堪忍袋の緒が切れたのさ。
タクシーで俺の家に到着するなり、夏律は階段を駆け上がり俺の部屋に入っていく。
今更遠慮するような仲でもないが、夏律の家と違って我が家には両親と佐也香が一緒に住んでいるのだから、声くらいはかけてもらいたい。もっとも、両親は出払っていたが。
「面倒を増やす連中だよ。根城を突き止めて根絶やしにしてやるからな!」
パソコンの前に座った夏律は画面を見つめて物騒な台詞を呟く。
怯えたパソコンが矢継ぎ早に画面を切り替え、誘拐犯の位置情報を表示した。
発信機は隣町の山奥で動きを止めている。佐也香の携帯も側にあるようだ。
車の乗り換え位するかと思ったがその素振りはない。
「宗也、一連の誘拐事件の黒幕が分かったよ」
夏律はイライラした様子で画面を示す。
「犯人たちが車を止めた山は糸澄生徒会長の実家が持つ私有地だ」
証拠として画面の端に小さなウィンドウを開く。そこには不動産登記簿が表示されていた。
糸澄家所有の山に根城を置く誘拐犯。今は警察が動いているはずで、不法に居座っているならすぐに捕まるだろう。
根城ではなく一時的な避難所だとしても他に良い場所があるはずだ。
「黒幕は糸澄家か」
しかし、娘を誘拐されているのに何故……。脅されているのだろうか?
「はっ、プチ家出ってやつだよ」
夏律が傲慢に鼻で笑いながら言う。
「彼氏とイチャイチャ出来ない状況に堪忍袋の緒が切れたのさ。しかし、実家に狂言誘拐がバレた。だから、逃亡先を確保するために僕を誘拐するつもりだったのさ」
なるほど。朝の通学路に見回りの警官一人見あたらなかったのはそういう理由があったのか。
警察は民事不介入。狂言誘拐がバレたのは夏律に手紙が届く前だから、昨日の時点で警察はこの誘拐事件から手を引いたのだ。
子供のわがままに付き合わされた警察に同情しつつ、夏律の話に耳を傾ける。
「引きこもりで一人暮らしの僕を誘拐すれば僕の屋敷に身を潜めて彼氏とイチャイチャ出来るって寸法だ。あの色狂いどもめ」
色狂いかどうかはさておき、おそらく糸澄会長は両親に男女交際を認めてもらうつもりなんだろう。
それまでの仮の宿だから、あんなネトゲの広告染みた手紙を送ってきたのだ。なるべく穏便に後腐れなく隠れ家を手に入れる必要があった。土壇場で逃げ出されても困るから暗黒音で動きを封じた。
あの伊達男が言っていた『予定とは食い違う』とはそういう意味だろう。
「しかし、そうなると誘拐犯たちは何者だ?」
黒幕である糸澄会長は居なかったが……。
俺が記憶の中にある誘拐犯の車内を思い浮かべていると部屋の窓がノックされた。
カーテンを開けると夏律人形が窓の外枠に捕まってぷるぷる震えている。ここ二階だぞ。
「無茶させんな」
夏律を非難しつつ人形を引き上げる。その背には青いファイルが括り付けられていた。随分と酷使されている。家出しないといいが……。
夏律はファイルを取り外した人形を胸に抱きながら、俺を手招く。
誘われるまま隣に座ると夏律は推理を再開した。
「確か、宗也が聞き込んだ結果がこのファイルにまとめてあったはずだけど」
ぺらぺらとファイルをめくる手が止まり、夏律は内容を読み上げる。
「生徒会書記、形蔵詩波の証言によれば『糸澄会長は小動物チックで、学年を問わず保護指定されている』のだろう?」
つまり、恋の応援団が加勢しているのか。
「……いやはや、くだらない事件だな」
なんだ、この胸に満ちるイラつきは。
ふと隣を見る。やはり、夏律もイライラが増している。
「本当にくだらないね。僕らがどんな気持ちで暗黒音の回収に尽力していたか、奴らには分からないのだよ」
顔だけは笑みを取り繕っている夏律は怒りを込めた指先で床をコツコツと叩いている。
「恋だか金魚だか知らないけれど……正面から文句ぶつければいいのだよ、あの小動物め!」
ついに切れた夏律が立ち上がる。抱かれた人形が腕を組んで頷く。
気が付くと俺も立ち上がっていた。口を突いて出てくるのは怒声。
「こちとら、あの発明品で散々ウジウジしてんだ。匹夫どもが! 馬鹿げた事件を起こしやがって目にもの見せてやらぁ!!」
「見せる? まだそんな甘いことを言うのかい?」
夏律が口端を釣り上げてパソコン画面の位置情報を睨み下ろす。
彼女もかなり頭にきているようだな。
「つまり、“封印を受けし具象物”を解き放つと言うのか?」
アレを解き放てばあの匹夫ら如き泣いて許しを乞うだろう。
しかし、夏律は首を横に振った。
「違うな」
夏律は嘲う。
「僕は“一度限りの現象物”を蘇らせたい」
「正気か? くっくっく、憐れみを誘う匹夫だな」
彼奴らめ、敵を知らぬばかりに不憫だな。
塵と化すだろう匹夫どもの未来を憐れむ俺に夏律は肩を竦めた。
「憐れみは無用さ。何しろ彼奴らは喧嘩を売ったんだ。このーー」
夏律は言葉を区切り、俺を指さす。
「天界が嫉妬する技術者、宗也を……。」
「そしてーー」
俺は夏律と対を為すように腕を上げる。
「地獄が羨望する哲学者、夏律もな」
向かい合った俺たち天才は世界を飲み込む笑みを浮かべる。
「ふっふっふ」
「くっくっく」
「「はっはっは! さぁ、始めよう。天才の供宴による恐怨の供宴を!!」」




