森を抜ければ
最強の種族とは何か?
そう問うたのであれば、必ずと言って良い程に挙げられるモノ達が存在する。
竜種。
一般に言われるドラゴンという存在は、その定番と言って差し支えないだろう。
古の時代、世界の覇権を求め争い続ける数多の種族の中で、その終焉まで勝ち残り続けた彼らは、人間とは比べるべくもない力を有していた。
振るわれた爪は容赦無く命を刈り取り、閉じられた顎は残された時間を食い尽くす。
空を翔ければ他者に追駆のみを許し、炎を孕む咆哮を浴びれば山岳は更地と化す。
万の年を経て生きた彼らの体躯は世界有数の巨躯へと変じ、千の年を生きただけでも彼らは食事の呪縛から開放される。
されど人間よりも遥かに長い時を生き、力もある彼らは、必然的に戦いを求めているという訳ではなかった。
ただ振りかかる火の粉を払う。
その意思のみで混沌の覇戦ヘ足を運び、最強の一角と呼ばれることとなった彼らは。
純粋に、平穏を慈しむことを、確かな知性で知っていた。
それ故か、種族を率いた戦争そのものが無くなった現代において、人を襲うことを是としない彼らの一部が幾つかの集落を作り上げた。
その名を竜の里。
そこに住まうは多種多様の種族と竜達。
厳しき竜の瞳が見守る中、戦乱の確執を残す多種族が遺恨もなく手を取り合い生きることを可とした、一種の楽園。
それを守ることを習慣とし、自らの意思で守り続けることを決めている一頭の竜は――
――竜は、初対面である一人の人間に蜥蜴の試食をさせられていた。
(我はここで何をしているのだったか?)
確かな戸惑いを表す心中の問いに、彼は一瞬で答えを紡ぎだす。
当番制の森の見張り番で、昨日、そして本日の担当。〝竜の里アルゼルフ〟に最寄りの森終わり付近の草原へ二対の翼を下ろし、近辺数キロの生体反応を丸二日探り続けること。
それが彼の受け持つ今の仕事の一つであり、すでに千年以上の時を生き、何も口にせずとも空気に溶ける魔素と呼ばれる〝エネルギーの素〟を栄養とするだけで生を得続けることが出来る彼は、一日二日の寝ずの番など歯牙にもかけない。
交代の竜が来るまで後数時間程という所で〝網〟にかかった森に住む生物以外の生命反応には気づいていたものの、それほど竜は脅威に感じなかった。
故に警戒は向けていなかった……というか、そもそも守るべき対象としか思えない程の魔力しか感じない一人の人間と一匹の子犬という組み合わせに、竜は経験的に警戒など抱けなかった。
しかし、彼はすぐにそれが誤ちだと気づいた。
人間と子犬に近づいた数多の蜥蜴の生命反応が、重なり合うこともなく次々と一瞬にして消えていったためだ。
◆
アルゼルフ付近の森に住まう蜥蜴の主な種はベディオークルと呼ばれ、この世界の古の言葉で〝這いし小喰らい〟という意味をそれに孕む。
喰らうという意味が名に使われている事実に違わず食欲は旺盛。実際の体長一メートル程の一個体での食欲は人間の大人一人分を骨まで食らってようやく満腹に至る程であり、決して〝小〟で済ませてよい物ではない。
それでも〝小〟が付いているのは人一人で満足しない存在が幾らでもいることと、基本的習性として大群で活動する彼らが一日に得られる平均食糧が満腹中枢を刺激するには程遠い程に少量であることが起因する。
一つの食糧に対し全個体で集り、無くなると特に不満そうにすることもなくすぐさま散開していく光景を誰かが少食と判断して広めた可能性も無きにしもあらずだが、もしそうであれば盛大な勘違いにも程があるだろう。
