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ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります  作者: はぶさん


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第五十七話:姫君の小さな花と、城の古い影

ゴードンの工房に、新しい時代の槌音つちおとが鳴り響き始めてから、ひと月が過ぎた。


ランドールの街に訪れた春は、もはや誰も疑うことのできない、本物の温もりと生命力に満ち溢れていた。雪解け水は小川となって畑を潤し、城壁の石垣の隙間からは、名も知らぬ可憐な野花が顔を覗かせている。


俺の実験農場では、天を目指すひまわりたちが、その背丈をさらに伸ばし、固く結ばれたつぼみの一つ一つが、今か今かと開花の時を待ちわびていた。畑のうねには、カブやニンジンが青々とした葉を茂らせ、その光景は、もはや「実験」ではなく、約束された豊穣の未来そのものだった。


そして、この農場の日常には、もう一つ、ささやかだが美しい風景が加わっていた。


「まあ……!見てくださいまし、ルークスさん!この子の葉の色、昨日よりもずっと濃くなりましたわ!」


農場の一角。エレナ様のためだけに作られた、小さな、小さな花壇。その前で、彼女は土に膝をつき、まるで我が子を愛でるかのように、一輪の小さな花の成長に、歓声を上げていた。


それは、彼女が、俺の助言だけを頼りに、自らの手で土を作り、種を蒔き、育て上げた、初めての生命だった。貴族の令嬢が育てるにはあまりに素朴な、ありふれた紫色のスミレの花。だが、彼女にとって、それはどんな高価な宝石よりも、尊い宝物だった。


「はい。エレナ様が、毎日心を込めてお世話をされているからです。土が、ちゃんとその想いに応えてくれているんですね」

「ふふ。わたくし、分かりますの。この子が今、『ありがとう』って言っているのが。……ルークスさん。わたくし、生まれて初めて、自分の手で何かを『生み出す』ことの喜びを知りましたわ」


彼女は、そう言うと、泥で汚れた指先を愛おしそうに見つめ、花が咲くように微笑んだ。その笑顔は、もはやただの深窓の令嬢のものではない。自らの手で奇跡を起こすすべを知った、一人の人間としての、力強い自信と誇りに輝いていた。


「エレナお嬢様……。泥だらけのお姿も、また、神々しいまでに、お美しい……」


後方で、セバスチャンがハンカチで目頭を押さえながら、感極まっている。彼の忠誠心は、主の成長と共に、新たな次元へと昇華されつつあるようだった。


穏やかで、満ち足りた時間。このまま、この温かい光景がずっと続けばいい。だが、光が強ければ強いほど、影もまた、その色を濃くしていくものだということを、俺はまだ、本当の意味では知らなかった。



その頃、辺境伯の城、その一室は、春の陽光が届かない、重苦しい空気に満ちていた。


部屋の中央に置かれた重厚な樫のテーブル。それを囲むのは、辺境伯レオナルドに古くから仕える、譜代の貴族たちだ。彼らは皆、一様に苦虫を噛み潰したような顔で、忌々しげに口を開いた。


「……辺境伯様。もはや、看過できませぬぞ!」


口火を切ったのは、恰幅のいい、壮年の貴族だった。彼の家は、代々、この辺境伯領の食料備蓄と流通を管理してきた家柄だ。


「あの農民の小僧……ルークスとか申しましたか。奴のせいで、この街の秩序は、乱れに乱れております!」

「いかにも!」


別の、痩せこけた老貴族が、甲高い声で同調する。


「市場の穀物価格が、このひと月で三割も下落いたしました!あの小僧が『堆肥』などという得体の知れぬ妖術を広めたせいで、今年の春の作付けに、農民どもが異常なまでの意欲を見せているからにございます!このままでは、秋には前代未聞の大豊作となり、我らが備蓄してきた穀物の価値は、暴落の一途をたどるでしょう!」


「それだけではございません!」


恰幅のいい貴族が、テーブルを拳で叩いた。


「鍛冶屋のゴードン!あの頑固者が、我ら騎士団からの武具の注文を、全て後回しにし、来る日も来る日も、農具ばかりを打ち続けております!『魂の宿らぬ者に、俺の剣は打てぬ』などと、うそぶいて!奴の工房の前には、農民どもが長蛇の列をなし、まるで聖地のようになっておる始末!領地の守りを担う騎士団の威信は、地に落ちましたぞ!」


彼らの不満は、尽きることがなかった。

農具革命は、確かに多くの貧しい農民を救った。だが、その一方で、これまでの古い秩序の中で利益を得てきた者たちの、既得権益を、静かに、しかし確実に脅かし始めていたのだ。


その、渦巻く不満の声を、玉座に最も近い席で、文官の長バルザックが、蛇のように冷たい目で、静かに聞いていた。


やがて、彼は、おもむろに口を開いた。その声は、静かだったが、部屋の隅々にまで響き渡る、不吉な響きを帯びていた。


「……皆様方のお怒り、ごもっとも。ですが、辺境伯様は、あの小僧に、ご心酔の様子。正面から諫言かんげん申し上げても、おそらくはお聞き入れくださるまい」

「では、どうしろと申すのだ、バルザック殿!」


「慌てなさるな。……どのような奇跡にも、必ず『綻び』はございます。……皆様、お忘れかな?あの小僧が、最初に辺境伯様のお目にかかった、そのきっかけを」


バルザックの、意味深な問いに、貴族たちは顔を見合わせた。


「……行商人クラウスが献上した、あの『奇跡のプリン』にございますな」

「いかにも」


バルザックは、その口元に、氷のような笑みを浮かべた。


「あのプリン、城の料理長が、再現を試みておるが、一向に成功せぬ、と。材料は、卵と、乳と、砂糖のみ。あまりにも単純。それ故に、不可解。……そこにこそ、奴の『化けの皮』を剥がす、鍵が隠されております」


