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ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります  作者: はぶさん


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第五十八話:祝宴の招待状と、甘い罠

春の陽光が、実験農場を黄金色に染め上げる。

その穏やかな光景の裏で、俺の知らないところで、二つの、黒く、そして巨大な影が、確かに動き始めていた。


ゴードンの工房からゲルトが姿を消して、数日が過ぎた。

工房の主は、表向きは「あの馬鹿弟子が、どこへほっつき歩こうが俺の知ったこっちゃねえ」とうそぶいてはいたが、その槌音つちおとは、明らかに以前の歓喜のリズムを失っていた。魂の抜け殻が、ただ惰性で鋼を叩いているかのような、空虚な音。俺だけが、その音色の変化に気づいていた。彼は、口ではああ言いながらも、初めてできた不器用な弟子が、自分と同じ『産みの苦しみ』の荒野を一人で彷徨さまよっていることを、誰よりも案じていたのだ。


俺の心もまた、晴れることはなかった。

ゲルトの置き手紙にあった、『本当の炎』という言葉。それは、あまりにもジルヴァが好みそうな、人の心の隙間に付け入るための、甘美な響きを持っていたからだ。


(もし、あいつがゲルトに接触しているとしたら……。目的は、なんだ?ゴードンさんを精神的に追い詰めることか?それとも、俺の革命の輪に、内側から不協和音を生み出すことか?)


考えれば考えるほど、泥沼に足を取られるような、不快な感覚に襲われる。だが、俺には、確かめようがなかった。ジルヴァという男は、影そのものだ。彼が自ら姿を現さない限り、その尻尾を掴むことはできない。


「ルークスさん、どうかなさいましたの?難しいお顔をされて」


俺が、一人、ひまわり畑の真ん中で考え込んでいると、いつの間にか隣に来ていたエレナ様が、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。その手には、彼女が育てた紫色のスミレの花が、一輪だけそっと握られている。


「いえ……。少し、故郷の友人のことを、思い出していただけです」

「まあ、そうですの。……きっと、その方も、あなた様が育てたこのひまわりを見れば、元気になりますわ。太陽の花ですもの」


彼女の、一点の曇りもない優しさが、ささくれ立っていた俺の心を、少しだけ癒してくれた。


そんな、穏やかで、しかしどこか胸騒ぎのする午後。

俺たちの静かな城に、その『招待状』は、届けられた。


届けたのは、辺境伯の執事、セバスチャンだった。彼は、いつになく恭しい、しかしどこか表情の硬い仕草で、赤いろうで封印された一通の羊皮紙を、俺の前に差し出した。


「ルークス殿。辺境伯様より、お召しにございます」


その言葉に、俺の背筋を、冷たいものが走った。


「来月、執り行われます、辺境伯様のお誕生日の祝賀の宴にて。ルークス殿に、賓客ひんきゃくたちの御前で、あの『奇跡のプリン』を、お作りいただきたい、と。……これは、辺境伯様からの、たってのご所望にございます」


奇跡のプリンを、祝宴の席で。


その言葉を聞いた瞬間、エレナ様は「まあ、素敵ですわ!」と、純粋な喜びの声を上げた。


「お父様も、粋な計らいをなさいますのね!ルークスさんの素晴らしいお菓子が、皆の前でお披露目されるなんて!これは、あなた様が、このランドールで正式に認められたという、何よりの証ですわ!」


彼女の、太陽のような笑顔。だが、俺は、その笑顔を、素直に受け止めることができなかった。


(……罠だ)

脳内で、警報がけたたましく鳴り響いていた。前世のブラック企業で、理不尽なプロジェクトが炎上する直前の、あの嫌な匂いと全く同じだ。タイミングが良すぎる。俺の革命が農民たちの間で確かな熱を帯び、保守派の貴族たちが面白くないと感じ始める、まさにこの時期に?辺境伯直々の『ご所望』という、誰も逆らえない大義名分を掲げて?これは祝宴の招待状などではない。俺という異分子の価値を公衆の面前で鑑定し、少しでも瑕疵かしがあれば『不良品』の烙印を押して排除するための、巧妙に仕組まれた『品質監査』だ。