普通に体長十数メートルを超える体躯を持つドラゴンに比べて体が小さく、それでいて生まれた時から周囲の空気から魔素を得て僅かな栄養に変える機能を持つために少量の食糧でも成長、生存できるが、食糧と判断すれば速やかに襲いかかるのが、この森に居を持つ蜥蜴の特徴だった。
その蜥蜴達が食糧を求めて竜の守る集落に来ないように見張ると共に威圧し遠ざけるのが見張り番の役割でもある。無論、森から里へ侵入しようとする不審者や元々森に存在しなかった生物を見張る、という役割も担っている。
そういうわけで、最初は知性の無い蜥蜴よりも内存魔力が少ない無警戒に値する存在が、油断できない警戒対象へと変わるのに特に時間はかからなかった。
別に、蜥蜴達は食糧を前にして命知らずというわけではないのだ。
事実、現在見張り番の彼が周囲を威圧すれば、普通は近づいてこようとはしない。本能レベルで敵わない、むしろ己の方が捕食対象であることを察しているのである。
本能で危機を察知するのは、野生で生きるモノにとって生きるために欠けてはならない能力であり、それは今も襲いかかっている人間に対しても有効であるはずだ。
にも関わらず、〝次々と襲いかかり続けている〟。〝己の仲間達が死んでいくのを目の当たりにしているはずなのに〟。
察知できただけでも数十個体が命を散らしており、すでに威圧範囲に入っているにもかかわらず、数個体が逃げることもせず追いかけて狩ろうとし、むしろ狩られている。
蜥蜴達は、仲間の死を前にしても生存本能を働かせていないようにしか思えなかった。
このような状況は長く生きた彼でさえも立ち会った事がなかった。
少なくとも、この速度で仲間が狩られてしまえば自分達の敵わぬ相手であることを悟る知能はあるはずであるのに。
だが彼は未経験の事態に戸惑いのあまり思考を止めるような愚行はしない。
下手をすれば庇護対象である里の者達が怪我を、最悪命を落とす事態になる可能性を常に捨てず、善処をし続けるためには考えることをやめてはならないことを彼は知っていたのだ。
彼の頭に過った可能性は大まかに二つ。
一つは、何かしらの能力や道具で蜥蜴を誘引している。
もしこれが可能ならば、警戒対象を里に入れてしまった場合に森の中の蜥蜴達が操られて一斉に里へ集うという事態に類することが起きかねない。
そのような場合、何が狙いか? 一番考えられることは戦闘の混乱に乗じて〝竜の卵〟を盗み出すことだろう。
珍味や幻の霊薬等と噂される竜の卵は表立ってではないが高値で取引されていることを彼は知識に収めていた。
無論、不老不死の秘薬の材料と噂され、それが真実でないということも。
二つ目は、単純に美味しそうに見え過ぎるのか、それとも格好の餌食にしか見えないか。
この理由ならば里に入れることは別に構わないだろう。ただ、里で育てられているまだ知性や理性が発達しきれていない子竜に噛まれる事態も起こりえるが。
すぐに襲いかかって倒し、食らって逃げ出せば竜である己に襲いかかられることはないとでも判断した蜥蜴達の所業と考えれば、未だ蜥蜴達が追いかけるのをやめないことも納得できる。
尤も、姿はそう見えるだけで、その実力は蜥蜴達が察することができないレベルで隠されているからこそ成立するのだろうが。
でなければ蜥蜴達は襲うのを止めるか、近づいてくる人間もすでに食われて生命反応を失っていなければ色々とおかしい。
(さて、久々の見極めをせねばなるまい。我らの里に、害を持ち込むわけにはいかんのでな)
竜は首をもたげ、鋭い眼光を森の奥へと運ぶ。
何にしても、警戒対象は悠然と竜の下へ向かってきている。
数多の蜥蜴達の襲撃に焦りを見せて歩調を速めた様子は無く、狂うこと無く一定距離に至った瞬間命を刈り取っている。
結局の所、一定以下の強さしかない存在が集った所で負けるような存在ではない、ということだろう。
