約束
ハンカチに付いた汚れ部分を内側に織り込みワンピースのポケットに収め、随分と高い位置にある彼の顔を仰ぐ。私と彼とでは身長差が30センチ近くあるので、かなり首の筋を酷使する。はっきり言って疲れる。
「よし、綺麗になったよ・・・・あれ ? 猫柳君顔が赤いよ ? 」
「・・・・さすがネズ子だ。この私に『待て』をさせるとは・・・・」
餌を前にした犬の様に目をギラつかせた猫柳が強張った身体を小刻みに震わせ低く笑う。
何時もはノーブルに整った白い顔が今は仄かに赤い。その赤みは暖色を帯びたカエルランプに照らされた色だけではないようだ。
目元を染めた顔は、何処か淫靡で扇情的な匂いを漂わせている。だが、その手の色事に全く免疫の無いすず子は考えがそこまで及ばず、見たままに受け取った。
「ごっ、ごめんっ ! もしかして擦りすぎちゃった ? 中々、落ちなくて遣り過ぎちゃったかな ? 痛い ?」
「いや、いい。もう少しなら我慢できる・・・・ ・・・・ ・・・・たぶん」
「本当にごめんね ? それにしても、この黒いのは何 ? 油っぽいけど」
問い掛ける私に猫柳君が「ああ」と返事をしながら部屋の奥の暗がりへ行き、大判の薄い紙を手に戻って来て私に向かって広げて見せる。
流れる様な文字と、細い線で描かれたとても緻密な図面。中央にひかれた曲線の形は良く見知った形をしていた。
「コーヒーカップ ? 」
「ああ、そうだ。最近、思うところがあってコイツを魔道改造中なのだ。この汚れは機械油だろう」
そういえばキジが猫柳君は食事も忘れてコーヒーカップ作りに熱中しているって言ってたものね。けど、コーヒーカップはコーヒーカップでも遊園地にあるグルグル回る方だったとは思わなかったな。予想外。
それにしても改造・・・・しかも魔道・・・・ ? 嫌な予感がプンプンする。彼を、今の状況に追い込む原因になった犬耳カチューシャも確か魔道改造の産物だった筈。
「ええぇと、(本当は聞きたくないんだけど)これ、どういった物か聞いていい ? 」
「回転するコーヒーカップは知っているだろう ? お前の世界の遊園地とやらに設置してある遊具。あれに魔道の力を加え、より強力にする予定なのだ」
得意げな彼の強力と言う言葉に緊張が走る。
「ぐ、具体的にはオリジナルとどう違うの ? 」
「うむ。そうだな・・・・。回転数が圧倒的に違うな。従来の生温い動作とは比べ物にならない物になる。一秒間に20~30回転は余裕だろうな」
―――― 一秒間に30回転 ?! それってもう、遊具じゃないよっ ! ミキサーだよっ、ジュサーだよっ ! 遠心分離機だよっ ! いったいこの人は何を分離させるつもりなのっ !?
「無理だよっ、もうそれ生き物の乗り物じゃないよっ ! 」
「ははっ、安全面は安心しろ。ちゃんと動物実験はするつもりだ――――、犬を使ってな」
犬 ?! また犬っっ !!
高速回転するミキサーに、今まさに放り込まれそうになっている犬の悲しい縋る様な目が頭に浮かぶ。
うるうるうるうる~・・ぷるぷるぷるぷる~~・・・・真っ黒い目。濡れた鼻。股の間に丸まった茶色の尻尾。私を見上げるゴールデンレトリバー(子犬)はこう言うのだ「ボクを助けてワン」と・・・・・・あぁ、ハッチ・・・・。
架空の飼い犬の震える姿を想像するだけで身体中の血の気がザザッっと下がった。
「だっ、だめっ ! 絶対だめっ ! ハッチは分離させないっ ! 」
「だが生体実験をしないと危険だぞ ? と言うかハッチとは何処のどいつだ ? 」
「じゃあ改造自体を止めれば良いんだよ ! 普通で良いじゃない。普通って素晴らしい ! 」
握ったこぶしをブンブン振って、犬を守るために普通の良さを訴えた。
「そうか ? ぬるくはないか ? 」
「そんな事無い ! 私は普通のコーヒーカップって好きだな ! むしろ普通のコーヒーカップ『が』好ましいな !(犬のためにも) 」
「好き ? 好ましい ? そうか、ネズ子はアレが好きなのか・・・・。分かった、改造は止めよう。お前の好みに合わせるのは吝かではない」
――――い犬ぅ ! 良かったね ! 個体と液体に別けられなくって !
「ね、ネズ子」
ついホッとしてフニャっと笑ったすず子に、猫柳がまるで権力者にお伺いを立てる下々の様な遠慮がちさで話しかけた。
いつも自信に満ちている彼にしては珍しい態度で顔は微妙に強張っている。
「向こうの世界に戻ったら・・・・私と一緒にコーヒーカップに乗って欲しい」
「 ? 」
「お前は普通が良いのだろう ? だったら改造はしないから私と一緒に」
「う、うん。そうだね。一緒に乗れたらいいね」
――――絶対、嫌だ何て言える訳ないじゃない ! だって「お前が乗らないなら改造したっていいよな」なんて言い出すかもしれないじゃない ?!
犬、きっと私が守ってみせるからね !
一人で灰色猫耳魔族と戦っている気持ちになっているすず子の闘志漲る小さな身体がふるると震える。一方、格子を挟んで向かい合った猫柳の身体もまた小さく震えていた。それは、すず子と違って闘志でも怯えでも無く、歓喜から来る昂りだった。
「ネズ子っ ! 絶対だ ! 約束だぞ ! 」
すず子が始めて見る猫柳の蔓延の笑み。弾ける様な笑顔に状況も忘れ、ぼけっと見惚れてしまった。
「約束だ ! 」
――――ああ、そうだった。この人、私と同い年なんだったっけ。
約束だと笑う子供っぽい顔に改めて彼の実年齢を思い出す。どんなに付け入る隙の無い王子ぜんとしたこの人でも幼い部分が少しは残っているのだと気付く、すると、彼と私の間にある透明な壁が薄くなった様な気がした。
それにしても、なぜ行き成りコーヒーカップなんて物が出て来たんだろう ? 遊園地のアトラクションとしては1、2を争う地味さだと思うんだけど。むしろ地味だから派手に変え様とでも ? 異世界人だったり、猫耳付きだったりする彼の考えている事は私には宇宙の彼方より理解不能だ。
「ははっ !楽しみだ !」
・・・・・・・・・・・・・でもまぁ、いっか。凄く嬉しそうだし。
私も何だか、わくわくして来たし。
エピソードを削って削ってシンプルに。じゃないと私には無理。自分、不器用ですから。でも、ここまで削っても最初の方の伏線とか忘れちゃてる。あぁ、不器用なんじゃなくって、ただの老化現象か。




