証人・遠藤君
「それでは弁護部の質問を始めさせていただきます。えー、まずお聞きしたいのは山本さん田中さんたち四人と遠藤君の当時の位置関係です。比較的近い位置に居たと思うのですが、実際には四人から見てどの方向でどのくらいの距離に遠藤君が居たのかを教えてください」
「え、あ……。はい。あの四人は教室の後ろの方で食べていました。僕の席は一番後ろの窓際ですので、距離で言うと数メートルも離れていません」
「うーん、そうですか。確かに遠藤君の言っている内容は田中さんと言っている内容と同じなので、おそらく遠藤君は事実を言っているのだと思います。でも当時はお昼休憩中ですよね。遠藤君も食事をとっていたか、もしくは友達と談笑していたかは知りませんが、普通聞こえるでしょうか」
「き、聞こえました」
そうですか、といちおう答える。この部分をあまり追及したところで本件とはあまり関係がないので、検察部から異議を唱えられそうなのだが、しかし彼の発言が正しいと裁判長に理解してもらうためにも、やはり質問すべきだという結論に即決で至った。
「当時遠藤君はなにをしていたのですか?」
「え? な、なにがって?」
「山本さんが映画について熱く語り始めた時から、田中さんが『全米って割と簡単に泣くよね』と発言した間、遠藤君はなにをしていたかについて聞いています。ご飯を食べていたのですか? それとも友達と談笑を? もしくは読書とか。まあともかく、当時なにをしていたかが知りたいのですよ」
「異議あり!」
案の定というべきか。すぐさま検察部エース岡崎の高く綺麗な声が法廷内に響き渡る。
「今の弁護部の質問は、争点に関係のない質問です!」
ふむ、と異議を受けた裁判長が考え込む。
尋問を行う際、質問はできる限り、個別的かつ具体的にしなければならない、というルールが存在する。また、
一、証人を侮辱し、又は困惑させる質問
二、誘導尋問
三、既にした質問と重複する内容
四、争点に関係の無い質問
五、意見の陳述を求める質問
六、証人が直接経験しなかった事実についての陳述を求める質問
これらの質問はしてはならない、というルールもある。
検察部の異議は、これらに反する質問をしたのではないか、という申し立てである。
「弁護部の質問が本件まったくと関係ないとは言い切れない。検察部の異議は認めません」
すこし口を尖らせて不満そうな顔をした岡崎は、誤魔化すように机に置かれた紙になにかを書き始めた。気合満々で異議を唱えたのにも関わらず、それが認められなかったわけだから、それはまあ恥ずかしいだろう。
「では改めて遠藤君にお聞きしますが、当時遠藤君はなにをしていたのですか?」
「ぼ、僕は……」
小さな声。聞きとるために座っている彼に合わせて顔を下げる。
「覚えていないということはないですよね。田中さん山本さんたちの会話内容をあんなにも覚えていたのですから」
「……寝ていました」
「はい?」
聞き取れず、いや、正確には聞きとった内容が自分の予想していたものとはかなり違っていたため、間の抜けた声を上げることとなった。
「えーっと、聞き間違いがないのであれば、寝ていた、と仰いましたか?」
「……寝ていました」
先程よりも多少大きな声。しかし静寂が支配するこの法廷において、裁判長だけでなく傍聴人にもしっかりと伝わった。そしてざわめく法廷内。
「寝ていた、とはどういうことでしょうか。熟睡していたのならば、四人の会話内容を聞き取ることはできないと思うのですが。もしかしたら夢でも見ていたのでしょうか?」
「寝ていましたけど、会話内容はしっかりと覚えています」
「…………」
しばし考える。遠藤君の言っていることがまったく理解不能だ。もしかしたら遠藤君は寝ながらにして、周囲の会話を聞きとるという特技でもあるのだろうか。もしくは、実は俺以外のみんなは普段からそういう能力を持っている、とか?
