないけれど、この小箱の持ち主は、この箱をとても大切にしていたようです。それと、自分ではどうしようもない何かを悲しんでいる・・・ふぅ」
魔力への干渉自体が一苦労のナフィルにとって、残された感情から読み取るのは容易ではない。
魔法品の鑑定は、純粋な魔力による力と方向性によるので、人間の感情から鑑定することはもっと魂への干渉を必要とする。
「ごめんなさい。私にはその位しか判らないの」
もっと強ければ判ったかもしれない。
だが、ここに込められているものはかなり薄かった。
イレーシャは明らかに落胆した様子で、
「そう」
と小さく呟いた後、
「別に期待してはいなかったけど」
と高飛車に言い放った。
ナフィルはその言い方に腹は立たなかった。
イレーシャが虚勢からそう言っているのは判っていた。
そして、自分の力の無さが彼女にそうさせていることを知っていた。
誰にも関わらないと、そういう意気込みでナフィルは人を捨て魔術師になることを志したはずだった。
でも、やはり何処かで人と関わり、そして人の為になりたいと、そう思っているのだろうか。
「おばあ様は、兄王様を守るために剣を常に携えて戦っていた人でした。王妃の裏切りで兄王様が亡くなった後も、おばあ様は必死に貴族間の分裂を防ぎ、謀殺を恐れるおじい様を守り助けて、父君が無事戴冠するまで、それこそ心休まる日は無かったことでしょう」
イレーシャは小箱を大事そうに手に取った。
「この小箱はこの国が出来た時、この地方を滅ぼそうとした魔術師を倒した戦士が記念に持ちかえったものです。その魔術師が滅ぼそうとするための鍵と呼ばれるものが入っていたと言われていますが、そのときに団結して戦った戦士たちの融和や友情の証でもあるのです」
そこまで言って、イレーシャは突然顔を赤らめて、再び厳しい顔をして立ちあがった。
そのまま窓際に歩いていく。
柄にでもないことを言った恥ずかしさなのだろうか。
ナフィルには良く判らなかったが、守護聖霊に依らずとも、先程までの敵対的な意志は無いことだけは判った。
大した力にはなれなかったが、それでも、刺々しさが消えたのなら目的は達したと言って良いだろう。
早く帰るとエリンに言ってしまったため、ナフィルは今までの話題を避け、メールの嘆願だけをして早々に辞去した。
帰り際に見たイレーシャの表情は、これまでに見たことの無い穏やかさで、ナフィルは少し後ろ髪を引かれる思いがした。
>10
未だ立ち場が明確でないナフィルは、自身も望んでのことであったが、公式の場には出てこなかった。
魔術師であること。そして、見た目が少女であること。
気持ち的にも、見た目的にも、ナフィルは自分が表に出れる立場で無いと判っていたからだ。
だが、アロルドは何人かには紹介しないわけにはいかないと、出席を強く勧めてきた。
そこには、貴族間における色々な力が影響していることを、アロルドの上手くも無いはぐらかし方から容易に察せられた。
先日紹介されたアロルドの叔父は、ナフィルのことなど無視をして、自分の持ちかけた縁談を破棄したことを叱った。
あからさまにナフィルを人気取りの道具扱いとして見る貴族もいた。
そんな辟易とする儀式を、ここ一月の間に何度しただろうか。
ナフィルは、相手よりもその時々のアロルドの応対を見て、どう言う立場の相手なのかを想像するという紛らわし方をして乗り切っていた。
その日も、反国王派と思われる侯爵のとげとげしい反応を見て、アロルドの微妙な立場に同情をしつつ果物のジュースで一息を着けていた。
馴染めないところだ。
着衣も、食事も、取れれば良い主義のナフィルにとっては、ここでこうして無駄に過ごすよりも、文庫に閉じこもって目的を達っすることの方が大事だと思う。
自然、この場に居ながら、ナフィルは何処か遠くの景色を見ているように、広いホールの異生物たちを眺めていた。
そんな視界の中に、ナフィルは気になる人物を見かけた。
少し神経質そうな、肉付きの薄い痩せた青年貴族である。
佩いている剣に魔力が込められている。
それは中々見られないことだった。
残念なことに、鑑定のメガネは壊れてしまったので効果のほどは知れないが、感知能力の低いナフィルでさえ判るのだから大した物なのだろう。
