私の一歩
「おはよー」
今朝は部活の朝練が無いのか、ゆっくりだった妹の陽子が髪を結いながらキッチンに現れた。私は、まだ眠そうな顔をしている彼女に今朝の連絡事項を告げる。
「おはよう。お母さん居ないよ」
「ん ? あぁ、今日は掃除の日かぁ」
掃除の日とは、マンションの住人用のゴミステーションを清掃する月代わりの当番の事だ。今月当番の母は、早朝からエプロンをして張り切って出て行った。何時もの通りなら、掃除が終わり次第パートに行く。
「じぁ、朝は各自ご勝手に~、かぁ。うーん、何を食べようかなぁ」
「パンなら有るよ。ほら」
冷蔵庫の中身を見に行こうとした陽子を引き止め、昨日買ったヒマワリベーカリーのパンの入った袋を渡す。
「わっ。サンキュー。ヒマワリベーカリーのパン、結構、久しぶりかも」
彼女は店名のロゴが入った袋を開け、中の子袋を取り出した。
「へぇ。可愛いじゃん。猫形」
それは握り拳ぐらいの大きさの艶々としたパン。丸い形の上に、二つの尖がり。チョコペンで丸い目と立派な髭が描いてある。
「他には何があるのかな――っと、これも猫形か」
陽子が、これも猫、これも猫、これも猫とパンを袋から取り出しテーブルの上に並べる。
「お姉ちゃん。猫パンしかないんだけど」
「・・・・うん。今月の新作なんだって」
今月の新作は全て猫形。いや、新作以外の既存のパンも殆んどが猫形パン。もしくは、猫を連想させるパンになっていた。つまり店中、猫。猫。猫。
猫柳君の事を考えていたせいか、選択肢が殆んど無かったせいか、私の持ったトレイの上は気が付くと猫パンでいっぱいに。おまけに小父さんが「また来てね ! 」と、猫パンの山の上にトングで乗っけた物も猫パンだった。
「ちなみに来月の新作はマタタビパンなんだって」
「えー、マジ ? マタタビって猫が好きなやつでしょ ? 人間食べて良いの ? 」
もちろん、マタタビは人間も食べられる食用の物を使うのだと言っていた。刻んでアンコに混ぜるらしい。ぜひ、来月試してくれとお願いされてしまった。・・・・ちょっと、いやかなり遠慮したい。また、暫らく店から足が遠退きそうだ。
「犬パンは無かったんだね。あったら犬パンばっかりになっていた筈だもんね。お姉ちゃん犬好きだから」
陽子がパンに齧り付く。猫の耳が無くなった。
私もそれに習い、手に持ったパンに口を付けようとしたが、何と無く臆した。ちょっと可哀想な気がしたのだ。この形に歯形をつけるのが。
「私、犬好きだけど猫も嫌いじゃない。と、思う 」
「はぁ? 何いきなり」
「うん」
手に持ったパンをじっと見詰めて言う私に陽子が呆れた声を出す。彼女のパンにはもう、耳が無い。
――――うん。私は猫が嫌いじゃない。嫌いじゃないんだよ。
結局、そのパンは食べられず買い置きの食パンを探して食べた。
◇
「行って来ます」
「まーす。てか、誰も居ないんだけどね家ん中」
「でも、ルールなの」
「お姉ちゃん、まっじめー」
二人連れ立って学校へ向う。途中、陽子が友達とコンビニへ行くと言い、手を振って背を向ける。私は、その背に向けて平静を装い声を掛けた。
「ねぇ、陽子。私、今日友達の家に行くの。だから帰りが遅くなるかも知れない。その時はお母さんに言って置いてくれないかな」
「え ? いいけど、珍しいね。お姉ちゃんが申告するほど遅くなるなんて」
「ん、たまにはね」
分かった、任せて。と言い、今度こそ背を向けて去っていく陽子を見届け、私も学校へ向うバス亭に並んだ。
