第七十五話:搾りかすの価値と、繋がる手
「皆さん。……『革命』を、加速させますよ」
俺の宣言に、実験農場の小さな小屋を満たしていた熱気が、一瞬にして期待へと変わった。トーマスさんの顔には決意が浮かび、エレナ様は好奇心に目を輝かせ、ゴードンとギデオンは、俺が次に何を言い出すのか、静かに待っている。
俺が指し示したのは、小屋の隅に山と積まれた、ひまわり油を搾った後の『搾りかす』が入った麻袋だった。それは、黄金色の奇跡を生み出した後に残された、いわば「抜け殻」。誰もが、せいぜい家畜の餌か、あるいは捨てるしかないゴミだと考えていたものだ。
「これを、隣村への『贈り物』にします」
俺の言葉に、トーマスさんが訝しげに眉をひそめた。
「先生、本気ですかい?こんなもんを送りつけたら、火に油を注ぐようなもんですぜ。『馬鹿にしてるのか!』って、余計に怒りを買うだけだ」
「いいえ、トーマスさん。これは、ゴミじゃありません。彼らが、今一番欲しがっているものの一つです」
俺は、袋から一掴りの搾りかすを取り出し、手のひらで皆に見せた。それは、油を搾り取られた後の、乾いた種子の殻や繊維が混じり合った、頼りないほどに軽い、茶色い粉末だった。見た目は、家畜の寝藁にも劣るかもしれない。
「ひまわりの種には、油だけでなく、家畜が元気になるための栄養(タンパク質や食物繊維)が、まだたくさん残っています。これを、痩せた干し草に混ぜて与えれば、乳牛はもっと濃い乳を出し、鶏はもっと大きな卵を産むようになるでしょう。そして……」
俺は、その搾りかすに、完成したばかりの黒々とした堆肥をほんの少し混ぜてみせた。
「これを、ほんの少し土に混ぜてやるだけで、土の中にいる小さな生き物たちが、ものすごく元気になる。つまり、畑が、早く、そして力強く甦るんです。『疾風』が来るまでの間、彼らの畑を最高の状態に準備しておくための、最高の『助っ人』になる」
俺の『識別』スキルが見抜いた、搾りかすの持つ二つの大きな価値。それは、家畜の飼料としての価値と、土壌改良材としての価値だった。
俺の説明に、仲間たちは息を呑んだ。捨てられるはずだったものが、二重の宝に変わる。その、錬金術にも似た発想の転換に、彼らは改めて俺という存在が持つ『知恵の深さ』に畏敬の念を抱いているようだった。
「……だが、それを、どうやって隣村の連中に信じさせる?口で言っただけじゃ、誰も聞く耳を持たねえだろうぜ」
ゴードンが、現実的な疑問を口にする。
「だから、『贈り物』なんです」
俺は、きっぱりと言った。
「これは、取引じゃありません。俺たちからの、純粋な『善意』です。『疾風』が届くまで、これで少しでも楽になってほしい、という気持ちを込めて、無償で分け与えるんです。使うか、使わないかは、彼らが決めればいい。でも、もし使ってみて、その効果を実感したら?……彼らの心に、変化が起きると思いませんか?」
俺の言葉に、トーマスさんの目が、はっと見開かれた。そうだ。これは、ただの物々交換ではない。凍てついた隣人の心を溶かすための、温かい『種蒔き』なのだ。
「……分かりましただ、先生!俺が、行きます!」
トーマスさんが、力強く立ち上がった。
「俺が、隣村の奴らに、頭を下げてきます!この搾りかすが、先生からの『希望』なんだって、俺の言葉で伝えてきます!」
その、あまりにも男気溢れる申し出。だが、俺は静かに首を横に振った。
「いいえ、トーマスさん。あなた一人に行かせるわけにはいきません。……俺も、行きます。一緒に行きましょう。仲間、でしょう?」
俺がそう言って微笑むと、トーマスの目に、熱いものが込み上げてくるのが分かった。
「……へへっ。そうでしたな。先生は、俺の、自慢の仲間でした」
◇
