プロローグ
「住職、今使ってもいいか?」
「おや、黒耀殿。今日はお早いですな?」
陽炎を生じさせることが大地の役割であると宣うが如き夏が過ぎ、冷えた風が空間を流れていくことに違和感を覚えなくなって少し経った頃。
竹刀袋を担ぎ、白い犬を連れた一人の男がとある寺を訪れ、その寺の境内を竹箒で掃いていた住職に話しかけていた。
黒気味のジーンズに黒のワイネックシャツ、黒のジャケット、黒のブーツ。
全身を黒で染めようとするように黒い格好を好み、本日もその良さを布教するような装いを崩さぬ若者を見て、住職は毎度の事ゆえに呆れることも飽いてただただ親愛を込めて笑顔を向ける。
黒髪を短く切り、端正ながらも見たものに仄かな恐怖を与えるが如き鋭利な紅い瞳はいつもと同じように炎を内包していた。
それはあまりにも猛々しく爛々と輝き、見た者の心をざわつかせるも、何処か静かさを宿し、妙な安心感を与えてくれる。
長く生きた住職でさえもそんな瞳を持つ者、つまり彼――逆盛黒耀のような人物を見たことがない。
見た目は両親の双方の怖い所……ではなく良い所を受け継いでいるために整っていると言っても過言ではない。
しかし、その端麗さゆえに、その瞳と相まって強面と言いざるを得ないのである。一部の趣向を持つ者達にとっては艶のあるため息を吐く対象になることも否定できない。
「構いませんよ。すでに朝の礼拝は終えておりますから」
人懐っこい笑顔を崩すことなく、僅かに頭を下げながら住職は彼の問いに答える。
何を使いたいと頼み、何を使っていいと答えたのか二人共言ってはいないが、長い付き合いであるために使う物は本堂であることを住職は察し、また黒耀も本堂の使用許可が出たことを察していた。
黒耀は首肯で返し、足元に付き従うように控えている小さな子犬も綺麗にお座りをして頭を下げた。
その光景を見て、いつもながら面白い主従だ、と住職は口角を僅かながらさらに上げる。
あまりにも黒々しく、一目見れば気丈な、もしくは何かが抜けている人物でなければ目を逸らし、関わることを避けるような雰囲気を垂れ流している少年。
人は落ち着き、物静かな彼を見て大半が十八歳という年齢の割には大人びていると評するだろう。
しかし住職は、彼が持つそんな雰囲気とは裏腹に、とても子供じみて頑固なことを知っていた。
伴侶を失い、娘夫婦と共に暮らしている幼い孫娘にもたまにしか会えなく寂しい。
そんなことを黒耀が幼い時、両親に連れられて寺へと訪れた際に住職は会話の中に混ぜてしまったことがある。
その時、つい他人に漏らしてしまった心情を恥ずかしいと思い、すぐに話を切り上げて両親との仕事の話へと住職は切り替えた。
仕事を終え、その家族を見送ろうという際に、住職を見上げる紅い瞳に気づき、彼は少年に「なにかな?」と声をかけた。
少年は余計なことは何も言わず、ただ一言、「また来るね」と言い放った。
両親が言うならばまだ用事などがあるからこんなことを言ったと納得出来る物だが、子供が言うとはどういうことだろうと住職は首をひねる。
そして顔を上げてみれば、両親は妙に笑顔を引き攣らせて頭を下げていた。
色々と気になりはしたが、この場で問い詰めるというのも悪いだろうと判断し、そのまま家族を送り出す。
その一週間後から、と住職は記憶している。
子犬の散歩と称して、少年はほぼ毎日寺を訪れるようになった。
数キロ程離れている家から、最初の頃は汗だくになりながら。
いくら時間をかけても、いくら止めるように言っても、少年はほぼ毎日それを続けた。
あれから十と一年。
たまに親友と呼べる友が居ないと嘆く少年は凛々しく、そして逞しく成長し、〝全く大きくならない手の平サイズ〟の子犬を連れてやってくる。
最初はちょっとした話をしていただけだったが、彼は座禅に興味を持ち、寺に来る度に本堂で精神統一に励むようになった。