彼は、まるで詰みの一手を指す棋士のように、ゆっくりと言葉を続けた。


「……来月、辺境伯様のお誕生日を祝う、祝賀の宴がございます。その席で、あの小僧に、再びあの『奇跡のプリン』を、賓客ひんきゃくたちの御前で、作らせるのです」

「……なるほど!」


貴族たちから、合点がいったような声が上がる。


「もし、成功すれば、それはそれで結構。だが、もし、失敗すれば?あるいは、その作り方に、何か『いかがわしいトリック』でも隠されていれば?……民の前で奇跡を起こした救世主が、領主の前で無様な醜態を晒したとなれば、辺境伯様も、さすがにお考えを改めざるを得ますまい。……辺境伯様は、優しすぎる。民に迎合し、その声に耳を傾けすぎれば、いずれこの領地は衆愚政治へと堕するだろう。国とは、羊飼いが羊を導くように、賢者が愚者を導いてこそ栄えるもの。あの小僧は、羊に牙を与える、危険な思想そのものだ。辺境伯家への、真の忠誠とは何か。それを、あの小僧と、そして辺境伯様ご自身に、思い出させて差し上げねばなるまい」


その、あまりにも狡猾で、悪意に満ちた策略。それは、俺が農作業に没頭している裏で、静かに、しかし確実に、張り巡らされようとしていた。



その日の午後。

俺の実験農場に、ゴードンが、血相を変えて駆け込んできた。その巨体は、珍しく、怒りにわなわなと震えている。


「ルークス!大変だ!」

「どうしたんですか、ゴードンさん」


「ゲルトが……!俺の、一番弟子が、いなくなった!」 ゴードンの話によると、今朝、工房に行くと、ゲルトの姿がどこにもなく、代わりに、作業台の上に、彼がひと月かけてようやく打てるようになった、一本の、不格好だが魂のこもった小さなナイフが、置き手紙と共に置かれていたのだという。 「そういや、あいつ、最近、やけに『ドワーフ』の古い伝承について知りたがっていやがった。『星喰み』を打ったあの炎は、本当に人間の技術なのか、ってな。……まさか、あいつ、北の山脈国へ……?馬鹿な、あそこは、人間が足を踏み入れて、生きて帰れる場所じゃねえぞ…!」 手紙には、ただ一言、こう書かれていた。 『俺は、まだ、あんたの魂を継ぐ器じゃねえ。……本当の『炎』を、見つけてくる』 「……あの馬鹿野郎……!」 ゴードンは、悔しそうに、奥歯をギリリと噛みしめた。


その声は、怒りというよりも、大切な息子を失った父親の、悲痛な叫びのように、俺の耳には聞こえた。


俺は、彼の言葉を聞きながら、一つの予感に、背筋が凍るのを感じていた。

リーフ村で、俺に完膚なきまでにプライドを砕かれた、あの時のゲルトの目。そして、ゴードンの弟子となり、再び輝きを取り戻した、彼の目。その二つの光景が、脳裏で重なる。


彼は、まだ、迷っているのだ。

俺が示した「知恵」の道と、ゴードンが示した「魂」の道。その二つのあまりにも強大な光の前で、自分の非力さを痛感し、自分だけの「強さ」とは何かを、見失ってしまったのかもしれない。


そして、そんな彼の心の隙間に、もし、別の『光』――あるいは、『闇』が、囁きかけたとしたら。


(……ジルヴァ。あの男なら、やりかねない。俺の革命を内側から崩すために、最も効果的な駒は何か。それは、俺に近しい人間であり、かつ、心に『隙』を持つ人間だ。今のゲルトほど、格好の標的はいない。あの男は、人の心の弱さに付け込むことの天才だ。もし、ゲルトが彼の甘言に乗ってしまったとしたら……)


俺の脳裏に、あのフードの男の、冷たい笑みが、陽炎のように揺めいた。


春の陽光が降り注ぐ、希望に満ちた農場。

だが、その足元では、俺の知らないところで、二つの、黒く、そして巨大な影が、確かに動き始めていた。




【読者へのメッセージ】

第五十七話、お読みいただきありがとうございました!

今回は、ルークスの革命がもたらす光と、その光によって必然的に生まれる城の古い影、そしてゲルトの新たな旅立ちという、三つの物語を同時に描いてみました。穏やかな日常の裏で、静かに、しかし確実に動き出す大きな運命の歯車。その予感を感じていただけましたでしょうか。

「エレナ様の成長に感動!」「貴族たちの陰謀、腹が立つ!」「ゲルト、どこへ行くんだ…!」など、皆さんの感想や応援が、この複雑に絡み合う物語の、次の一歩を照らす光となります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!

ついに動き出した、保守派の不穏な影。そして、姿を消したゲルトの行方は?ルークスの前途には、新たな嵐が待ち受けています。次回、祝賀の宴を舞台に、新たな戦いの火蓋が切られます。どうぞお見逃しなく!

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