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天然仙人の気ままな異世界行脚  作者: ブルブルァ!!
2/7

プロローグ‐2

 とある寺に設けられた応接間にて、一組の夫婦に相対するように、住職は腰を下ろしていた。

 ……その顔に苦笑を貼り付けて。


「あっはっはっはっはっは!! か、神隱し!! 神隱しって!!

 いつか何かやらかすんじゃないかとは思ってたけど、そうかこう来たかぁ!!」


「む~、親離れはもう少し遅くても良かったんじゃないかな、ってお母さん思うんだけどなぁ」


「……相変わらず動じませんな、貴方方も」



 というかそうすんなり信じますかね、こんな奇天烈なことを。

 そんなことを思っている住職は確かに事態を完全に把握しているわけではなく、親しくしていた少年、黒耀が神隱しにあった、という話も〝勘〟から生まれた推測に過ぎない。

 しかし、彼がいたと思われる本堂には刀と竹刀袋以外残っておらず、目を離した隙に刀でさえも何処かに消えてしまった。

 それを端的に分かりやすく表現するならば神隱しの一言で済むため用いた住職であったが、まさか黒耀の両親である二人にいとも簡単に受け入れられてしまう言葉だとは思ってもいなかった。

 この様子ならば、むしろ行方不明と言った方が首を傾げていた可能性が高いだろう。


 男性は膝を叩いて笑う程に気分が高まっているのか涙目であり、女性はむくれつつも居住まいを崩さず、出されたお茶を品良く口にしている。

 それは二人の性格を表していると言ってよく、普段の会話の中での反応であるならばこれと言って問題はないだろう。

 だが〝息子が消えてもう逢えないかもしれない〟と言われて、例え言ったのが長く付き合いの自分であったとしてもこの反応はどうなのか、と住職は思ってしまう。


 一瞬黒耀が二人に疎まれていた、ということも考えはしたが、それは有り得ないということは目の前の若々しい女性の発言からも分かる。

 確かに住職の知っている限り雰囲気も〝実力〟も普通の人間ではない彼であったが、何かと気難しい年頃であったはずの彼にお構いもなしに平然と人前で抱きつく背が低い童顔の女性、という光景は見慣れていた。

 それに自分より背が高くなってしまったことをネタにして息子をからかう男性の姿も見受けられ、十分に愛されて育てられてきたことは明白だ。


 正直に言って住職が現実逃避をされたり罵倒を浴びせかけられたりという対応を予想していたのだが、むしろ現状に肩透かしを食らっている。

 もしかすればこれも現実逃避の一つかもしれないと思い、再度声をかけてみることにする。



「確認しますが、分かっていますか? もう逢えないやも知れないのですよ?」


「うん? ああ、はいはい。大丈夫ですよ住職さん、俺達は貴方の言葉を信じなかったり、居なくなった責任を取れと言ったりなんてことはしませんから」


「そうですよぉ。恐らくですけど、あの子の中で私達の次に一緒にいる時間が多かったのは住職さんなんです。

 私の息子が懐いている幼馴染さんが、そんな真剣な顔をして私達を騙そうとしているなんて思いませんよ」


「お、幼馴染ですか……それはこんな老人相手に使う言葉ではないと思うのですが」



 そこはせめて同年代の誰か、出来れば異性に任せるべき肩書きだと住職は思ったが、稀に親友が居ないと愚痴る彼のこと。幼馴染と呼べるような同年代の仲が良い存在など居なかったのかもしれない、と予想するのは簡単にも程があった。

 もしかしたら自分の所に来ることを止めていればそれなりに友人が出来たのではと思いもしたが、それはそれで寂しいと感じてしまう時点で十分自分も彼を好いていたのだろうと結論づける。

 だが何処の世界に平然と老人が幼馴染だと言える若者が居るのだろうか、という内心の疑問に対し、すぐさま居なくなった彼の姿が浮かび、これはどうしようもないなと諦めた。



「いやはや、しかし神隱しとはねぇ……住職さん、あの馬鹿どんな所に連れてかれたんでしょうね?」


「……連れて行かれた、とは?」


「あれ? 神隱しって神様辺りが人とか何かを隠すってことですよね?

