当事者尋問の続き
「次の質問に移ります」
すぐに気を取り直した岡崎は、緩んだ場の空気を変えるように澄んだ声で言う。
「『全米ってい割と簡単に泣かないよね』という田中さんの発言ですが、これも山本さんに対しての侮辱、ということでよろしいのですか?」
「はい、侮辱です」
「よく分からない訴えですね」
「なら出直してきて下さい」
「…………」
岡崎も、もういい加減気付いた方がいい。山本さんは挑発すると、確実に挑発し返してくる。そうなってくると、嫌な思いをするのは挑発した側だ。
「『全米って割と簡単に泣かないよね』という発言。これは全米のことを言っているだけであって、決して山本さんに対して言っているわけではありません。それに、もし仮に全米がこの発言に対して侮辱されたと訴えてきたところで、この発言の内容は侮辱には当たりません。これは単なる田中さんの全米に対する印象でしかないからです。さらに仮の話をしますが、この発言が侮辱に当たるとしたとしても、山本さんはそもそも訴えを起こすことすらできません。なぜならば、親告罪というものがこの世にはあるからです」
「し、親告罪……?」
「聞いていないのですか?」
驚いたように山本さんに聞いて、なぜ教えていないんだ、と言った風にこちらを見る。
「弁護部は親告罪を知らないのですか? そんな筈はありませんよね、皆さんに分かっていただくという意味も込めて、説明願います」
俺は、はあと溜息を吐く。
「親告罪、被害者の告訴が無ければ訴追、処罰することを許されない罪」
「あら、知っているんですか。ちなみに親告罪は軽い犯罪であったり、事実が知れ渡ると被害者にとって損害を増してしまう罪に適用されます。例を挙げるのであれば、器物破損、そして今回の内容と一致しますが、名誉に関する罪。つまり名誉毀損や侮辱です。さらに強姦などの罪があります」
そして再びさりげなく自身の知識を披露する岡崎。お前はいったい、なにがしたいんだ。
「まあ兎に角。『全米って割と簡単に泣くよね』という発言は山本さんを侮辱したものではない、ということです。誰がどう聞いても、ね」
「そ、そんなことは知りません。私が馬鹿にされたと感じだんです」
「残念ですがそんなことは関係ありません」
それを聞いた山本さんは、むっとした表情で岡崎を見る。
「もう一度言います。山本さんが馬鹿にされたと感じたとしても、そんなことは侮辱罪にはなり得ません。もちろん田中さんが馬鹿にしたとしても侮辱罪にはなりません。言ったでしょう? 公然、という状況でないとそれは意味を成さないんです」
「公然でした!」
「だとしても。もし仮にあの時の状況が公然と呼べるべきものであったとしても。周りの人間が、田中さんは山本さんを馬鹿にした、と思わないと、それは侮辱罪には適用されません。大事なのは当事者同士の会話内容ではなく、周りがどう思ったか。これに尽きるんですよ。それを前提に考えていただきたいのですが、『全米って割と簡単に泣くよね』。果たしてこの発言、普通に考えて、山本さんを馬鹿にしたものでしょうか」
「…………」
「質問を終わります」
自分の言いたいことだけを言って尋問を終了する岡崎。
うーむ、うまい。
岡崎の特徴なのかもしれないが、尋問が上手なような気がする。もちろん、数いる検察部の中でエースと呼ばれ、現状、裁判をすべて任されている岡崎なのだから、上手なのは当然なのかもしれないが。
「続いて被告の尋問に入る。原告、下がりなさい。被告、前へ」
山本さんは少し安堵した表情を見せて自らの席に戻り、今度は田中さんが尋問が行われる席へと座る。いよいよ裁判も終盤だ。
「それでは検察部から質問をさせていただきます。よろしくお願いしますね、田中さん」
「はい、お願いします」
一通りの挨拶を終えるも、田中さんは表情を変えることをしない。緊張など無いように見える。それだけ、自分の訴えに自信を持っているという証でもあるのかもしれない。
「まずはじめに、この裁判において最も重要なことをお聞きします」
「はい」
「田中さんは、山本さんを侮辱しましたか? また、そういう考えを持っていましたか?」
「いえ、私は山本さんを侮辱なんてしていませんし、正直、そういう風に捉えられていること自体、不思議でなりません」
