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当事者尋問・山本さん

 弁護部、検察部の用意した証人に対する尋問が終わり、いよいよ次は原告被告双方に対する当事者尋問だ。

 まさに、裁判の山場と言っていいだろう。新聞部の連中も、一字一句聞き逃すまいと気合を入れているのがこちらにまで伝わって来る。

 ただ裁判の場で発言した内容は、すべて書記官の方々が書きとり、その後閲覧可能なので、そこまで気合を入れるほどのことでもないと思う。


「さて、それでは質問させていただきますね。山本さん」

「は、はい」


 多少緊張しているようだが、問題はなさそうだ。裁判の日にちを分けたことで、この雰囲気に慣れてしまったということなのかもしれない。


「今まで二人の証人、つまり鈴木さんと遠藤君に対し質問してきましたので、おおまかな流れは分かっています。しかし、田中さんが山本さんに対し、どのように馬鹿にしたのか、正確に言うと、嘲ったのかが今のところ不明瞭です。その部分を詳しくお願いします」

「はい。まず、私が映画の説明を一生懸命している最中、ずっと興味無さそうにしていました。その時点で、私は私が馬鹿にされていると、初めて思いました」

「どうしてですか?」

「彼女の発言を受けて、私が映画の感動する場面を説明することになったからです。つまり、私は彼女の為に説明をしていたわけですし、そもそも一生懸命説明している人に対して取る態度ではないと思います。それに――」


 彼女は一呼吸置いて、


「もし仮に田中さんが私を馬鹿にする意思が無かったとしても、相手が馬鹿にされたと思ったり、周りの人間が馬鹿にしていると思ったのならば、それは馬鹿にしていることになると思います」


 そう言った。

 極論になるが、殺すつもりはなかったが殺してしまった、というレベルの問題。罪の大小はあれど、罰を受けるべきなのは当然のこと。


「その後、田中さんは私に向かって、クラス中の視線が集まった状態で、『全米って割と簡単に泣くよね』と言いました」

「なるほど。それはさぞかし辛かったでしょうね……。それで、その時の田中さんの態度はどのようなものだったのですか?」

「はい……。見下していました、私を。見下ろして、薄笑いを浮かべながら、心底私を馬鹿にした表情で。酷く……、傷つきました」

「そうですか……。酷い人もいたものですね……」


 と言いながら、田中さんがどのような表情を浮かべているかをふたりしてこっそり見る。

 特に表情は変わらない。演技がくさ過ぎたのだろうか。


「以上で質問を終わります」


 田中さんが少しでもこちらに同情してくれないものかと、山本さんと相談して一芝居打ったのだが、あまり効果は見られない。本来ならば、判決を下す裁判長の同情を買うために芝居をするべきなのだろうが、残念ながらここにおわす裁判長は、機械的に判決を下す。情状酌量の余地はあっても、同情を買う余地はない。


「続いて検察部、質問を」

「はい」


 すっと立ち上がり、山本さんの傍により、よろしくお願いしますと丁寧に挨拶をする検察部エース岡崎。


「まずは確認しておきたいのですが、山本さんは田中さんに馬鹿にされた、つまり侮辱された、という認識でよろしいですか?」

「は、はい。たぶん……」

「よく聞こえませんね。あなたは今回、田中さんに対し、刑法第三十四章第二三一条の侮辱の罪で訴えると言っているのかと聞いているんです」


 なにやら専門用語がでてきて困り果てた山本さんは、救いを求めるようにこちらを見る。それに俺は、頷きだけで返す。それだけで大体のことは理解したらしく、自信がなさそうに言う。


「はい、それで訴えます」

「そうですか。ちなみに侮辱とはどういう意味なのか、弁護部、お答えいただけませんか?」


 こちらをさわやかな笑顔で名指しする。俺はその視線から目を外すことなく答える。


「侮辱、事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する」

「法律書を見ないで言えるなんてすごいですね」


 俺は黙ったままその発言を聞き流す。この裁判は侮辱されたかが一番の争点だし、校内裁判という性質上、今回のような言った言わない、とか、馬鹿にした馬鹿にしてないという案件がけっこう多いのだ。だからこそ俺は侮辱について知っていた。だからこそ、今の岡崎の俺に対する言葉は、俺のことを小馬鹿にした態度とも言える。


「ちなみに、これに対して名誉毀損という罪がありますが、これは、公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者、という違いがあります。ま、そんなに変わんないですね」


