軽犯罪
六月に入った。
新学年として、約二カ月も過ごしたことになる。この時期は新しい学年に上がったことによる緊張感が薄れ始め、校内で起こる問題が表面化しやすい時期でもある。
話が少し変わるが、我が校には校内委員というものが設置されている。これは校内の問題をいち早く知り、学校側に伝えるという生徒会管轄の委員である。各クラスから二名づつが選出され、腕章を常に付け、放課後などもよく残って問題が起こらないように、また、問題が発生した場合に対処するために常に準備しているというやる気満々な委員会だ。
この校内委員が学校内の問題を学校側に伝え、そして学校側が学校として処罰する必要はない、と判断した場合、校内裁判にかけられることになる。つまり、学校が学校として罰を与えるのではなく、校内裁判が代わりに罰を与えるということである。これは、学校が問題を大事にしたくないが罪には罰を与えなければならないという考えと、校内裁判を出来るだけ多くこなしたい弁護部検察部両方にとってメリットがある。
まあそんなわけで、気温も上がり、クラスにも慣れ、だらだらと過ごしている生徒達になにか問題が発生しないかと、校内をいつも以上にうろうろしているわけだ。
だが良いのか悪いのか微妙なところだが、この時期になっても校内委員が出動しなければならないような問題が絶対に発生するかと言われれば、必ずしもそうとは言えない。
なぜか今年は、平和だった。
もとより偏差値の高い高校。校内で問題を起こすような生徒は少ないのだが、おかしなことに、それはそれで困る。校内委員は校内で発生する問題、つまり事件や事故を事前に取り締まったり、学校側に報告することを生業としているわけだが、問題が全く起こらないと委員の存亡にかかわる事態にまで発展しかねない。他の学校にない委員がこの学校で存続しつづけられるには、常に結果が求められるというわけだ。その点から言えば、弁護部や検察部に近い物があるが、実際には委員と部活。立場は校内委員のほうが上だ。
話を戻して。問題が発生しないときに便利なのが、普段は問題として取り上げないような事案を問題をして取り上げる、という大人なやり方だ。
そこでターゲットとなったのが、二年生男子、尾崎君。
彼は一年生の頃から校内きっての不良として、俺達の学年では知らない人はいないくらいの有名人だ。具体的になにがどう不良なのかと言うと、制服をだらしなく着ているという点につきる。ネクタイを緩く締め、シャツをズボンの中に入れず、さらにズボンをずり下げ、奇妙な形のバックルのベルトをしている。まさに不良だ。こんなことをしていては校内委員から目をつけられても反論はできまい。
だが、制服をだらしなく着ることがなにかの罪に問えるのかといえば、それは中々厳しい。だから今回はまったく別の罪に問われていることになる。
ちなみに、今回の裁判では、俺達弁護部が尾崎君を弁護することになっている。つまり尾崎君を守る側だ。
「じゃあ、何の罪で起訴されたのかというのを一から確認していくから。尾崎君、しっかりと内容を覚えて置いてくれ」
「…………」
いつもの放課後の弁護部部室。依頼人である尾崎君は向かいソファに浅く腰かけて、ポケットに手をつっこんだまま座っている。俺の問いかけに応じることはない。
「今回は軽犯罪法を八つも犯しているという検察部の訴えだ。それじゃあ井上、軽犯罪はどんな罰が与えられるのか言ってみろ」
「はい、えーと……」
ノートをペラペラと開く。
「軽犯罪法を犯した者は、拘留または科料に処する、です。この学校の罰に変換すると、一日のみ放課後清掃ボランティアか反省紙を裁判長に提出、ですね。非常に軽い罰となっていると思います。ですから、今回尾崎さんの場合ですと、最悪すべての罪が認められたとしても、放課後清掃ボランティア八日間だけ、ということです」
ふむ……。やはり人数が少ないため、マンツーマンで教えることができるし、なにより井上にはやる気がある。ここ最近の成長ぶりは著しいものがある。
「それじゃあ尾崎君が何をして、それが何の罪を犯しているのかというのを確認する。
一つ目、筆箱にマイナスドライバーを所持。
二つ目、避難訓練をサボる。
三つ目、教室内にて、ゴムボールを投げて遊ぶ。
四つ目、休憩中に友達を大声を出して騒ぐ。
五つ目、グラウンドにツバを吐く。
六つ目、授業中、虫の形をしたおもちゃを女子に投げる。
七つ目、ワックスをかけた直後の教室に入る。
八つ目、掲示板に貼ってある、いじめ防止ポスターに画びょうを刺しまくる。
これだけの罪を犯しているという検察部の訴えだ」
「はー……」
井上が罪をまとめて書かれている紙を見ながら呆れたような声を出す。
「こんなことで訴えられちゃうんですね。ちょっとやってらんないって感じです」
「まあ、今回のこれは積もりに積もったって感じだからな。ひとつやふたつの罪を犯しているからと言って、さすがに検察部といえでも訴えたりはしない」
この訴えは、校内委員の大人な対応。つまり普段なら訴えないような内容を訴えているという事実があるわけだが、これを尾崎君はもちろんのこと井上も知らない。もとより、この事実を知っているのは、俺を含め、検察部の一部の人間か校内委員のみだろう。こんなことを表沙汰になってしまえば、校内委員が学校から処罰を受けかねないという訳の分からない事態に陥ってしまう。
俺はなぜこのことを知っているのかと言うと、先輩たちからこういうことがある、ということを教えてもらっているからだ。だから実際に校内委員に聞いたわけでもないので、絶対にそうだという確証があるわけではない。井上には、機を見て話すとしよう。
「そこで尾崎君に質問だ。尾崎君はこの訴えられた八つの罪、実際にやったのか?」
「……悪いのかよ」
「うーん」
俺は苦笑いをしながら鼻の頭をぽりぽりと掻く。