そして武術の一端にも興味を持ったらしく、理由は定かではないが――ある程度予想はつく――通っていた道場には行かなくなり、寺の敷地内で鍛錬を行うようになった。
はっきり言って寺でやらなくともいいのだろうが、住職はそれを言い出す気が無い。彼が性格的に幼い頃から不器用であることを、何かしらの理由を付けてここに来ている、来てくれていることを、住職は知っていた。
「また精神統一をしてから素振りでしょうか? それを眺めていても?」
「別にいいが、何が面白いんだ? 俺はただ座っているだけで、鍛錬も見ているだけじゃ何も面白くないだろ」
「いえいえ、それは貴方が気づいていないだけですよ」
分からんなぁ、と呟きつつ少年は首を傾げ、子犬も連なるように首を傾げる。住職はとても面白い物を眺めるような目で見ながらそれ以上は何も言わない。
見る価値が無い、というのは少年の解釈であり、住職にとって少年が織り成す光景は〝恩恵〟でしかなかった。彼がそれに気づくのは何時のことになるかと頭の隅で考えつつ、住職は言葉を続けた。
「では掃除を終えた後にでも覗きに行きます……そうそう、良い茶葉が手に入りましたので一服にどうでしょう? 座禅からすぐに修練では、体も動かないでしょうから」
「ああ、準備運動の際にでももらおう。行くぞ、ポチ」
「キャン!!」
ポチ、と日本では犬につける定番染みている名前で呼ばれた子犬が元気に鳴いたのを見計らい、本堂へと向かっていく黒耀。小さな従者はトテトテと短い足を必死に動かしながらその後を追い、住職はそれを眺める。
そして本堂へ入っていくのを見届けた所で、掃き掃除を再開する。
彼の皺の多い顔に浮かんでいるのは、明らかに嬉々とした感情を滲ませる微笑みだった。
「はてさて、お茶菓子は何にしましょうか。それほど甘すぎる物はお好きでありませんしね……おや?」
先ほどまでよりも僅かながらハキハキとしていた動きを止め、唐突に住職は天を仰ぐ。
見えるのは青い空に漂う白い雲。鳥もおらず、今日一日は晴天であることが自ずと察せられる。
しかし彼の目は何かを見ているように焦点を合わせ、そのまま視線を何かの軌道になぞるように動かし、黒耀達が入っていった本堂に行き着いた所で、微笑みを歪め、悲しみを滲ませた。
「……そうですか……あの子をお隠しになりますか、仏様……いや、異境の神様。
一体何をさせようというのでしょうね……いや、今は茶葉をどうするか、そしてあの子の親になんて説明すればいいのか、考えないといけませんね……生き残ることは、心配いらないのでしょうけど」
そうですね、代わりに二人にお茶を出しましょうか。
そう続けた住職は、恐らくすでに見ることの叶わなくなった主従のことを思い出しながら、滲む視界で手を動かす。
頬を撫でる背後から流れてくる冷たい風が、今日は〝孫〟と会えなくなる〝祖父〟を慰めるように優しげだったように感じられた。
◆
「……一先ず抵抗出来ずに誘拐された腹いせをさせてもらおうか、毛玉」
「何かが、何かが出てまう!! 出てまうぅううううう!!」
「何弁だ、それ」
「ク~……」
白い天井。
白い壁。
白い照明。
白い床。
そこにある物全てが白く、黒を好む己を圧迫するかのように囲まれている現状に、黒耀はそれほど気を向けることなく目の前の存在に意識を集中していた。
左手で不安そうに鳴いているポチを優しく抱え、悲鳴を上げている掌サイズの白毛玉が逃げ出さないように力を込める。
彼にはそれがどのような生物?かは分からなかったが、とりあえず喋りはしているため知性はあることを察していた。
この妙な空間に連れ込んだのが毛玉かどうかも定かではなかったが、なんとなく毛玉が首謀者のように感じ、一瞬で捕獲したというのが現状である。
いわゆる勘である。
ちなみに、彼は毛玉が喋ったことに関しては一切驚いていない。
