第七十話:黄金の収穫と、見えざる壁
リーフ村での死闘を終え、俺がランドールへと帰還してから、半月ほどの時が流れた。
城壁都市は、本格的な春の訪れを告げる、柔らかな光と活気に満ち溢れていた。凍てついていた大地は完全に解け、市場には瑞々しい葉物野菜が並び始め、人々の服装も心なしか軽やかになっている。
そして、俺の実験農場は、その春の息吹を最も力強く、そして美しく体現する場所となっていた。
「まあ……!ルークスさん!まるで、黄金色の壁のようですわ!」
その日も、朝から農場にやってきたエレナ様が、天を衝くように聳え立つひまわり畑を見上げ、感嘆の声を上げた。
開花の時を迎えたひまわりたちは、その全てが一斉に大輪の花を咲かせ、畑全体が、地上に降り注いだ太陽のかけらを集めたかのように、まばゆい黄金色に輝いていた。風が吹くたびに、無数のひまわりがさわさわと揺れ動き、それはまるで、豊穣を約束する黄金色の波のようだった。
「はい。今日が、収穫の日です」
俺は、籠を手に、誇らしげに頷いた。この日のために、俺たちは種を蒔き、土を作り、水をやったのだ。
収穫作業は、ちょっとしたお祭りのようだった。エレナ様はもちろんのこと、セバスチャンも(「お嬢様のお側にいるのが私の務めです!」と、どこか悲壮な覚悟を滲ませながら)、そして噂を聞きつけたトーマスさんや、彼の畑仲間たちまでもが、手伝いに駆けつけてくれたのだ。
「先生!こんなでけえひまわり、生まれて初めて見ただよ!」
「本当に、太陽みてえだ……!」
農夫たちは、自分たちの背丈を遥かに超えるひまわりの巨大さと、その花の圧倒的な美しさに、ただただ驚嘆の声を上げている。彼らにとって、この光景そのものが、俺がもたらした「革命」の、何より雄弁な証拠となっていた。
俺は、彼らに、ひまわりの茎から花の頭を切り取る方法と、その中から種を取り出す方法を教えた。最初はぎこちなかった彼らの手つきも、すぐに慣れ、黄金色の波の中に、楽しげな笑い声と、種をかき出すリズミカルな音が響き渡る。
「ルークス様。……見事なものだな」
その光景を、農場の入り口で見守っていたギデオンが、ぽつりと呟いた。その声には、珍しく、純粋な感嘆の色がこもっていた。
収穫は、一日がかりの作業となった。集められたひまわりの種の量は、麻袋にして数十個分。その一粒一粒が、ずしりと重く、油分をたっぷりと含んでいるのが、手のひらから伝わってくる。
◇
翌日、俺たちは、いよいよ最初の「黄金」を搾り出す作業に取り掛かった。
農場の隅に設置されたのは、ゴードンが、俺の拙い設計図を元に、しかし彼の職人としての遊び心をたっぷりと込めて作り上げてくれた、木製の小型圧搾機だ。
「さあ、頼むぞ、相棒」
俺は、機械のハンドルを握りしめ、ゆっくりと力を込めて回し始めた。
ギシギシ、と木がきしむ音と共に、圧搾機の内部で、ひまわりの種が砕かれ、押し潰されていく。そして、注ぎ口から、それは、まるで溶けた黄金そのもののように、とろり、と流れ出してきた。
黄金色の、液体。
鼻腔をくすぐるのは、焦がしたナッツのような、香ばしく、そしてどこまでも芳醇な香り。部屋中に、温かい太陽の匂いが満ちていく。
「まあ……!」
エレナ様が、息を呑む。セバスチャンも、ゴードンも、そして駆けつけたトーマスさんも、誰もが言葉を失い、ただ、その黄金色の奇跡が生まれる瞬間を、食い入るように見つめていた。
俺は、流れ出してきたばかりの、まだ温かい油を、指先にほんの少しだけつけ、そっと舐めてみた。
(……美味い)
口の中に広がる、濃厚なコクと、ナッツのような香ばしさ。そして、後から追いかけてくる、ほのかな甘み。それは、俺が前世で知っていたどんな植物油よりも、力強く、そして優しい、生命の味がした。
「成功、です……!」
俺が、震える声でそう宣言すると、その場にいた全員から、わあっ、という歓声が上がった。エレナ様は、思わず俺の手を取り、子供のようにはしゃいでいる。ゴードンは、「へっ、当たり前だ。俺の仕事に間違いはねえ」と嘯きながらも、その顔は満面の笑みだ。
この一滴の油のために、俺はこの農場を耕し、種を蒔いたのだ。故郷の母さんの、あの温かいスープを、もっと美味しくするために。その最初の目標が、今、確かに、この手の中にあった。
――ピロン♪
【ひまわり油の精製に成功しました。新たな生産物の創出と、辺境伯領の食文化に革新をもたらす可能性が評価され、ボーナスが付与されます。500ポイントを獲得しました。】
(……五百ポイントか。悪くない。着実に目標に近づいている) 俺は、ステータスウィンドウを呼び出し、現在のポイントを確認する。