周囲のものに興味が無いナフィルは、それをしげしげと眺める。
その当人もさすがに気がついて、会話をしている人の輪を断って、ナフィルに近付いてきた。
「あなたが最近文庫預かりとなられたナフィル殿なのでしょうか?」
「そうです」
ナフィルは意図的に声を作って答える。
「中々良い剣をお持ちですね」
「ほう、良くお分かりですね」
そう言って、細身の意匠を凝らした長剣を手にした。
「ご覧になられますか?」
そう問われて、ナフィルは少し逡巡した後、
「武具は余り詳しくないので」
と言って断った。
「それでしたら一度我が館においでになると良いでしょう。フーレ家は建国の忠臣にて、古い文献も多く収蔵しております」
魔法の剣を持つ建国の忠臣。
王国貴族の末裔だろうか。
「そうですね。面白いものが見受けられれば良いのですけど」
青年はほほが少し釣りあがったように薄く笑った。
「申し遅れました。私はオルゲンス・フーレと申します。以後お見知りお気のほどを」
その名は、反国王派に与する、フーレ伯爵の当主の名だった。
>11
フーレ伯爵家へは、王城を出ると、ナフィルの家のある高級住宅地ではなく、郊外に向かう反対方向へと進む。
領地に住まず、王都に居を構える大貴族が、広大で周囲が地平線で囲まれる一区画を邸宅としている地域。
案内などはほとんど無く、ナフィルは迎えの馬車の中で、これは一度来ても自力では来られないなと思った。
「お招き頂きましてありがとうございます」
「良くいらっしゃいました」
出迎えたオルゲンスは普段着で、気兼ねしないよう配慮してくれているのが判った。
所蔵する本に用があるのを承知していて、それ以外の思惑を感じさせないという気遣いなのだろう。
まずはお茶の誘いを受け、その後に外出すると言うオルゲンスは、ナフィルに夕食をどうするか確認してから、
「誰にも邪魔はせぬように言っておきましたからごゆっくり」
と言って出掛けていった。
ナフィルには年恰好の近い侍女が付けられ、本当に望むがままに書斎で放って置かれたのだ。
思いがけないその扱いに、身構えるかのような緊張感は幾分肩透かしを食った感がある。
取りあえず、当初からの目的である本の閲覧をすることにした。
書斎は本棚が2つあるだけのささやかなもので、想像していたものよりも随分小さな部屋だった。
「ここは当主様だけがお使いになられるもので、オルゲンス様はいつもは自室をお使いになられております」
侍女がそう言うように、所蔵されている本は多くが建国以降の物だった。
王国末期の本や、書かれた文字からその前後のものと思われるものもあったが、それらは歴史の言わば証明書のようなもので、ナフィルにとって得るべきものは何も無かった。
その中に、興味が惹かれるいくつかの事実がある。
一つ目は、アロルドやイレーシャが時々口の端に上らせる王位継承の混乱の元となった建国時の混乱について。
単に事実だけが書かれているのであれば疑いようも無いのに、イレーシャ姫はそれが意図的に歪められているかのように言っていた。
それを暗示するかのように、時期や順序が食い違う、あるいは場所や相手を取り違えているものすらあった。
事実と確認するには、その時期の記述があまりにも多いのでナフィルには精査できない。
だが、それが国内の貴族の勢力に何らかの影響を与えているのはわかった。
それは陰のようであり、あるいは亡霊のようでもあって、酷く精神を退廃させる毒のもののように思えた。
もう1つある。
フーレ家は、ナフィルの予想では下級貴族だと思っていたのに、実際はそうではないらしかった。
建国時の記述に混乱は見られても、そこに出てくる人物は大体共通していた。
その中に、確かにフーレを名乗る人物も居たが、王国末期の記述には全く見られなかった。
魔法騎士、あるいは戦士としても、あの剣が伝わっているほどであれば名があっても不思議は無いが、主要な人物の中には見受けられない。
ナフィルの勝手な予想だが、恐らくは魔法の武具を授けられた人間の一人だったのではないか。
その人物がどういった経緯で授けられたのか。
また、建国の混乱時にどのような役割を果たしたのか。
オルゲンスに聞いたところでは、王国期にこの地方の領主である魔術師に賜ったが、王国滅亡時に人間の側になって戦ったのだと言う。