こういうこともあるだろう、くらいにしか思っていなかった。
捕獲された毛玉としては地球にこんな動じない人間が居るのかと聞きたいくらいだろう。
(妙な気配を感じて精神集中を解いてみれば、目の前に居たのは妙な毛玉で周りは白。
現状を正確に理解していそうなのはこの毛玉だけか……二次元の生物かのように毛玉の体に顔文字が張り付いているナマモノ?を解き放って事情を聞かないといけないのか……気が進まんな)
黒耀は得体の知れない存在を解放することに一抹の不安、というか不満を感じつつ、このまま事態が進行しないことを是とする訳にはいかない、と極々渋々手の力を緩める。
毛玉はこれ幸いにと黒耀の掌から抜け出し、肺などの器官があるようには見えない体?で息を荒くしている。なんとなく汗を掻いているようにも見える。
この時点で「ああ、コイツ普通の生物じゃないな」と黒耀は確信し、無意味に手荒に扱うことを静かに心の中で検討していた。
そもそも手足も無くただの毛玉のような何かが普通の生物と解することの方がおかしいことに彼は気づいていない。
「さ、流石ボクが玩具にしようと思って質の良さそうな人間として神隱してきただけはあ――」
「なるほど、敵だな」
「――つぅぶぅれぇるぅぅううう!!」
言葉を最後まで聞かず、黒耀は素早く手を動かして再度捕獲。ソフトテニスボールを拉げさせるが如く握り潰し、顔?のような物を自分に向ける。
何気に事態がループしている気はしたものの、とりあえずこの毛玉が己を神隱しだ何だをして攫ったということを言葉の内容で理解した上での措置である。
言質を取ったゆえに拘束しても問題は無い、という解釈の下に行われた行動だった。
「理解した。お前は俺のような人間の雄に興味を抱き、攫い、拘束すると同時に情欲を満たすことに情熱を注ぐ変態ナマモノだということを」
「とんでもない誤解が生まれてるんだけど!? 違うよ!? 玩具ってそういう意味じゃないよ!?ボクそんな趣味無いし!!」
「この状態でそれくらい喋れるなら逃がす必要は無いな」
「あ……」
ニヤリ、と見る者が見れば恐怖(もしくは快感)を抱きかねない片笑みを浮かべる黒耀を見て、毛玉を青ざめているような顔を作る。
それと同時に、仄かに込められた力が強まり、逃げられる可能性が減ったことに軽く絶望する。
「ではどこまでが限界か……楽しみよなぁ?」
「従います従います色々と従いますから説明しますから助けてぇええええ!!」
「くぁ~っ」
明らかに立場が混沌とし始めている空間で、一先ずイニシアチブを自分の主が取ったことを雰囲気から察したポチは怯えることをやめ、安心を表すように口を大きく開けて欠伸をする。
まるで白い立方体の箱の中のような場所で繰り広げられる黒と白のやり取りに、それほど緊張感という物は存在しなかった。緊張感も神隱しにあうことはあるのだろうか。
しばし時間を置いて少しでも毛玉が落ち着いたのを見計らい、黒耀が話しかける。
傍目から見ればキーホルダーとして存在するようなただの白い毛玉を睨みつけながら話しかけている奇妙な人間の構図が出来上がっているが、彼はそんなことを気にするような神経など持ち合わせていない。
「で? 俺は一体何の為にこんな珍妙な場所に連れて来られたんだ?
とっとと話さんとポチの牙研ぎ代わりにするぞ」
「キャン!!」
「ちょ、何その子子犬の見た目のくせに牙やばい!! なんか普通のナイフより斬れそうな程やばい!!」
唾液に濡れ煌くポチの牙の先を見て毛玉が叫びを上げる。
その様子を見てどことなく楽しそうなポチは、口角を上げている飼い主に似たのだろう。
楽しそうなポチは可愛らしくはあるのだが、幼児が笑顔を浮かべながら包丁を両手で持って向けているかのようなものである。笑えない。
「あれ、あれなんだよ!! ちょっと別の世界に行って、ボクの退屈を解消してくれないかなぁっていうね!!
