第四十四話:最初の一振り(ひとふり)と、夜明けの土
ゴードンの工房を後にした時、東の空は、ようやく白み始めていた。
職人の魂が燃え盛る一夜が明け、街はまだ深い眠りについている。俺と、俺の新たな相棒『星喰み(ステラ・ファング)』を背負ったギデオンは、静寂に包まれた石畳の道を、城壁の内側にある俺の実験農場へと、黙って歩いていた。
俺たちの背後から、ふらふらとした、しかし確かな足取りがついてくる。熊のように大柄な鍛冶屋、ゴードンだ。
「……おい、小僧。俺を置いていく気か」
その声は、一睡もしていない疲労でかすれていたが、瞳の奥には、自らが産み落とした我が子の最初の産声を聞き届けんとする、父親のような執念の炎が揺らめいていた。
「ゴードンさん、体は…」
「うるせえ。自分の打った魂が、どう大地を抱くのか、この目で見届けるまで、倒れるわけにはいかねえんだよ」
彼はそう言って、ニヤリと歯を見せて笑った。その顔は煤と汗で汚れていたが、俺が今まで見たどんな人間の顔よりも、誇りに満ちて輝いて見えた。
寡黙な騎士ギデオンは、そんなゴードンの様子を一瞥すると、何も言わずに歩く速度を少しだけ緩めた。奇妙な、しかし不思議な一体感をまとった男三人の行進は、やがて俺の実験農場へとたどり着いた。
農場の小さな小屋の前では、執事のセバスチャンが、血の気の引いた顔でうろうろと歩き回っていた。俺たちの姿を認めるや否や、彼は泣きそうな顔で駆け寄ってくる。
「ルークス様!ギデオン殿!それにゴードン殿まで!一体、どこへ行っておられたのですか!エレナ様が、朝からずっと、ご心配なされておりましたぞ!」
「……少し、夜明けを見にな」
ギデオンは、そう短く答えると、俺の背中を軽く押し、小屋の中へと促した。小屋の中では、エレナ様が、ソファの上で小さな毛布にくるまり、こくりこくりと舟を漕いでいた。その傍らでは、フェンが主人の帰りを健気に待ちながら、彼女の番犬役を務めていたようだ。
俺たちの気配に、エレナ様ははっと目を覚ました。
「ルークスさん!ご無事でしたのね!昨夜からお戻りにならないから、てっきり、街のならず者にでも……!」
「ご心配をおかけしました。少し、野暮用が長引いただけです」
俺がそう言って頭を下げると、彼女は安堵のため息をつき、そして、ギデオンが壁に立てかけた、異様な存在感を放つ黒い鍬に、気づいた。
「まあ……。これは、なんという……」
彼女は、おそるおずるといった様子で、その黒く輝く刃に近づいた。
「……鍬、ですの?ですが、わたくしが知っている鍬とは、まるで……。まるで、夜空のかけらを、そのまま削り出して作ったかのようですわ」
その、詩的な表現。彼女の純粋な感性は、この道具の本質を、一目で見抜いていた。
「はい。俺の、新しい相棒です」
俺は、彼女に微笑みかけると、『星喰み』を手に取り、外へと出た。
朝の光が、実験農場を黄金色に染め上げている。ひまわりの苗は、今日も元気に、太陽に向かって葉を伸ばしていた。
俺は、まだ一度も耕されていない、硬く、そして冷たく凍てついたままの、畑の片隅へと向かった。ここが、俺の革命の、最初の舞台となる。
俺が鍬を構えるのを、エレナ様、セバスチャン、ギデオン、そして産みの親であるゴードンが、固唾を飲んで見守っている。
俺は、一度、深く息を吸い込んだ。そして、手の中の『星喰み』の感触を確かめる。
軽い。信じられないほどに。だが、その軽さの中には、揺るぎない芯が一本、通っている。まるで、俺の腕の骨が、そのまま柄となり、刃の先端まで続いているかのような、完璧な一体感。
俺は、特別な力を込めることなく、ただ、自然に、その腕を振り下ろした。
**スッ……。**
音が、しなかった。
