2人の長い夜。
不吉だと言われる赤い月が君臨する夜、毒の様なその月明かりを恐れる迷信深い人々は、さっさと家に入り固く戸締りをし、息を殺してやり過ごす。
この夜ばかりは、夜店の多い賑やかなカトゥスの町も何時もより静かに新しい陽が昇るのを待っていた。以外に吉凶を気にする人間が多いと言う事だろう。
頑強な城砦アルゴルの中も城下町と同じに静まり返っている。仕事を終えたメイドは自室へ下がり、兵の多くも家々に帰った後で、城内に居るのは夜勤警備兵だけだった。
だが、今はその兵の足音も聞こえない。聞こえるのは自分の靴音と、夜無く鳥の密かなさえずりのみ・・・・・・・。
人気の無い長い廊下を、ヨタヨタ蛇行しながら少年の後に付いて行く。傍から見たら今の私の格好は生まれたてのヒヨコだろう。
「も、もう無理・・・・」
「ほらぁ、ねぇちゃんしっかりしろよ。っつーかさ、ねぇちゃん見てただけじゃん」
「そうだけど、そうだけど、そうだけどぉ・・・・」
とんでもない目に遭った。いや、とんでもない物を見た。
何と言うか私は・・・・地獄を見たのだ。
「ねぇ、キジ君。いいの ? あんなことしちゃって ? 」
さっきまでの目くるめく惨事を思い出すと、小心者の私は被害にあった兵隊さん達に両手を上げて叩頭したくなる。取り合えず「命だけは御勘弁をッ!」と。
この少年は、それ位の事をしたのだ。
柱やチェストの影で見ていただけだったとしても止めなかった私も同罪。もはや彼だけの問題じゃない。
「大丈夫だって ! ばれなきゃ良いんだよ ! ばれなきゃさっ ! ほら、コレしてたし問題ないよっ ! 」
闇黒B級アクションヒーローの様だった少年キジは頭に乗せていた大振りのサングラスを小さな顔に装着し直し呑気にポーズをきめる。私は内心「おいおい」と思いながら肩を落とした。
「うぅぅ、そうかなぁ・・丸分かりだと思うんだけどなぁ。って言うか、私サングラスしてなかったんだけど ? 」
「あははっ ! 終わった事は気にすんなよっ ! あ、ほらーー、ここを下って行けばヤナギ殿下が居るはずだよ」
無責任なキジが長い廊下の行き止まりを左に曲がった場所で止まった。
そこは照明で明るい廊下とは対照的に暗く、先の見えない階段が下に向かって伸びていた。
そこからは剥き出しの石段で、一歩踏み出した私の靴音が高く響いた。
――――この下に猫柳君が居るんだ・・・・
逸る気持ちを抑え、カエルランプを取り出し階段を降り始めた私に、後ろから少年が壁に張り付き廊下を見張る格好で言う。
「ねぇちゃん、今日は警備兵が多い。さっき黙らせた兵隊も直に目を覚ますし。だから俺がここで見張っているから会って来いよ」
「いいの ? 君も用があったんでしょう ? なんなら私は後でもーー」
「気にしないで。俺は来ようと思えばまた気軽に来れるし。今回は、ねぇちゃんに譲るよ。それとも一度引いて改めてまた来る ? 」
気軽な口調のキジの誘いに蘇る阿鼻叫喚。
『――身体が・・勝手に・・だっ誰かたすけ・・・・
――ももいろ・・・・ももいろももい・・・・・・・・
――やめてくれっ、それだけはっーー・・
――あはははははっ ! ほらほらほらぁ ! もっと、吸い込めっ !
――ごめんなさいっ !ごめんなさいっ !ごめんなさいっ !ごめんなさいっ !』
また「あれ」を繰り返す ?! 冗談じゃないっ ! あんな地獄絵図を見るのは一度で十分っ !
「わっ私、行って来る ! 譲ってくれてありがとうっ ! 」
キジから逃げるように石段を下へ下へと降って行く。とたんに辺りは暗闇に呑まれた。カツン、カツンと鳴る私の靴音が闇の中に寂しく響き、先の見えない不安に拍車を掛ける。手に持ったカエルランプだけが頼りの綱になっていた。
――――こんな暗くて寂しい場所に本当に猫柳君がいるの ?