 でも隠すってことは、隠し場所が必要になるでしょ? そこが何処か、って話ですよ。

 まぁあの馬鹿のことだから、むしろ法とかが整備されているよりもまともにされていない世界とかの方が生き残れてそうだなぁ……戦国時代? ああ、千人狩りとかって異名が付けられそうだ。下手したら過去に戻って織田信長でも助けて外国にでも飛んでんじゃないかなぁ」


「どうかな……私としては、こう未来的な技術が発達した場所で刀を振り回して無双でもしてるんじゃないかと思うんだけど。レーザーでも切断してるんじゃない?

 でもポチちゃんも一緒に行っちゃったのね……あの子のお腹ぽにょぽにょして気持ちよかったんだけど」


「ああ、ポチ公は可愛くて触り心地も良かったもんなぁ。……にしても、アイツが普通に攫われるかねぇ?

 攫われたとしても、何らかの手段で連絡してきそうなもんだけど。予期せぬ事態で遠出する時は母さんが夕飯の量で困るから何かしらの連絡するようにって言っておいたし」


「あら、そういえばそうね。どうしましょ、今日の夕飯くらい作っておいた方がいい?」


「……本当に平常運転ですな、貴方方は」



 二人の反応に気を揉んでいた住職は脱力するように肩が下がるのを感じる。

 それだけで相当に気を張っていたことを悟り、思わずため息も吐きそうになったがそれはなんとか留めた。

 しかし、そんな様子の彼を見て夫婦は柔らかい微笑みを浮かべていた。



「やっと緊張しなくなりましたか?」


「……察しておいでで?」


「ええ、ガチガチでしたよ? それはもう、初舞台の上の大根役者並に」



 むしろ心配されたり気を使われたりする側だった事を知り、住職は苦笑を顔に浮かべる。

 やはり彼はこの二人の子なのだろう。本来ならば慌てているはずであるのに、余裕を見せて他人へ気遣いを見せる辺り、そうなのだと思える。

 僅かでも肩の荷が下りたという様子の彼を見て、男性は湯のみに手を付けながら喋りだした。



「まぁ確かに心配はしていますよ、俺達も親ですからね、ええ。ですがあの馬鹿はなんというか、昔から何かをやらかす雰囲気がありましたでしょう?」


「ええ、まぁ」


「もしかしたら住職さんの所では大人しかったのかもしれませんが、あれはあれでやんちゃでしてね。

 実家にでも帰れば、アイツは一日中野山を駆けずり回って、色々な食べられる物を取ってきていましたよ。住職さんの所に通うために走っていましたし、その影響かは知りませんが体力も脚力もそんじょそこらの同年代には負けることはありません。

 まさに運動会なんて独壇場でしたよ。毎回毎回リレーでは誰かを抜き去りますからね」


「それは……容易にその光景が浮かびますな」


「でしょう? それで成績も普通にトップクラス、容姿もあれですから普通に告白もされていたようです。ですが、その返事を保留にして私達にどうすればいいか意見を冷静に求める小学生が何処に居ます?

 その時は母さんが「よーくんは私の物です!!」って言って、それに影響されたのか断ったらしいですが。

 最近になって未だ告白を断り続けている理由を聞いたら、母さんの物らしいから、ってほざいたんですよあの馬鹿。何年前の話引きずってんだお前、って思いましたよ」


「よーくんは今も私の物です!!」


「むしろ君が子離れしようか、母さん?」


「よーくんの所有物は全てこっそり私が管理してます!!」


「……息子にもプライバシーはあると思うんだ、ほら、バイブル的な、とか」


「……あの子、一切男の子のバイブル的存在を隠してなかったのよ……多分持ってない。おかげであの子の趣味が分かんなかったの」


「……どうしましょう、父親としてどちらに何を言うべきなんでしょうか」


「私に振らないで頂きたい」



 子が居たとしても聖職者に振る話ではないでしょう、と暗に視線だけで男性に告げる。

 それに対し男性は男でしょ? と返してきたが住職は無視した。



「出てくるのはあなたがあの子の部屋にこっそり隠してるバイブルばかり……背の低いちょっと胸大きめが趣味なのは分かりきってるの!!」


「ちょ、おま!!」



 突然のカミングアウトに男性が焦るが、住職は動じない。実際、男性の隣にいる女性はその条件にがっちり当てはまるのだ。己の好みを捕まえるとは、この男性は狙った獲物は逃さない、中々な狩人の素質を持ち合わせていたらしい。