「では『全米って割と簡単に泣くよね』という発言はどういう意図があったものなのでしょうか」
「そのままの意味です。全米が泣いた、という謳い文句を、あの時私はそのままの意味で捉えてしまったので、そういう発言が出たんです。それに、私は実際に映画を見ています。その上で感動できなかったら、あの映画で感動できる人間もいるのだなあ、と驚きの意味が込められていました。決して映画および山本さんを嘲ったものではありません」
なるほど、と岡崎は唸る。
「では当時の状況をお聞きしますが、どのような感じでしたか?」
「さあ、周りのことは覚えていませんね。山本さんの言うとおり、男子が騒いでいたのはなんとなく記憶にありますが、私は山本さんの話を真剣に聞いていたので」
「ですよねえ。話を真剣に聞いていのならいちいち周りのことなんて覚えていませんよね」
それだというのになんで山本さんは覚えているんでしょうかね、という意味を込めた視線を山本さんに送る岡崎。なんとも厭らしい仕草である。
「では、最後の質問をさせていただきますが」
「はい」
「田中さんは山本さんを馬鹿にしたという事実は一切ないということですね」
「はい、断じて馬鹿にするようなことはしていません」
それを聞き届けた岡崎は裁判長の方を向いて、
「以上で質問を終わります」
そう締めくくった。
「それでは次に弁護部。質問を」
「はい」
俺は立ち上がり、尋問席に座っている田中さんの目の前で止まり、嘘をついても無駄だ、と思わせるように彼女の目をじっと見つめる。
しばらくにらみ合いが続いていたが、彼女の方がふっと視線を逸らした。俺の勝ちだ。イニシアチブは我に有り。まあ、質問する側にイニシアチブがあるのは当然なのだけど。
「それでは質問させていただきます。田中さんは実際に映画をご覧になったわけですよね。その感想をお願いできますか?」
「はい、特になにも感じませんでした。そもそも私はお涙ちょうだいの類は好みません。そういう意味では、今回問題になっている映画は、私にとって一番好かないタイプの映画と言えます」
「なぜそんな映画を見たんですか?」
「中学の時の友人に誘われたからです。それ以外に映画を見る機会を、私は持ちません」
「なら、その友達は泣いていましたか?」
「私以外、全員泣いていたと記憶しています」
ふむ、と頷く。感動するかどうかというのは人それぞれの価値観である。そしてその価値観とは今までどう生きてきたか、という部分に起因すると俺は思っている。そういう意味において、今回の映画を見てなにも感じなかった田中さんは、かなり特殊な人間に分類されるのではなかろうか。
いや、そうとも限らないのかもしれない。そもそも俺達のような若者は、常になにかに反抗したいという気持ちをどこかに持っているのではなかろうか。夜の校舎で窓ガラスを壊して周るような若者はもはや居ないが、大人や社会に対する意味の無い反感や反抗心を漠然と持っているものである。
だから今回田中さんがこの映画に感動しなかったのは、みんなが感動している映画に感動することが嫌だったから、とも推察できる。なにに反抗するかは、価値観と同じく、人それぞれ。夜の校舎で窓ガラスを壊して周り、それに共感してしまった人は、よほど周りにまともな大人がいなかったからだろう。なんとも恐ろしい時代だったと俺はいつも思っている。
「では、映画を見る前の質問になりますが、田中さんはこの映画が『全米が泣いた』と謳われている映画と知っていましたか? そして実際に多くの人が感動していたことを知っていましたか?」
「どちらも知っていました。私がよく見ている土曜日の午前にあるテレビ番組で映画の紹介コーナーがあって、それで何週にもわたってランキングに入っており、また何度も特集が組まれていたのでそれらのことについて、私は知っていました」
「お涙ちょうだいの映画と知っていて、それでも見たんですか」
「私は友達を大切にしています。友達がいないと駄目な人間です。実際、お昼ご飯を一人で食べるくらいなら、私はトイレで昼食をとります。こう見えても、一人が寂しいんです。だから嫌な映画でも我慢して見ました。嫌な映画の話しでも真面目に聞きました。それだというのに馬鹿にされたと訴えられて、私は非常に困惑しています」