「質問に答えてくれないと困る。今俺が質問したのは、悪いのかどうかでは無くて、やったのかどうか、だ。やってないのならやってないと堂々としていればいいし、もし仮にやったのだとしても、隠しだてする必要はどこにもない。やったことを反省すれば、罰も軽くなるからな」
こういった裁判で最も避けなければいけないのが、実際にやっていないので無実を訴えたのにも関わらず、それが認められず、なお且つ反省の態度が見られないということで、罰が重くなってしまうというケースだ。だから正直に言うと、無実を訴えるという弁護のほうが、心理的に負担だ。
「早く答えてください。一生終わりませんよ」
痺れを切らした井上が、いちおう上級生にあたる尾崎君に向かって言う。
「あ?」
「…………」
尾崎君のあからさまにイラついた返事、そして視線を井上は受けるが、動じることなく見つめ返す。
「言っておきますけど」
井上はこちらをちらりと見て、もう一度尾崎君を見る。
「あまり態度が悪いようなら、こちらとしても弁護出来かねます」
「弁護部がそんなこと言っていいのかよ」
「勘違いしないでください。私達はあなたに頼まれて弁護するだけであって、私達が頼んで弁護するわけではありません。別にいいんですよ、この裁判を開かなくても。ただ、そうなってくると困るのはあなたです。もう尾崎さんの行動は問題として提起されたものであるわけですから、裁判が開かれなくなったとすれば、学校側が別に罰を用意する必要があります。どんな罰かは知りませんけど、学校があなたに与える罰は記録として残り、就職や進学に影響するかも知れません。それでもいいんですか?」
「…………」
「それと、そのだらしない服の着方。どうにかしてください。服についてはなにも触れられていませんけど、そのだらしない服の着方が、あなたが訴えられた一因だと、どうして分からないんですか。粋がって悪ぶるのは構いませんけど、正直恥ずかしいですよ」
なんだか、井上が覚醒したらしい。
さっき井上が言ったことは全て、昨日俺が教えたことだ。依頼人は何かしら問題があってここに来ているわけであるから、依頼人その人になんらかの問題があるとも言える。例えば今回のように不良であったり。そういう人間に言うことを聞かせるための脅し文句として、先程井上が言ったようなことをしばし使うことがあるのだが……。俺だったらあそこまでキツイ言い方はしないだろう。言った後、微妙な空気になりそうだから。
「ついでに尾崎さんのことについて色々と聞いて回ったので、そのことも言わせてもらいますけど」
井上は持っていたノートをペラペラと捲る。
「まず筆箱のなかにマイナスドライバーを入れていることについてですけど、尾崎さんの知り合いにそのことを尋ねたところ、尾崎さんはこう言っていたと、言っていました。『いつ他校の奴らに襲われるか分かんねえからな』と。あなた、カバンの中に入っている筆箱の中に入れているマイナスドライバーでどうやって戦うつもりですか? 取り出している最中に喧嘩終わってますよそれ」
「…………」
尾崎君は不遜な態度を崩さない。あちらさんの方も、なかなかのメンタルの持ち主だ。
「次に避難訓練をサボったことについてですけど、これも知人の方に聞きました。避難訓練の最中、尾崎さんはトイレにこもって漫画を読んでいた、と知人に話したそうですね。その知人の方が避難訓練が終わった直後に、尾崎さんが隠れていたトイレにたまたま入ったところ、イカ臭かったそうですよ? いったいなにをやってるんですか、あなたは。友達に大方のことはばれてますよ」
「…………」
尾崎君、さっきと体勢は変わらないものの、冷や汗がだらだらと流れている。
「次行きます。今回訴えれた罪のうち、三、四、六についてですが、尾崎さんはクラスの中に好きな女の子がいて、その女の子の気を引くために、騒いだりしているという情報を知人の方から頂きました。そしてその女の子に尾崎さんのことについて聞いたところ、『騒がしくて本当に迷惑。だから今回の裁判では出来るだけ重い罰を与えてほしいんだけど、でもそうなると小川君が活躍できないと思うし。あと小川君に、いつも応援してます。頑張って、って伝えてね、キャー!』とのことでした。一体どういうことですか、先輩?」
「ええっ!?」
いきなり俺の名前が呼ばれて、今まで自分でも聞いた事の無いような声を上げてしまう。はっきり言って、完全に油断していた。いやそもそも、俺が井上から責められるようなことをしたという事実はなにもないのだけど。
しかし、なんというか。非常に不穏な空気が流れている。もし仮に井上の言っていることが事実だとして、つまり尾崎君の好きな女の子が、俺のことを応援しているということについてだが、これは完全に尾崎君から嫉妬されてしまう。お前になんか弁護されたくねえよ、と言われても仕方ないと思う。
「どうなんですか、先輩。その女生徒とは一年生のときに同じクラスで、けっこう仲がよかったそうじゃないですか。付き合うんですか? どうなんですか? 付き合わないんですか? そうなんですか」
「少し落ち着け……」
質問している最中に自己完結してしまっている。しかもリズミカルだ。
この覚醒中の井上を鎮めるためには、俺がやるしかない。
「言っておくけど」
俺は宣言する。尾崎君に向かって。そして井上に向かって。
「俺の恋人は、法律書だ!」
井上は持っていたノートを机にそっと置いた。
「さすが先輩です。その言葉を待っていました」
「待っていたのか……。そうか、待たせたな」
「ちょっと気色悪いです」
「…………」
「それじゃあ話を戻して――」
傷ついた俺を置いといて、やりそこねた罪の確認をし始める井上。
ちなみに尾崎君も、どうしようもないくらいに傷ついている。
今日、成果はなにひとつ、上がらなかった。