 だが総じて寺の住職の前でする話ではなかった。



「アイツの趣味かもしれないだろ!?」


「後ちょっとほんわか系とか常春系!!」


「話聞け!!」



 当てはまらない所が無い、と生暖かい視線を男性に向けながら住職も湯のみに手をつける。

 というか、母親と同系統が主なそれを息子の部屋に隠す父親の神経が疑われた。下手をすれば息子が〝そういう趣味〟かと思われるだろうに、何を考えているのだろう、という思考もそれに含まれていた。



「ぐっ、住職さんの前でバラすとは……!!」


「あー、まぁその趣味も分からないでもないですよ、はい。私としては少々言葉尻の強い勝ち気な女性が良いですが。踏まれれば煩悩退散の修行になりましたし」


「住職さんその発言ダメ!! 聖職者としてダメ!!」


「あなた、他の人の趣味をとやかく言ってはダメよ。ところで住職さん、何処らへんを踏めば一番いいんです?」


「何を聞いてんのお前!?」


「そうですね、仰向けの状態で思い切り胸部分を踏みつぶす勢いで踏まれ、呼吸を難しくさせられる、というのは中々に……はい」


「嫌だ、住職さんの健全イメージが壊れていく!! 特に今の最後まで言わない感じが嫌だ!! 折角息子に会わせても大丈夫な人だとずっと思ってたのに!!

 というか色々危ない感じがする!!」


「男なんて若い時は基本そうですよ……黒耀殿だって、貴方が十は……いえ、なんでもありません」


「その途中まで言って止めるのやめて欲しいんですが!! やめて欲しいんですが!!」



 もう、なんか必死である。必死過ぎて二回言っている。



「大丈夫です、分かってますよ。

 ……ところで、シスターが良くてどうして巫女がダメなので?」


「何故そんなことを今言うんですか!? 今口にすることじゃないですよね!? というか寺なのに巫女をネタにしますか!? というか何故それを!!」


「隣の芝は青いのです……後、大義名分として仏と神が同一視されたり混同されたりしている、とだけ言っておきます。

 それと、私は数年前から電話相談を始めまして、思いの外日中に暇な奥様方と世間話をする機会が増えました」


「この住職はっきり大義名分とか言っておきながら婉曲に言いやがった!! というか犯人隣かやっぱり!!」



 テンションが上がりすぎていて男性の住職に対する言葉遣いが崩れていたが、誰もそれに対して注意する人は居なかった。

 ちなみに、そんな男性の横で女性が静かにお茶を飲んでいる光景というのは中々に面白く、住職は男性をからかうことに楽しみを見出し始めていた。

 地味にこれからの生き甲斐にしようかと無意識に考え始めているが、それを完全に意識し始めるのはまだまだ後のこととなる。


 そんな暗い雰囲気という物が存在しないような状況の中、ふと電話のコール音が客室に響き渡る。

 一瞬で三人は話をピタリと止め、すぐに男性が自分の懐へと手を伸ばしてスマートフォンを取り出し、画面を見るとピシっという擬音が聞こえてくるような様子で動かなくなる。

 一体何事かと女性と住職が男性の反応を観察する中、少ししてからようやく動き出した彼は軽く画面を操作する。



『ん、繋がったか? 父さん? 聞こえるか?』



 その瞬間、三人の耳に聞き慣れた声が飛び込んできた。

 男性が操作した際にスピーカーにしたのだろう、その声を聞き取るには十分な音量が三人の鼓膜を揺らし、それ以上に心が揺れる。



『返事がないな。まぁいい、多分電話に出たからコール音が消えたんだと勝手に判断しておく。

 今俺は地球じゃない所にいて、しばらく帰れそうにない。まぁ、こっちの方が楽しそうだから残るという決断を後々しそうな気がするが。

 ちなみに、通話は俺の方からしか出来ないからそのつもりで。メールならそっちからでも届くようになっているから、何かしら用があったら連絡してくれ』


「く、黒耀殿……? 本当に黒耀殿ですか?」


『ん? なんだ、住職が近くに居たのか……ならなんで父さんが返事をしないんだ? 俺は父さんに電話したんだが?』



 住職の声は携帯端末のマイクが拾えるか分からない小ささだったが、スピーカーから聞こえてくる声――黒耀の声から推測すると聞こえたようだった。



「あ、ああ、俺も居るぞ?」


『ん? 何やら父さんの声が聞こえるな……幻聴だな、俺は何も聞かなかったことにしよう』


「おいコラバカ息子」


『どうしたバカ親父』



 この反応。男性は声の主が己の息子であることを自然と悟る。

 神隱された先からケータイって通じるんだな、という的外れな感想を抱いていると自分の体に柔らかで重みのある何かが横合いから寄りかかる感覚に顔を向ける。

 そこにはすでに三十代後半でありながら若々しい容姿をしている己の女房が、欲しがっている玩具を目の前にしている子供のようなキラキラした瞳をスマートフォンに向けていた。