【現在の所持ポイント:3,124 pt】
目標の『土壌改良』スキルまで、あと876pt。ゴールは、もうすぐそこだ。俺は、スキルリストを眺めながら、改めて気を引き締めた。(……ポイントを着実に貯めて、早く『土壌改良』スキルを手に入れなければ…。バルザックの妨害を乗り越え、この街の農業を変えるためにも…)俺は、目標達成への決意を新たに、スキルリストを睨みつけた。そして、いつも視界の隅に入る、あの奇妙な項目に、再び思考が一瞬だけ引き寄せられた。(…対侵食防衛プロトコル…?一体、何に対する防衛なんだ…?まるで…)いや、今は目の前の問題に集中だ。
◇
黄金色の収穫に沸く実験農場。だが、その光の裏側で、俺の懸念は、静かに現実のものとなり始めていた。
「先生、やっぱりおかしいですよ」
その日の午後、畑仕事の合間に、トーマスさんが、深刻な顔で俺に耳打ちしてきた。
「あれから、もう半月も経つのに、ゴードンの親父さんが打った『疾風』、一本も俺たちの手に届かねえんでさ。役所に何度も掛け合ってるんだが、『手続きに必要な書類がまだ揃わない』とか、『他の村への分配計画を調整中だ』とか、そんな言い訳ばかりで……。しかも、その要求される書類ってのが、日によってコロコロ変わるんでさ。まるで、わざと時間を稼いでるみてえで…」
彼の声には、隠しきれない焦りと、そして不満の色が滲んでいた。俺が教えた堆肥作りのおかげで、彼の畑の土は、見違えるように豊かになった。春の種蒔きに向けて、準備は万端だ。あとは、あの革命の鋤さえあれば、今年は間違いなく、これまでの何倍もの収穫が見込める。その希望が、目の前で見えざる壁に阻まれている焦燥感は、察するに余りあった。
「……他の村の連中も、同じことを言ってる。ゴードンの工房には、もう何十本も完成品が積まれてるってのに、それが一向に俺たちの手元に来ねえ。……何か、きな臭え噂も流れ始めてるんでさ。『救世主様は、俺たちみてえな貧乏人より、金払いのいい貴族様の方に、鋤を横流ししてるんじゃねえか』って……」
(……バルザックめ……!)
俺は、奥歯をギリリと噛みしめた。予想以上に、早く、そして的確に、奴は動いてきている。ゴードンから農民への直接的な受け渡しではなく、一度役所を通すという、辺境伯との契約の「隙」を突いてきたのだ。そして、その遅延の責任を、巧妙に俺へと擦り付けようとしている。
「トーマスさん、それは違います!俺は、絶対にそんなことは……!」
「分かってますだ!先生が、そんなことするはずがねえってことは、俺が一番よく分かってます!ですが……!」
トーマスの顔が、苦悩に歪む。
「……飢えは、人の心を変えちまう。今はまだ、皆、先生を信じてる。だが、このまま鋤が手に入らず、春の種蒔きに間に合わなかったら……。その時、連中の不満の矛先が、どこへ向かうか……」
それは、俺が最も恐れていた事態だった。俺が築き上げたはずの信頼が、見えざる敵の策略によって、内側から崩壊していく。
「……分かりました。俺が、直接、辺境伯様に掛け合ってみます」
俺は、覚悟を決めた。もう、待っているだけではダメだ。俺もまた、動かなければならない。
その日の夕暮れ。
俺は、ギデオンと共に、再びあの荘厳な城の門をくぐっていた。
黄金色の収穫の喜びは、すでに遠い過去の出来事のように感じられた。
俺の前に立ちはだかるのは、見えざる敵の、巧妙に張り巡らされた『壁』。
俺は、その壁を、打ち破ることができるのか。
実験農場に灯った希望の光が、消えかかっている。
俺は、拳を強く握りしめた。負けるわけには、いかない。
【読者へのメッセージ】
第七十話、お読みいただきありがとうございました!
ついに実を結んだ、黄金色のひまわり。その収穫の喜びと、時を同じくして忍び寄る、バルザックの陰謀の影。光と闇が交錯する展開を、楽しんでいただけましたでしょうか。スキルリストの伏線も、少しだけ再提示してみました。ご指摘いただいたポイント数や妨害工作の描写も修正し、より物語のリアリティが増していれば幸いです。
「ひまわり油、ついに完成!」「トーマスさん、可哀想に…」「バルザック、許せん!」など、皆さんの感想や応援が、ルークスが次なる壁に立ち向かうための力になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに始まった、バルザック派との直接対決。ルークスは、辺境伯を動かし、この見えざる壁を打ち破ることができるのか。そして、収穫したひまわり油が、物語に新たな展開をもたらす…!?次回も、どうぞお見逃しなく!