顎に手を当てて本格的に考えていると、弁護部の方から、先輩先輩と呼ぶ声が聞こえた。ちょっと失敬、と言って、井上の方に近づくと、彼女は立ち上がって机に手を置いて、できる限りこちらに近づこうとする体勢を取った。
「いま証人尋問中なんだが、なにか急な要件か?」
「いや、そうじゃなくてですね。たぶん遠藤君は寝たふりをしていただけなんですよ」
「……寝たふり?」
これも言っていることが理解できずに、首をかしげる。
「昼休憩にご飯を食べた後にやることがなくて、それで寝たふりを。私のクラスにも数人いますから、多分その理由ですよ」
「なんでご飯食べた後にやることがないんだ?」
昼休憩なんだから友達と楽しくわいわい騒げばいいじゃないか。それが高校生活の楽しみのひとつというものだろうに。
「それは……、友達がいないからです」
「……おぉ」
そういえばなんとなく聞いたことはあった。俺はといえば、昼休憩は大概は部室で過ごすから、クラスで起こっていることについてあまり詳しくないのだ。まさか井上に助けられる日が来ようとは。
軽く井上に礼を言って、再び遠藤君に向き直る。
「分かりました、遠藤君。当時遠藤君は、寝ていたけど、熟睡していたわけではないんですね?」
「はい、寝ようとしていただけです。前の日は夜遅くまで起きていたし、少しでも眠っておかないと午後の授業に差しさわりがあると思ったので」
俺が井上に助言をもらっている隙に、微妙な言い訳を考えついた遠藤君であった。
「しかしそうなると困りましたね。会話内容を聞いていただけで、実際には目で見ていたわけではないということになりますけど」
「はい、見ていません」
さっきよりもしっかりとした受け答えになっている気がするのは、きっと気のせいではないだろう。遠藤君の心配ごとは、友達がいないことを追及されるという部分にあったからであり、今となっては、その質問はもうされることはない。同じ質問はできない決まりだからだ。
それに、もとより田中さん有利の証言をする必要もないのだろう。なにしろ友達というわけでもないし、同じクラスメートではあるが、それならば山本さんも同様。だがしかし、絶妙な証人のチョイスと言わざるを得ない
田中さん山本さんの発言内容は聞いているのにもかかわらず、その場面は目撃していない。つまり、田中さんが山本さんに対して、小馬鹿にした態度、というものを見ていないのだ。
「それでは少し質問を変えさせていただきます。田中さんが『全米って割と簡単に泣くよね』という発言は、どのような声色、そして言い方だったかお教え願いますか?」
「うーん……、ちょっと、こう……」
……やはり、遠藤君もどこか気になる点があるようだ。事実、山本さんは侮辱されたと思い、鈴木さんは小馬鹿にしていたと感じた。だとすれば、遠藤君もなにかを感じた筈だ。
「少し笑いながら言っていたような気がしました。ただ、それが相手を馬鹿にしていたとは思いません」
「そうですか。でも別に笑う場面ではなかったですよね?」
「はい、面白いとは感じませんでした」
「それでは田中さんは何を馬鹿にしていたのでしょうか」
その質問をした瞬間、再びエース岡崎が声を上げる。
「異議あり! 今の質問は誘導尋問です!」
「む」
確かにそういえば誘導尋問っぽいこともないな、と思い岡崎の方を見ると、なぜか裁判長ではなくこちらを睨んでいる。検察の用意した証人に異議が出るような質問を二回もしたことに対して怒っているのだろう。だが忘れないでほしいが、一度目の異議は認められていない。
「異議を認めます。弁護部は質問内容を変えなさい」
今の質問、どこが誘導尋問だったのか。『田中さんは何を馬鹿にしていたのでしょうか』という質問内容だったわけだが、これは質問内容がなにかを馬鹿にしていたということを前提で聞いている。この部分が誘導尋問だと認められたわけだ。
さて、ならばなにを質問しようか。あまり時間もかけられない。
「遠藤君は田中さんと同じクラスというわけですが、普段、田中さんに対してどのような印象をお持ちですか? 遠藤君が思っていることを、そのままお聞かせください」
ちらりと検察部の方を見るが、今回は異議無いようだ。
「僕は別に彼女とは仲が良いわけではないのでよくわかりません」