翌日の早朝。俺とトーマスさんは、荷馬車に山と積まれたひまわりの搾りかすと共に、隣村へと向かっていた。俺たちの後ろからは、万が一に備え、ギデオンが馬に乗って静かについてきている。エレナ様は、「わたくしも!」と懇願したが、「姫君がこのような貧しい村へ行くなど、前代未聞!」というセバスチャンの涙ながらの必死の説得により、今回は農場で留守番となった。
隣村――ヴェルデ村は、ランドールの城壁から目と鼻の先にあるにも関わらず、トーマスさんの村以上に、貧しさの影が色濃く漂っていた。畑は痩せこけ、家々は朽ちかけている。道端で遊ぶ子供たちの服は擦り切れ、その目はどこか虚ろだった。
俺たちの馬車が村の広場に入ると、農作業をしていた村人たちが、一斉にこちらを振り返った。その目には、露骨な敵意と警戒の色が浮かんでいる。
「……トーマスじゃねえか。何の用だ。施しでも、しに来たのか?」
村のまとめ役らしき、屈強な体つきの男――ボルコフが、皮肉っぽく言い放った。彼の背後には、同じように敵意を剥き出しにした村の男たちが、十数人ほど集まってきている。
トーマスさんは、俺の前に立つと、帽子を取り、深々と頭を下げた。
「ボルコフさん。そして、ヴェルデ村の皆さん。今日は、喧嘩をしに来たんじゃありません。お願いがあって、参りましただ」
その、あまりにも低姿勢な態度に、ボルコフたちは、逆に面食らったようだった。
「……お願いだと?何を企んでやがる」
「企んでなんかいやせん!……どうか、これを受け取ってはいただけませんか!」
トーマスさんは、荷馬車から搾りかすの袋を一つ担ぎ下ろすと、彼らの前に差し出した。
「……なんだ、こりゃあ。ひまわりの、搾りかすじゃねえか。馬鹿にしてんのか!」
ボルコフの顔が、怒りに歪む。周りの男たちも、鍬や鋤を握りしめ、一触即発の空気が漂い始めた。
「待ってください!」
俺は、トーマスさんの前に進み出た。そして、ボルコフたちの目を、一人一人、真っ直ぐに見返した。
「それは、ゴミじゃありません。あなたの村を、豊かにするかもしれない、『宝物』です」
俺は、搾りかすが家畜の飼料として、そして肥料として、どれほどの価値を持つのかを、できるだけ分かりやすい言葉で、熱を込めて説明した。
だが、彼らの疑念は、簡単には晴れなかった。
「……口先だけの、甘い言葉だな。どうせ、俺たちを騙して、何かを企んでるんだろう」
ボルコフは、吐き捨てるように言った。その時、俺の隣で、トーマスさんが、静かに、しかし力強く言った。
「……ボルコフさん。あんたの気持ちは、痛いほど分かる。俺も、ひと月前までは、あんたと同じだった。どうせ俺たちの人生なんて、こんなもんだって、諦めてた。だがな、この先生は、違うんだ。この人は、俺たちみてえな、貧乏人の声にも、ちゃんと耳を傾けてくれる。そして、俺たちの手で未来を変えるための、『知恵』を、分けてくれるんだ」
彼は、自分の畑で起きた奇跡を、訥々(とつとつ)と、しかし魂を込めて語り始めた。土が甦っていく喜び。自分の汗が、確かな希望に変わっていく手応え。
その、飾り気のない、しかし真実の重みを持った言葉は、ヴェルデ村の男たちの、固く閉ざされた心の扉を、少しずつ、少しずつ、叩き始めていた。
「……信じろとは、言わねえ」
トーマスさんは、最後に、こう言った。
「だが、試してみる価値はあるはずだ。この搾りかすは、贈り物だ。代金は要らねえ。もし、これで、あんたたちの家畜が少しでも元気になったり、畑の土が少しでも良くなったりしたら……。その時は、また、話を聞きに来てくれねえか。俺たちは、敵じゃねえ。同じ土に苦しみ、同じ豊穣を夢見る、仲間じゃねえか!」
その、あまりにも誠実で、魂のこもった言葉。
ボルコフは、ぐっと唇を噛みしめ、しばらくの間、何かを深く考えていた。やがて、彼は、俺たちが持ってきた搾りかすの袋の一つを、無言で担ぎ上げた。