その上近づくにつれて強くなるはずの威圧は全く効果が無いのか、その歩みが緩むこともない。恐らく幾度となく繰り返されている襲撃にも疲れを見せていないのだろう。
一体どのような存在が向かってきているのか。
胸の内に生じる高揚感に対し、竜はそれが己の嬉々とした感情由来であることを自覚していた。
確かに平穏を愛するという性分は彼の中に存在しており、ある種の行動原理になっていると言える。
しかし、それでも平穏の中に〝退屈〟を感じることがままある彼は、密かにこの不審者を歓迎していた。
生物の中に眠る闘争本能は、竜の中にも確かに存在するのだ。
見張りという役割に従事しているにも関わらず、少しばかり手に負えない相手が訪れないものかと思いを馳せてしまう。
滾々と湧く力を一度も本気で用いたことのない彼は、無意識下で戦いを望んでいた。
それは外からの有事の際には真っ先に何かしらの異変が起こりうる可能性が高い見張りに自分から名乗り出たという事実にも確かに関与しているに違いない。
人よりも鋭い五感を有する彼は、何かしらが森の中から雑草を踏みしめて近づいてくる音を感知する。
木々によって視界が遮られその姿を見ることは出来ないが、とうとう蜥蜴の襲撃が無くなった人間が近づいてきていることを竜はすでに知っている。
まだしばし距離があることも分かっており、それでも今か今かと、むしろ早く来いと待ち構える彼は現状を仄かに楽しみながら、森の奥へと向けている視線を逸らすことは無かった。
そしてようやく見慣れぬ黒髪、というか黒々しいにも程がある格好をして子犬を抱いた、明らかに旅をするには軽装が過ぎる男が視野に入った所で、彼は勇んで威嚇の意味を持つ咆哮と共に声をかけた。
『何者だ貴様!! ここが何処か分かっているのか!!』
大気が振るえ、竜を中心に風が生じる程の咆哮。
森に住む鳥達は敵意無き威圧に慣れていようともそれには流石に怯えを示したのか、大群が木々から飛び立ち離れていく。
臓物に響くようなその大音量はもはや衝撃であり、姿を示した瞬間にその直撃を受けた男は――
「姓は逆盛名は黒耀。ここが何処かは知らないな。
ところで、ここで調理をしてもいいか? もちろん、美味く作れた物はご馳走しよう」
『は? あ、う、うむ、別に良いぞ、うむ』
――全く意に介した様子を見せないあくまで淡々とした物言いの問いかけに、竜、アンズォルゲアは思わず承諾してしまったのだった。
◆
(……ふむ、何が起因したのか分からんな)
明らかに不意の言葉に呑まれて頷いてしまったアンズォルゲアが現在の状況を招いたのだろうが、事実は見ないことにしたようだ。
確かに竜であり人間に比べて遥かに巨大である彼に雄叫びを上げられた対象が全く怯まないというのはこの世界では稀有な出来事であり、それに戸惑う状況下でマイペースな黒耀の発言に流されるというのもありえない話ではないだろう。
出会い頭に淡々と馳走するなどと言われたことが無いアンズォルゲアが密かに何をご馳走してくれるのか一瞬期待してしまった、などもこの流れになった切欠の一つに違いない。
気のある異性から〝初めてのプレゼントをあげる宣言〟を貰い、それに気を取られて他のことを流してしまった、に類似する状況だったのかもしれない。
「よし、〝一時間醤油漬けトカゲの姿焼き〟完成。
さてさて、匂いは香ばしいんだが……ふむ、案外いい感じの味付けになったか? しかし、まさか皮無しじゃなくて皮付きの方が染み込みが良い塩梅になるとは、世の中分からんな。
だが、一匹丸ごと食うにはちょっと味が強いか。薄切りにすればちょうどいいか?
