第五十一話:革命の対価と、領主の天秤
夕日が、ランドールの街を茜色に染め上げていく。
その中で、一人の農夫が、来るべき豊穣を夢見て、いつまでも、いつまでも、涙を流し続けていた。
その、あまりにも人間的で、あまりにも尊い光景を、俺たちは、誰一人として言葉を発することなく、ただ黙って見つめていた。一人の男の人生が、一本の農具によって根底から覆る瞬間。それは、どんな英雄譚よりも雄弁に、俺たちが今まさに起こそうとしている革命の、本当の意味を物語っていた。
最初に沈黙を破ったのは、ゴードンだった。
彼は、泣きじゃくるトーマスの隣に無言で歩み寄ると、その熊のように大きな手で、彼の震える肩を、まるで地響きでも起こすかのように、力強く、何度も叩いた。
「……泣くんじゃねえ、トーマス」
その声は、ぶっきらぼうだったが、どこまでも優しかった。
「お前の魂は、こいつに認められた。……なら、やることは一つだろうが。お前が流すのは、もう涙じゃねえ。汗だ。この『疾風』と共に、お前の畑に、黄金の汗を流せ。それが、こいつを産んだ俺への、唯一の礼儀だ」
職人から、農夫へ。
魂を込めて作り上げた道具が、最高の使い手を見つけた瞬間の、無骨で、しかし何よりも美しい、魂の継承式だった。
その光景を、俺の隣で見ていたエレナ様が、そっと囁いた。
「……ルークスさん。わたくし、初めて知りましたわ。道具というものが、これほどまでに、人の心を揺さぶり、希望を与えるものだということを」
その青い瞳は潤み、夕日を反射して、宝石のようにきらきらと輝いていた。彼女は、書物の中の知識では決して得られない、生きた感動を、その全身で受け止めていた。
ギデオンも、鉄仮面のような表情こそ崩さないが、その視線はトーマスの手の中にある『疾風』に注がれていた。彼の脳裏には、おそらく、自らが振るう剣と、この一本の鍬が、もはや同じ「命を守るための力」として重なって見えていたのかもしれない。
やがて、俺たちはトーマスに『疾風』の第一号を託し、彼の畑を後にした。彼の、何度も何度も振り返っては深々と頭を下げる姿が見えなくなるまで、俺たちは、誰一人として、振り返らなかった。
◇
その夜、実験農場の小さな小屋は、いつになく熱気を帯びていた。
テーブルを囲むのは、俺と、エレナ様、ゴードン、そして護衛役として常に控えるギデオン。セバスチャンは、気絶しそうな顔で部屋の隅に立ち尽くしている。
「……それで、これからどうするんだ、小僧」
興奮冷めやらぬといった様子で、ゴードンがテーブルを拳で叩いた。
「トーマスのあの顔を見ちまったからには、もう後戻りはできねえ。この『疾風』を、待ってる奴らがいる。だが、こいつを作るには、時間も、鉄も、そして何より俺の魂も、安くはねえんだ。どうやって、貧しい農民たちの手に、こいつを届ける?」
それこそが、この革命における、最大の課題だった。トーマスのような農民に、この特別な鍬を買う金はない。だが、無償で配っていては、ゴードンの生活が成り立たず、生産はすぐに頓挫してしまう。
「……辺境伯様、つまり、お父様にお願いして、領の予算で買い上げていただくというのは、いかがでしょう?」
エレナ様が、名案とばかりに手を叩いた。だが、俺は静かに首を横に振る。
「それは、おそらく最悪の手です」
「まあ!なぜですの?」
「辺境伯様から与えられた農具は、農民たちにとって『施し』になってしまう。彼らは、それをただの便利な道具としか思わず、大切にしないでしょう。トーマスさんが流したような、あの涙の価値を、理解しようとはしない。それに……」
俺は、一度言葉を区切り、部屋の隅に立つ、寡黙な騎士を見た。
「辺境伯領の全ての農民に、この鍬を配るとなれば、莫大な予算が必要になります。その予算は、どこから出るのか。……おそらく、騎士団の武具の予算や、城壁の修繕費を削ることになる。そうなれば、必ず、反対する者が出てくる。この革命は、始まる前に、城の中の政治闘争に、飲み込まれてしまいます」
俺の、あまりにも冷静で、そして現実的な分析に、エレナ様は息を呑んだ。ギデオンは、鉄仮面のような表情のままだったが、俺の指摘が的を射ていることを、その沈黙が肯定していた。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」
ゴードンが、苛立たしげに声を上げる。俺は、彼の目を真っ直ぐに見返し、静かに、しかし確信を持って、俺の考えを告げた。