「……謹んで、お受けいたします」


俺は、内心の動揺を押し殺し、深々と頭を下げた。この招待を、断るという選択肢はない。断れば、それは俺が『いかさま師』だと、自ら認めることになるからだ。


俺の返事を聞いて、セバスチャンは、安堵したように、しかしその瞳の奥に、かすかな同情の色を浮かべて、頷いた。


「かしこまりました。では、当日は、城の料理長が、万全の準備を整えて、お待ちしております」


彼は、それだけを告げると、一礼し、足早に去っていった。その背中からは、まるで嵐の前の静けさを告げる伝令のような、不吉な気配が漂っていた。


「やりましたわね、ルークスさん!」


何も知らないエレナ様が、無邪気に俺の腕を取る。だが、俺は、彼女の温かい体温を感じながらも、心の奥底が、氷のように冷えていくのを感じていた。



その夜、俺は実験農場の小さな小屋で、一人、頭を抱えていた。


プリンのレシピ。それは、俺の前世の、うろ覚えの記憶だけが頼りだ。材料は、卵、乳、そしてポイントで交換した『精製された砂糖』。あまりにもシンプル。シンプルだからこそ、ごまかしが効かない。


リーフ村で、家族のために作った時は、うまくいった。だが、あれは、愛情という名の最高のスパイスと、幸運が重なった、奇跡のような産物だった。あの味を、大勢の貴族たちの、値踏みするような視線の中で、完璧に再現できる保証など、どこにもない。


最大の難関は、火加減だった。カラメルソースの色合い。そして、プリンを蒸し上げる時の、絶妙な温度管理。前世のキッチンには、温度計という便利なものがあった。だが、この世界には、職人の勘しか存在しない。


(スキル『料理の極意』があれば……。いや、ポイントが足りない)

辺境伯との契約やトーマスさんの涙が生んだ莫大なポイントは、すでに次なる革命の種銭――スキル『土壌改良』へと姿を変えてしまった。現在の所持ポイントは、1,124pt。8,000ptを要求される『料理の極意』には、あまりにも程遠い。


(どうする……。何か、方法はないのか……)


俺が、八方塞がりの思考の迷路に迷い込んでいると、小屋の扉が、静かに開かれた。ギデオンだ。


彼は、何も言わずに中へ入ってくると、テーブルの上に、一つの小さな木の箱を、ことり、と置いた。


「……辺境伯様からだ。『祝宴で、恥をかかせるわけにはいかん』、と」


箱の中には、見たこともないほどに白く、そして粒子の細かい、極上の小麦粉と、南の国から取り寄せたという、貴重な香辛料の瓶が、ぎっしりと詰められていた。


「……ありがとうございます」

「礼なら、辺境伯様に言え」


ギデオンは、そう言うと、踵を返して出ていこうとした。だが、扉の前で、ふと足を止め、俺の方を振り返ることなく、ぽつりと呟いた。


「……ルークス。城の料理長は、この辺境一の腕を持つと自負している男だ。辺境伯の覚えめでたいお前は、彼の『城』を脅かす、招かれざる客だ。……気をつけろ。職人の嫉妬は、戦場の殺気よりも、静かで、そして陰湿だ。戦場は、畑の上だけとは限らん」


それは、彼なりの、最大限の警告であり、そして激励だった。


「……はい。肝に、銘じておきます」


俺がそう答えると、彼は、一度だけ小さく頷き、夜の闇の中へと消えていった。


俺は、一人、部屋に残された。

辺境伯からの、過剰なまでの贈り物。それは、期待の裏返しであり、そして、「失敗は許さん」という、無言の圧力でもあった。


(やるしか、ないか)


俺は、覚悟を決めた。

これは、俺のスローライフを守るための、新しい戦いだ。

料理という名の、戦場で。俺は、俺の知識と、五感の全てを研ぎ澄ませて、この甘い罠に、打ち勝ってみせる。


俺は、窓の外に広がる、満開のひまわり畑を見つめた。

夜の闇の中で、その黄金色の花々は、まるで無数の星々のように、静かに、しかし力強く、輝いている。


その光景が、俺に、ほんの少しだけ、勇気をくれた気がした。


---

【読者へのメッセージ】

第五十八話、お読みいただきありがとうございました!

穏やかな日常の裏で静かに動き出した、城の古い影。そして、ルークスの前に突きつけられた、祝賀の宴という名の『甘い罠』。この静かなる嵐の予兆を、楽しんでいただけましたでしょうか。

「ゲルト、心配だ…!」「貴族たち、いよいよ動き出したな!」「ルークス、どうするんだ!?」など、皆さんの感想や応援が、ルークスがこの甘い罠に立ち向かうための、何よりの力になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!

ついに始まった、保守派貴族との前哨戦。スキルに頼れぬ絶体絶命の状況で、ルークスは己の知恵と五感だけを武器に、この『料理という名の戦場』を乗り越えることができるのか。次回、どうぞお見逃しなく!

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