朝練の運動部のランニングの声でやけに賑やかな校庭を抜け、昇降口に入る。すると、昨日と同様肩を叩かれた。
振り向くと片山さん。
「おっはよ ! 昨日はゴメンねぇ。でさ、今日リベンジ ! 」
「えぇと」
「大丈夫。今日はアイツ部活だから。あ、アイツね、軽音楽部なんだけど昨日は顧問の先生がーーーー」
「ご、ごめんっ。今日は駄目なんだ。ちょっと家の用事があって。ごめんっ」
付き合っている彼の事を、楽しそうに語り出した片山さんを遮ってしまった。私のタイミングが悪く、話の途中に割り込む感じになってしまったのは悪かったと思って重ねて謝る。
誘いを断った私に、ええー。そんなぁー。と、不平を言う彼女にまた何度も謝って何とか宥め、二人各自の教室へと別れた。
今日は放課後、用がある。それは本当。
でも、家の用事って言うのは、嘘。
実は私は、もう一度フェーリスに行こうと思っている。そしてその手段も考えてある。もしかすると猫柳君が私に仕掛けた召喚魔法が生きているかも知れないと思うのだ。あの時、私がフェーリスに召喚されてから直ぐに色々あった。猫柳君には魔法を解除している暇は無かったはず。何せ、ずっと牢屋の中に入っていたのだし。
だから、猫島君が思い出して解除していなければ、もしかしたら ! と。もうこの際、駄目元だ。何もしないよりはずっと良い。とにかくやって見なければ始まらない。
キーワードは『猫』と『好き』だ。これを続けて言ってはいけない。下手をするとあっと言う間に強制召喚される。この言葉を言う前に、先ずは準備が必要だ。前回の時みたいに丸腰では危ない。
だから今日の放課後、繁華街行きのバスに乗るつもりだ。昨日の夜、必要になりそうな物を考えてリストを作ったから、その品々を揃えに良くのだ。どうせなら一度に揃う大きなホームセンターが良い。それには少し遠出になるけれど、陽子には帰りが遅くなると言ってあるから心配はない。
◇
「・・ーー大化の改新は、飛鳥時代の孝徳天皇2年春正月甲子朔に発布された改新の詔に基づく政治的改革。あーー、中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏本宗家を滅ぼした乙巳の変の後に行われたとされ、つまりーー」
一時間目は生活指導もしている厳しい先生の歴史の授業。私はその先生の鋭い目を盗みながら、買い物リストをノートの上に出し、記入漏れが無いか確認していた。
【食料と水】 出来れば二~三日分。また前回と同じ森に飛ばされるのだとしたら、アルゴル城まで行くのに結構時間が掛かる。前は馬だったが今回は徒歩だ。野宿する事も考え無ければならない。
【武器】不思議生物に遭遇しない保証は無い。身を守る為の物はやっぱり必要。そうだ怪我をした場合の事を考えて、薬は必要だろう。それと包帯。二つともリストに追加する。
そして後は・・・・と、考えて迷ったけれど【黒棒】と書き込んだ。
運良く向こうに行けたとしても、もし彼が「何を今更」と相手にしてくれなかった場合、渡そうと思う。きっとそんな物じゃ、彼は許してくれないだろう。けど、気ぐらいなら引けるかもしれない。そうしたら、その隙に言い過ぎたことを謝る。許してくれなくても、学校へは来て欲しいと言おう。とにかく、このまま彼の姿が消えるのだけは嫌だから。
だから。だから待ってて。選びに選び抜いた最高級黒棒を持って会いに行くから――――猫柳君 !!
それは私が心に決意を固めた瞬間の事だった。
――――ガララララーーーッッガヂャン !!