硬く凍てついた大地が、まるで熟した果実のように、音もなく、切り裂かれる。抵抗というものが、全くない。刃が、まるで水面に吸い込まれるかのように、何の躊躇もなく、黒い土の中へと沈んでいった。
「「「……え?」」」
背後から、三者三様の、間の抜けた声が聞こえた。だが一人、ゴードンだけは声も出せず、ただ己の目を疑うように、その光景に釘付けになっていた。
俺は、鍬を引き上げる。そこには、深々と、そして驚くほど滑らかな断面を持つ、一本の溝が刻まれていた。掘り起こされた土は、大きな塊になることなく、まるで最初からそうであったかのように、ふかふかと、柔らかく、畝の脇に盛り上がっている。
「……嘘、でしょう……?」
セバスチャンが、信じられないというように、目を見開いている。彼は、慌てて溝のそばに駆け寄ると、その断面を、自分の指で恐る恐る触れた。
「こ、この時期の大地は、鉄のように硬く凍てついているはず……。それを、まるで、バターでも切るかのように……。ば、馬鹿な……!」
エレナ様も、言葉を失っていた。ただ、その青い瞳を、奇跡の光景に釘付けにしている。
その時、背後で、どさり、と何かが崩れる音がした。
「……お、俺の……俺の槌は……化け物を……産んじまっただ……」
ゴードンが、その場にへたり込み、腰を抜かしていた。自らが産み出した道具が、物理法則すら捻じ曲げかねない、人知を超えた性能を発揮している。その事実に、喜びよりも先に、畏怖が彼を襲ったのだ。
そして、ギデオンは。
彼は、鍬ではなく、俺が立っている足元――その踏み込みの浅さに、気づいていた。
「……お前、今、力を込めていないな」
その、呟きとも問いともつかない声に、俺は振り返って頷いた。
「はい。この子の重さだけで、勝手に土が切れていくんです」
その答えに、ギデオンの鉄仮面が、初めて、明確に揺らいだ。
(……この切れ味。これがあれば、痩せた土地でも少ない人数で耕せる。収穫が増えれば、民は飢えない。兵士たちの腹も満たされる。兵糧。それこそが、北の獣人族との長い睨み合いを支える、この辺境の生命線だ。この少年がもたらしたものは、ただの農具ではない。この辺境伯領の民の命を、冬の飢えと外敵から守るための、まさしく『力』そのものだ)
彼の騎士としての視点が、この道具の真の価値を、誰よりも現実的に理解していた。
俺は、そんな彼らの驚きを背に、再び『星喰み』を振るった。
夢中で土を耕す。その行為が、これほどまでに楽しく、心地よいものだとは知らなかった。前世で、キーボードを叩き続けた指が、今、大地の脈動をダイレクトに感じている。
手にした『星喰み』の、星屑のように輝く刃を、誇らしげに見つめる。
これで、もっとたくさんの野菜が作れる。母さんのスープが、もっと美味しくなる。エレナ様や、村のみんなの笑顔が、もっと増える。
それこそが、俺が目指す、最高の「スローライフ」の、確かな一歩だった。
【読者へのメッセージ】
第四十四話、お読みいただきありがとうございました!
ついに振るわれた、革命の刃『星喰み(ステラ・ファング)』!その圧倒的な切れ味と、それを見た仲間たちの驚愕、そして産みの親であるゴードンの反応。この静かな感動を、皆さんと共有できていれば幸いです。
「ゴードン、腰抜かすの可愛い!」「ギデオンの視点、深い!」「これぞスローライフ!」など、皆さんの感想や応援が、耕された大地に蒔かれる、次の希望の種となります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
最強の農具を手に入れ、最高の土壌も準備万端。ルークスの実験農場は、ここから一気に加速していきます。彼の知識は、次にどんな奇跡を生み出すのか。そして、その噂は、城壁の外にまで届き始める…。次回も、どうぞお見逃しなく!




