第八話:救世主と、温かいスープ
俺が指し示した乾いた大地の一点に、村の男たちの鍬が、次々と打ち下ろされ始めた。
カーン、カーン、と硬い土を砕く甲高い音と、ザッ、ザッ、と土を掻き出す低い音が、静まり返った村に響き渡る。じりじりと照りつける太陽が、男たちの額から流れる汗を、地面に落ちる前に蒸発させていった。
その光景を、俺は父さんの隣で、固唾を飲んで見守っていた。
村人たちの視線は、決して温かいものではなかった。半分は藁にもすがるような期待。そして、もう半分は「どうせ無駄だろう」という冷ややかな侮蔑。もし、これで水が出なかったら……。俺と父さんは、村八分にされてもおかしくない。そのプレッシャーが、八歳の俺の肩にずしりと、現実の重さを持ってのしかかっていた。
(大丈夫だ……。深根草は、確かに地下水脈の存在を示していた。俺のスキルと知識は、間違っていないはずだ……!)
自分に言い聞かせるように、俺は小さな拳を強く、強く握りしめた。
時間は、ただただ無情に過ぎていく。穴は徐々に深くなっていくが、掘り起こされるのは乾ききった土と石ばかり。男たちの息は荒くなり、その動きは目に見えて鈍くなっていった。
「おい……まだ出ないのか……」
「やっぱり、子供の戯言だったんじゃないのか……?」
広がり始めた不穏な空気を、村長のハンスさんが一喝で黙らせる。
「黙らんか!一度掘ると決めた以上、わしが『やめ』と言うまで掘り続けろ!」
だが、そのハンスさんの顔にも、焦りの色が濃く、深く浮かんでいた。
穴の深さが、大人の背丈をとうに超えた頃だった。ついに、一人の男が鍬を地面に投げ出した。
「もう無理だ!腕が上がらん!」
「俺もだ……。こんなところに水なんて、あるもんか……」
一人、また一人と、男たちが作業をやめていく。希望が、諦念という名の砂に変わっていく瞬間を、俺はなすすべもなく見つめていた。
(……ダメ、だったのか……?)
俺の膝が、カクンと折れそうになる。その時、俺の肩を、父さんの大きな手が力強く支えた。父さんは何も言わなかったが、その手は「まだだ」と、何よりも雄弁に語っていた。
父さんは、止まった男たちから鍬を受け取ると、自ら穴の底へと降りていった。そして、無言のまま、たった一人で土を掘り始めた。その、決して諦めない姿に、他の男たちはバツが悪そうに顔を伏せる。
父さんが、一心不乱に鍬を振るい続ける。
十回、二十回……。
そして、三十回目を振り下ろした、その瞬間だった。
**ゴツッ!**
これまでとは違う、鈍い音が穴の底から響いた。硬い岩盤にでも当たったのか。誰もが、今度こそ終わりだ、と絶望に顔を歪めた。
だが、次の瞬間。
**ジュッ…!**
まるで、乾ききった大地が初めての水を貪るように、奇妙な音がした。
穴の底で、父さんの動きが止まる。彼は、ゆっくりと自分の足元を見た。鍬が突き刺さった場所から、黒く湿った土が盛り上がっている。
父さんは、もう一度、同じ場所に渾身の力を込めて鍬を振り下ろした。
**ズブッ!**
今度は、確かな手応えがあった。鍬が、まるで泥に吸い込まれるように、深く突き刺さる。そして、その先端から、どろりとした泥水が、じわり、じわりと溢れ出してきた。
穴の底から、父さんの、絞り出すような声が聞こえた。それは、喜びとも驚きともつかない、万感の思いが込められた響きだった。
「……みず、だ……」
その、普段は滅多に聞くことのない父の一言は、どんな雄弁な演説よりも強く、村人たちの心を打つ魔法の言葉となった。
広場は、一瞬、時が止まったかのように静まり返った。そして、次の瞬間、爆発したような歓声が、乾ききった空気を震わせた。
「水だ!水が出たぞぉぉぉぉっ!!」
「本当か!?本当に水が出たのか!」
「やった!やったぞぉぉぉ!」
男たちは、先程までの疲労など忘れたかのように、狂ったように穴の周りに殺到した。穴の底では、湧き出した水が、みるみるうちに水たまりを作っていく。それは泥で濁ってはいたが、村人たちにとっては、どんな宝石よりも美しく、生命力に満ちて輝いて見えた。
