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大百足の襲撃

 下校時間に突如現れた妖の襲撃から一週間経って、ようやく良太郎りょうたろうの打撲が癒えはじめてきた。

「いってきまーす」

「良太郎、一週間も休んだんだから、まじめに勉強してきなさいよ!」

 居間からひょっこり顔を出して息子を見送る母よし子が、ぴしゃりと言う。

「それが大怪我した息子にかける言葉かよ」

「ただの打ち身でしょ、あんたの身体が丈夫でほんと助かるわあ」

 満面の笑顔でいってらっしゃーいと手を振る母に、良太郎は心の中でありったけの罵声を浴びせた。口に出せない自分がすこし情けないと思いつつも、この狩野家の裏のボス的存在には誰も文句は言えなかった。


「学校めんどくせーなぁ」

 あーあ、とため息をついたそのときだった。青陵高校へ続く地獄坂の手前で、小柄な影が手を振るのを、見た。

「りょーたろー!」

「げっ」

 ぴょんぴょん跳ねると、茜色の髪と同じ色の尻尾がフサフサと揺れた。

 忘れたくても忘れることなどできない。なにせ、良太郎が心奪われた、美少女――もとい、稲荷狐いなりぎつねの主なのだから。

 茜色の尻尾を持つ狐霊これい宗谷そうやだった。

「りょうたろうにね、会いたくて、来てしまったの!」

 えへっと笑う彼女の可愛さに目がくらみそうになるのを必死にこらえて、良太郎は自己暗示をかけつづけた。


 ――無視するんだ、無視するんだ、無視するんだ。


「わたし、あちら側に帰ってからもずっとりょうたろうのこと、考えてて……」

 桜色に頬が染まるのを見るやいなや、良太郎の思考は完全にフリーズした。

 頭は真っ白だというのに、心臓は蒸気機関車のような熱と、けたたましい稼働音をあげている。

 ――これは、これはもしや俺のことを、す、す、好きに……?

「やっぱりお礼は早くしたほうが、いいと思って!」


 健全な理由も、いまの良太郎には聞こえていない――。


「りょうたろう、りょうたろう。七日前のお礼に、わたし、なんでもするよ!」

「……なあ宗谷、あれはただ道を教えただけで、べつに俺、たいしたことしてないよ?」

「ううん、りょうたろうはわたしの命の恩人だもの!」

 いつ命を助けたんだと、つっこみそうになる自分を抑えて、良太郎は黙々と急こう配の坂をのぼった。

 もうひとつのつっこみどころ、例の赤い髪の男――いや、狐霊がなぜ今日はいないのかという点も、ぐっと飲み込む。

 ――できるだけ、しゃべらないようにするんだ、俺。

 ちょうど登校時間にぶつかっているため、宗谷と話をするときは細心の注意を払わなければならない。それはもちろん、保身のためで、独り言をいって歩けば奇異の目で見られるからだった。

