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教室の隅の生徒

「なあ良太郎りょうたろう、昨日なに見た?」

『お稲荷さん見たよ』などと冗談でも口にできない。だから良太郎は「べつに」とすげなくたけるに言葉を返した。

「うーわーひーでぇー!」

 朝のホームルームが始まる前、机の上に座る岡野健おかのたけるは周囲の迷惑も気にせず、盛大にブーイングを鳴らした。

「返事してやったじゃん」

「なんつー上から発言!」

「健、すこし黙れ」

「コワー! でもそーゆー俺様良太郎もスキ」

 投げキッスが顔にあたって、さすがの良太郎もこぶしがワナワナ震える。この友人、性格は別として容姿だけは良いからよけいに腹立たしい。

 そんなとき、間近でフンフンと荒い鼻息が聞こえた。

 ぎょっと驚いて周囲に目を配れば、良太郎の愛犬、雪丸ゆきまるが声をあげて笑う健の足に体をグリグリ擦りつけている。

 ――雪丸?

 健は雪丸を気にするふうでもなく、ケラケラ笑い続けた。

 ――勝手についてくるなっていってあるだろ!

 声を出さずに叱咤すれば、愛犬は尻尾を下げてキューンと鼻を鳴らした。こうなっては、さすがにこれ以上しかるのも酷というものだ。

 ――かわいいな、ちくしょう。

 ふたたび健の足にじゃれついて尻尾をブンブン振る雪丸は、まるで反省の色がない。むろん、犬だから反省などするはずもないのだが。

「なあ良太郎、なんかさぁ……少し寒くね?」

「いや、別に?」

 風邪引いたかなあ、と額に手を当てる健に、良太郎はしれっと知らず顔で受け流す。

 どうやら、この友人はほかのクラスメイトたちと違って、感覚がやや鋭いらしい。

「もしかして健のそばに、ユーレイでもいるんじゃねえの?」

「まっさかぁ」

「だよなー」

 笑い飛ばした良太郎は、足元でしきりに臭いをかぐ雪丸に目を落とした。

 霊魂の――つまり、幽霊のような存在である雪丸の気配を察する人間は、そう多くはない。その少数派が自分の友人というのは、良太郎自身なんとも不思議な縁だと感じているし、世界の狭さをあらためて認識する。

 だが、そんな健にも自身の持つ特異な力のことは長年隠し続けている。たとえ気が置けない間柄だとしても、臆病な自分が「絶対に話してはいけない」と、いつだって頭の中で叫んでいた。


 ふと、雪丸の姿がないことに気づいて、教室をぐるりと見回した、まさにそのときだった。

 椅子の激しく倒れる音がして、良太郎は驚いて背後を振り返った。

 同時に、クラスの目という目が教室の隅の、戸口側の、一番うしろへ向いた。

 眼鏡をかけた男子生徒――苗字だけしかわからないけれど――、稲瀬いなせは青い顔で一歩、後ずさる。

 稲瀬の目の前には、ちょこんとお座りをする、雪丸。

 いや、良太郎の愛犬は、ふつうの人間には見ることができないはずなのだ。それなのに、たしかに、稲瀬はなにもない場所(・・・・・・・)を、見つめて固まっている。

 良太郎の視線に気づいてか、あるいは気づいていて気づかないふりをしてなのか、稲瀬がふいと視線を外した。すぐに椅子を元どおりにすると、何事もなかったかのように、静かに着席する。

「いまの……」

「びっくりしたー、影薄いからたまにドキッとすんだよな、あいつ」

 健がびっくりしたのは、もちろん良太郎とはちがう観点からだった。

「稲瀬、だっけ?」

「そうそう、最近、佐伯さえきがあいつのことストーカーしてるよな」

「ふうん」

「あんな地味なのがいいのかね? 佐伯、ビジンなのにもったいねぇー」

「さあな」

 良太郎自身、入学してからこの2か月ほど、この稲瀬という男子生徒を気にかけたことは一度もなかったように思える。だが、ひとたび意識をすれば、奇妙なことばかりだった。

 ――雪丸、あいつのそばには寄らない方がいい。

 稲瀬は、良太郎以外には見えないはずの雪丸をたしかに見ていた。それにもっと妙なことをいえば、霊的存在に驚いて立ち上がったというよりも、むしろ犬が怖かったような、そんな避け方だった。

 ――あいつは俺と同じものが見えてる。

 キュンキュンと鼻を切なげに鳴らす雪丸に、はっとわれに返った。どうやら愛犬は主人に怒られていると勘違いをしたらしい。

 ――ごめん、怒ってないよ。

 やさしく声をかけてから、もう一度教室の隅の席へ目をやる。稲瀬はひとり静かに本を開いていた。

 どこにでもあるありきたりな朝の風景だというのに、良太郎の胸は深い森で木の葉がざわめくように不吉な音を立てている。奇妙な違和感が、心臓をゆっくり這っていくようだった。


 ――いままで気づかなかったけど、あいつ……人間の気配と、宗谷そうやと似たような気配が、混じってる気がする。



「ちょうど、写真が載っているけれど、ここが伏古稲荷大社。全国約一万の稲荷神社の総社で――」

 涼しげな声で教科書を読み上げているのは、歴史担当、和泉いずみ教諭。

 女子たちの熱い視線を、これまたさわやかに受け流しつつ、授業を円滑に進めている。この三十代半ばの教師は、男の良太郎から見ても整った顔立ちだと思うし、性格だって温和で親しみやすい。

「――ここの祭神は、『宇迦之御魂神ウカノミタマノカミ』といって、稲荷狐いなりぎつねを束ねる神様なんだ。まあ、これはテストに関係ないところだけど」

「えーっ、和泉センセー、テストに出るとこだけ教えてぇー!」

 女子のリーダー格、渡邊愛が声をワントーン上げて抗議する。そこで、授業終了のチャイムが鳴った。

 教室は解放感で一斉ににぎわいを取り戻す中、良太郎の心は違う場所にあった。

「稲瀬、資料を運ぶの、手伝ってもらってもいいかい?」

 和泉先生の声が、水の中で響くように、くぐもって聞こえるくらいに――。


 稲荷神社。

 お稲荷――いや、文献には、稲荷神社のあるじ、当主を『御先稲荷おさきとうが』と呼ぶと、書いてあった。

 人間の住む場所ではない、狐の神や仙たちが住む場所では、御先稲荷ふくめた稲荷狐たちを、『狐霊これい』という。

 宗谷。

 つまり、あの子が、稲荷神社の主。

 宗谷のあの気配が、狐霊のものだというなら――。


「良太郎、つぎ移動教室だぜ、置いてくぞ」

 至近距離でのぞきこんだ健と目が合って、良太郎の心はジェットコースターが急停止するような速さで、教室に戻ってきた。

「……おう、てかけーよ、パーソナルエリア侵入しすぎだろ」

「オレと良太郎の間柄だろ! つめたいっ!」

 イヤーン、とふざける健の肩に思いきりパンチを食らわして、ペンケースだけを片手に良太郎は教室を出た。

 すでに教室の隅の席は、無人だった。


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