ほら、ボク幸運の神様だからさ!! こういう我侭許されるよね!? ごめんなさいこんなボクが許されようとしてごめんなさいだから力込めないでぇええ!!」
「……そもそも当然のことのように言われてもお前のことは知らんのだが?」
「え……ほ、ほら、ボクだよ?
地球の日本以外じゃゴッサマーとかエンゼルヘアーとか? そんな感じで呼ばれてる、UMA認定されてもおかしくないボクだよ?」
「タンポポの綿毛か? 兎の尾か? 白カビパンか? 埃の塊か? 雪虫か?」
「正解が無い、余りにも正解が無くて泣きそう!!
いや、なんか正解を知ってる上で避けてる気もしてきた!!」
「お前の体で泣けるのか? ぜひ見たい、泣いてくれ」
「外道だ、外道が目の前にいる!!」
その外道を目の前に連れてきたのはお前なんだが、と黒耀が言うと毛玉は苦虫を潰したような顔をして視線を逸らし、押し黙る。
実際黒耀は目の前の毛玉のような存在のことは知らず、もしかすれば物語や伝説などで話が残っていたのかもしれないが、それほど伝承などには興味を抱いたことが無いため知らない。
そんな黒耀は拗ねられても困るんだがな、と思いつつ仕方なしに慰めるように落ち込んだ毛玉を握る力を緩めて親指の腹で優しく額部分に見える所を撫でる。
毛玉は驚いたように一度震えるが、黒耀の為すがままに任せる。拉げた形から戻ってはいないが。
「おお……撫でるの上手だね、キミ。ボク専属の撫で師にしてあげようか?」
「全くもって興味のない役職だな、それは。伊達にポチを撫でていない……コイツは下手な撫で方だと機嫌を悪くするからな」
「何それ、妙な子犬だね。何処かで見たことある気がするけど、なんか知ってる犬種と違うし。なんて犬種?」
未だ形を取り戻してはいないが、撫でられて上機嫌になっているのか平然と黒耀へと問いかける毛玉。
なんとも扱いやすい毛玉だなと思いつつ、特に答えない必要も無いため記憶を掘り出しながら答えた。
しかし、その答えは毛玉の紀州犬とかかな、などという予想を大幅に超えていた。
「哮天犬、とか言ったな、確か」
「……は?」
あまりにも予想から外れすぎていた答えに、毛玉はただ呆然としながら黒耀を見て、ポチを見て、またも黒耀を見る。
見るからに「嘘言うなよ」と言いたげな視線に、黒耀は平然とした様子で言葉を紡ぐ。
「いや、だから哮天犬だ。先祖伝来の太極図とかいう手帳のページに一匹だけ絵のようにして封印されていて、何故か俺だけが扱えたから解放した」
「いや、だから……え!? 先祖伝来!? 太極図が!? どういうこと!? なんで扱えてんの!? そもそも人の手にどうして渡ってんの!? しかも封印って一般人が使うような言葉じゃないよ!? 本当にどういうこと!?」
「何を慌てているんだ?」
毛玉が驚いている理由が分からず、黒耀は首を傾げて毛玉の様子を観察する。そしてそれに倣うようにポチも首を傾げ、その主従を見て毛玉は頭痛がしているように眉をひそめた。
驚きの余り毛玉は浮遊しているが、黒耀は片手が自由になったと解釈して気にしない。
しばらく混乱している様を眺めていると、毛玉は徐々に落ち着きを取り戻しつつ、勝手に何かを理解したように頷いているような動作を体全体でしながら呟く。
「なんで分かってな……そうか、アイツらの秘蔵っ子の子孫ってこと? それだとしたらちょっと納得というか……いや、正確には出来ないけど、そうでもしないとなんか頭がおかしくなりそうだし。
……もしかして他にも何かある?」
「? お前が俺を攫ったせいで斬神剣を本堂に置いてきた。太極図はここにあるぞ」
「ちょ、何その物騒な名前、というかとてもアレな気がする武器……え? 待って!? それ太極図!? 何故に手帳型なの!? 本物!? それ本物!? ああでもなんか雰囲気が本物だ!!」
「初めて見た時は巻物だったぞ? だけど俺が持ち運びにくかったから手帳が良いと思っていたら、勝手に形を変えたんだ。
色は黒が良いと言えば勝手に変わったし、重い物も収納できるから便利で良い。一人一つは持っていたい手帳だな」
