希望は諦めた頃に ?
私は頭の隅にあった、とある存在を思い出し、走りながら上空を見上げた。
そこは白い光の渦と化した闘技場とは違い、濃く暗い色の空。赤い月だけが唯一の光。その鈍い光の周りをまろび飛ぶ空よりもなお、黒い影。
「―――― いた」
荒い息の間に言葉を吐き出し、目当ての存在を確認する。
空に飛ぶアレの存在には試合開始の旗が振られる前、私がこの舞台に上がって直ぐの頃には気が付いていた。
「でも、違うかもしれない。普通の鳥かも」
何かしらの考えが浮かんでも、その後に「でも、」が付いて打ち消してしまう。さっきからそれの繰り返し。
私は、上を飛ぶ『アレ』が今何より欲している『アイツ』なのか逃げ道を塞がれながらも未だに確証が持てないでいた。もし運良くそうだったとしても、呼んで来てくれるか何の保障も無い。
自分の行動に、自分の計画に、自分自身に、とにかく全てに・・・・自信が無いのだ。だから私は逃げ回りながら(頭の中でも)迷走していた。
――――どうしたらいい? いったい何が最善なのっ?!
その心の迷いが行動に現れたのか、私の走る足が少し鈍くなった。それを敵も見逃しはしない。目にも留まらぬ動きで、瞬時に攻撃に出て来た。
「ひゃっ!! 」
私のふくらはぎを鋭く厳しい鞭と化した触手が翳め、チリリッと焼ける様な痛みが走る。予測していないその急な痛みに、堪らず其の場に転がった。走り通しだった足は、もう動きたくないと悲鳴を上げて細かく震えている。でも、呑気に倒れて居るわけにはいかない。近くを複数の触手が私を求め蠢いているのだから。
私は背後の気配に焦り、上体を起こすとヨロリと立ち上がった。けれど其処を鞭と化した触手が襲う。
「いっ! 」
攻撃の感覚が段々と狭まって来ている? それに私の周囲に触手達が続々と集って来ているのは決して気のせいじゃない。見えていない目の代わりに四方に伸ばした這いずる手は多分、私の居場所を突き止めつつある。
――――駄目だ。このままじゃ駄目だ! 逃げ回っているだけじゃ何時か体力が尽きるよ。あぁ、もしかして、それが目的なの!?
「・・・・やっぱり、やるしかない。駄目もとでも何もしないよりはマシだっ」
言う事を聞かなくなって来ている足を引き摺り、少しでも化物との距離を開ける為に前へ、前へ。そうしながら、まるで祈る様に指笛を吹く。
『ピ―――――イィィィッ・・・・・・・』
観客の大歓声の隙間を私の祈りが擦り抜け、暗い大空へと溶ける。その後も追撃を寸での所でかわしながら何度も何度も上に向って甲高い懇願の音を放った。
「お願いだから降りて来て。あんたが来てくれないと、もう、どうして良いのか分からないの」
切な願い。
でも、どんなに祈っても空に舞い上がる指笛の音に、飛ぶ鳥の軌道が変わることは無かった。
それから暫らく囲いの中を逃げ回り、足の震えを強く実感し始めた頃、もう何度鳴らしたか分からない指笛を諦め、髪に手を突っ込み掻き乱す。
前回、『アイツ』が私の指笛で地上に降りて来たのは偶然だったのだ。やっぱり、そんなにつごう良く行くわけが無い。私が甘かった。計画は失敗だった。今までの浅はかな考えに自己嫌悪の念ばかりがつのってゆき、自分への叱咤を連発させた。
――――じゃあ、私はこれからどうなるの? あの化物に食べられるしかないの!?