おっと、ポチは足でいいな?」
「キャン!!」
「よしよし。ではアズ竜、腹の肉の一部と足一本はもらったが、これを捧げよう。投げれば食うか?」
『遊んでいるだろう、お主。まぁそれの方が手早い、さぁ投げるがいい!! 早く!! さぁ早く!!』
言葉は非難的で命令的だが、すでに何度か調理済み蜥蜴を黒耀に差し出されているアンズォルゲアの瞳は期待に満ちていた。
それはもう、体長三十メートル程かという巨体を地に伏せさせ、シッポの先を小さくフリフリし、何時何処に投げられようとも反応出来るように視線は肉に釘付けな程に。
体表に敷き詰められた紫紺の鱗やら振るえば万物を狩るであろう凶悪な爪やら見据えるモノ全てを威圧するが如き黄金の眼やら生物種の頂に座することを当たり前として疑うことを許さない程の圧倒的存在感やらと、本来なら恐れを抱かせるような姿をしているくせにやっていることは餌を待つペットのそれである。
その姿に黒耀は苦笑し、実際に放り投げてみると律儀に黒耀に首を振った際の余波が及ばない所まで飛んだのを見計らって肉を喰らう姿を見て苦笑を深くする。
それで実に美味そうにムシャムシャとしているのだから、実際にポチというペットを持っている黒耀から見れば同列扱いにして可愛がりたくなってくる。
ちなみにこの時、黒耀はすんなりと思惑通りに進んでいる事実に対し苦笑したかったため、調度良くこの機会に混ぜていた。
黒耀が森を歩いていた際、威圧感に気づいていなかったはずもなく、それでいて対策を何も取らなかったはずはない。
蜥蜴が依然として襲い来る中、殺しつつ死体を全て太極図改め太極帳に収納していた黒耀は、ケパの白い空間に居た際に所持していた宝貝の能力という物をある程度聞いており、それを威圧感を覚えた際に活用した。
主に便利な収納場所という扱いをしていた太極帳は、正直言って黒耀にとって便利過ぎる代物と化していた。
ケパの知っていた太極帳には形を変える機能など無く、有るのは〝空間を作り替える〟異能のみであり、これも改造されているのではないか、という話だった。
だが別に他の何かが隠されていようとも、〝空間を操作出来る〟だけでも十分だった。
宝貝を扱うためには仙人が持つという仙気と呼ばれる力を最低でも〝常時吸い取られている中で一日分吸い取られる以上の物を一度に込める〟必要がある。
仙気を持たぬ存在にとっては何も吸い取られる事が無いため宝貝に触れても何の影響も与えない、ただの物、もしくはそれ以下のガラクタにしか過ぎない。
しかし、仙人という存在は得てして活動エネルギーを仙気に依存しており、食事をしてもそのほとんどが仙気に変換される。
故に、一挙に許容量を超える仙気を吸い取られた場合、死に至ることも少なくない。
事実、初めて太極帳に触れた黒耀は、生まれながらにして尋常ではない量の仙気を保有していたと言っても、ポチを外に出した瞬間に昏倒し、二日間程目を覚ますことは無かった。
その際に天へと召されなかったのは、まさに運が良かったとしか言えないだろう。
ケパは最高ランクの宝貝である太極帳を持ち続けても一切疲れを見せず、気軽に何度も使っている今の黒耀は一種の化け物のようにも見えると発言していたが、言われた本人は特に意識していなかった領分の話であるため一切気にしなかった。
昏倒した時に手帳がその原因であることを自ずと察した彼は、どれくらいの時間持ち続けられるのかという限界を調べ、その時間が毎日持ち続けることで増えていることが分かり体を鍛えるように細心の注意を払いながら持ち続けた。
その結果、半年を過ぎた頃には一日中持ち続けられるようになったため、現在では〝何かを吸い取られる〟という苦しみが過去にあった事実を忘れていてケパに言われて思い出したことは秘密である。
話を戻すとして、黒耀はケパから何かしらの改造を施されたのではないか、という疑いをかけられている太極帳をどのように活用したのか?