「いやいやいやいやいやいや、それが何か知ってる? 知ってるよね? というかそれを見て斬神剣とかいう剣? 刀? がどういう物なのかちょっと予想出来て嫌なんだけど。
え? というか本当にその太極図本物? 誰だこんな核兵器も真っ青なもん流出させた奴!! 責任取れあの爺どもぉおおおおお!!」
「やかましい」
「あ、すんません」
勝手にまたも錯乱し始めた自称神な毛玉はすでに威厳を失っているらしい。ポチが玩具にしたげな視線を向けている事に気づいているのか、仄かに震えているのはご愛嬌だろう。
黒耀はふむ、と何かを考えこむようにしながら手帳の背で首筋を何度か叩く。
「しかしなんだ、お前はこれらのことを知っているのか。
ちょうどいい、ぜひ話してくれ。俺もそれほど知っていて使っているわけじゃないからな。
ついでに斬神剣をこの奇妙な空間に取り寄せてくれ、居合の練習にちょうどいいんだ、アレは」
「ちょ、予想通りならなんて物を練習用に……というか何も知らないの? いいよいいよ、ボクが話すよ!!
だぁもう、ただ遊びたかっただけなのになんでこんなことになってんのかな、本当に恨むよ爺共……何故かすでに現状に適応、というか受け入れてる気がするしなんなのこの人。
放っておいたらなんか面倒な事態になりそうな気がするし、もう……」
毛玉がまるで呪詛のように呟きを漏らすと同時に目の前の空中に突然見慣れた刀一振りが現れ、黒耀は咄嗟に鞘部分を掴み取る。
慣れ親しんだ重さに本物と確信し、本当に目の前の毛玉が神なのかと思いながら虚空を睨みつける毛玉に視線を向ける。
だが見た目からしたらどうしてもただの毛玉的生命体であり、黒耀からすればポチの玩具にしか見えなかったのは、どうしようもないことだろう。
黒耀は床に腰を下ろし、刀を置いて子犬の顎下を撫で始め、毛玉が話し始めるのを完全に待ち始める。
本来なら妙な空間に唐突に連れて来られて妙な存在が目の前にいれば混乱くらいするのだろうが、むしろ落ち着き払っている態度であるのを見て毛玉は観念するように喋りだした。
過去、中国全土を巻き込んだ妖怪や仙人達による大規模な戦争が行われたことがあった。
現代においては様々な脚色や観点が設けられることで正しく伝わっていることはほとんど無く、なんとか生き残っている情報も人物名とその偉業、そして力くらいの物であり、性格の詳細など脚色にも程がある。
実際、その時代を生きていた何の力も無い人間が容易く命を刈り取れるような存在のことを知ろうというのがそもそも難易度が高いのだ。多少でも情報が残っていることに賞賛の声を上げても不思議ではない。
戦争の主役である仙人達。その仙人だからと言ってそれほど文明や倫理観が発達していたかと言えば否であり、妖怪に至っては「人間の常識? 何それ、人間食うより美味いもんなの?」と素で返されるレベルの倫理観しか持ち合わせていなかった。
それに比べれば仙人達は常識人と言っても過言ではなかったのだろうが、指の僅かな動きで人間数百人を大虐殺出来る物を平然と開発する彼らに常識を求める物ではない。
そんな彼らが生み出した物には〝宝貝〟という総称が付けられ、中には名前も力も現代には情報が残されていない物も多々存在する。
無論、そんな物がそう簡単に使えるということはなく、仙人が持つと言われる仙気を代償に行使され、ただの人間には用いることは出来ない。
しかし、倫理観の発達が未熟にも程があると判断されたその時の人間達に渡す訳にはいかないと、〝辛うじて大人しめな常識を持ち合わせた頭の良い仙人〟が立ち上がり、仙人や妖怪達は住む場所を仙界に限定し、宝貝は全回収、仙界に封印することとなった。
先天的に仙気を持ち合わせた人間が生まれないとも限らないために、大虐殺を可能とする宝貝は危険視されたのである。
事実、現代においても仙人達が自分達で創りだした仙界から出てこないことから考えても、現代人類には未だ与えるべきではないと常識仙人が判断していることは明白である。
……のである、が――
「――なんでそれをキミが持ってんの!? 人界に有っちゃいけないんだけど!? それも太極図!? なんで世界を作り変えるレベルの物が流出してんの!?
