6
ふもとにつくまで、それほど時間はかからなかった。
キラは本職顔負けのソリの扱いを見せ、最短距離を突っ切ってきたのである。
岩や木などの障害物を無駄な動きを避けるためにギリギリの距離でかわしまくり、クロードの肝を冷や冷やさせたのは余談である。
「もう一度死にかけるかと思いました…」
体は五体満足であるが、そう言ったクロードはどこか憔悴していた。
ルゥはそれを苦笑して見ていた。悪魔には乗り物酔いもないのである。
「よし、最短記録更新」
一方のキラはそう言って握りこぶしを作っていた。どうやら時間を測っていたらしい。
キラは人目につかない場所にソリを止めると、そこで狼たちを山へと帰した。
ソリはいつも管理を頼んでいる人間がいるので、そのまま置いておいて問題ない。
キラたち三人は、そのまま少し歩いて町に入った。
雪をかぶったレンガ造りの町並みに、人々がちらほら行き交っている。
ふもとの町キューエルは、規模こそ大きくは無いが、ある程度のものは何でもそろう。
「とりあえず、旅に必要な物をここで買い足しましょう。その後は馬車を使っての移動です。雪が降ると予定が変わることもありますが、うまくいけば10日ほどで王都に着くでしょう」
クロードはこれからの段取りを軽く説明する。
だが、そこでキラが待ったをかけた。
「あー別に買い物とかはしなくていいよ。そんなに必要ないと思うし」
「しかし、最短で10日はかかりますし…」
どうしたって買い物は必要なはずだ、とクロードは思った。
現状だと持ち物はキラたちの家からあったものだけなのだ。旅に適したものが、そう都合よくおいてあるわけがない。
「クロードさん。王都とティリスなら、移動するのにどれくらいかかる?」
キラの問いに、クロードは目を見張った。
ティリスとは王都から一番近くに位置する町である。
だが、ここでキラがその名を出した意図がわからない。しかしとりあえずはキラの問いに答えようと記憶の引き出しをさぐる。
「ティリスなら、馬車を使えば半日もかかりませんよ」
「そっか。ならやっぱり買い物はいらないよ。半日かからないんでしょ?」
「いえ、それはティリスから王都に行くときの話で…」
「大丈夫だよ。ティリスまでなら一瞬で飛べるから」
「はい…?」
耳を疑うようなことをさらりと言われた気がした。
ぽかんとするクロードに、キラは困ったように笑う。
「う~ん。こればっかりは、実際に見てもらわないと納得してもらえないか」
とりあえずついてきて、と言いキラは歩きだした。
それにすぐ反応したルゥにワンテンポ遅れて、クロードもキラの後に続く。
少し歩いた先にたどり着いたのは…
「肉屋、ですか?」
どーんと牛や豚の絵が描かれた看板を見て、クロードはしばし呆然とした。
一瞬でティリスまで行くのに、どうして肉屋なのだろうか。
そんなクロードをよそにキラは店主の男と笑顔で挨拶をかわす。
「おっちゃん。久しぶり!」
「おう、キラじゃねーか。あと色男のにーちゃんも。二人とも元気そうだな」
かなり鍛えているのだろうか、壮年の店主は引き締まった巨体の持主であった。
店主は手慣れた様子で包丁を持って真剣な顔つきで作業をしていたのだが、キラが声をかけるとその厳つい顔をいくぶん緩めたのがわかった。
「まあね。おっちゃんも元気そうでよかったよ。あ、ちょっとしばらく出かけるから、またソリの管理頼んでいいかな?あと狼たちにお礼したいから、いつもの場所にいつものやつ、お願いするよ。料金はこれで」
そう言ってキラは硬貨をいくつか近くの机の上に置いた。
「金ならいいっていつも言ってるだろうが」
「そう言うわけにもいかないだろ。こういうことはきちんとするのが俺のポリシーなんだよ」
顔をしかめた店主に、キラは苦笑してそう言った。
昔からの付き合いであるから遠慮するところがないのは本当だが、だからと言って金銭の部分では別である。長く友好的に付き合うのにそれは必須だろう。
「ああ、あと…」
とキラは言葉を続けた。
「奥の部屋、使わせてもらうよ」
「…いいのか?見かけない顔もいるみたいだが」
そう言って店主が見たのはクロードである。
店主の一般人とは思えぬ鋭い視線に、一瞬クロードの心臓が大きく跳ねた。
「大丈夫。それに、どうせ困るのは俺じゃないしな」
「…違いない。あいつにとってもいい機会かもしれないしな」
キラと店主は悪戯を企む子供のように笑いあった。
「そんじゃ、行ってくるわ」
「ああ。気をつけてな」
別れの挨拶をかわし、キラはそのままクロードをつれて奥の部屋へと歩いていった。
ルゥは一人その場に残っていた。店主が何かを自分に言いたげだと気付いたからだ。
「相変わらず、一緒にいるんだな」
キラたちが離れると、先ほどまでとは打って変わって、店主はどこか不機嫌そうな声でそう言った。
この店主との付き合いはキラとルゥはまったく同じ期間のはずだが、ルゥに対してはいつもどこか刺があった。
店主はルゥの本当の姿を知らない。けれどどこか本能的に、ルゥの本性を感じ取っている節があった。
「ちゃんと守ってやれよ。あいつのこと」
店主は本気でキラの身を心配している。
