赤い月
時刻は夕暮れ時。
太陽は自分の出番は終わったとばかりに、その地位を赤い月に譲ると地平線の彼方に姿を隠し退場した。とたんに世界は等しく濃紺の闇で包まれる。
だが、原始的な松明と、強力な人工的ライトによって照らし出された闘技場内は太陽の不在を感じさせない明るさ、そして熱気で満ちていた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっっ !! 」
「ぐぁっ ! 」
薙ぎ払われた刃の先から鮮血が飛び散る。地面に撒き散らされた真新しい血液は、まだ、もったりとした濃度を保っていて、直ぐには地面に吸収されない。その為、辺りは血の匂いで噎せ返るほどだ。しかし、それを見て目を背ける者は誰も居ない。それどころか赤の色に酔い、鉄の匂いにいきり立つ。
剣闘士達の血の叫び。観客達の狂った歓声。
狂気、狂乱、怒気、歓喜。闘技場内に渦巻くのは、日常で感じるには強すぎる感情。そして、それに呼応するように遥か上空には弧を描いて飛ぶ大きな飢えた影。
建国式典、終わりの余興を盛り上げる戦いは、今、まさに大詰めを迎えていた。
「もう直ぐだな。ネズ子の出番は」
「ええ。次です。何事もないとよろしいですね」
円形闘技場、左側にある貴賓席群とは反対側の三階部分に猫柳と、その従者猫島がいた。
そこからでは対岸の人物の細かい表情までは分からないが、そこに居る人物が誰かを見分ける事が出来る位の距離が離れている。ちなみに、彼らの正面に居るのはシャルトリュー達で、気だるげに座る彼の姿が確認できた。
この国の王子である猫柳がシャルトリュー達が座る貴人席側に座らないのには理由がある。一目瞭然のその理由。それは彼がーーーー檻に入っているからだ。
「それにしてもミスマッチですねえ。その格好にその入れ物は。何だか笑ってしまいそうです」
「何だと!?お前が押し込んだんだろうが!!」
明らかに馬鹿にしている顔の猫島に、檻の中の猫柳が吼えた。
今の猫柳のいでたちは、白い細身のメスドレス。飾緒や肩章が付いた軍人仕様だ。上着が短いため足の長さがより強調され、美しいシルエットを形作っている。腰から足にかけての男らしいそのラインが何とも悩ましく、さぞ式典参加女性の目を楽しませただろうと伺える。
その、よく出来た人形の様な猫柳が入っているのは無骨極まり無い鉄の檻。畳にすると2〜3畳の狭い猛獣用だ。
「しょうがないんですよ。陛下の御命令なので、従わない訳にはいきません」
「父上が ? 」
「ええ。何でも、演出だとか ? 戦う勇者に囚われの姫は付き物だとおっしゃられて……プッ ! 姫ッ ! 姫ですって ?! ふはははーー ! 」
檻の中の猫柳を見て猫島が吹き出す。椅子代わりの塩鮭と書かれた木の箱(演出2)を見て益々笑いが止まらなくなったもようだ。
「うるっさい ! 私を攫われるのが仕事みたいなピーチ何某と、一緒にするなっ ! 」
「ピーチ何某とは誰ぞな ? 」と首を捻る猫島に対して猫柳の顔は険しく、姫と言うより今入っている檻に似合いの猛獣に近い。
―――――オオオオオオオッーーーーー !!!!