恐々と数十段目の石段を下まで降りきっても明かりは何処にも見当たらない。行き止まりの壁の天井に設けられた明り取りから差し込む月の光だけが室内を薄っすら浮き上がらせて見せているだけだ。
其れだけでは、すず子の目には物が輪郭を結ぶには足らず、改めてランプを翳し周辺をグルリと照らし見て見ると、右手側にずらりと頑丈な鉄格子が嵌っている牢があった。ランプの光も届かない程、奥行きがあり、床は絨毯などの敷物は敷かれず、剥き出しの石床だがベッドや机などの家具は一通り揃っているらしく室内の奥に黒い影になって見えていた。
「・・・・ね、猫柳君・・・・居る ?」
「・・・・誰だ ? 」
暗闇に呼びかけてみると何かが身じろぐ気配。その何かから帰って来た声は良く聞き知ったものだった。
「猫柳君 ? そこに居るの猫柳君でしょ ? 」
「そっ、その声はまさか、ねず子かっ ? ! どうしてこんな場所に居る ? ! 」
私の声を聞きつけ牢の奥の暗がりから人影が勢い良く出て来て、嵌った格子に両手を掛けると身を乗り出し、私の顔を凝視した。
ガッ ! 鉄格子の軋みと、その人の息を呑む音。
―――――目の前に焦った顔の猫柳君が居た。
「一人でこんな所まで来たのか ? それともシマが一緒か ? 」
猫柳君が私の頭越しに階段の方を見やり第三者の気配を探る。その顔を下から見上げ、何時もと変わらないのを確認。怪我は無い、やつれた色もない。やはり私の心配は無用だった。彼の様子にホッとしつつ、階上をランプで指し照らす。
「キジ君がここまで連れて来てくれたんだよ。あ、キジ君って言うのは森で私が助けた少年の事でね、今は上で待っててくれているんだ」
「・・・・・・・・・・・・ほう。少年と言う事は『オス』だな」
彼は形良い眉根を寄せ何やら思案する表情。気のせいか猫耳の灰色の毛が逆立ち膨らんでいる。
「え ? まぁ、男の子だからオスと言えばオスだけど。・・あれ ? その顔どうしたの ? 」
カエルランプの柔らかい光に照らし出された彫像のように整った顔の、頬と顎に無造作に擦った様な黒い汚れが付いていた。良く見れば着ている服にも所々に黒い跡。
「何だ ? 」
「汚れてるよ。ほら、ここ」
自分の服のポケットからハンカチを取り出して、彼の頬の汚れに当てようと手を格子の隙間から伸ばす。
「っ ! 」
「じっとしてて・・」
ハンカチで擦るが中々落ちない。粘る感触は機械油に似ているが、何故こんな所に付いているんだろう ? 速く落とさなきゃ。この綺麗な顔が汚れているのは落ち着かない。
すず子は自分の行動が何気に大胆だと言う事に気付かずに無邪気にせっせと汚れを拭き続けた。
対する猫柳は、すず子からの初めての接触に興奮、いや硬直していた。目と鼻の先にあるすず子の髪から仄かに香るシャンプーの匂い、ハンカチから漂う甘い体臭。少女の存在を胸に吸い込む度に、口の中に唾液が湧く。
――――噛み付きたい。食い千切ってやりたい。でも、優しく嘗め回してもやりたい。
腹の下から飢えた欲望が競り上がる。
鉄の意志をも押し流す激しい激情に彼はもう、その感情がトキメキなのか食欲なのか分からなくなって来ていた。
――――だが、噛み付いたら嫌われる。食ってしまったら居なくなる。
突き進みそうになる自分に自らブレーキを掛ける為、鉄格子を握った両腕に固く力を入れ、激しい衝動を何とか堪える。
しかし、そんな男心(獣)など、すず子はいざ知らず汚れを拭く手を休めない。ぐりぐりぐりぐり、ごしごしごしごし。
「もうちょっと・・・・」
「・・・・・・・ぐぅ゛ぅ゛ぅ゛」
すず子の頭の上で猫柳が低く苦悶の呻き声を上げた。
猫柳にとっては忍耐が、すず子にとっては心の強さが試される長い夜が始まった――――。
やっと会えました。