鬼畜軍師が加わって管理体制整ったんじゃなかったのかあの変人の集まりは!!
いやまぁキミがそれらを使えるってんなら異様に質が良い人間な気がしたのは納得なんだけどさぁ!! 仙人ってちょっと人間の上位種みたいな感じがするからさぁ!!」
話しだす内に感情が爆発したのか、とても憤慨している様子の毛玉とは反対に、黒耀は興味深そうに自身の持つ手帳やポチ、そして愛刀を眺めていた。
自分の持つ物がそれほど古くから有る、というか自称神が感情に大きな波紋を生み出す程の物を持っているとは思えず、じっくりと観察しているのである。
黒耀自身、何やら他人と、ましてや両親とすら自分が異なるということは自覚しており、さらに普通ではない物を持っているという自覚もあったが、それほどの物とは思っていなかったのだった。
「ふむ……確かに手帳に入れておいたリンゴが腐らないのは不思議だとは思っていたが、そんな昔から存在する不思議物品だったのか。
これからは別の使い道もありそうだな」
「……いや、まずそこのポチ君が手帳の中に入ってたって事実やリンゴが手帳の中に入るって意識がおかしいんだけどね、キミの世界だと?
というか不思議物品って、そんな簡単な意識で済ませていいもんじゃないんだけど?
なんなの? キミの常識はすでに奴らに毒されてるの? ああもう、本当に爺どもと話してる気分になってきた……」
まるで長年の友達がそんな趣味を持っていたなんて、と驚くような気軽さに毛玉が呆れの視線を向ける。
事実、悪用しようと思えば世界の仕組みを自分に有利なように組み替えることすら可能な物を持っている男が、それを便利な冷蔵庫のようにしか扱っていないのだから、至宝の持ち腐れにも程がある。
さらに言えば、黒耀が手元に欲しいと言った刀など、観察した限り毛玉にとって凶悪にも程がある存在だった。
(神すら打ち殺す鞭を改造して神すら斬り殺す刀に変えてるなんて、何考えてんだ糞爺ども……打神鞭から斬神剣なんて名称が安直すぎるし……)
打神鞭。
古の大戦において一人の仙人軍師が愛用し、妖怪や仙人達を撲さ……調きょ……説得するために使われていた武器。
それの見た目は金属製の鞭のような物で、威力はまさに神を打ち殺すに至る程。
その気になればいつでも神を殺せる打撃を放つことが出来る、仙人が創りあげた神を相手取るための宝貝。
それが現代では刀に変わり、鞭よりも殺傷性が上がりに上がっている。
毛玉の考えでは地球の日本の刀作りの技術に興味を持ち、〝当然違反になる仙界からの脱走〟をして技術を習得。そして〝平然と仙界に帰還〟して打神鞭を改造、現在の形へ。
恐らくこのような流れだろう、と確信する。推測ではない、確信である。毛玉の知る仙人は我が道を行く超快楽主義者が多く、他人を顧みないことがほとんどであると言え、マッドな科学者のような存在も多い。
さらに言えば、〝仙界から出ること〟と〝仙界から宝貝を流出すること〟に対し問題を感じていない仙人がほとんど、ということも確信に至る要因の一つである。
神以上に自由奔放な仙人は、そのほとんどが問題児と言っても過言ではないのだ。
「というか、キミ天然の仙人だよね、多分……今思えばその不思議な気配、仙人特有の物だよ。
同じ仙人にしか明確に感じ取れないって言うんだから、なんとも奇妙な存在だよねぇ」
「うん? 仙人が天然とはどういうことだ? 仙人と言えば、何年何十年も山にこもり修行する果てになれる物じゃないのか?」
毛玉の呟きに耳を傾け、黒耀は首を傾げる。
彼のイメージでは仙人とは俗世から離れて特殊な修行の果てに独特な力を手に入れた存在であり、〝天然〟という表現で生まれるような存在ではない。
生まれるにしても、幼い頃から仙人になるような修行をしてきた存在のことだろうか、と考えた所で黒耀は自分の考えを否定する。