俺が提案したのは、誰も損をしない、新しい『約束』の形だった。
「まず、辺境伯様には、種籾を蒔いていただきます。ゴードンさんの工房に、百本分の『疾風』という名の種を蒔くための、最初の恵みです。これは施しではありません。秋になれば、畑が黄金色になるように、領地の税収が何倍にもなって返ってくる。未来への、確かな『種蒔き』です」
「次に、ゴードンさんは、その種から育った苗を、農民たちに『分け与え』ます。無償ではありません。秋に、彼らの畑で穫れた作物の一部を、『ありがとう』の気持ちとして分けてもらうんです」
「ゴードンさんの打った魂が、畑で麦や芋になる。素敵だと思いませんか?」
「そして、農民たち。彼らは、増えた収穫の中からほんの一部を支払うだけで、革命の翼を手にできる。誰かに与えられるのを待つのではなく、自分の汗で、未来を勝ち取ることができるんです」
俺の提案に、部屋は水を打ったように静まり返った。
それは、誰も損をしない、完璧な循環の仕組みだった。
最初に沈黙を破ったのは、ゴードンだった。
「……は、はは……。ははははは!面白い!面白いじゃねえか、小僧!金じゃねえ、『収穫』で対価を受け取る、だと?まるで、俺の打った魂が、畑で実りになるみてえじゃねえか!気に入った!その話、乗ってやる!」
彼は、心の底から楽しそうに、腹を抱えて笑った。
「……ルークスさん。あなた様は、やはり……」
エレナ様は、もはや感嘆のため息しかつけない、といった様子で、尊敬の眼差しを俺に向けている。
そして、ギデオンは。
彼は、何も言わなかった。ただ、その厳しい瞳で、俺の顔をじっと見つめていた。その視線は、もはやただの子供を見るものではない。一つの巨大なプロジェクトを動かす、末恐ろしい司令官を見るかのような、畏怖の念すら含んだ光を宿していた。
◇
その夜。俺は、一人、小屋のベッドの上で、自分のステータスウィンドウを眺めていた。
【現在の所持ポイント:2,124 pt】
トーマスの一件で得た、二千という莫大なポイント。脳裏に、後輩を救えなかったあの日の記憶が、陽炎のように揺らめいた。あの時、喉から手が出るほど欲しかった数字。後輩の命の代わりになると信じ、狂ったように追い求めた、虚しい贖罪の証。
だが、もう違う。俺は知ってしまった。この数字の本当の価値は、誰かの涙を、笑顔に変えるための『種銭』だということを。トーマスさんの涙を見て、俺は心の底からそう思った。
あの涙を、もう二度と、誰にも流させない。そのために、俺にできることは何だ?『疾風』は、最高の道具だ。だが、それだけでは足りない。道具を振るう畑そのものが、疲弊していては意味がない。
俺は、スキルリストを開き、次なる一手へと、思考を巡らせ始めた。革命の風は、まだ吹き始めたばかりだ。この風を、もっと大きく、もっと遠くまで届けるために。
俺は、ある一つのスキルに、狙いを定めた。
『土壌改良 (Lv.1) [4,000pt]』
まだ、ポイントは足りない。だが、目標は定まった。このスキルがあれば、俺は、トーマスさんのような農民たちに、もっと具体的で、科学的な助言を与えることができる。この辺境の、全ての畑を、最高のキャンバスに変えることができるのだ。
俺は、窓の外に広がる、星空を見上げた。遠い故郷の空と、同じ星が輝いている。
(父さん、母さん。俺の戦いは、まだ、もう少しだけ続きそうだ)
俺は、手の中の木彫りの人形を、強く握りしめた。その温もりだけが、この孤独な戦場で、俺を支える、唯一の道しるべだった。
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【読者へのメッセージ】
第五十一話、お読みいただきありがとうございました!
革命の刃が生んだ感動の先に、新たな課題と、それを乗り越えるためのルークスの知略。物語が、個人の奇跡から、社会を動かす大きなプロジェクトへと発展していく、その壮大さを感じていただけましたでしょうか。
「リース契約、賢すぎる!」「ゴードンの笑い声が聞こえるようだ!」「次のスキルも楽しみ!」など、皆さんの感想や応援が、この革命の風をさらに強くします。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに辺境伯領全体を巻き込む壮大な計画が始動しました。この提案は、辺境伯に受け入れられるのか?そして、ルークスの実験農場では、ついにあの花が咲く時が…!?次回も、どうぞお見逃しなく!