答えは目の前の空間を捻じ曲げ上空からの視点を手に入れた、である。
実際にすぐに消えてしまうほどの僅かな倦怠感を感じつつ使ってみた黒耀は、空中に紙より薄い、平面のテレビが生じて映像が流れているという感想を持ったが、その視点がわりと自由に切り替えられるため容易に威圧している存在がアンズォルゲアであることを知ることが出来た。
その際、彼は異世界に渡ることが出来た幸運と異世界の存在に感謝した。
黒耀も男であり、見た目はクールな印象を受けるとしても、未だ男の子の夢を失ってはいない。
ドラゴンを見て興奮しない、というのが無理な話だった。
流石にアンズォルゲアも感情を察することは出来なかったが、黒耀は歩きながら目をキラキラさせて間近で見ることを決意し、出来る限り親睦を深めることを心に誓っていた。
しかしそうなれば一体何をすれば仲良くなれるのかと考えた所で定番の貢物はどうかという結論に至り、蜥蜴料理と相成ったのである。
蜥蜴料理という手段を取ることになった経緯は、今の所割愛させていただく。一つだけ言えるとすれば、共食い関連への好奇心、が関わっていたりする。
実際、無礼なアダ名のように思えるアズ竜と呼ばれて一切異論を挟まない辺り、受け入れられているというか懐柔されているというか餌付けされているというか。
とりあえずは親睦が深まったはずだ、と黒耀は苦笑から達成感の漂う微笑みへとシフトする。
態度には出さなかったが、心中では何度もガッツポーズをしていた。
ちなみに、実は咆哮で怯まなかったのは本物のドラゴンを目の前にしてテンションが上がりすぎていたから、という事実が存在していたりするのだが、今の所どうでもいい話である。
『ふむ、これもまた美味かった。
……ところでお主、一体それらをどのようにして出したのだ?』
「うん? 何かおかしいか? 今度は〝蜥蜴の皮付きステーキ〟と〝蜥蜴のステーキ〟、〝蜥蜴の骨付きステーキ〟だが……皮付き以外は普通に美味いな。皮付きは皮が柔らかくなって他よりもさらに美味いな」
そう言いながらまた一口食べた黒耀が差し出してきた肉を食べ、舌鼓を打つドラゴン。
今までこのようにちょうどいい火加減で炙られた蜥蜴という物を食べたことが無かった彼は、これほど味に違いが出るのかとただただ感心する。
今までは生で食うか灰になって食べられないかのどちらかであり、ただ美味い肉ではある、くらいの認識でしかなかった。
里の方でもこのように調理されれば良いのに、と考えてしまうも、アンズォルゲアは黒耀が細々と動いて扱っている物達を見て、すぐに無理だろうな、という結論に至る。
まず里には黒耀が何処からともなく出した〝ダイニングキッチン〟という物が無い。
その〝ダイニングキッチン〟には上部の棚と足元にある小扉を開けた所には様々な道具が置かれており、一目見たアンズォルゲアには何種類もの包丁、綺麗な柄の皿や椀、純銀製の食器ぐらいしか識別出来なかった。それら以外は全て知らない物だった。
しかも何か小さな動作をする度に水が出たり火が出たりと、〝魔法〟が行使されたはずもないのに何も無い所からそれらが出てくるのが不思議でならない。
アンズォルゲアが知る限り、確かに空間収納系の魔法という物が存在する。
しかし、それの行使には少なからず魔力が必要であり、千年以上を生きた竜種である彼にとって、触れられる距離にまで近づいた対象の持つ魔力の動きを察することなど造作も無いことだった。
にも関わらず、持っていなかった蜥蜴の死体をポンポンと出したり、妙な円柱型の筒をいつの間にか取り出しては〝フライパン〟と呼んだ調理器具と思われる物の上で振ったりしている。
もちろん、その際には魔力の動きは全く見られない上に、魔法も行使されていない。
察知出来るのは彼の体から滲み出る妙な気配というか、〝香り立つ美味そうな匂い〟くらいの物である。
「ん? そういえばアズ竜、ここが何処か、とか聞いてきていたな?