「そうですか」
あっさりと相槌を打ち、この話をいったん終える。意外にも筋の通っている説明だ。
「まあ、ひとりの時トイレで食べるくらいなら弁護部に遊びに来てください。お茶くらいは出しますので」
「…………」
彼女はなにも答えない、というよりも、無視という言葉が適切だろう。
「話を戻しますが、田中さんはこの映画が『全米が泣いた』と謳われていると知っていたわけであり、またこの映画で多くの人間が感動し涙したことも知っていたわけです。つまり、この映画で感動することが普通であり、感動しなかった田中さんは、言葉が悪くなってしまいますが、普通ではないということになります」
「それがなにか?」
「ただの確認です」
俺は一呼吸置いて、田中さんの後ろを周り、反対側のポジションに立つ。
「あの場は公然であった、という確証はありませんが、実際に多数の人間が居たことは今までの証言を聞く限りでは事実であります。つまり、今回問題になっている映画に対するあなたの評価は、教室に居た人たちからしても、首を傾げるものであったに違いありません」
「よく分かりません」
「あなたは今回問題になっている映画を侮辱した、それは今回問題になっている映画を見て感動した人間を侮辱した、に等しい。なぜならば、感動するということを馬鹿にしたからであり、それは感動したことを馬鹿にするものであるからです。ということは、あの場に居た人たちも、今回問題になっている映画が感動するものであることを知ってる可能性もありますから、彼らからすれば、あなたの発言は侮辱になるということです」
それを聞いて田中さんはじっと考えるそぶりを見せるが、考えがまとまったらしくこちらを見上げる。
「そんな乱暴な証明は聞いた事がありません。論理の飛躍かと」
「ならば丁寧に説明します。先程私が言ったことは、田中さんが山本さんを侮辱したかではなく、山本さんが田中さんに侮辱されたかでもなく、田中さんが山本さんを侮辱したと周囲の人間が思ったか、ということです。分かっていただけますよね?」
「…………」
「重要なのは、検察部の岡崎さんも仰っていたことですが、当事者がどう思ったのかではなく、周りがどう思ったか、なのです」
「でも」
ポーカーフェイスの田中さんは表情を変えずに言う。
「『全米って割と簡単に泣くよね』という発言が侮辱に当たるとは思えません。普通に捉えたら侮辱ではないかと思います」
「普通に考えたら、侮辱になるんですよ」
「……水掛け論です」
「裁判とはそういうものなのですよ。以上で質問を終わります」
質問というよりかは、俺が演説をしたような尋問となってしまった印象があるが、まあこんなものだ。
「…………」
裁判長は法廷内をぐるりと見渡す。
「判決は後日下すものとする。本日はこれにて閉廷する」
それだけ言って颯爽と去っていく裁判長。それを見届けてから傍聴人や検察部が三々五々に散っていく。
「ふー、やっと終わりましたね、先輩」
井上がパイプ椅子にどっかりと体を預け、持っていた資料を机に放り投げて言う。
「やり切った風に言うのはやめろ。お前は座っていただけだろ、井上」
「これからどうします? なにか食べに行きますか?」
「どういう思考回路だ……」
確かに、俺達弁護部のやるべきことは全て終わったが、依頼人からすれば判決が出るまではなにも終わっていない。それに、連敗中である弁護部からしても、今回の判決である程度の結果を残せなければ生徒からの信頼を失い、依頼がまったく来ないという状況になりかねない。部員の数どうこうではなく、本当に弁護部の存続の危機とも言えるのだ。
「判決はいつごろ出ますかね」
山本さんの少し強張った声に、気持ちを切り替えて弁護部としての対応をする。
「早くて明日、遅くても今週中には出るよ。まあもう一度ここに来てもらうことになるから、日にちが分かったら井上が伝えに行くから心配いらないよ」
「そうですか……。どきどきします」
「まあ、そう気張らずに。弁護部でお茶でも飲んで帰ろうか」
「はい」
という和気あいあいとした空気になっている最中、井上がじっとりとした眼つきで俺達を見て言う。
「なぜ仲良くなっている」