しかし、その当たりがどうにも良く判らない。
王国期、この辺りは辺境と呼ばれ、領主はフューリアに連なる召喚術師らによって交代で務められてきた。
だが、王国末期と、そして滅亡時の混乱には、事実と思われるものの記述は少なく、推察や伝聞によるものがほとんど。
建国後に書かれたものは大抵が自分たちの都合の良い様に書かれているので、余り信用がならないと、アルジオ師も言っていた。
ただ、あの剣についてだけは、はっきりとした記述がある。
あの剣は、いわゆる「魂喰らい」であった。
剣で斬りつけた時、肉体だけでなく、魂にも傷を負わせる。
魂の傷は簡単には癒せず、魔術師であっても致命傷になることがあった。
召喚術師が主に異世界の住人と接触することから、それに対するものとして持ち込まれた5振りの剣の1つのようである。
ただ、剣である以上限界もあって、魔法戦士であればその脅威は計り知れなかったが、ただの人間が持つ以上はそれほどの威力があるわけではない。
ちなみに、ロゼット商会で見かけた魔法鎧はこれらの剣とセットのようであるが、記述だけなのでナフィルには全く判別がつかない。
魔法騎士用の装具のようにも思われて、その辺りの詳細も、やはり謎のままだった。
結局、お昼を挟んで1日中ずっと書斎に篭っていた事になった。
「何か得るものがありましたでしょうか?」
オルゲンスは、当初思っていたほど執着するような性格ではなく、本を見に来たナフィルに対してはそれを妨げないような心遣いが出来る人物だった。
少女愛好癖があって、何処からか気をつけるようにも忠告されてはいたが、・・・・・・取りあえず身の危険を感じることは無かった。
思えば、アロルドの前任者として、国を代表する賓客担当の警護役であったわけで、その点からすればナフィルの警戒感は少し薄らいでいた。
「そうですね。古いものを中心に見てみたのですが、私にもまだ良く判らないものもあって、お城の文庫で調べて見ようと思います」
そうですか、と少し残念そうに言う。
「もし宜しければまたおいで下さい。ナフィル殿に使って頂けるのならあの本も本望でしょう」
夕食後、送る前に馬車の支度が出来るまで晩酌の相手を勤めた。
もちろんお酒は付き合わなかったが、ナフィルが華美には疎いということで、折角の容姿を埋もれさせるなんてもったいないと、恐らくはそうした意思は無いのだろうが、熱心に口説かれた。
どうも可愛らしいものが好きなようで、実は興味が無いわけではなかったが、誤解や今後の煩わしさを考えると興味が無いように装うしかなかった。
そうして、ナフィル自身、その意識は無くなってはいなかったがかなり薄らいでいたのだろう。
帰り際、オルゲンスは突然、
「ブーゲンツ家とは因縁がありましてね。もし、何か不都合があれば遠慮無くおっしゃって下さい」
と、人が変わったかのようにそう言った。
そこには、今日受けた印象にはそぐわないオルゲンスがいた。
>12
イレーシャとの一件から1週間ほど過ぎた頃、突然アロルドの訪問を受けた。
「王国顧問、ですか?」
アロルドは真面目な顔をしてはいたが、心なしか困り顔のように見えた。
「はい。ナフィル様のご意向はお伝えしたのですが、文庫掛という待遇では不都合も多かろうとの国王の仰せでして」
どういう訳か、二人とも似たような顔をして見合わせた。
「お断りをして下さい。私にはとてもそのような重職は勤まりません」
大臣や諸侯の了解を得ていないのを承知しているアロルドは、ナフィルの答えも承知していたから食い下がったりはしなかった。
「判りました。私からもう一度お伝えしておきます」
そう言って、急ぎますからと失礼を詫びて立ち去った。
何やら、窺い知れないところで芳しくない動きがあるようだと、少し余裕の無いアロルドを見てそう思った。
思ったが、それは取りも直さずナフィル自身にも通じる。
あんまりのほほんと本も読んではいられないようである。
とは言え、文庫は全く整理されておらず、必要なものを手にするのには非常に手間がかかりそうだった。
しかも、難解な文字や記述が多く、解読用の魔法のメガネだけでは全く要領を得ない。
アロルドは、以前熱心にこの文庫で調べものをしていたというオルバー・コルセウスという老人の話をしてくれた。