人々は抱き合い、涙を流し、天に、いや、目の前の奇跡に感謝した。長い間村を覆っていた絶望が、希望の濁流によって一瞬にして洗い流されていく。
父さんが、泥だらけの姿で穴から上がってきた。そして、俺の前に立つと、その大きな手で、俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。その顔には、俺が今まで見たこともないような、満面の笑みが浮かんでいた。
その時だった。歓声の輪の中から、村長のハンスさんが、ゆっくりと俺の方へ歩いてきた。村人たちが、モーゼの海のように道を開ける。
ハンスさんは、俺の目の前で足を止めると、しばらくの間、じっと俺の顔を見下ろしていた。その厳しい顔には、驚きと、安堵と、そして何か別の、複雑な感情が入り混じっているように見えた。
やがて、彼は深く、深く息を吸い込むと、次の瞬間、俺が、そして村中の誰もが予想だにしなかった行動に出た。
村の絶対的な長であるハンスさんが、八歳の子供である俺の前に、ゆっくりと膝をつき、そして、深く、深く頭を下げたのだ。
「ルークス……いや、ルークス殿。……わしの、間違いじゃった」
その声は、威厳に満ちた村長のものではなく、ただの一人の、村を愛する老人の声だった。
「お主は……お主こそが、この村の……救世主だ!」
ハンスさんは、顔を上げると、村人たちに向かって叫んだ。
「皆の者、聞けい!我々を救ったのは、天の恵みでも、偶然でもない!このルークス殿の知恵と勇気だ!この御恩を、未来永劫、忘れるでないぞ!」
その言葉を合図に、村人たちから、地鳴りのような歓声と拍手が沸き起こった。
「ルークス様、ありがとう!」
「もうお前を小僧なんて呼ばねえ!恩人様だ!」
もみくちゃにされながら、俺はただ呆然としていた。
(ポイントのためじゃない……金のためなんかじゃなかった……。ただ、母さんの温かいスープが、また飲みたかった。ただ、それだけだったのに……)
脳裏に、後輩の力ない笑顔と、渇望し続けた温かい食卓の光景が、涙で滲んで重なって見えた。
◇
その夜、グルト家の食卓には、久しぶりに温かい豆のスープが並んでいた。新しく掘られた井戸から汲み上げた、清らかで、美味しい水で作られたスープだ。
「本当に、美味しい水ね。なんだか、お豆の味がいつもより濃いみたい」
「にいちゃん、すごい!すーぷ、おいしい!」
母さんとマキナが、幸せそうに笑っている。父さんは、黙ってスープを啜っていたが、その口元は、確かに緩んでいた。
俺が、守りたかった光景。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った村で、俺は窓の外を見た。広場では、村人たちが井戸を囲み、ささやかな宴を開いているようだった。歌声と笑い声が、夜風に乗って微かに聞こえてくる。
俺は、自分のステータスウィンドウをそっと開いた。
【称号:リーフ村の救世主 を獲得しました】
(称号……?なんだ、これ……?)
初めて見る項目に首を傾げたが、今はそれよりも、目の前のスープの方が大切だった。
俺は、気づき始めていた。ポイントを稼ぎ、スキルを得ることは、確かに俺の「力」になる。だが、その力で誰かを助け、笑顔にすること。その時に返ってくる「ありがとう」という言葉は、どんな高額ポイントにも代えがたい、心を温める「報酬」になるのだということを。
俺のスローライフは、まだ始まったばかりだ。だが、それはもう、俺一人のためのものではなくなっているのかもしれない。
【読者へのメッセージ】
第八話、お読みいただきありがとうございました!
ついに水が……!そして、村長の深い感謝。胸が熱くなった方は、ぜひ下の評価(☆)や感想、ブックマークで教えていただけると嬉しいです!
「救世主」という、新たな称号を手に入れたルークス。彼の存在は、これから村を、そして世界をどう変えていくのか。
物語は新たなステージへと進みます。次回もご期待ください!