「……分かった。一度だけ、信じてやる」
彼は、そう言うと、他の男たちに目配せした。
「お前ら、手伝え。……だがな、トーマス。もし、これがまやかしだったら……。その時は、容赦しねえぞ」
それは、完全な和解ではなかった。だが、確かに、凍てついていた彼らの心に、小さな変化が生まれた瞬間だった。
俺とトーマスさんは、ヴェルデ村の男たちと一緒に、汗を流して搾りかすの袋を運び、彼らの家畜小屋や、畑の隅へと分配していった。敵意は消え、そこには、ぎこちないながらも、同じ作業を共にする者同士の、かすかな連帯感が生まれ始めていた。
全ての作業を終え、俺たちが村を後にする時。ボルコフが、俺の前に立ち、ぶっきらぼうに、しかしその目には確かな光を宿して、言った。
「……小僧。お前の名前は、ルークス、だったな。……もし、この『宝物』が本物だったら、俺にも、あの『堆肥』の作り方を、教えてくれるか」
それは、彼なりの、最大限の敬意の表明だった。
「はい。いつでも、喜んで」
俺は、笑顔で頷いた。
◇
実験農場への帰り道。荷馬車の荷台は空になっていたが、俺たちの心は、温かい充実感で満たされていた。
その時、俺の脳内に、力強い電子音が鳴り響いた。
【称号の効果範囲外です。通常ポイントとして、村同士の対立を緩和し、新たな協力関係の礎を築いた行為が評価されました。極めて高い社会貢献性と、将来への波及効果が認められ、ボーナスが付与されます。合計で、500ポイントを獲得しました。】
(……五百ポイント……!)
俺は、自分のステータスウィンドウを開いた。
【現在の所持ポイント:4,084 pt】
ついに、超えた。
目標としていた、四千ポイントの壁を。
俺は、込み上げてくる熱いものをこらえきれず、空を見上げた。春の、どこまでも青い空。
(父さん、母さん……。後輩……。見てるか?俺は、やったぞ……!)
涙が、頬を伝う。だが、それはもう、無力感の涙ではなかった。
自らの手で、未来を掴み取った、歓喜の涙だった。
俺は、震える指で、スキルリストを開いた。そして、あの項目を、強く、強く念じた。
『土壌改良 (Lv.1)』
取得の意思を固めた、その瞬間。
【4,000ptを消費し、スキル『土壌改良 (Lv.1)』を取得しました。】
【現在の所持ポイント:84 pt】
その瞬間、俺の世界は再び、その理を根底から変えた。足元の土くれ一つ一つが、俺に囁きかけてくる。それは、もはや悲痛な叫びではない。共に未来を創ろうと語りかける、温かく、そして力強い、無数の声だった。全身の細胞が、大地と共鳴するかのような、圧倒的な全能感。俺は、手に入れた新たな力の実感を、全身で噛み締めていた。これで、戦うための最後の武器が、揃った。
俺の革命は、ここから、本当の意味で始まるのだ。
【読者へのメッセージ】
第七十五話、お読みいただきありがとうございました!
校閲者様からのご指摘を反映し、描写やセリフを修正いたしました。ひまわりの搾りかすを使ったルークスの起死回生の一手、トーマスさんの熱い言葉、そしてついに手に入れた『土壌改良』スキル。物語のカタルシスが、より深く皆さんに届いていれば幸いです。
「搾りかすの描写、良くなった!」「トーマスさんのセリフ、泣ける!」「スキル取得の瞬間、キター!」など、皆さんの感想や応援が、ルークスが新たなスキルを使いこなすための、何よりの力になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに最強の農業スキルを手に入れたルークス。彼の知恵は、ここからランドールの全ての大地を、どのように変えていくのか。そして、この動きに対する、バルザックの次なる一手は…?物語は、いよいよ本格的な農業革命編へと突入します。次回も、どうぞお見逃しなく!