突如、物凄い喚声が沸いた。地鳴りがする程の観客の声。檻に嵌め込まれた鉄格子もビリビリと細かく振動している。
「終わったな」
「ええ」
猫柳達が下らない事を言い合いしている内に、繰り広げられていた熱戦の勝敗が決まったようだ。
見れば舞台の中央には、地に伏した男の姿。そしてピクリとも動かないその男の横で雄叫びを上げる血に濡れた勝者。自己を堅持する咆哮は天高く暗い空に突き刺さる。
9組目の勝敗が決まり、何時の間にか自分の知らぬ間に今回の余興の目玉にされてしまった10組目、つまり中原すず子の戦いが始まる。
ゲートが開き、意識の無い敗者の撤収、武器の入れ替えが始まる。それも間も無く終わり、いよいよ次の出場者の登場となった。
「なぁ・・・・シマ。大丈夫だよな」
珍しく緊張した固い声の猫柳。あえて何が、とは言わない所が彼の心細さを現していた。それに対して猫島は幼馴染でもある近しい彼の緊張を和らげるように顔に笑みを浮かべた。
「ええ、もちろんです。貴方はどっしりと座っていれば良いのですよ。ほら、中原さんがはいってき・・ 」
「ッ!!ねーーーーずーーーーーーーこーーーーーーっっっっ !!*@+@+@¥」
包み込む微笑で励ましの言葉を掛ける。が、話の途中で、しょんぼりしていた筈の猫柳がガバッ!と立ち上がり奇声を上げ始めた為、断ち切れた。
「ネズ子っーーーーーーっ ! ネズ子ーーーーーーーーっ ! 私はここだぞーー !! おおっ ! シマっ、ネズ子がこっちを見たぞっ ! 私を見た !! 私の念が通じたのだな ! 」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうですね」
念 ? 怨念の間違いじゃないのですかと、呆れた目で猫柳を見る猫島。しかし、見られている本人は、そんな非難の目には気付きもしないで、地下から続く入場口から出て来たすず子を、その眼にロックオンしたまま夢中で声を掛け、アピールし続けている。
「ネズ子ーーーー !! お ! 見たか、シマ ?! 今、ネズ子がこっちを見て笑ったぞ !! 」
・・・・・・・・・・・・まるで、韓流スターを追っ掛けるおばちゃんだ。
けれど主思いの従者は「貴方を見たと言うより、貴方が入っている檻を見たのだと思いますよ。それに、今の貴方を見れば誰だって笑うでしょうね。物凄く滑稽なので(毒)」とは、言えなかった。真実を知った時の彼が、余りにも不憫だったので。
――――・・おい、アレが10組目の・・・・・・女だ・・
――――まさか・・・・・・嘘だろう・・子供じゃないか
――――耳無しの女が、アウストラリスと ? ・・・あんなに小さい・・
この世界にやって来た時に着ていた制服を着用したすず子が入場すると数百、数千の観客の間からざわめきが起きた。まさか、こんなに小さな少女が登場するとは誰も思わなかったのだろう。そこかしこで困惑の言葉が飛ぶ。
だが、そのざわめきも直ぐに熱狂に姿を変え、地鳴りと共にすず子を飲み込んで行った。
『オオオォォォォオオオォォ !!!!』
大歓声の中、身の置き所無く頼り無げな顔をして紺色のスカートを揺らすすず子。その顔は明らかに不安げで、心の準備をしているのだろうか、深呼吸を繰り返している。だが、そんな彼女の準備を待たずに事は進む。
正面、鉄製の見るからに重いゲートが軋みながらゆっくりと開き、薄暗い地下から排出される何者かの影。重く、重く、ずるりと這いずり、今まさに姿を現そうとしていた。
――――ズッ・・・・ズズズズズッ・・・ズズーーーー
その瞬間すず子は勿論だが、観客席の猫柳の緊張もピークを迎える。
「お、おい」
猫柳がゲートから出て来た『者』を見た瞬間総毛立ち、血の気の引いた顔で呟いた。
「あれは・・・・何だ・・・・・・・」
一方、貴賓席側の二階、観客用の出入り口の物影に佇むコレットが、後ろに冷たい表情のメイドを従え、薄く微笑む。
「アウストラリスである事は変わりませんでしょう ? 少しーーーーですけどね ? うふふふふふふっ、あははははは ! 」
「・・・・・・・・」
耳無し異世界人、中原すず子が参加する、催し最後の10組目の戦いが困惑と熱狂の中、火蓋を切った―――――。
やっとここまで来ました。
次はヒロイン視点に戻ります。