 さりげなく自分の知識を披露する検察部エース岡崎に対し、文句をつけようと思ったが、いちいち時間をとるのでやっぱりやめた。それに面倒だし。


「えー、つまり山本さんは田中さんに対して侮辱の罪で訴えるということが分かったわけですが、事実を摘示しなくても公然と、という条件があります。事実ではないことを大勢の人の前で発言して侮辱しなければ、罪には問えないわけです。ここでようやく本題に入りますが、『全米って割と簡単に泣くよね』という発言は、山本さんからすれば事実ではないということになります。確かにこれはあなたが訴えている内容と一致します。しかし次が問題です。大勢の人の前で、という条件を満たしているでしょうか。甚だ疑問ですが、山本さんはどう思いますか?」

「異議あり!」


 さっきの異議はさらり流したが、今の発言は看過できない。


「公然、の意味は大勢という意味ではありません!」

「じゃあどういう意味なんですか」


 尋問を邪魔されて、多少苛立ちを見せながら岡崎はこちらに直接聞く。


「公然とはおおっぴらという意味です」

「じゃあ、おおっぴらの意味は?」

「そ、それは辞書に載っていなかった。でも、公然の意味を大勢として捉えるのは不適当と言えます」

「それじゃあ、いったい何人の人間がその場に居れば、公然になるんですか」

「人数を聞かれても困る。その場にいた人間すべてが田中さんの発言を聞いていたわけでもないわけだし、人数でくくるのはよくない。とにかく、おおっぴら、という意味なんだから」

「だからおおっぴらってなんですか、おおっぴらって。おお、という文字が入っているのだから、それは大人数の前という意味じゃないんですか?」

「自分の都合のいいように解釈するのはやめろ」

「だったらあなたはどう考えているんですか。おおっぴらって一体何なんですか。あなたはおおっぴらをどうとらえているんですか」


 岡崎は一気にまくしたてた後、じっと考えるようなそぶりをする。


「……あなたのせいでおおっぴらという言葉自体、意味が分からなくなってしまいましたよ」


 なぜかゲシュタルト崩壊を起こしていた。

 時折思うのだが、これが高校生の限界なのだろう。法律の意味を正確に理解することが出来ないし、法律を専門的に教えてくれる人間もいない。だから解釈に微妙な違いが出てしまい、裁判を中断することとなる。検察と弁護士が言い争う裁判など、普通に考えればあり得ないものだ。


「岡崎、ちょっと」

「なんですか」


 尋問中の岡崎を弁護部の席まで呼び寄せて、裁判長や傍聴人、さらには書記官の方々に聞こえないように、小さな声で話しかける。


「俺たちがここで公然の意味の解釈の仕方を議論しても意味が無い」

「なんでですか」

「結局どう解釈するかは裁判長の判断でしかないからだ。だからここは、当時の状況を詳しく裁判長に理解してもらう。こうすれば、当時の状況が公然であったかそうでなかったかが分かる」

「……まあ、それで行きましょうか。確かに私達が話しあったところで、真実に辿りつけるとは思えませんし」


 あっさりと離れる岡崎。そして何事もなかったかのように山本さんへの質問を再開した。


「当時の状況、具体的に言うと、教室に居た人間の数などを教えてください。そして可能であるならば、その人たちが何をしていたかなど、詳細に」


 彼女の行動は正しい。いくら裁判を素早く進めるためといっても、弁護部の人間と検察部の人間が裁判の途中で会話をしていたら、いらぬ誤解を招く危険性がある。そしてそれは裁判の途中だけに限らず、日常生活でも気をつけている部分でもある。俺は検察部の人間とは、例え同じクラスであろうとも必要最低限の言葉しか交わさないし、検察部の人間も弁護部とは一線を引いている。いくら校内裁判という部活の域から出ていないものであったとしても、対立する二つの部活が仲良しであっては、厳正な裁判が行われることがないからだ。自分たちがよりレベルの高い裁判をするために、なあなあな関係を禁止し、本物に近づけようという試みである。


「当時の状況ですか……」


 上の方を見上げて、思い出しながら山本さんは話し始める。


「たぶん、十人くらいは教室に居たと思います。私達を含めないで。お昼休憩も半分以上過ぎていましたので、ほとんどの人はご飯は食べ終わっていて、トランプをしている男子や談笑している女子がいたと思います。後は追いかけっこなどをしていた男子が、教室を出たり入ったり」

「なるほど……。それではとても公然とは言えませんね」


 言えるだろうが。

 と、心の中でツッコミを入れる。じゅうぶん、おおっぴらだ。


「さて、次が本題ですが、果たして本当に田中さんは山本さんを侮辱したのでしょうか。さきほどの山本さんの発言を聞く限りでは、とても侮辱にはあたらないと思ったのですが。まず、言い方。見下して言った、とありました。具体的には見下ろして、薄笑いを浮かべながら、心底山本さんを馬鹿にした表情で。という趣旨の発言なさっていましたが、間違いはありませんか?」