もし自分がその仙人のなり方で仙人になっているとすれば、それは太極図を扱えた〝十に満たない年齢〟の時であり、流石に十年足らずで仙人になれるのであれば皆苦労などしない。
だがしかし、仙人と言われて内心なるほどと思ったのは否定しない。
今まで生きてきて両親と比べても妙な違和感が付きまとうことが多々有ったという事実が、《自分は仙人説》を捨てさせなかった。
そんなことを黒耀が考えていると、毛玉が先ほどの黒耀の問いに答えた。
「ああ、うん。そういう場合がほとんどだね……でもまぁ、基本〝両親が仙人の子供は仙人〟だし、片親が仙人の場合は、子供は普通の人間のことが多いかな。それに隔世遺伝ってこともあるからありえない話じゃないね。
特に生まれた時から仙人の場合、修行をして仙人になった場合と違って力を失うことは無いし……まぁキミの祖先がどんな仙人だったかで力の質とか量は変わるかな。
ボクの予想としてはあの鬼畜軍師かなぁ、雰囲気が似てるし、もしかしてあんまり異性に興味が無かったり、一目惚れとかしたこと無かったりしない?」
「どうしてそんな予想が出てきたかは知らんが……まぁ、そうだな。それほど興味はないな。正直、同年代の男共が騒ぐほど、美人美少女とやらに鼻息を荒くすることはない」
「ああ、うん……うん、よし、急ごう!! 急いで異世界に行こう!! もう遊ぶなんてこと言わない、むしろ保護者になるから早く行こう!!
なんならボクの幸運の加護をあげてもいいよ!!」
「どうした、急に焦りだして」
明らかに先ほどまでの命の危機による物と違う焦り方をしだした毛玉が声を大にし始め、訝しげに眉をひそめる黒耀。
何やら近づいてくるかもしれない何かしらに怯えているようなその態度に、何か良くないことでも思いついたのかと予想する。
そんな一向に動かない黒耀の姿に、毛玉は僅かに落ち着くも嫌な予感が抜けないのかそわそわとしている。動かないどころか黒耀の腕の中で悠々と眠りについている子犬を見てむしろ苛立つ。
「いや、だってもしあの糞爺どもの子孫だったとしたらここに連れてきた時点で色々言ってきそうだし、この際手早く別の世界に送って雲隠れしちゃおうかと」
「普通に自分勝手だな、お前は。俺はお前の名前すら聞いていないんだが?」
「幸運の神が内の一柱、ケセランパセランです!!」
「知らん」
取り付く島などありはしなかった。
「俺は逆盛黒耀だ。で、この子犬がポチ」
「え? いまさら自己紹介タイムなの? というかその犬にポチって名前本当だったの? ……まぁ、何も言わないよ、うん」
「ああダメだ、なんかペースが乱される」と言いながら黒耀から視線を逸らすとゆっくり深呼吸をし、キリッとした顔を黒耀に向ける。
一瞬その顔にイラッとして刀に手が伸びかけた黒耀だったが、なんとか堪えることにした。斬神剣という神すら殺せそうな名前の剣で切れば目の前の毛玉神は簡単に死にそうであり、別に殺したいわけではなかった故に流す。
事実、斬神剣で両断されれば目の前の毛玉は死ぬため、何気にこの瞬間、彼の気分で命拾いしていたことを毛玉ことケセランパセランは知らない。
「話を進めるために真面目に行きます。
キミ……えっと、クヨウくんって呼んでいい?」
「いいぞ」
「じゃあクヨウくん、異世界に行く気は無い?」
「あるぞ」
「うん、まぁそうだよね。突然こんなこと言ってもなんのことか分かんないよね。
まぁなんとなくここまで会話して普通に情が湧いてきた感があるし、なんか普通に地球に返してあげたい気分になってきたんだけど、実は神隱しって一回やっちゃうと歪みが酷いからさ、一柱の神は少なくとも十年に一回しかしちゃいけないことになってるんだ、一つの世界に対して。
で、戻す時も正直神隱しと同等の歪みが生じちゃうんだよね、だから戻すにしても十年先になるんだ。でもキミをここに長く留めておくと最悪発狂しちゃうからさ、最低一年くらいが限界かな?