「んー、もう高校生活も一カ月が経とうとしていますが、印象がまったく無いのですか?」
遠藤君は少し考えるように黙り込んで、
「ありませんね」
と、言いきった。
これじゃあ友達が出来ない筈だ、と言ってやりたい気持ちを抑え込む。
どうも糠に釘をさしている感じがする。どちらかに有利になるような発言をする気が無いから、事実しか言わない。これでは矛盾は出てこない。そう言った意味において、この裁判は少し特殊と言えるのかもしれない。普通ならば、証言する側の人間に有利になるような発言をしたいと思うのが心理なのかもしれないが、今回の証人は一年生。仲間意識などは薄いのかもしれない。
「……私からの質問は以上です。次に副部長である井上が質問させていただきます」
「ぇえ!?」
状況をただ眺めているだけだった井上が素っ頓狂な声を上げてこちらを見る。せっかく質問できる機会があるというのだから使わない手は無い。
おかしな話になるが、証人に質問するという大事な場面であったとしても、ここで少々失敗しようが問題は無い。一通り必要なことは聞きだしているし、なにか不味い質問をしたとしても、異議が唱えられるからだ。裁判が始まる前の提出資料などの方が、よほどややこしいし、間違いも許されない。
「ほら井上。さっさと行け」
「うそーん……」
訳の分からないことを口走って、しぶしぶとイスから立ち上がり、遠藤君の元へと向かう。困り果てて遠藤君と見つめる井上と、どのような質問が来るのか怖がっている遠藤君の視線がぶつかり、見つめう形となる。
「弁護部? 質問が無いのなら着席してください」
「い、いえ! します、やります、やらせてください!」
裁判長の声で我に返ったのか、もしくは未だ混乱中なのか、します三段活用?を披露した井上。
「えーっと、質問させていただきます。遠藤君、その日のお昼ご飯はなんだったんですか?」
「お、お昼ご飯ですか?」
困惑し聞き返す遠藤君。傍聴席のほうからは控えめな笑い声さえ聞こえてくる始末。そして、その笑い声が他のみんなにも聞こえたのか、法廷内に今の発言は笑っても大丈夫、という空気が生まれる。クスクスと、耳障りな笑い声が検察部のほうからも聞こえ始めた。
果たして、今の質問内容は面白かっただろうか。確かに、本件とは関係の無い内容だったし、証人を困惑させる内容だったかもしれないが、決して可笑しな質問ではなかった。現に、エース岡崎は異議を唱えていない。なにしろ、俺や岡崎がその質問をしない可能性が無いわけではないから。ほぼ全ての証人は、証人としてここに立つのが初めてであり、こちらの質問に答えられないほど緊張をしている人も今まで何人もいた。だからこそ、どんな状況であろうとも答えることが出来る質問から入るのがマナーというものだ。
ここで言うマナーは、一般的なマナーとは違う。岡崎はこちらが用意した証人に対し、丁寧な挨拶をしたわけだが、裁判において、これはマナーとは言わない。ここでのマナーは、時間をかけない、ということに尽きる。放課後の限られた時間、そして多くの人間を拘束している点を考えて、裁判は極力素早く行わなければならない。
だからこそ、証人が答えやすい環境づくりから入る必要があるのだ。その点において、今の井上の質問は妥当と言える。むしろ、彼女自身が簡単な質問をして、この場に慣れようとしているのだ。
「…………」
俺は反対側の席に座っている岡崎に向かって視線を送る。それに気付いた岡崎は、他の検察部部員になにかを伝えると、ようやくその部員たちの顔も真面目なものとなった。
「続けろ、井上。周りがあまりうるさいようなら裁判長に言えばいいんだ」
「は、はい」
少し自信を無くした井上だったが、それでもたどたどしく質問を再開した。しかしその後の質問もどこかズレていて、有力な証言を引き出すには至らなかった。
だが、それでいい。
今、井上がやるべきことは、上手に裁判を進めることではなく、裁判がどのようなものか直に知ること。検察部のように岡崎の後ろや傍聴席から眺めているだけでは得ることのできない経験を、井上は入学して一カ月も経たない内に経験したのだ。
一年生だから失敗が許される。そのことに反発する人もいるだろうが、それでもそこに甘えられる人間が、一番早く成長できるものなのだ。