「ねずっ、もとい。すず子 ! 」
先生が静寂の中、朗々と教科書を読み上げる教室に、立て付けの悪いドアを叩き開ける音と、聞き間違いでなければ私の名前を呼ぶ声が響き渡った。
「ねっ猫柳っ !? 」
そこに居たのは、やけに傷だらけの猫柳君だった。明らかに前より大きな範囲で包帯を巻いている。そんな姿で行き成り現れた彼に先生は驚いて教本を落とし目を剥いた。クラスメイト達の目も一気にそちらを向く。彼は一瞬にして教室中の視線を集めていた。
だけど猫柳君は彼らをチラリとも見ずに、一直線につかつかと突き進んでくる。教室の一番奥の、一番端っこ。私に向って。
「猫柳君っ、あ、あのっ」
彼の勢いに押され、思わず椅子から腰が浮く。
会ったら先ず真っ先に謝らなくちゃと、ずっと考えていたせいか体が反射的に頭を下げようとする。が、何と私よりも先に猫柳君が頭を下げた。いや。下げたと言うより、ひれ伏した。よりにもよって私の足元に。
「ねず、・・・・すず子。この間は本当にすまなかった。お前の立場も考えずに先走りすぎた ! 」
「ちょっ、ちょっと待ってよ。頭を上げてっ」
「だが」
謝るのは私の方だ。
がばっと潔く土下座した彼の腕を取り、引っ張って立ち上がらせようとする。でも彼は膝立ちのままで、そこからは動こうとしない。そして、とんでもない事を口にする。
「いいのか ? この世界での男の正式なけじめの付け方は、地にひれ伏して相手の足を舐めなければならんのだろう ? 」
「・・・・・・・・それ、猫島君から聞いたね ? 」
「そうだが ? いや、今はシマの事はどうでも良い。さぁ、すず子。足をだーーぶっ」
迫り来る誰よりも美しい顔をかなり乱暴に押し退けた。そんな事は無用だと言う私に、何故か彼は残念そうに、しょんぼり立ち上がった。
それにしても、あのサディスティックな従者は、いったい何を考えているのだろう。分からない。
猫島との今後の付き合い方を考えていると、主に被害を被っている猫柳君が改まり姿勢を正した。すると途端に本来のノーブルで王子様然とした顔が現れる。
「ねず、すず子。お前には謝らなければならないことが沢山ある。第一に、お前に好きな所を一つ挙げろと言われ咄嗟に出て来なかった事だ」
「そんなこと・・・・いいよ。私だって自分の良い所なんて思い付かない。自分でも分からない無い事を、人に言わせようとするなんて意地悪な事言った。ごめんね。」
地味で、卑屈で、チビで。自分でも嫌になるくらい後ろ向き。
そんな私なんて、と、小声で卑下すると何だか情けなくなって来て苦い笑いが漏れた。
猫柳君が苦笑いをした私を見て、何を言ってる ? と小首を傾げる。
「あの時は、好きな所が多すぎて選べなかっただけだ。だが、今日はちゃんと考えて来たからな、安心してくれ。・・む ? 何を変な顔をしている ? 」
「はは、良いよ。そんなお世辞は」
無理しないでも良いから。頭を軽く振った。
「私は世辞は言わん。そんなに器用ではないのだ。とにかく、お前には好ましい所が有り過ぎる。いいか ? 先ず、つむじが良い。小さくて健気だ。だが、それで言うと少々低い鼻も棄て難い ! 」
「つ、つむじっ ? 」
思っても居ない斜め方向から攻められ戸惑った。一方彼は本気なのか目を輝かせ熱く語る。まるで宝物を自慢する子供だ。
「ああ ! だが、まだまだ有るぞ ! 良く聞け ? お前の歩き方が好きだ。それと、お前の口が動いているのも好きだし、お前が息をしているのも好きだ。ちょこちょこしているのを見ると、何だか良く分からんが堪らなくなって喉が渇く」
「ちょっと待って ! それって長所じゃないよ ! 」
「長所 ? 知らん」
「はぁ ?! 」
「とにかく私は寝ないで考えた。そしてようやく答えを導き出した ! 私の、お前の好きな所を一言で言うと、それはーーーー」
「それは・・・・ ? 」
ごくっと息を飲み込んだ。此処まで来たら普通の答えは来ないものと考える。だけど、だからこそ気になった。その方がより真実味がある気がするから。
私はドキドキしながら続きを待った。
「私がすず子の一番好きな所。それは、生きている所だっ !! 」
「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ !? それ、違うからっ。何か間違ってるからっ」
どうだっ ! と告げる彼に、容赦なく突っ込んだ。
こんな告白聞いた事が無い。好きな所が「生きている所」だなんて !