まぁ他の神に頼めばすぐに送り返すことも出来るっちゃ出来るんだけど、キミの体が歪みが酷い状態に耐えられないから、推奨しないんだよね。ヘタしたら何年か植物状態的な?
一応ね、ボクの幸運の加護をあげた場合に、数日昏倒くらいで済ませられる可能性もあるんだよね。
でも実際これは賭けのような物だし、ボクの本音で言えばちょっと異世界で最低十年くらい暮らしてもらって、その後送り返すとかそんな感じで行きたいんだよね。
まぁ行きたくないって思ってる所悪いんだけど、どうか行ってくれればと……って行く気あんの!?」
「長いな、おい」
あまりの独走っぷりに黒耀は細く短くため息を吐く。
そんな態度の黒耀を、毛玉は信じられない物を見るような目で見ていた。
「あのなケセラ……長い、ケパでいいか」
「ちょ」
大胆にも程がある省略に異議を申し立てようとするも、その隙間も無く黒耀が言葉を続ける。
「あのなケパ。正直俺がこの刀を振り回すと俺の居た世界では少々面倒事が付きまとうんだ。
だから自由に振り回せると言うのなら、俺はその異世界とやらに連れて行ってもらって構わない。
まぁ父さん達と別れの挨拶が出来なかったのは残念だが、はっきり言って生きづらく感じていたことも多々ある。その異世界とやらが俺の好きに生きてもいい世界なら、むしろ行きたいくらいだ。
望めるのであれば、その異世界とやらに俺が元居た世界に無い物が有って、それが面白くあって欲しい。
そうだな、従姉妹が読んでいる漫画のような世界でも面白そうだ。俺は真剣に読んだことがないから、どんな世界が良いのか具体的には言えないがな」
前半は危ない願望、後半は若者にありがちな無鉄砲さと冒険心が宿っているような言葉に、ケセラ……ケパはそういう考えなら行きたがるかも、と思い納得はしかけたが、妙に落ち着き払っている黒耀の態度になにやら違和感を感じ、確認するように問いかけてみることにした。
「……本音は?」
「神隱しで連れて行かれる所に興味がある。面白そう。旅をしてみたい。本気で宝貝を使ってみたい」
「最後はちょっと勘弁してくれる? それ以外は良い物件の参考にするからさ」
見知っている仙人達も異世界に行けるとなれば同じようなことを言いそうだ、と毛玉は苦笑しつつ黒耀に釘を刺しておく。
太極図を本気で使われれば世界など簡単に滅びるため、ここで止めておかなければならない。そもそも異世界に持っていって良い代物なのか、と毛玉は悩んだが黒耀の手から離れた際に回収すればいいか、と考えないことにする。
生命体の世界間移動に比べれば、非生命体の世界間移動は楽なのだ。
「おっと、忘れていた。美味い飯は食いたいぞ?」
「ああ、うん、そこはなんとなく日本人だね……たまに覗き見したりしてもいい? ちょっと幸運の加護あげるから」
流れが本格的に異世界へ渡る方へ傾きつつあるのを感じ、毛玉もそれに逆らうような事はせず要望を伝えてみる。
加護という物はちょっとという表現で分けられる物なんだろうか、と疑問に思ったが、得に問題にも思わなかったため黒耀はそのまま頷く。
「別にいいが……本当に暇なのか?」
「うん、結構。じゃあ今から良さそうな世界を探して放り込むけど、そうだね――
――ちょっと強引なことしちゃおうかな。親しくなるかもしれない、仙人くんのために」
その言葉の節々には黒耀が聞いても何処かワクワクしているように感じられた。
彼はそれに対し何も言わず、ただ楽しそうに僅かに口角を上げつつ、眠る子犬を優しく撫でていた。