「や、嫌だ! そんなの嫌だっ! 死にたく・・い・っっ」
自分自身の問い掛けに、語尾が震えて言葉にならない。
死にたくない。死にたくない。その思いだけで恐怖と痛みで萎えた足を引き摺るように逃げた。が、直ぐに壁に突き当り行き止まる。ここは高い塀で囲まれた闘技場という名の虫篭。行ける所は限られている。逃げられない。つまり、後が無い。
絶望的なその言葉が、じわりと頭に浮かんでくると腹の底から重い何かが競りあがって来て、苦しさに我慢出来ず吐き出すように叫んだ。
「こ、この馬鹿鳥っー!! あんたなんて、あんたなんて、焼き鳥にしてやるっ(来世で)」
私はヒステリックに悪態を付くと固く冷たい壁に縋り、其の場に崩れ落ちた。もう駄目なのか。死ぬしかないのか・・・・。
『死』を強く意識した瞬間、ギュッと閉じた目蓋の向こうに家族の顔が浮かんでは消える。
――――ごめんね。お父さん、お母さん、陽子・・・・。今年はクリスマスも、お正月も一緒に居られなかった。
・・・・それに、猫柳君。助けるなんて言って、こんな体たらく。本当、ごめん。
「ごめんね。ごめんね。ごめっ」
しゃがみ込んで膝を抱え呟くが、ガチガチと音がするだけで意味のある言葉にならない。さっきからずっと歯の根が合わなくなっているからだ。段々と近付く地面を這う音。その音が大きくなればなるだけ私の身体の震えも大きくなる。まるで瘧の様。
「グジュルル」
向けた背に、奴の存在を強く感じ、震えながら「ああ、これまでか」と目をギュッと瞑ると次に来るだろう衝撃を待った。
「っつ・・・・・・・・・・・・・・・・・? 」
が、待っていても来るはずの衝撃が来ない。それどころか、何故か急にメガスコリデスの動く気配が途絶えた。不審に思い恐る恐る目を開ける、すると、うずくまる私から3~4mの所にピクリともしなくなった巨体。
何故止まった? 首をめぐらせ観客席の方を見ると今までと違ったどよめきが上がっていた。そして皆、しきりに上を見上げている。中には上を指差し悲鳴をあげる者。あたふたと逃げ惑う者。皆れぞれだが一つ共通点があった。上に居る何かに怯えているようなのだ。
その何かに心当たりが有る私の胸に一抹の光が生じ、観客の悲鳴が大きくなるたびに、それはどんどん輝きを増していった。
「まさか、まさか・・・・来てくれたの・・・・」
一度は消えた光にすがる様に上を仰ぎ見ると、目で確認できる距離のそこには鮮やかな緑色。さっきまで黒い点だった空を飛ぶ者が、今まさに私が居る闘技場に舞い降りようとしていた。
私は壁に手を付き立ち上がり、嬉しさと期待を込めて叫ぶ。
「ロンギケプスステルンベルギ! 待ってたぁーーーーうわぁっ!!? 」
期待を込めた筈の歓声は後ろが悲鳴に。何故なら助っ人のつもりで呼んだ怪鳥ロンギケプスステルンベルギが口ばしを向けて、つっ込んで来たから。それもなんと私を目掛けてだ!
咄嗟に横に飛んでかわしたが、少しでも逃げるのが遅れていたら今頃、私の頭には大穴が開いていただろう。想像して心臓が大きく波打ち、ぞっとした。
「違うよ? 私は御飯じゃないよ。御飯は、あっち、だからね? ほらほら・・・・ね? 」
私の前に立ち、どう見ても獲物を狙う目をしたロンギケプスステルンベルギ。大きな身体を緑色の羽根で包み、鋼鉄の様な口ばしと鍵爪を持つ。この世界に来て一番始めに出合った生物だ。ちなみに、こいつも肉食で、はっきり言ってあの時は酷い目にあった。その時の恐怖を押さえ、私は彼に本来の餌の在りかを指を差して教えた。
「ゲゲッコ」
怪鳥はどこか間抜けた声で一鳴きし、私の動きにつられ首をめぐらし後ろを見た。
そこにはいかにも鳥の餌と言う外見のメガスコリデス‐アウストラリスが居るのだが、奴は・・・・死んだふりをしていた。
「っつ! ずるいっ! さっきまでビチビチしてたじゃないっ!! 」
「・・・・・・・」
当たり前だが非難の声にも全く反応しない巨大ミミズ。身体はどす黒く変化し、何と腹を出して死体のポーズ。いかにも不味そうなその姿。
――――ずるい。ずるいけど、頭良いねっ! でもね、一抜けたなんて許さない!
