誘《 いざな》わねばならぬ
「有り体に言えば僕らは恨まれている。特に宗也は面が割れているから出会い頭に罵声を浴びせられる事もある。そっくりな顔である佐也香君もね」
だから話したと、夏律は締めた。
佐也香としてはいい迷惑だ。なにしろ、そっくりさんである俺のせいで身に覚えのない恨みを買っているのだから。
状況の認識に努めているらしく佐也香は黙り込んだ。重苦しい沈黙がただよう部屋に居心地の悪さを感じ始めた頃、佐也香はおもむろに口を開いた。
「いま市販されている商品に問題はないんですか?」
「俺たちが調整して威力を弱めてある。今のところは問題になってないな」
正直、販売中止にしたい。
しかし、世に出た技術を駆逐するのは不可能だ。仮に出来たとして、どこぞの発明家が俺たちと同じ轍を踏むくらいならば威力を落とした暗黒音を広めた方がいい。
犯罪者も狙った相手が暗黒音を持っていれば迂闊な行動ができない。牽制として残した方がいいと判断したのだ。
「だが、この件にはまだ一つの懸念が残っている」
俺が言い切る前に夏律が発言を求めるように挙手した。
佐也香の視線が夏律に引き寄せられる。
「その懸念については僕から話そう」
そう言いつつも夏律は立ち上がる。
ついて来いとばかりに手招きしてくるので佐也香を促して誘われるままに廊下に出た。
先程までの話のせいか、明かりのない廊下がやけに淋しくうつる。
こんな広いだけの家に夏律が一人で住む理由、それは人間不信だ。
暗黒音をめぐる研究所での一件で引きこもりに拍車がかかった夏律。
彼女は自分自身が人間である事を自覚している。だからこそ、自らの醜い部分を誰にも見せないように引きこもってしまった。
「宗也はまたその顔をするんだな」
夏律の声で我に返る。
何時の間にか客間に着いていた。
「誰が見ても、今は宗也の方が心配だと答えるだろうに」
呟きにため息を乗せて夏律は背を向けた。
身振りで畳に座るように指示されて俺たちは素直に従った。
さほど広くない和室の中央に趣のある木のちゃぶ台が置かれている。
「ひっくり返すなよ?」
ちゃぶ台の端を逆手に掴んだ佐也香に注意する。
「ほかに使い方があるんですか?」
「当たり前だろ。お前はしばらく漫画禁止!」
佐也香は不満そうに俺を見てきたが無視しておく。
夏律が庭に面する障子を開け放すと陰気な部屋に日の光が射し込んだ。
部屋から見える庭は荒れていて、陰気な空気を追い出すには力不足だった。
「庭の手入れくらいしろよ」
「諸行無常だよ。宗也には分からないのかい?」
屁理屈じゃねえか。この引きこもりめ。
俺が送る抗議の視線を夏律は鼻で嘲笑って俺の対面に腰を下ろした。
「僕が今日、人形の修理にかこつけて宗也を呼び出した理由を話そうか」
夏律は真剣な顔で切り出した。
「限定販売されたアレにはーー」
「暗黒音ですか?」
佐也香がダーの音を発音するや否や、俺と夏律は一斉に耳を塞ぐ。
佐也香の口が閉じられたのを見て俺たちは手を離した。
「素早い動きでしたね」
感心されても誇れないけどな!
「予想していたからな。それと佐也香の認識で合っている」
「話を続けるよ。限定販売されたアレにはまだ未回収の百個が存在する」
未回収分の暗黒音は俺と夏律が探し回っている代物だ。
購入者の転売や紛失によって行方が分からなくなっている。
「それで、宗也に聞きたい。未回収分は百個であってるかい?」
「八十個だ」
訂正してやると夏律はニヤリと笑った。ちゃぶ台に両手をついて身を乗り出してくる。
「例のとこかい?」
「あぁ。二十個まとめて持ってやがった。がめつい奴だったよ」
なんでも『暗黒音を欲しがっている金持ちがいる』と噂になったらしい。それを真に受けた転売屋が抱え込んだのだ。
因みに夏律が噂の出所である。
引きこもりの夏律は普段からネットオークションで金を派手に使う。取引相手への感謝メールに暗黒音の限定版が欲しいと匂わせまくったのだ。
曰わく「十人に交渉して十個より、一人に在庫を抱えさせて交渉する方が手っ取り早い」とのこと。
夏律と含み笑いをこぼす俺に佐也香が説明を求めてくる。
「同じ商品を集めても一つだけしか買われなかったら意味無い気がします」
「アレは普通の痴漢撃退グッズとは違う」
起動時に厨二臭い台詞が飛び出るのである。
元々、俺たちの発明が人気だったのは厨二臭いネーミング故だ。研究所の職員もそれが分かっていた。
だから、限定販売された暗黒音には数十パターンの厨二台詞がそれぞれに割り振られていた。
妙なマニアがカードゲーム感覚でコレクションしているのである。
夏律はそれを利用して今回の作戦を考えたのだ。
「どんな台詞なんですか?」
「「……。」」
顔を見合わせる俺たちに、佐也香が期待の眼差しを向けてくる。
「あの頃、職員に発していた言葉の数々です、はい」
「おぞましい程に痛い厨二台詞です、はい」
「宗也さんに夏律さん、個性がなくなっていますよ」
「「個性をつけたらぶり返すだろう!」」
「知りませんよ、そんな事」
佐也香に突き放された。冷たく突き放された……。
「しかし、残り八十個か。ここからが難しいね」
夏律が腕を組んで眉根を寄せる。
八十個、所在が判明しているのは兎も角、ネックは紛失分だ。
中でも問題なのは、盗難にあったもの。
「研究所のバカ共め。僕らの試作品を持ち出しておいて盗まれるなんて愚の骨頂だよ」
行儀悪くちゃぶ台に頬肘を突いた夏律は愚痴をこぼす。
暗黒音プロトタイプはお蔵入りした本家本元。
夏律が「宗也なら作れるだろう」と言ってとんでもない幾何交差の図面を引き、俺が技術の粋を込めて作った代物だ。
大量生産品である限定販売品より衝撃に強く、配線などの関係で効果が大きい、などの特徴がある。
「なにより、試作品の台詞はヤバい」
「あぁ。僕らに共通する人生の汚点だよ」
「「早く暗黒に誘わねばならぬ」」
「お二人とも、ぶり返してますよ」




