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開廷

――タイタニック。

 1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に船体が接触し、乗客乗員合わせて約1500人の犠牲者を出した、今なお語り継がれている世界最悪レベルの海難事故。

 それを基に作られた映画。

 


「小川先輩! 原告の山本さんが入廷しています! 私たちも行きましょう!」

「そうか、もう……」


 弁護部の部室に駆け込んできたのは、一か月前にこの県立才盤高校に入学して来た井上だ。彼女にとっては、初めての裁判であり、初めての弁護、ということになる。だがしかし、高校生になったばかりの、しかも入部したての彼女に弁護ができるわけもなく、二年生にして弁護部部長である俺、小川の横に座っているだけ、ということになるだろうが。

 弁護に必要な資料や、メモ用のペンとノート、そして一応、使うことはないだろうがポケット六法なるものを携えて部室から出る。法廷は部室のすぐ横だ。


「あら?」


 部室から出てすぐにとある人物と出くわした。検察部エースの岡崎だ。法廷を挟んで、両隣りに部室があるもんだからよくニアミスするのだが、極力会いたくないというのが本音のところだ。

 こちらに気付いた岡崎だが、くすりと笑うだけで、なにを言う訳でもなくそのまま法廷に入っていった。荷物は持っていない。おそらく、ほかの部員にでも持たせているのだろう。


「あれが検察部エースの岡崎さん……。きれいな人ですねえ」

「……行くぞ」


 俺も岡崎に続いて法廷へと入る。中は、法廷といっても普通の教室と同じで、特別な物はなにひとつない。

 長椅子が縦にふたつ並べられており、それが二列向かい合っている。奥の長椅子が弁護側の座るべき席だ。さらに教室の前、普段は教卓があるあたりに三つの机が間を挟むかのように置いてる。裁判長と書記の席だ。そして教室の後ろの方には、イスが20ほど無造作に置かれている。あれは傍聴人の為に用意されたものだ。しかし、実際に座るのは校内新聞を発行している新聞部と、教師、それに検察部のベンチにも入れなかった3軍の連中である。そしてさらにこの事案の関係者、正確には原告や被告の友達などが座るため、実際に、単に傍聴したいだけの人間はあまり座ることが出来ない。抽選はいつもすごい倍率になると聞く。


 開廷は16時。あと15分もすれば俺達弁護部と、向かいの検察部の激しい応酬が始まる。


「先輩先輩、ちょっと聞きたいんですけど」

「なんだよ、トイレなら先に行っとけっていつも言ってるだろ」

「いや、そうじゃなくて。向こうのエースである岡崎さんも、先輩と同じ二年生なんですよね。検察部の部員は30人以上って聞きます。なのにエースってことは相当凄いんですか?」

「俺だって二年生なのに部長だしエースだし」

「でもでも、それってただ三年生が居ないからそうなっているだけであって、だから私も副部長になってるわけであって。なんで弁護部は二人しか部員が居ないんですか、ってことを聞きたいんです」

「あれを見ろ」


 顎でしゃくって、向かいに座っている検察部を見るように促す。そこに座っているのは僕たちにように二人ではなく、五人、しかも長椅子の関係上から座れなかったのか、五人の後ろにさらに五人座っている。そして前の五人の、丁度真ん中に座しているのがエースの岡崎だ。

 岡崎はこちらなど意に介さず、大量の資料を整理しているところだった。


「あれが何なんですか?」

「あんなのと議論しようと普通の奴が思うか?」

「……確かに」


 何がどういうわけか、岡崎からは、デキル女臭がぷんぷん漂ってくる。だというのに、どこかおっとりしているような印象を受けるため、男子からも女子からも人気がある。


 と、その時、裁判長が法廷に入ってきた。それと同時に、この空間にいるすべての人間が同時に起立して、裁判長の座りなさい、という合図を待ってから席に着く。

 

 ――開廷である。





「原告側、概要を」 


 裁判長は、視線だけをこちらに動かして、まるで睨むようにも見える。しかし、この裁判長はいつもそうだ。公平公正であり、こと裁判においては、不要なものを一切排除している。