ここは俺が来てはいけない場所だったのか? というか何処なんだ?」
『……確かにお主、ここが何処か知らない、とは言っていたな?
本当に何も知らんのか?』
「知らんな。
知っているのは、俺が通ってきた森に住む蜥蜴は弱くて美味く数も多い、くらいか?」
この黒耀の言葉は間違っていない。
ケパからは文化レベルが低く魔法とかが存在する世界である、ということくらいしか説明を受けておらず、実は何故ドラゴンと普通に話せているのかも分かっていない。
異世界言語を脳内で自動翻訳する能力がケパによって秘密裏に付与されているために、本当はアンズォルゲアが日本語ではない言語で脳に直接語りかける〝念話〟を用いて会話出来ているのが現状なのだが、まだテンション高めな黒耀はまったく気にしていない。
後、ベディオークルは食欲を発揮して倒した矢先に食べ始めるということをしなければ、五体程で普通の人間の百人規模の村を全滅出来る実力があるためそこまで弱くはない。
顎の力は人の骨を容易に砕く程に強く、鈍らな刃では通りにくい丈夫な皮は普通の人間にとって脅威に違いないのだ。
そもそも、最初以外は宝貝の能力を使わずとも息切れ一つ起こさず対応出来ている黒耀が異世界基準でもおかしかったりする。
「まぁ、知らないことはこれから知っていけばいいんだ。そうだな、ド田舎者くらいに思っていてくれればいい。
正直アンタのような強そうなドラゴンがいるなんてことも知らなかったからな」
『……我は強そうか?』
「うん? 普通に強そうだぞ? その四枚の翼に頭にある背の方に伸びる角、何よりその風格は流石ドラゴン、という感じだな」
『フハハハハ!! そうかそうか、我は強そうか!!
そうとも、我は強いのだ!! アルゼルフでも我に勝てるモノなど長老ぐらいよ!!
今は亡き我が兄が生きておれば三番手であろうし、婿探しに出ておる姪がおっても三番手であろうが、我こそ二番手よ!!』
(それは威張っていい状況なのか?)
黒耀にその気は無かったものの、煽てられて上機嫌な様子のアンズォルゲアの咆哮のような威張りやら哄笑やらは威圧感を生じさせる。
首を動かし、空を仰ぐその雄壮にして今にも炎を吐く前動作のような姿は傍目から見れば普通なら少なからぬ恐怖が湧き出そうな物だが、黒耀は怯むこと無く内心首を傾げる。
実際、竜の事情など知らない黒耀は答えを出すことが出来なかったが、とりあえず肉親の死に関することを容易く聞くわけにもいかないだろうとそれに関しては何も言わない。
その代わり、アンズォルゲアの言葉の中にあった、気になることを問うことにした。
「なぁ、アルゼルフというのは何なんだ?」
『アルゼルフとは我らが守護する竜の里の名前である!! 我が生まれ育った、数多の種族が共存する平穏豊かな土地だ。
人はそれほど多くはない、せいぜい百人足らずよな。争いも少なく、我らが土地を出来る限り調整している故に、我の記憶の限りでは彼らが飢えた様を見たことが無い。
……確かに竜の里という物は秘境に等しいような場所にあることも多いが、アルゼルフは行商も二月に一度は来るぞ? 本当に知らんのか?』
「その行商とやらの来る頻度が多いのか少ないのか知らんが……いや、恐らく少ないとは思うが、知らん」
首を傾げているアンズォルゲアを、黒耀は空を仰ぐようにして見上げる。
しばらくそのまま紫紺の竜との見つめ合いが続くが、『ふむ』と呟くとアンズォルゲアが先に視線を逸らして何かを考え始める。
人間のように腕を組み思考する彼の姿がとても人間らしく、黒耀は現実に目にすることになった空想上の生物が確かな知性を宿しているように窺える様子にとても不思議な感覚を味わっていた。
地球にはアンズォルゲアと同等程度の大きさであろう鯨などが存在するが黒耀は実物を見たことは無く、そしてかの生物がどれほどの知能を有しているかは知らない。
しかし、このように考える仕草をしたり和気藹々と食事をしたり、ということを鯨とできるだろうか?