 十六年間秘匿してきたのだから、なんとしてでも貫き通さねばなるまい。

 携帯電話という文明の利器を持っていないことが、こんなにも自分の首を絞めるとは思いもしなかった。

「ねぇりょうたろう、なにか欲しいものはない?」

「たとえば?」

「おかねとか」

 ほんわか笑いながら、なんとえげつないことを言うのだろう。

 そう考えていたことが顔に出たのだろうか、宗谷は慌てて「じゃあ」と、つづけた。

「えらいひとにしてあげようか?」

「こっち側の世界では、ちゃんと選挙ってのがあんの」

「おいしいもの食べたくない?」

「朝飯食ってきた」

「じゃあ、なにが欲しいの?」

「なにも欲しくない」

 食い下がる彼女にほんの、ほんの少し苛立ちを感じて、冷たく言い放つ。

 すると、つい先ほどまでふわふわした笑顔を見せていた宗谷の表情が、サッと硬く――いや、急に大人びた表情に変わった。

「……本当に?」

「……なんでそんなこと聞くんだ?」

「ニンゲンは欲深いと聞いたの。りょうたろうは、ちがうの?」

 赤い瞳がじっと見つめる中、否定の声をあげることはできなかった。

「たぶん、ちがわねぇよ」

 でも、と良太郎は続ける。

「本当に必要なものがあるなら、だれかに与えられるんじゃなくて、自分で得なきゃ意味ないって、思うだけだ」

「ニンゲンは身勝手だと聞いたの。りょうたろうも、自分の命のほうが大事でしょう?」

「そりゃ、だれだって自分の命は大事だろ」

 良太郎を刺すような視線。

 やはり、良太郎が妖に襲われたあの日に感じた視線は、この狐霊のものだろうか。

 ――なんだ、前に会ったときと、何かが変だ。

「宗谷、お前に会ってから妙なことばっか起こるんだ。まさか、ぜんぶ宗谷が仕組んで――」

 言い終わるか否かの、そのとき。

 突然、地の底から不気味な気配がわきあがってきた。霊気だ、と気づいたときにはもう、良太郎の目の前に、ゆうに三メートルはあろうかとういう、巨大なムカデが姿を現していた。

 二本の触角がグネグネ動いて、数えきれない足がうごめいている。

 それは、ふつうの人間には見ることのできない存在――。

「また、あやかしかよ!」

 目を丸める宗谷の手を取って、良太郎が叫んだ。

「逃げるぞ、宗谷!」

 だが、ムカデは金切り声をあげて獲物に牙を向けた。

 良太郎と宗谷は青陵高校近くの、雑草だらけの古びた神社に駆け込んで息を殺し、身をひそめる。そこは宗谷とはじめて会ったとき、彼女が探していた梅ノ木稲荷神社うめのきいなりじんじゃだった。

 ――なんなんだ、なんでこんなに次から次へと……!

 社殿のかげに隠れて、そろりと様子をうかがう。すると、気配を察したのだろう、ムカデはズルズルと巨躯をひきずって境内に入り込んできた。

「やべぇ……!」

大百足オオムカデという妖だと思う」

「文献では見たことあるけど……うげ……本物はあんなに気持ち悪いのか」

 赤黒い体表が気味悪くつやびかりしていて、全身の鳥肌と吐き気が同時に襲ってきた。

「りょうたろう、早くなんとかしないと、大百足は霊力のある人間を食らうと聞いたよ」

「マジかよ、だから俺が狙われてんのか……とりあえず、隙を見て逃げる!」

「逃げる……?」

 宗谷の眉間に、ありったけの不審が刻みこまれた。

「こんな化物、俺だけじゃどうにもできるかよ。東永寺とうえいじの住職に片づけてもらうさ」

「りょうたろうがやらないの? 見鬼けんきで、力もあるのに?」

 見鬼という単語と、責めるような視線に良太郎は一瞬、たじろいだ。たしかにふつうの人間にはない稀な力を持ってはいるけれど、先日のあれ(・・)をさらにしのぐ巨大な妖を前にして、責められるのはどうにも納得できない。

「俺にそうゆう力があっても、限界はある」

 自分だけが助かればそれでいいとは思わない。でも、病み上がりの身体でこの大百足を仕留めることは不可能に近かった。なぜなら、雪丸を――狗神を制御しながら使役するには、それだけの体力と精神力を要するからだ。

「神社に結界を張って、閉じ込めてから出――」

 二の句を継ぐ前に、ふと顔をあげた先で驚くべきことが起こっていた。

 大百足が鎌首をぐるりと百八十度、向きを変えていた。その目の無い顔を向ける先には、ちょうど稲荷神社を通りかかった男子生徒が――。

稲瀬いなせ!」

 良太郎の叫び声に、クラスメイトの稲瀬佐紀いなせさきが視線を向けてきた。普段は無表情の生徒が、不思議そうに良太郎を見つめる。

 大百足が長い体躯を猛然と伸ばして、無防備な獲物に襲いかかる。

「クソッ!」

 宗谷を後にかばって、良太郎は両手を合わせて印を組む。

「縛せよ!」

 みしっと不快な音を響かせて、大百足の身体が硬直した。

 良太郎が組み合わせた手と、大百足の身体が同じようにブルブルと震える。どちから一方が力を緩めれば均衡はあっというまに崩れてしまうだろう。

 雪丸を呼び出せないいま、全神経を己にそそぐ。額ににじんだ汗が、こめかみをすべっていった。

 ――マジで、どうなってる。

「狩野君、大丈夫?」

 梅ノ木稲荷神社の前で、妖の見えていない稲瀬佐紀が怪訝な表情で良太郎に問いかけた。それは、至極当然の反応だろう。なにせ、良太郎は古びた神社でたったひとり、謎のポーズを決めて何事かをしゃべっているのだから。

