暗黒音《ダークネスアルトー》
「僕はそいつが嫌いだ」
夏律は佐也香を指差してそう言った。
ようやく泣き止んだ主を守るように夏律人形が物差しを正眼に構え、佐也香に相対する。
当の佐也香は表情を変えず、人形を観察していた。
「この人形は夏律さんを模しているんですよね?」
「あぁ。可能な限りな」
「宗也が作ってくれたんだ。羨ましいだろう?」
なぜ、夏律が勝ち誇るんだ。ただ単におまえが不器用だから製作にタッチできなかっただけだろう。
佐也香は夏律人形を細かく観察しては夏律との差違を探しているようだった。
警戒していた夏律も害がないと判断してか、咳払いをして俺に向き直った。
「宗也に聞きたいことがある」
「なんだ?」
今までのやり取りから一変して真剣な顔で切り出す夏律。
彼女は佐也香を一瞬だけ気にする素振りを見せたが意を決して続けた。
「未回収分についてだよ」
「ーーっ!!」
慌てて佐也香を見る。こちらの会話が聞こえた様子はない。
そんな俺に夏律が怪訝な顔をして声を潜めた。
「……佐也香君には伝えてないのか」
「……あぁ、教えてない」
後ろめたさを感じて視線を逸らす。
俺の態度に夏律は眉根を寄せて不機嫌な顔をした。
「この腑抜けめ。宗也には悪いけど佐也香君にも聞いてもらうよ」
「お、おい! 待ってくれ」
夏律の肩を掴んで行動を阻止する。
彼女は振り返ることも無く俺の手を払う。
「呆れたな。彼女もそのうち知ることになる。下手な噂を聞くより僕達から教わるべきだ」
「だが、佐也香は関係ない」
「君とそっくりでも無関係を貫けると思うかい?」
「それは……。」
夏律の言うことはもっともだ。理性的で論理的、反論の余地もなく正論だ。
佐也香に教えてないのは俺のエゴでしかない。
「決まりだね。佐也香君、こっちに来てくれるかい」
夏律が佐也香を手招きする。
俺は諦めのため息を吐く。
遠からずこうなる事は分かっていた。ただずっと先延ばしにしてきたのは俺の責任だ。
「夏律、俺から話す」
「……分かった」
佐也香と向き合って座る。
彼女は部屋の空気が変わっていることに戸惑っていた。
「俺と夏律がどうして出会ったか、聞いたよな?」
「はい」
今でも鮮明に思い出せる。それ自体は素晴らしい記憶だ。
「俺は中学生の頃とある研究所に一時期住んでいた」
名目は工場見学の一環ではあったが、実際は才能の囲い込みだった。
特に不自由があるわけでもなく、実験や試作も行えた。手の空いている職員が立ち会えば危険物を扱えるので当時は感謝したくらいだ。
「才能の囲い込み……。それで天才の宗也さんや夏律さんが集まったんですか?」
佐也香の推測に俺と夏律は揃って肯定を返す。
「研究所での生活は基本的に自由だった。そこで俺と夏律は暇に任せて様々な発明品を考え生み出した」
その多くは愚にもつかない欠陥品で、笑い話を職員に提供する羽目になる。半ば狙ってやったのは否定できない。
しかし、中には商品化を目指して本格的に開発した物が存在した。
「佐也香が使っている安眠枕とかが該当する」
「『逝くが良い混濁する世界の果てへ』ですか?」
「「いやぁあぁ! 言わないでくれぇえぇっ!!」」
夏律と共に耳を押さえ布団の上をのたうち回る。
あれは共同開発なのだ。
「……くっ。佐也香、恐ろしい子……!!」
「一番恐ろしいのは過去の僕らだよ。酷いタイムカプセルだ」
互いの顔が赤くなっているのを確認して慰め合う。
笑いを堪えている気配がして佐也香を見るが何時もの無表情を顔に張り付けていた。
佐也香の口元、あんな真一文字に結んでたっけ?