「よーくん? よーくんなの? 私のよーくん?」


『あーはいはい、子供の頃から親の所有物だと主張されてきた貴女の息子でございます母さん』


(黒耀、お前どれだけ言われ続けてそんな慣れた対応になるんだ)



 実際に物扱いはされていなかったのだろうが、淡々としたその返しに男性は息子に同情する。



「メール出来るなら写真も送れるの?」


『うん? それは試してないが……一応、一月に一回、小物なら物を送っていいようにはしたぞ。そっちから送りたい時は事前にメールしてくれ、場を整える』


「じゃあまずカメラを送るわね? デジカメとインスタント、どっちがいい?」


『何故カメラなんだ』


「孫の顔見たいじゃない!!」


『「気が早いにも程があるというか何故そういう思考に至る?」』



 父親と息子のツッコミは完全にシンクロしていた。まさに親子である。

 結局なんとなく数年後には孫が居る気がするからとかいう女の勘的な根拠でインスタントカメラが黒耀の居る所に送られることが決まり、もう逢えない可能性があるとまで言われた息子からの連絡でまず決まったことが未来の孫の姿を見たいがための手段確保という事実に男性は苦笑する。


 正直に言えば未だ黒耀は近くにいて、こっそり隠れて飛び出してくる機を窺っているのではないかということも考えていたのだが、そんな悪戯をする性格をしていないことを知っているため心の中で否定していた。

 しかし、どうやら女性は息子がすでに地球にいないということを確信していたようで、戸惑いが一切感じられない。

 自分とは違い色々と強いな、という思いが溢れでての苦笑だった。それでも何かしら思う所があったのだろう。ほんの僅かに肩が震えているのを見て、男性は何も言わずに静かに肩を抱いた。



『おっと、そういえば住職。確か俺の竹刀袋が本堂に置いてあると思うんだが、好きにしてくれ。こっちに居る間は使わないしいらない』


「え、ええ、分かりましたが……貴方は一体何処に居るので? 私は神隱しにあったと思っていたのですが」


『流石住職だ、その通り。俺は神隠しにあって、過去でも未来でもない別世界に今いる。

 過去に行って武将相手に立ち会ったり未来でレーザーをぶった切ったりはしていないぞ』


「「それは残念」」



 黒耀の言葉に両親が本当に残念そうに言う。

 そもそもこの場の会話が聞こえていたかのような発言に住職は驚きかけたが、すぐにこれも血かと思い直し気にしないことにする。



『二人には申し訳ないが、予定していた仕送りは延期だな。何かいい感じの宝石や何かが手に入ったらそれを送るから換金でもしてくれ』


「いや、異世界発言しておいて仕送りを気にするのかお前は」


『? 二人にも老後があるだろ、こっちはこっちでなんとかするから気にしなくていい。

 まぁしかし、そっちに無い物質は送れないから、ダイヤか真珠辺りでも探すことにする。

 そうそう、ポチも元気だ。機嫌良さそうに尻尾を振って……おっと、ちょっと面倒になってきた。

 それと、しばらく飯はいらん。じゃ、また』



 プツン、とまるで張っていた糸が来られたような大きな音がしたと思えば、通話が終了したようでスマートフォンの画面が通話状態から写真に変わっている。

 そこに写っていたのは一月前の誕生日ケーキを母親にあーんで食べさせられようとしている困った表情の息子と満面の笑みの女性、という光景だった。

 あまりにも呆気ない通話の終わり方だったが、元気そうな様子を伝えるという目的がもし有ったとするならば、十分に目的を果たしていた。



「……なんか楽しそうな声だったな、あの馬鹿」


「そうねぇ……可愛い孫だといいなぁ」


「お前もぶれないね」


「……お茶のおかわりはいかがですか?」


「「お願いします」」



 最初の軽口と同様の雰囲気を感じるも、明らかに機嫌は今の方が良い二人の前から空になっている湯のみを盆に載せ、住職は立ち上がる。

 向かったお茶室ではお茶菓子を出してなかったことを思い出し、今度世界を隔てても届くというメールを送ってみようかと考えながら、とっておきのお茶菓子とお茶を微笑みを浮かべて準備し始めていた。