巨大ミミズには巨大怪鳥の餌になってもらうのだから!
「じゃないと私が食われる」思い切ってロンギケプスステルンベルギの隙を突いて走り出す。そして死んだふりをしているメガスコリデスの触手を一本掴み、横を抜け中央に開いた大穴の中へ飛び込んだ。
その穴は、縦は私が少し屈めば頭が隠れる程度。横は結構長く、多分ゲートの入り口辺りまである筈だ。
私はその中で掴んだ触手を思いっきり引っ張った。それはもう、これでもかと言うくらいに。
「グジュルルル」
それまでピクリともせず死んだふりをしていたメガスコリデスだけれど、これには流石に驚いたらしく声を上げ、大きく身じろぐ。
それでも私は引っ張り続ける。我ながら鬼だと思うが、仕方が無い。だって私、死にたく無いもん。
「えーーーい。これでもかっ、これでもかっ」
下着まで脱ぐ事になった私の恨みは深いのだ。それはもう、駿河湾の如く!
「ゲゲッコゲー」(あ、いた)
「グジュ・・ルル・・」(やべ)
イヤイヤと身体をくねらすメガスコリデスに、とうとうロンギケプスステルンベルギが気が付いた。そして向かい合った二匹の心情が手に取るように分かる空気が流れる。その空気には余りにも両極端な温度差があった。
彼らの間に捕食者と被食者の図が瞬時に完成したのだ。それは私の計画の成功を意味する。
――――さぁ、もう少し。どうか上手く行きますように!
手も足も土だらけ。スカートなんて元の色が分からない程の格好で穴の中にしゃがみ込み、顔を少し出して、今、まさに繰り広げられている『モ〇ラVSキング〇ドラ』・・もとい、メガスコリデスVSロンギケプスステルンベルギの戦いを見詰めた。
いや、もうあれは戦いとは言えないかも知れない。だって、決着は一瞬で付き、今は一方的に敗者を勝者が捕食している最中なのだから。
びちゃ、くちゃ、と粘る音が場に満ちる。
大きく鋭い鍵爪でメガスコリデスの長い身体を押さえ込み、黒光りする口ばしで引き裂く。
怪鳥が獲物の身体を引き裂く際に頭をブルブル振るうため、辺りにメガスコリデスの体液や肉片が飛び散るのだが困った事に飛び散った物が、かなり臭い。それは何とも言えない溝川のような生臭い匂いで、嫌でも鼻に付いた。
私はなるべく大きく息を吸い込まないようにしながら、メガスコリデスの南瓜の中身のような赤みを帯びたオレンジ色の断面に向って手を合わせた。
「うぅ・・、ごめんね。成仏してね。怨むなら食物連鎖を怨んでね」
穴の中で南無南無と手を合わせた後、顔を上げるとロンギケプスステルンベルギがメガスコリデスを長い胴の半ばから切断し、その半分を口に銜え飛び立つところだった。大きな翼を羽ばたかせ、あっという間に黒い空に消えていく。それを見届けた後、二匹がいた場所に視線を戻すと、思わず口から悲鳴が漏れた。
「う、うわぁ・・・・」
穴の縁にしがみ付いて息を飲む。視線の先には自分が仕向けた事だとは言え、目を逸らせずには居られない凄惨な光景が広がっていた。
切断されたメガスコリデスの残骸が、もったりとした体液や肉片の散乱する中に力なく横たわり、断面からは未だドロリとした内容物が漏れ出している。グロテスク。でも私は、それとは別の意味で直視できない。その光景を見ていると、少しの後ろめたさが顔を覗かせるのだ。お前がやったんだぞっと、罪の証拠を突きつけられている様な。だから、どうせなら全部まるっと持って行って欲しかった。