だが、ここ一月にもなろうというのに、それらしい痕跡が見当たらない。
一体何を調べていたのだろう。
一区画を限定して、それらしい本を数冊、閲覧用のテーブルに積んで見ている時だった。
リンッ、と鈴の音がした。
読んでいた本から顔を上げる。
鈴の音は、この文庫への侵入者を示していた。
一応身の危険を防ぐため、つい2日前に付けたばかりなのだ。
本当なら誰が入ったのかが判る結界が望ましいが、ナフィルにはそれだけの技量が無かった。
昼間でも、ここを訪れるものは皆無に等しい。
考えられるのはあのお姫様ぐらいだったが、この侵入者は気配を絶つ術を身につけているようだった。
問い掛けられるでもなく、また普通に存在感を示すでもなく、その侵入者は音も無くナフィルのいる、奥まったところにある閲覧用のテーブルのある開けた場所に姿を見せた。
その男は兵士の格好をしていた。
血色の悪い若い男だ。
しかし、その男が兵士でないことくらい、ナフィルにはすぐに判った。
その鋭い目が、目的と、それを遂行する決意を示していた。
暗殺者と言うほど熟練者ではないだろうが、ナフィルに対する刺客には違いなかった。
男は、ナフィルを見止めるとその反応には興味が無いとばかりに、短剣をひらめかせてまっすぐに向かってきた。
お互いに説得を試みる気は無い。
また、何かを訊ねる気も無い。
ナフィルは、守護聖霊に命令を下す。
男は突然、不意の攻撃を受けて殴り倒された。
驚いた様子だったが、だがすぐに立ち上がって向かって来ようとする。
そこを、先程とは反対側から衝撃を受け、苦悶のうめきをあげて倒された。
後は、ただ目に見えぬ何かに殴られ続けるという一方的な状況となった。
表情を消してはいたが、ナフィルの顔を青ざめていた。
男は、致命傷には至らない程度の殴打を、拷問のように受け続けている。
それは、血飛沫を上げるような傷を与えては後の始末が面倒だと言う理由であったが、実際のところ、ナフィルは人の殺し方というものが判らないだけだった。
男は既に虫の息となり、かろうじて生きてはいたがそれも時間の問題で、血溜まりが徐々に床に広がっていく。
それを、ただじっと見つめていた。
誰に、何の目的で、何ていう事をナフィルは考えはしない。
狙われた以上、生かしては帰さない。
冷静に、常々決意してきたことを実行するだけ。
だが、心穏やかでいられるはずが無い。
人を殺したいわけなんかあるわけ無いじゃない!
冷めた表情の下で、ナフィルは憤っていた。
しかし、ただ黙って殺される気も無かったし、情けをかけて生かして返す気も無かった。
そうすることが、そうしないよりもたやすく窮地を呼び込むことを知っていた。
静かな文庫に、ただ肉を殴打する音が低くそして鈍く響く。
まもなく、男は全身を叩き潰されたようにして死んでいた。
血の臭気が漂う。
顔をしかめたのは、その匂いではなくて、その遺体の惨たらしさに対してのもの。
これを自分がしたのだ。
悪寒が走り、全身が総毛立つ。
冷たい汗と、何処か恍惚感に似た熱い部分を感じる。
「食らいなさい。我がエルドバの闇よ」
ぞぶりと、床が沼地にでもなったかのように、その遺体と血溜まりを飲み込んでいく。
男を殺すよりもたやすく、そこには始めから何も無かったかのように綺麗になった。
いや、そもそもここには誰も訪れなかったのだという事だ。
ナフィルは、それまで読んでいた本のことなど気に留めもせず、そのまま文庫を後にした。
>13
「あれ? ナフィル様?」
エリンの声に、ナフィルは鈍い反応で顧みる。
最近は、エリンの領分を認めているのか、家事に関しては何かする毎にエリンの許可を得るようになった。
だからか、エリンは虚を突かれて思わず目を丸くして驚く。
「帰ったのね。ごめん、お芋剥いていただけだから」
そう言って手にした芋を見せると、再び剥き始める。
ナフィルは微笑みはしたが、それはすぐに陰った。
エリンは妙な胸騒ぎに慌てて支度をしてから厨房に戻ると、ナフィルは芋剥きを終えたところだった。
「後は頼むわね」
どこか気の無い様子でそう言うと、厨房を出て行こうとする。エリンはすかさず声をかけた。
「浮かない顔ですね」
気分転換のつもりなのだろうが、エリンはそれを黙って見過ごすことなど出来ない。