答えは否。
僅かな可能性として人と話せる鯨が存在する、鯨と話せる人が存在するとしても否である。
黒耀はテレビに出るような能力者の存在を一切信じていない。
と、ここで黒耀はふと、とあるワードが先の発言で出現したことを思い出した。
「待て、竜の里……? アズ竜が生まれ育っただと……?
それは、それはつまりそこにはドラゴンベビーが? ベビードラゴンが? ドラゴンパピーが?
いや待て、そういえば様々な種が共存と言っていなかったか? つまり未知なる愛玩系生物がそこに?
……行かねばなるまい、我が覇道の行末を見んがためにも……!!」
黒耀はテンションが上がり過ぎると言動が不安定化し意味の分からない発言が増えるため注意が必要である。
ちなみにどんな覇道だと言いたくなる部分の訳は「マジか、ポチと赤ちゃん竜の戯れる様が見れるかもしれねぇのか、何その図めちゃくちゃ俺得じゃねぇか。え? しかも他の可愛い系動物もいんの? 何それ行きてぇ、早くその竜の里とかいうふれあい動物園マジ行きてぇ!!」である。意訳である。
「というわけで、是非案内を頼むアズ竜」
『む? いや、すまん。何も聞いていなかった。何がというわけなのだ?』
「何故分からない? ポチ、お前は分かるな?」
「キュゥ? ……キャン!!」
「ほら、ポチも分かっているぞ?」
『いや、我は見過ごさなかった。確かにその子犬は首を傾げて空気を読んで吠えた。もしくはとりあえず吠えただけだ。
そうであろう子犬?』
「……くぁ~……きゅぅ」
『答えることが主の不利になると悟りあやふやにするために眠くなったフリをするだと……!? 幼子にも関わらずなんという忠犬か……!!』
何やら一匹と一頭が茶番を繰り広げているように聞こえるやり取りをバックサウンドにしつつ黒耀はダイニングキッチンを太極帳内に仕舞う。
そしてそのままサッと懐に手帳を仕舞うと、流麗な動作で腰の刀へと手をかけた。
「さぁアズ竜、交渉しようじゃないか」
『待て!! 明らかに交渉をしようという態度ではないぞお主!! 明らかに狩人の獲物を見る目をするでないわ!!』
幼い頃から可愛らしいポチを携え日々を過ごしていた黒耀は、一つの信条を持っていた。
〝可愛らしい小動物は愛でられる時に愛でる〟
※小動物は言葉の意をそのまま示す物ではなく概念であり何を小動物と断じるかは個人で異なる故、取り扱いにご注意ください。
彼は可愛い生物を愛でる機会をむざむざ放り捨てる事は無い。
この後、ファンシーなぬいぐるみを素材と道具さえあれば手早く作ることが出来る(主に母親指導で教育)黒耀は、見張り番の交代の竜が訪れた際に、アンズォルゲアと共に竜の里アルゼルフへ向かうことになる。
交渉のキーカードは〝蜥蜴の腹肉生姜焼き、新鮮キャベツの千切り添え〟。
アンズォルゲアの背に乗る黒耀は満足そうであり、表情が変わりにくいアンズォルゲアもホクホク顔だったという。