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「どうか王都へ来て殿下の病を癒して下さい!」


 クロードの声が響き終わると、少しの間部屋に沈黙が広がる。

 動いたのはキラだった。大きなため息をつく。


「―――正直に言おう。気が乗らない」


「へっ!?」


 断られることなど考えもしなかった、という反応だ。


「なぜ、とお聞きしても?」


 困惑を滲ませた声でクロードは尋ねた。


 普通ならこの話を素直に受けるだろう。自分が王子を治せばそれでよし。王室のおぼえめでたく、報償もはずんでもらえるだろう。失敗したところで、ああまた駄目だったか、と特に咎められることもあるまい。


 普通の医者ならば、だ。

 生憎良くも悪くもキラは普通ではない。


「俺はセージュ王家っていうものを信用してない。そのお膝元の王都やらお城なんて真っ平御免だ」


 セージュ王家、特にユリウス王子とは浅からぬ縁があった。それも決して友好的ではない代物だ。


 だが一方で、自分を頼ってきた病人を見捨てることには抵抗があった。患者を拒まない、というのがキラの昔からの信条だ。


 はっきり言ってしまえば、嫌いな相手を治療したくはないが、それは医者として倫理的に問題だ、ということだ。




 本当のところユリウスという少年がどのような人物であるのか、直接会って確かめたことはない。

 しかしかつて彼に大切なものを奪われたキラとしては、彼に何も含むところがないとは言い切れない。


 例え彼自身の意思でなかったとしても、すべては彼の為に起こったと言っても過言ではないのから…




「…どんな事情があるかはわかりませんが、我々にはもはやあなたの他に縋れる人はいません。それに、王都にいる間のことはすべて私が保証しましょう。何一つ不自由のない生活をお約束します。治療以外の時間は自由にして下さってかまいませんし、もちろん十分な見返りも差し上げます」


 ですからどうか…とクロードは懇願した。痛みがあるだろうに、深々と頭を下げる。クロードにしてみれば藁にも縋る思いであったろう。



「―――少し考えさせてくれないか?」


 怪我人相手に頭を下げられれば、キラとて無視はできない。まして自分が治療した患者なのだから。


「今日はもう遅い。怪我人はとりあえずよく寝て傷を癒やすことだ」


 それだけ告げると、キラは部屋を出て行った。ルゥも黙ってそれに倣う。


 再び沈黙が満ちた部屋で、クロードは息をはいた。呼吸するときでさえ、痛みが体に突き刺さる。



 本当に死にかけたのだ。運良く助かった命を無駄にはすまい。必ずや、キラを王都に連れて行ってみせる!



 クロードの目には決意の炎が燃えていた。

 そのためにまず必要なのは休息だ。早く休んで体力を取り戻さなければ!


 そう思い早々に眠りに就いた。騎士団の遠征や訓練でどこでも寝られるのが彼の特技の一つであった。


 クロードは優秀で根がまじめであったが、少々単純なところがあった。

 ついでにいうならいささかならず鈍かった。


 自分の命の恩人兼主君の恩人(予定)に関して、かなり重要な認識を誤っていることになど、まったく気づいていなかったのである。










「どうするつもりだ」


 クロードの寝ている部屋を後にしたキラとルゥは台所まで戻ってきていた。

 ルゥはお茶を入れ、ミルクティーにしてキラに渡してやった。


「…あったかい」

 ルゥの問いには答えず、キラはミルクティーをすすった。

 甘さが体にしみる。こんなときまでキラの好みを知り尽くしているのだ、この悪魔は。


「おまえのことだ。もう結論は出ているんだろう」


「───まあね」


 そしてその思考も理解している。


「ルゥ、許してくれるか?」


 かつて結んだ契約で、キラは自らのすべてをルゥに委ねた。今の生活は悪魔が望んだものであって、キラにはもはやこの悪魔を縛る権限はない。


 ルゥが許さなければ、本来キラは指一本さえも動かすことができないのだ。


「おまえが俺に対していちいち許可を求める必要なんてない」


 そう言ってルゥは右手でキラの左側の頬を撫でた。


「しかもユリウスとかいうガキに関わる内容なら、契約の延長ともとれる。それなら、主人はおまえだ。俺に変にはばかることなく、好きに動けばいい」


 ルゥの言葉は甘い。

 ミルクティーのような安堵感を与えるものではない。毒のように体を、精神を侵していく。


 初めて出会ったころと何ら変わらない。

 いや、むしろ今のほうがひどくなったとキラは感じた。悪魔の差し出す蜜を享受し、どっぷりと浸りきってしまった後なのだから。


「おまえの望みはすべて俺がかなえてやる」


 だからその時がきたら、俺の『名』を呼べ。


 そう耳元で囁かれれば、体が震える。

 絶対にルゥはわかっていてやっている。


 契約時に告げられたルゥの本来の『名』

 それこそが悪魔を縛り、契約者を捕える鎖。


 絶望と快楽でできたその名を、近い将来また口にする日が来る。

 それは予想ではなく確信としてキラの中に存在している。




「しかし、よく行く気になったな」


 あきれたような口調でルゥが言った。そういう顔をしていれば人間らしいのだが…とキラは内心苦笑した。


「───見てみたいと思ったんだ」


 クロードがあそこまで入れ込む、ユリウスという王子を。


「彼は本当にユリウスを慕っているんだろう。でなければ一人で王都を飛び出したり、獣の多い山に入ったりするものか。騎士団の一部隊を任せられている男に、そこまでさせるなんて…一体どんな人物なのか、直接会って確かめてみようと思ったんだ」


 そう言ってキラはいっそ鮮やかに笑う。そこには恨みや憎しみは感じられない。ただ純粋で無邪気な好奇心だけがある。


 だからこそ、とルゥは思う。

 そうであればこそ、おもしろい。


 長く生きた悪魔の無聊を慰めることができるものは、そう多くない。

 気まぐれでもキラのそばにいたのは、キラがルゥを退屈させない魂の持主であったからだ。

 純粋だが悲しみも怒りも知る、成熟した魂。


 その魂に爪をたてたらどんなに甘い血が流れるだろうと思いながら、触れて壊してしまうことを惜しくも思う。

 矛盾する気持ちを抱えながら、けれどそんな自分の状況にさえ笑みがこぼれた。




 悪魔に魅入られながら、その悪魔によって惜しまれる。故に『彼女』は悪魔の主たるにふさわしい。




「ルゥ」


 まるで思考を遮るかのような絶妙なタイミングでキラの声が響いた。

 差し出されたのは空になったカップ。


「おかわり」


 何の疑いもなくこちらを見る真っ直ぐな瞳。

 キラはルゥに心を隠さない。隠す必要さえ感じていない。

 それがどれほど稀有なことなのか、本人は少しも気づいていないのだ。



「ちょっと待ってろ」


 ルゥは苦笑しながらカップを受け取ると、台所の奥に消えていった。


 主である少女好みの一杯を淹れてやるために。

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