「間違いなく、馬鹿にしていました」


 岡崎の言い方が山本さんの癪にさわったらしく、珍しく反抗的な態度をとる。しかしその程度の反応は裁判では珍しいものでもない。だから岡崎もいちいち気に留めることなく質問を続けた。


「質問に答えてください。でないと先に進みません。もう一度聞きます。田中さんは見下ろして薄笑いを浮かべながら心底馬鹿にした表情で、『全米って割と簡単に泣くよね』と言ったのですね?」

「そ、そうですけど。それがなにか?」

「まず見下ろして、の部分ですが、別に田中さんが山本さんよりも高い位置に居たわけでもないですし、田中さんが席を立っていたという訳でもないんですよね」

「はい、そうです」

「だったら見下ろすことなんて、物理的に不可能でしょう。それともその時、山本さんはわざわざ下から田中さんを見上げていたんですか?」

「う……」


 もしかしたら自分でもその矛盾に気が付いていたのかもしれない。う、と唸ったまま彼女は何も答えることが出来ずに下を向く。


「どうしました? もしかしたら記憶違いでもありましたか? だったら今ここで発言を訂正してください。記憶違いの発言であれば、宣誓を破ったことにはなりませんから」


 さきほどの攻撃的な口調とは一変して、諭すような優しい声色。だがそれでも山本さんは何も発言しようとしない。なぜならば、山本さんが言っていることは紛れもない事実だから、だろう。当事者であろうが、全てを記憶しているわけではないということだ。

 ここで俺は、山本さんに助け船を出すべく、ゲホゲホと、いかにもわざとらしくむせて見せる。それに気付いた山本さんと目が合う。

 彼女の、あ、という驚きにも似た声が聞こえた。

 それに一瞬遅く気づいた岡崎が、俺と山本さんとの間に割って入り、岡崎の体が壁となって阻む。しかしもう遅い。


「お、思い出しました。どう田中さんが私を見下ろしていたかどうか。……田中さんは少し顔を上に向けて、私を見たんです」

「顔を上に上げる?」

「はい、まず顎を上げて、上を見る状態にして。そこから眼の動きだけでこちらを見たんです。だから私は見下ろされたという印象を受けたんです」

「…………」


 岡崎はこちらを一瞥するが、プイと顔を逸らす。

 そう、俺は分かっていた。座った状態なのに見下ろすことができるのかと。だが話を聞くまでもなく理解した。俺もたまにやるからだ。相手を下に見たいとき、目の動きだけで下に見る。

 これを山本さんがこちらを向いた時に、彼女に対してすれば、十分伝わることだ。


「助けてもらってよかったですね。でももう、そんな小細工は通じませんからね」

「なんのことでしょうか。意味が分かりませんけど」


 なぜかどんどん度胸がついてきている山本さん。俺の横でぼんやりと法廷を眺めている井上よりも、はるかにこの裁判で成長している。


「次の質問をします。田中さんは山本さんを見下ろして薄笑いを浮かべて心底馬鹿にした表情、でしたよね。薄笑いを浮かべる、というのは分かりますが、心底馬鹿にした表情、というのは実際にはどのようなものなのでしょうかね。説明できますか?」


 来た。

 この質問は絶対に来るだろうと、山本さんに言っていたし、その対処法も教えてある。そして山本さんも、どこか嬉しそうな顔をする。


「表情の説明は難しいので、実際に田中さんの真似をしてみてもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

「では――」


 気合を入れて山本さんは立ち上がり、ほんの少ししか離れていない岡崎に向かって。

 見下ろして、薄笑いを浮かべて、心底馬鹿にした表情を浮かべた。


「――――」


 立ち位置としては、山本さんは裁判長の方を向いており、岡崎は裁判長が山本さんの表情が見えるように、すこしだけ検察部側に寄っていた。だから本当は山本さんの表情は見えなかったが、岡崎の凍った表情はじっくりと見えたわけだ。


「ぷっ、くく!」


 堪え切れずに噴き出してしまう。なにがそんなに面白いのかと言うと、俺が言った通りの展開になり、そして岡崎が俺の思った以上に、表情を固まらせているからだ。

 それを見た岡崎は、すっと眉を細める。


「あ、いま、イラッとしましたよね」


 そして山本さんの的確な指摘。


「してませんけど、なにか?」


 そして岡崎のイラついた対応。

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