 ――クソッ、稲瀬のやつ、雪丸は見えたけどこのムカデは見えてねぇのかよ。

「宗谷、いまのうちにあいつを……安全な場所まで誘導してくれ……宗谷なら、できるだろ」

「だめ」

 即答。

 問答無用の返答だった。

「は……?」

「できるけれど、だめ」

 印を組んだまま、ちらりと横目で宗谷を見る。

 茜色の目は、一切笑っていない。

「宗谷、お前……お稲荷さん、だろ?」

「だから?」

「……だって、狐の神様――御先稲荷おさきとうがなんだろ……」

「そのニンゲンは、わたしに関係ないもの」

 宗谷の言葉は、まるで氷のナイフのように冷たくて、いとも簡単に良太郎の言葉を切り裂く。

「でも、りょうたろう(・・・・・・)だけなら、助けてあげる」

「待てよ……稲瀬は、アレに食われても問題ないって、いうのかよ……」

「ニンゲンの生死は、狐霊にとって無意味だもの」

 宗谷は小首をかしげて、にっこり笑った。

 まるで、先日とは別人――こんな彼女を、良太郎は知らない。

 くちびるをぎゅっと結んで、良太郎はありったけの大声で叫んだ。

「……稲瀬ッ! あとで、教室でな!」

「……じゃ、あとで……?」

 稲瀬佐紀はすこし気まずい顔を浮かべてから、すっと立ち去った。

 だがこれで良太郎に降りかかる不安材料はなにもなくなったことになる。

 そんなとき、バチンとまるでゴムがはち切れるような炸裂音があたりに響いた。

 大百足を縛っていた術がほどけかかった。

「……俺、勘違いしてたみたいだ」

 良太郎がぽつりと言う。

「え?」

 宗谷にはそれが自分に話しかけられているのか判断できないようで、大きくて丸い目を、さらに丸めた。

「間抜けで、笑える」

 愛らしい容姿に、人懐っこい笑顔、なにより良太郎に好意的だから、すべての人間に好意的だと、思い込んでいた。

 狐の神など、しょせんは人間の味方であるはずがない。

 神々が人間を平等に扱うことなどないと、特異な力を持つ良太郎には分かっていたことなのに。


 狐に化かされるとは、このことをいうのだ。


「宗谷は離れてろ……俺がこいつを一人で、倒す!」

「えっ?」

 組んでいた印を離すと、大百足を縛っていた術がバチバチと激しく音をたてて、破れた。

「りょうたろう、だめっ……死んでしまう!」

 宗谷の制止を無視して、怒り狂った大百足に敢然と向き合う。良太郎は持ちうるすべての術から、十三の印を選んで組み始めた。

 大百足の胸から頭部にかけて、ベリベリ裂けはじめ、あの熊のような妖よりも凶悪な口が少しずつ開いている。

「りょうたろう、まって! りょうたろうが助けてと一言いってくれれば、わたし――」

 それに良太郎は応えなかった。

「さっきは自分では闘わないと言ったのに――どうして!」

 良太郎の力は誰かのために使う力だと、祖父は言った。

 大百足が無差別に人間を襲うと知ったいま、このままひとり身を潜めているわけには、いかない。

 自分一人の力で討つことができないと、知っていても――。

「理由を言っても、お稲荷さんにはわかんないだろ?」

 大粒の汗が流れるなか、ふっと皮肉の笑みを宗谷に向けた。

 最後の印、十指を合わせて大百足と真正面から対峙する。

 大百足の口が完全に開き、横幅が増すそれの奥はまるで底なしの闇のごとく。

 金切り声が衝撃波を伴って境内に響いた。


「……やだ、やだ! やっぱり、だめーっ!」


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