 俺は立ち上がり、一枚のプリントを見ながら、傍聴人にも聞こえるように大きな声で言う。


「概要・原告である山本さんは休日に映画館に行き、『全米が泣いた』と謳われている映画を鑑賞し、その翌日、クラスメートである被告、田中さんに対し、感動したとの旨を伝えるも、田中さんはその映画を見たうえで感動を否定。それに対し山本さんは、いかに感動するものなのかということを分かり易く伝えるために、『全米が泣いたんだから』と、感動しなかった田中さんに対し反論。しかし田中さんはその謳い文句である『全米が泣いた』を面白可笑しく言い変えて、『全米って割と簡単に泣くよね』と映画および山本さんを嘲り、深く傷付けた」


 俺が言い終えると、ざわざわと法廷内がざわつく。原告として弁護部と検察部との間に立たされている山本さんは、居心地が悪そうに下を向いていた。

 しかし、それをすべて無視して俺は続ける。


「原告、山本さんは謳い文句である『全米が泣いた』というものを実際に全米が泣いた、具体的には、全てのアメリカ人が泣いたとするべきという訴えである。更にその上で、全米は割と簡単には泣かない、という立場を主張し、被告に謝罪を要求するものである」


 持っていたプリントを机に置いて、裁判長を見る。


「原告、間違いはないか?」


 裁判長の厳かな口調にびくつきながらも、山本さんはコクコクと頷いた。

 誰一人口を開くこともなく、ただ新聞部のメモする音のみが法廷内に響いているこの空間は、異様なまでの緊張感に包まれている。

 だがしかし、しっかりと頷いたにも関わらず裁判長は、


「原告、間違いはないか?」


 と再び聞く。それに困惑した山本さんは助けを求めるようにこちらを見る。


「山本さん、返事返事」

「あ、は、はい!」


 そう元気よく返事をした山本さんに対し裁判長は、ふむ、とようやく理解を示す。


「原告は下がりなさい――被告、前へ」


 山本さんはほっとした表情で、弁護部の長椅子、俺の隣に居る井上の横に着席した。そして検察部の側に座っていた被告である田中さんが、これも緊張した面持ちで前へと出る。それと同時に、検察部のエース岡崎が起立した。


 ――時にこの裁判は、いわゆる民事のものであり、本来は検察の出番などない。原告の弁護も被告の弁護も弁護部の仕事になるのだが、残念ながら現在の弁護部の部員数は俺を含めてふたり。新入部員である井上に被告の弁護ができるほどの能力を身につけているわけではなく、その状態で裁判をすることは公平性に反するものであるからして、被告の弁護は弁護部には出来ない。そこで解決策として持ち出されたのが、検察部による被告の弁護だ。弁護部同士の弁護対決になってしまう民事は、弁護部にとってはあまり歓迎できるものではなく、また、部員数の多い検察部にとっては、裁判の数を多くこなし、経験を得るという観点から、非常に有難い制度なのだ。


「まず、被告の主張を」


 そう言って検察部のエース岡崎は、こちらをちらりと一瞥してから、裁判長の方へと顔を向ける。


「『全米が泣いた』と謳われている映画を彼女は実際に視聴しており、被告自身がまったく感動することが出来なかったため、『全米が泣いた』を否定した。また『全米って割と簡単に泣くよね』と発言したのは、単に自分との感性の違いに驚き発言したものであり、決して映画および山本さんを侮辱したものではない。よって謝罪要求は極めて不当なものであると言え、被告はそれを容認し得ない――以上です」


「ふむ、被告。間違いはないか?」


 はい、と原告の山本さんとは違い、きっぱりと首肯する田中さん。どうやら事前になにをするべきなのかを、検察部から聞いていたようだ。人数が多ければ、それだけ弁護する人に対して、フォローが行きとどきやすいということだろう。俺たちは必要書類を書き上げ、提出するだけで手いっぱいだったから、こういったことを事前に教えることができなかった。この点は、反省すべき部分だ。