「間違ってなどいない ! 私はお前の存在が嬉しい。楽しいし、切ない。胸が高鳴り全てに感謝したくなる。お前と出会う前とは世界が違って見える。これが恋と言うやつなのだろう ? 」
「こっ恋っ ! 」
「そうだっ、恋だ ! 私はお前とずっと一緒に居たい。私の世界をお前で満たしたい。それと同時に、お前を私で満たしたい。これが恋でなくて何だと言うのだ ? 」
猫柳君が呆然とする私の顔の前に、切々と言葉を重ねて行く。それを聞いていたら何だか自分が悩んでいたアレコレが馬鹿らしくなってきてしまった。
だってこの人は私の長所も短所も関係ない。そんなの知るかと言っているのだ。
ただ生きているだけで良いと、好きだと言っているのだ。つまり今の私のままで、情けないままで良いと。
そう言ってくれているのでしょう ? そんな私でもいいから、一緒に居たいと言ってくれているのでしょう ?
「は、はは、はははははは・・・・何だか、もう・・・・・・」
腰が抜けてストンと椅子の上に落ちた。猫柳君も私の目線と同じくするために片膝を立て、しゃがみ込む。たぶん私の返事を待っているのだ。どうやら今の彼は私を一人、置いてけ堀にはしないらしい。きっと、この間私が言った文句を覚えているのだろう。薄い色の瞳で、じっと大人しく私を見詰めている。
彼を受入れるのは恐い。その恐さは以前と変わらない。でも、臆病で卑屈で、どうしようもない私でも全部、丸っと、好きだと言ってくれるのなら・・・・・・・・。
「ねっ、猫柳君っ。こ、こ、今度、私とっ。一緒に。コ、ココココーヒーカップに乗ってくださいっっ !!! 」
そして少しずつで良いから、つむじや生きている所以外も見て欲しい。恐いけど。
椅子から降りて彼の前に膝立ちに。そして、頭を下げて右手を差し出した。もしも、OKだったら手を取ってと。
瞬間。息を吐く間も無く、差し出した手ごと抱きしめられる。ぎゅゅゅっと、きつく。
「ねず、すず子っ ! 感謝する !! 」
「ふぬっ、く、くぬちぃ」
私の悲鳴に彼は、はっとして腕を緩めてくれた。少し体が離れると、二人お互いの顔を見て笑い合った。
「はは、何だか気恥ずかしいものだな。ねず、すず子」
「もうネズ子で良いよ。その方が呼び易いんでしょ ? 」
「いいのか ? 」
嬉しそうに笑う顔に、頷いてみせる。この顔を見たらネズ子だろうが、すず子だろうが、もう何でも良くなった。どうやら私は彼の、この表情に弱いらしい。
余程嬉しいのか耳がパタパタ動く。その耳を眺め素直に可愛いと感じられる。そう思える今の自分が嬉しい。
「お、お前ら・・・・私の授業をいったい何だと・・・・」
そんなほのぼのとした空気に、地を這う低音が割って入った。恐る恐る声のする方を、二人同時にゆっくりと見る。ギギギィと擬音がしそうな動き。
「そうだな・・・・授業中に恥ずかしいな、猫柳 ? そして中原すず子。お前ら・・・・お前らはっ・・・」
そこには赤いを通り越し、赤黒い顔の先生が仁王立ち。逆立った頭髪からは湯気が出る勢いだ。そして、先生の向こうには興味深々のクラスメイトの目、目、目。
此処からは何時も通りの展開。違うのは今日は私も一緒だという事。
「お前らぁぁぁっっ~~~っ !! 廊下にっ、いや、進路指導室にっ、直行だぁぁ !!」
「はっ ! 了解した ! 」
「はははいっ 」
二人同時に駆け出した。
全部大好きって事で。