それでは何の為に傍にいるのか判らない。
「私は、今晩の献立で悩むナフィル様の方が好きです」
エリンが笑顔でナフィルを容赦無く責める。
ナフィルはそれに少し目を吊り上げては見たものの、すぐ困ったような顔をした。
「私は、もしかして隠しておきたいようや嫌なことをさらけ出しているのかもしれないわ」
その言葉はあまりにも比喩的で、エリンの理解の範疇では答えられないものだった。
「それでも、私はナフィル様の味方です。私はナフィル様が本心から人の嫌がることをするとは思えません。私だけはナフィル様のすることを許せます」
心臓が、跳ねたような気がした。
その言葉は、かつてナフィルが言った言葉に良く似ていた。
その相手は師であるリシュエス。
彼は、ナフィルにしか認めてもらえない魔術師だった。
だから、ナフィルは許した。
それを許し、そして自分を捧げた。
なるほど、リシュエス師の気持ちが理解できたような気がする。
自分の悩みはともかくとして、ナフィルにはエリンに対する責任があった。
それが悲しみでしかなくとも。
そして、エリンの望みであっても。
夕食後、ナフィルはエリンを自室に呼んだ。
「あなたに渡しておきたいものがあるの」
そう言って、ナフィルは手の平に乗る綺麗な透明感のある青い石で出来た指輪を見せた。
「くれるのですか?」
何やら神妙な顔をして、ナフィルは頷いた。
嬉しそうに手にするエリンを、ナフィルは厳しい表情で見つめた。
その様子に浮かれる気も削げてしまう。
「・・・この指輪、魔法の品物なんですね?」
「何かあったらその指輪を握り締めて私を呼びなさい。出来れば声に出した方が良いけど、強く念じれば私には通じるから」
肯定も否定もせずにそう言った後、ナフィルはエリンの指輪を持つ右手を両手で優しく包んだ。
「ただし、絶対にはめては駄目よ。それだけは絶対に守って。実際にそうはならないとは思うけど、万が一にも身に危険が及んだら私を呼ぶこと。良いわね?」
エリンは真剣な面持ちで小さく頷いた。
だが、その指輪を顔の前に摘み上げると、
「でも、これを使わせるのはナフィル様ですよ? そうならないようにしてくださいね」
と言って含みのある笑顔で返した。
ナフィルは絶望にも似た呆れ顔をした後、観念したようにため息をつく。
「あなたが必要な時を選んで使うのは判ってるわ。でも、それって絶対私が何か失敗をした時でしょ!?」
「どうしてそう思うんですか?」
エリンの答えは、ナフィルの反論を制する止めである。
「そうさせないようにしてくださいね」
それはナフィルに責任を押し付けているような言い方だが、しかし何の重みも感じさせないほど、明確に自分の意思を表明した言葉だった。
エリンは、口ではそう言いながらも、全くの自分の責任で使うことを表明したのである。
リシュエス師に言い負かされたような気分で、ナフィルは恨めしげにエリンを見た。
「ところで、嵌めるとどうなるんですか?」
「・・・死ぬわね」
ぼそりと、考えてでは無く、言い淀んだ風を装って言う。
エリンは一瞬驚いたように口を大仰に開けて見せると、
「それは大変ですね」
と言って笑った。
>14
「どうして断ったりしたのです!?」
イレーシャはいつも突然やってきて、簡単には答えにくい質問ばかりする。
ナフィルは、ゆっくりと、煩わしそうに本から目を外し、怒気で顔を真っ赤にするイレーシャを顧みる。
恐らくこの城で、一番不機嫌そうな顔で応対している人間に違いないとナフィルは思った。
「私に務まるとは思いませんでしたから」
そっけなく言い放つ。
それは本心でもあり、嘘でもあった。
「父君に仕えるのは嫌だと言うことですか!」
全く素直で直情径行。
ナフィルは呆れるのと同時に少し羨ましくもある。
もっとも、アロルドに言わせると何処か似ているらしいのだが。
「イレーシャ姫、前にも言った通り、私はこの城の文庫にある文書の調査がしたいのです。それについては、国王陛下にご報告はしますし、お役にも立てますと・・・」
イレーシャは大きくかぶりを振った。
「それでは意味がありません! 魔術師! あなたはその力を正しく使うべきなのです」
怒りと強気。それだけではないものが、含まれていた。
国を憂う。