     ◆




「……さて、通話しながらの対応で悪かったな」



 スマートフォンの電源を切った一人の男は、黒い手帳のような物にそれを当てる。するとその端末は抵抗も無くあっという間に吸い込まれていき、姿を消してしまった。

 まるで元から手帳以外は持っていなかったように振る舞う男は、足元に背後から飛びかかってきた何かを軽い足捌きで避け、軽く辺りを見渡す。


 場所は森の中。

 鬱蒼とはしておらず、まるで草原に樹木が生えたというような印象を受けるその森は、草丈の低い雑草に紛れて樹が生えていることで形成されていた。

 樹は大体一定の間隔を持って離れており、工夫をすれば大荷物を持っていても進むことが出来る程度には開けている。


 散策コースにするには十分に良さそうな森だが、実際に散策で訪れる者は居ないだろう。

 何故ならば、歩いていれば今男を取り囲んでいる黒い蜥蜴達が襲ってくるからだ。

 体長は一メートルと少し程。

 生やす牙は鋭利、生やす爪も鋭利。

 足は太く、尾も太い。

 男はイグアナなどに形が類似しているな、と漠然と思いつつ、ざっと数を数えてみる。

 見る限り五十頭相当。

 こんな群れに出逢えば、普通の人間ならばすぐさま逃げ出そうとするだろう。実際、逃げ出さねばすぐに集られ、骨まで食われつくされかねない。

 先程の跳びかかりの速度から考えても、逃げ足は相当に早くなければ追いつかれることは容易に予想できる。

 しかも今は囲まれてさえいる。逃走による生存は絶望的だろう。真っ先に足を狙ってくる辺り、襲い慣れしているとさえ思える。


 しかし、彼は動じない。

 肩に乗せている子犬は特に怯えるような様子も見せず、大きく欠伸をしている。

 彼の紅い獰猛な瞳はむしろ獲物を見据えるように蜥蜴達を見つめ、左手は腰にさしている黒い刀の鞘に添えられ、右手は持っている手帳をゆっくりと懐に収める。


 男の様子を窺っているらしく動かない蜥蜴達。振られるやもしれない刀の間合いを知っているかのように距離を取るも、いつでも飛びかかれるように準備しているように窺える。

 それに対し、彼は右手を刀の柄に持って行き、決して怯えを見せることはなく、ただ愉悦を示すかのように静かに口角を上げた。



「まさか、来て早々に命の危機とはな。

 いやはや、それも異世界といえば異世界らしいのかもしれない。昔の日本も、山に入れば熊や猪は居たんだろうし。

 だがまぁ、とりあえず――」



 ピッ。


 そんな軽い音がこの空間に響く。

 それはまるで持っていた細い木の枝を振った際に出るような、空気との摩擦の音。

 近くに居たモノ達のみが聞けたであろうそれは、吹く風が揺らす木々のざわめきによってすぐさま打ち消される。

 けれど、その音を境に、その場で動く存在は居なかった。

 蜥蜴達は視線を動かそうとせず、彼らに囲まれた……いや、一人。否、一人と一匹は普通に動いていた。

 子犬は空を見上げて雲を目で追い、男は柄から手を離してまた懐に手を入れて手帳を取り出そうとしている。



「――食糧は確保。ポチ、今日は焼き肉だ」


「キャン!!」



 笑みを浮かべた男の言葉に対し、子犬の無邪気で嬉々とした鳴き声が響き渡る。

 そしてそれに追随したのは、一斉に地に何かが落ちたことを伝えるような幾つもの音。

 男を取り巻く蜥蜴達全てが頭と体を離され地に落ち、血を流し、呆気無く命を散らしていた。




 これが始まり。

 異世界に渡り、気ままに生きた仙人の序章。


 ここが始まりの地。

 異世界に轟かせることになる仙人の名を初めて残した地。


 彼は今、ゆっくりと歩き出した。

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