「ならば弁護部、被告人に対し質問を――」

「裁判長、待ってください。本件について確認すべき点が残っています」


 岡崎は立ったままで、裁判長の発言を遮る。


「よろしい、発言を認めましょう」

「はい。争点についてですが、原告側は被告に謝罪を求めるだけでなく、別の主張をされています。原告の主張をそのままお借りしますが、『謳い文句である『全米が泣いた』というものを実際に全米が泣いた、具体的には、全てのアメリカ人が泣いたとするべきという訴えである。更にその上で、全米は割と簡単には泣かない、という立場を主張し、被告に謝罪を要求するものである』と、あります。つまりこの裁判で争うべき点は、被告が原告に謝罪するべきか否か、だけでなく、アメリカ人が全て泣いたのか、という点と、全米は割と簡単に泣かない、という三つの争点になります。しかし、被告は謝罪すべきか否かについて議論する場合、まず『全米が泣いた』の定義付けをすべきです。ここが曖昧にされたままでは、正しい議論が行われず、原告被告双方にとって、不利益になります」

「ふむ、確かに。弁護部の意見を」


 俺は腕を組んだまま、立ち上がることもなく裁判長のほうを見る。


「検察部と同意見です。ついでに全てのアメリカ人が泣いた、および全米は割と簡単に泣かない、の方を先に議論するべきだと提案させて頂きます」

「検察部、意見を」

「弁護部の提案を容認します」


 まるで台本でも読んでいるかのように、互いに淀みなく話しあいが進んでいく。ここまでは全てお互いに予想通りの展開であることがうかがい知れた。


「ならば明日、16時において、全てのアメリカ人が泣いた、および全米は割と簡単に泣かない、そして全米が泣いた、の定義付けの裁判を行う。本日は以上を持って閉廷」

「……え?」


 予想外の出来事。

 検察部エース岡崎が間の抜けた声を上げる。僕は驚き過ぎて声すら出なかった。本来ならば、今日この場で決着をつけるべきだし、俺たち、つまり弁護部と検察部もそのつもりだった。そのために準備もしてきていた。なんとも興が削がれる展開だ。

 だがしかし、法廷において裁判長の言うことは絶対だ。


 裁判長が退室し、そして傍聴席にいた人たちが徐々に立ち去る。検察部も、部員同士でなぜこうなったのかというのを少しだけ議論していたようだが、しばらくして被告である田中さんと連れだって全員居なくなった。ここに残っているのは、俺と井上弁護部の面々と、原告の山本さんのみだ。


「ふー、疲れた」


 井上が椅子の背もたれに体を預けながら、溜息をもらした。


「なぜ何もしていないお前が疲れるんだ」

「いえ先輩。こう見えても私、裁判は初めてなわけでして。それにしてもひやひやしました。ねえ、山本さん」


 井上が山本さんに話題を振るが、彼女は長椅子に突っ伏したまま微動だにしない。余程疲れたようだ。しかしようやくもそもそっと動くと、突っ伏したまま顔をこちらに向ける。


「早く終わってよかった……」

「ですね」


 なぜか二人は通じ合っていた。早く終わってよかった、とはどういうことなのだろうか。


「なら私が、現状を正しく理解できていない先輩に説明してあげます」

「イラッとくるから、その言い方やめろ」

「えっと、今回の案件について、議論すべき点が三つありましてですね、まあ私はそれだけでも驚いたんですが、途中から定義付けがどうとか言い始めまして、コレ終わるのいつになるんだろう、って思ってました」

「ああ、なるほど……。それに君たち、一年生だもんな」


 この裁判は、今学期初めての裁判だったわけだから、一年生は裁判の概要を知らない。だから16時に始まったのはいいが、いったい何時に終わるのか分からないわけだ。それは確かに体力的にも精神的にもきついものがある。だから裁判長は、この一年生たちの体調を慮って、早めに切り上げたのだろう。


「さて、いちおう明日のために資料の確認でもするか、井上」

「えー、帰りましょうよー。疲れちゃいましたよー」

「…………」


 こいつ、自分が発言しないからって随分とお気楽なもんだ。


「明日は井上も発言してみるか?」


 と、試しに言ってみる。普通ならまだ入部して一カ月しか経っていない部員が発言することはあり得ない。まずは資料の書き方や提出の仕方から覚えるものだ。それに明日は検察部と直接議論を交わすことになる。俺が井上と同じ新入生の時ですら、法廷の席に座っているだけで汗が噴き出たものだ。議論なんて出来たものではないだろう。

 しかし井上は、


「本当ですか!? やります!」


 元気よく言いきる。


「やっぱりだめだ。お前は俺の隣で見て勉強していろ」

「えー……」


 このやる気だけは、本当に評価できる。


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