イレーシャは、ナフィルよりも更に年下なのに、それに強迫観念に近いほどの危機感を持っている。
お姫様と言うのは、もっとのほほんとしていて、毎日楽しくおかしく暮らしているのではないか。
それは全く無いことではないだろうけど、でも、そんなはずは無いのだ。
「そこまで・・・・・・あなたが心配する必要は無いでしょう」
それは、本当につい口を突いて出た言葉だった。
国王もいる。国を継ぐ姉姫もいる。アロルドのような忠臣だっている。
どの国にだって、継承権を争う王族はいるだろうし、地位や権勢を争う貴族はいるだろう。
「あなたに、第二王女として生まれた私の苦悩など判りはしないでしょう」
「えぇ、判らないわ」
ナフィルは即答でイレーシャに受けて立った。
「あなただって私が魔術師である苦悩など知りはしないでしょう?」
突き放したように言ったナフィルに、イレーシャは顔をしかめてナフィルをねめつけた。
まさか言い返されるとは思わなかったのだ。
「あなたは人が自分と同じ物を見ていると思っているのでしょう? そんなはずは無い。少なくとも、私はそれを自覚してきた」
イレーシャの気持ちが判る。
ナフィルはそれに少し驚いた。
アロルドは、ナフィルとイレーシャは似ているところがあると言っていたが、なるほど、それは自分ではどうしようもないものに対する焦り。そして、それに抗おうとする足掻きは、同じものなのだ。
だけど、それが同じ「モノ」であるはずが無かった。
あなたにだって、人間として生まれた私の苦悩など、判りはしないのだから。
ナフィルになら判るのではないかと、イレーシャなりに、お願いに来たのだろう。
ものを頼むには頼み方があるだろうと内心苦笑いを禁じえないが、それだけに彼女の気持ちが判ったし、それに愛らしさすら感じていた。
「そう思い詰め、周りを見ずに一直線に進むことでは、あなたはいつまでも安らぎを得ない。私からの忠告です」
会話は終わりだと、イレーシャに背を向ける。
「あなただって・・・」
搾り出すように、イレーシャはそれだけを言うと押し黙った。
そして、やるかたない不満をその場に残して、少々大きめの音と共にいなくなった。
ナフィルは、安堵のため息をついて脱力した。
何をするにも、ナフィルは自分の非力を感じずにはおれない。
そして、自嘲気味に忍び笑いをした。
>15
部屋を出ると、アロルドが先程と変わらない微笑みをして待ち構えていた。
「・・・アロルド様のおっしゃった通りでしたわ」
不機嫌そうにそう言ったが、その顔はアロルドの見た限り、芯から怒っているようではなかった。
「何が判ると言うの!? いえ、判っているのだと思ったのに、私の思い違い?」
完全に燃焼し切れなかったのか、イレーシャはナフィルの不可解な言動に憤ってみせた。それは、アロルドに対しての照れ隠しのようにも思われる。
「そうではありません。こうすることが、きっと姫様にとって一番良いことだと思われたのでしょう」
イレーシャは不思議そうにアロルドを見ると、
「敵にも味方にもならないことがですか?」
と言って、唖然とした。
アロルドは、それには答えず、ただ黙って困ったように笑った。
イレーシャは頭を振ると、再びいつも見せるような気を張った厳しい表情をして、真っ直ぐに背を伸ばし、決闘に臨む騎士のような清々しいほどの挙動を見せて立ち去った。
アロルドはその後、城を出るナフィルを門衛の詰所で見送った。
「ナフィル様が余計なことを考えず、文庫で平穏に調べものが出来るよう私も誠心誠意務めさせて頂きます」
それは、それとなくナフィルを気遣った言葉だった。
しかし、ナフィルの目から感情が消え、その微笑みから温もりが消えていく。
「私が心の安寧を得られるのは死んだ時だけでしょう」
それは予知ではなかった。
アロルドは、ナフィルがそう望んでいるのではないかと思った。
通用門の外で待つエリンが、春の日溜りのような暖かい笑顔をしてナフィルを待ち、そしてこちらに会釈をするとナフィルの後をついて立ち去っていった。
翌月、王国顧問の職を固辞したナフィルは、正式に文庫掛を拝命した。
これは2005年にコミケ用に書いた短編です。ほぼそのままなので今以上に稚拙極まりないですが、時間つぶしにでも読んでもらえれば幸いです。