同時に、ルゥが何事かするのではないかと疑っていた。
そんな様を見て、ルゥは口の端を釣り上げる。
「言われなくともそうするさ」
あの魂を誰かに渡す気など、毛頭ないのだから。
「ルゥ!遅い!!」
キラは遅れてきたルゥに強めの口調でそう言った。
もっとも、怒っていると言うにはからかいじみた笑みが見え隠れしている。
「悪い悪い」
「うん、反省したならばよろしい」
ルゥが苦笑して言葉だけでも謝罪すれば、キラは満足したようにどこかえらぶった調子でそう言った。
奥の部屋、というのは案外狭かった。物置にするにも少々小さいという大きさだったのだが、不思議と何も物は置かれていない。
あったのは不思議な文様の描かれた床である。
「これは…魔法陣、ですか?」
クロードの疑問に、キラが深くうなずく。
「そう。転移用のね。じゃあ、この陣の中に入って」
全員が陣に入ったことを確認すると、キラは何事か呟いた。
一瞬強い光が部屋に満ち、思わずクロードは目をつぶった。
恐る恐る目を開けば、何故かそこは見覚えのない場所だった。
元々はかなり広い部屋だったのだろうが、積み上げられた本や資料、そのほか用途を図りかねるような器具に満ち、しかもそれが乱雑に広げられていたりするものだから、部屋は非常に混沌としていた。
クロードは足元に気をつけながら窓に近づき、外の様子を見て息をのんだ。
そこにあるのは少々視点は違うが、見覚えのある景色である。
「本当に一瞬でティリスに着いた…」
クロードは自分の体験したことが信じられなかった。
これほどの長距離を一瞬で飛べる魔法など、今まで聞いたことがない。
そこへ、バンという扉が勢いよく開かれる音が響いた。
同時に現れたのは、長い黒髪の眼鏡をかけた青年である。
「げっ!発動した反応があると思ったら、キラ坊じゃねーか」
「よう、キニス。久しぶり!」
キニスと呼ばれた青年は、キラを見た瞬間眉を寄せ、続いてルゥを見て顔をひきつらせた。
「あんたもいるのかよ」
「何か問題でもあるのか?」
「いや、ねーけどさ…」
ルゥの問いにそう答えつつ、キニスはどこか不満げだ。
キニスもまた、あの店主とは違った形だがルゥを苦手としているのである。
ついでクロードにもその視線が向けられる。
「そっちは…見かけない顔だな」
「この人は今回の仕事の依頼人兼案内人だ。…そういえばキニス。おまえまだあのことを引きずって、拗ねて引きこもってるらしいな。相変わらず打たれ弱いな」
「なっ!」
突然のキラの暴言に、キニスは明らかに動揺していた。
「それとも、ルゥに会えなかったのがそんなに寂しくて…」
「おまえ、いつまでそのネタ引っ張る気だ!つーか、とっとと出てけ!!」
怒ったキニスが何かを呟くと、一瞬にしてキラたち三人は家の外へと移動していた。
魔法によって強制的に転移させられたのだ。
「相変わらず、からかいがいのあるやつ」
キラはそう言ってどこか意地悪げに笑った。
いきなり移動させられたというのにキラには驚いた様子はない。どうやら慣れているようだ。
だが、事情がわからないクロードには、何が何だかさっぱりである。
「あの、ルゥ殿。つまりは一体どういうわけで…」
「まあ、あまり気にしなくていい。害は無いはずだからな」
困ったクロードはルゥに助けを求めたが、軽くかわされて終わった。
悪魔はそこまで親切ではなかったらしい。
「クロードさん、どうかしたのか?」
王都へ向かう馬車の中、キラはずっと黙っているクロードに声をかけた。
どうやらクロードは、何か考え込んでいるらしい。
「いえ。その、キニスという名をどこかで聞いたことがあるような…彼はキラ殿たちとはどのようなお知り合いなんです?」
「ああ。あいつとは一時期一緒に行動してて。おっちゃんともだけど。俺たちと別れたあと二人とも結構いろいろやってたみたいで、何か通り名がついてたな。キニスは…確か、えーと、黒?」
「まさか…漆黒のキニスですか!?」
その独特の発想でいくつも新しい魔法を開発した人物で、本人が見事な黒髪の持主であることからその名がついた。年齢もまだ若く、魔法使い界のホープとして注目される青年だ。
だが、彼が本当にそのキニスならば長距離転移の魔法を開発していても不思議ではない。
「おっちゃんのはほうは…えーと、ルゥ、なんだったっけ?」
どうしても思い出せなかったらしく、キラはルゥに助けを求めた。
仕方なく、ルゥは軽くため息をついて教えてやる。
「ザギは豪炎だ」
「豪炎のザギ!?」
そちらは腕の立つ冒険者の名前をあげるさい、必ず五本の指には入るような凄腕の剣士である。
既に冒険者は引退しているらしいが、まさかあのような小さな町で肉屋を経営しているなど、クロードにしてみれば素直に信じられないというのが本音である。
「本当に、とんでもないですね…」
それはザギとキニス、そして何よりその彼らと一緒に旅をしていたというキラとルゥのことであった。
ただものではないと思っていたが、予想以上である。
いったいあとどれだけ驚かされることになるだろうか、とクロードは現実逃避の為にどこか遠くを見つめることしかできないのであった。