何で半分置いていったのだろう。やっぱり重いから ? あの大きな羽根なら丸々一匹持って飛べそうなのに・・・・。
罪悪感や不満と一緒に小さな疑問が湧いて出たが、メガスコリデスが死んだ今、それは瑣末な事だろう。なにはともあれ、これで私は助かったのだから喜んで良い筈だ。
ほっと胸を撫で下ろし、穴から這い出すとメガスコリデスの残骸に背を向け、まだ檻の中にいる猫柳君に手を振った。
「猫柳君、私、やったよ! 勝ったよ! これで自由だね! 」
「っだ・・・っまっ――・・・・」
私の声が届いたかのように、返答があった。だが、観客の声に押されて殆んど聞こえない。何と言っているのだろう。身体を激しく動かして何やら叫んでいる様子。余りに必死なその動きが少し気になる所ではあるが、まぁ、喜びの声だと思う。そう、単純に思った私は彼にもう一度手を振った。
「良かったね・・・・これで記憶は無くならない。今まで通りだね」
彼の姿を見ていたら、じわり、じわりと喜びが湧いて来た。それは命の有無とは別の喜び。何かを成した時の喜び。
今まで、これほど大きな達成感を得た事があっただろうか。多分、無いだろう。
――――私でも出来た。誰かの役に立つことが出来た。これで猫柳君も猫島君も、喜んでくれる。
自分も棄てたものではない――――・・うれしい。
でも、何で私は泣いているのだろう。嬉しいのに、拭う傍から次から次へと零れ落ちる涙。
「うーーーーっ」
がくんと、其の場に崩れ落ちるように座り込む。その際、膝を強かに地面に打ったが、その痛みですら生を実感する材料になった。
痛い、けど生きている。その素晴らしい奇跡に誰彼構わず感謝の言葉を掛けたくなった。それ程嬉しい。
「そうだよ、私、生きてるよ・・色々あったけど、何だかんだで生き残ったよ」
土に汚れた手の甲で目を擦り、こみ上げてくる嗚咽を堪えていると、それまで喜びで一杯になっていた頭の中に、この世界に来てからの色々な場面が蘇った。
「辛かった」「驚いた」「痛かった」洒落にならない嫌な目に沢山あった。でも、それだけじゃなくて良い発見もあった。それは、未だ檻の中に入っている猫柳君の事。
向こうの世界では、私からはなるべく関わらないようにしていた彼。それは彼がとる不審な行動に恐れを感じていたのもあるが、一番の理由は猫柳君が私とは全く違っていたから。
――――教室の隅っこに居る、地味で目立たない私。
――――常に先生やクラスメイトの視線を集めている。そして、その注目に十分に答えられる存在。
容姿も能力も、私なんかとは丸きり違う。私にとって、そんな猫柳君は雲の上の人だった。
でも、今回そんな彼と思いがけず近付いて、知らなかった以外な素顔を見ることが出来た。
アルゴル城の地下で見た、子供のような曇りない笑顔。歳相応な、あの顔を私はきっと忘れない。
それどころか、もっと見たいと思ってる。出来る事なら、その他の顔も。
彼は見せてくれるだろうか ?
何にも出来ない私なんかでも。ねぇ、
「猫柳く・・・・・・・・・・・、ん ? 」
くすぐったい感触を素足に感じて、下を向くとそこには・・・・何だ ? この足首に纏わり付いている、――――――――ボロ縄は。
ながーい、です。
でも、そろそろ何とか・・・・。