まぁいいや。
「と、とにかくだ」
仕切り直す。夏律は布団を被ってしまった。耐性が低いから目を瞑ろう。
「商品化した俺たちの発明品は高確率でヒットを飛ばした」
ネーミングセンスがある種のブランドになったのである。
最初はジョークグッズとして売れ、商品名を笑い話にする内に使い心地も言及される。そうして話題を呼び、次々とヒット商品が生まれた。
俺たちには大金が舞い込んだ。そして、研究所もその恩恵を受ける。
ここからは、汚い話だ。
知らずため息をついた俺の背中に布団から這いだしてきた夏律が頭突きした。
不器用なエールだな。
「俺たちの発明品の中にはお蔵入りになった物がいくつかあった」
構造的な欠陥や倫理に反する、など理由は様々。
夏律が俺に後ろからのし掛かってくる。人の肩に顎を乗せるな。懐いた犬かお前は。
「佐也香君、これを知っているかい?」
「はい、確か『暗黒音』ですよね」
やっやめて! 俺の体力はもうゼロよ!?
……夏律のやつ、うかうかと自爆しやがって。
ーーあいつ、耳塞いでやがる!?
「宗也の様子からするに正解だね。実はこれもお蔵入りになった発明品だ」
夏律の代わり布団へ潜り込む俺を無視して彼女は続けた。
「女子高生なら持っている者も多いだろう。これは痴漢撃退グッズだよ」
夏律は暗黒音を片手で弄ぶ。
大きさは携帯電話の三分の一、形は防犯ブザーとそっくりだ。
夏律の言葉に佐也香が顎に手を当て考え込んだ。
「お蔵入りしたのに、今日お店で売っているのを見かけましたよ?」
「図面が盗まれたのさ」
悔しそうに拳を握り込む夏律。持っていた暗黒音がミシリと音を立てた。
「盗まれた?」
佐也香が復唱する。
「そうだ。研究所のバカ共が盗み出して勝手に商品化し、五千個の限定販売に踏み切ったのさ」
苦々しさが込められた夏律の言葉に俺は当時を思い出す。
研究所の空気は金儲け一色だった。
俺たちは金儲けに興味はなく二人で馬鹿げた発明をしては笑い合っていたが、職員はそれを許さなかった。
笑いを取るための発明には誰一人として興味を示さず、売れる発明を作れと強要し始める。
俺と夏律は引きこもり、研究所の空気に対抗した。
「僕としたことが失策だったよ。おかげで開発室に入られたことに気が付かなかった」
そして、開発者である俺たちには秘密裏に暗黒音は販売されてしまう。
気づいたときには後の祭り、五千個の限定販売は完売という最悪の形を迎えた。
「……完売が悪い事なんですか?」
佐也香の問いかけに対して夏律は説明書を渡した。
あれには暗黒音の効果が書いてあるはずだ。
ただ、佐也香には何が問題なのか分からなかったらしい。
俺は布団をはねのけて胡座をかき、口を開く。
「暗黒音は特定周波数により相手を無力化する効果がある」
対象に向けて特定周波数の音を出す事で三半規管を揺らし、強烈なめまいと吐き気を招く。立っていることすら困難になる強烈なめまいだ。
「何がいけないんですか?」
「分からないのかい?」
少し驚いたように夏律が聞き返す。
佐也香は社会経験が乏しいからな。想像もつかないだろう。
「佐也香よく考えろ。限定販売された暗黒音を犯罪者が使ったらどうなると思う?」
「……あ」
気づいたか。
犯罪に使用される前に自主回収すべきだと研究所にも言ったが、金に目が眩んでいた職員を説得できなかった。
やむを得ず、俺と夏律で全国に散らばった五千個の暗黒音を回収しようと動いたものの、間に合わなかったのだ。
「……最初は引ったくり、次に強盗が数件あったよ」
夏律が呟く。
犯人が捕まり、暗黒音が使用された事実が明るみに出ると、研究所は大騒ぎになった。
責任の擦り付けあい、人間の醜さが凝縮され、すぐに煮詰まった。ドロドロのそれを被ったのは開発者である俺だ。
「僕は未だに納得いかないけどね!」
夏律が怒りに任せて布団へ拳を下ろす。
俺が責任を負って研究所を去ったその日の内に夏律もあの場所を飛び出した。
後にも先にも彼女が目的もなく外に出たのはあの時だけだ。
「宗也が居ない研究所なんかに帰るものか」と頬を膨らませながら俺の家に転がり込んで、やっぱり引きこもったが……。




