第四十話:黒鉄鉱の在処と、市場の理
熱気を帯びた鍛冶工房を後にした俺の足取りは、不思議と軽かった。
『三日以内に、黒鉄鉱を手に入れる』
頑固な職人ゴードンと交わした、炉の炎よりも熱い契約。それは、俺がこの辺境伯領で農業革命を起こすための、最初の、そして最大の関門だった。
「ルークス様、いかがでしたかな?あの頑固者、承知いたしましたか」
工房の外で待っていたセバスチャンが、心配そうな顔で尋ねてくる。
「はい。でも、一つ条件を出されました。最高の農具を作るために、最高の材料である『黒鉄鉱』を持ってこい、と」
「黒鉄鉱……!」
その名を聞いた瞬間、セバスチャンの普段は冷静な顔に、明らかな動揺の色が浮かんだ。
「なんと……。ゴードンめ、無茶を言いおる。ルークス様、黒鉄鉱は北の鉱山でのみ産出される非常に希少な鉱石。そのほとんどは辺境伯家が管理し、騎士団の武具に使われるため、市場に出回ることはまずございません。それを三日で、と申すか……」
セバスチャンの言葉は、このミッションがいかに無謀であるかを、俺に改めて突きつけてきた。やはり、正攻法では手に入らない代物らしい。
(……なら、まずは自分の手札を確認する)
俺はセバスチャンに礼を言って別れると、城の自室へと急いだ。ブラック企業で叩き込まれた鉄則だ。新しいプロジェクトに着手する際は、まず利用可能なリソースを全て洗い出す。
(ゴードンのような本物の職人を相手にするには、『鑑定』で得られる表面的な情報だけでは足りない。より深い、核心に迫る情報が必要になる場面が必ず来るはずだ)
部屋に戻り一人になると、俺はすぐさま意識を集中させ、ポイントシステムのウィンドウを開いた。狙うは、スキルリスト。俺は、以前から目をつけていたある項目を睨みつける。
『識別 (Lv.1) [1,500pt]』
鑑定より詳細な情報が得られる上位互換スキル。これさえあれば、交渉の場で圧倒的優位に立てる。俺はすぐさま現在の所持ポイントを確認した。
【現在の所持ポイント:1,624 pt】
(よし、あった!)
『陽だまりの家』の建設と、冬野菜の配布。村人たちからの感謝のボーナスは、俺が思っていた以上に積み重なっていたようだ。これなら、手が届く。俺は、迷わなかった。これは、未来への投資だ。
【スキル『識別 (Lv.1)』を取得しますか? 1,500ptを消費します】
【YES / NO】
俺が【YES】を選択した瞬間、脳内に新たな情報の奔流が流れ込んでくる感覚があった。『鑑定』がモノの「表層」を読み取るスキルなら、『識別』はモノの「構造」や「組成」といった、内部の理までも見通す力。世界が、また一つ、解像度を上げたように感じられた。
【1,500ptを消費し、スキル『識別 (Lv.1)』を取得しました。】
【現在の所持ポイント:124 pt】
ポイントはほとんど底をついたが、それとは比べ物にならない強力な武器を手に入れた。だが、武器だけでは戦えない。次に必要なのは、「情報」だ。俺は、すぐさま部屋を飛び出した。目指す場所は、ただ一つ。
◇
「いやはや、驚いた!あの石頭のゴードンが、君の頼みを聞き入れただと!?」
『風と街道亭』の昼下がりのテーブル席で、行商人クラウスは、俺の話を聞いて腹を抱えて笑っていた。
「はっはっは!見てみたかったな、あの頑固者の度肝を抜かれた顔を!君は、本当に面白いことをしてくれる!」
一しきり笑った後、彼はエールをぐいと呷ると、商人としての鋭い目に切り替わった。
「……して、その条件とやらが、黒鉄鉱だと?」
「はい。市場には出回らないと聞きました。でも、クラウスさんなら、何か知っているんじゃないかと思って」
俺の言葉に、クラウスはニヤリと口の端を吊り上げた。
「さすがは我が救世主様。人を見る目がある。……確かに、表の市場には決して出てこない代物だ。だがね、ルークス君。どんなに厳しく管理された品物にも、必ず『裏』のルートというものが存在する。それが、市場の理というものさ」
彼は、声を潜め、人差し指を立てた。
「この街の市場には、ごく稀に、鉱夫が山からこっそり持ち出した『ハジキモノ』が流れてくることがある。もちろん、法を破る危険な取引だ。値段も、普通の鉄鉱石の百倍は下らない。……今の君に、それだけの金と、危険を冒す覚悟があるかい?」
クラウスの探るような視線。だが、俺は首を横に振った。
「お金で解決できるなら、苦労はしません。ゴードンさんが求めるのは、ただの黒鉄鉱じゃない。彼を、心の底から納得させられるだけの、『最高品質』のものです。ハジキモノでは、きっとダメだ」
俺の答えに、クラウスは「ほう」と感心したように息を漏らした。そして、腕を組み、しばらくの間、何かを深く考えるように天井を仰いだ。
「……君の言う通りだ。ゴードンのような本物の職人を唸らせるには、生半可な品では逆効果になるだろうな」
やがて、彼は何かを思い出したように、ポンと手を打った。
「……一つだけ、心当たりがある」
「本当ですか!?」
「ああ。だが、これはただの噂話だ。それに、今まで何人もの商人が挑んで、ことごとく玉砕してきた、いわくつきの案件だがね」
クラウスは、まるで面白い物語でも語るかのように、目を細めて続けた。
「この街の貧民街に、一人、世捨て人のような暮らしをしている、元鉱夫の老人がいる。名を、グラーンという。彼は、若い頃、北の鉱山で最高の腕を持つと言われた伝説の鉱夫でね。引退する際に、たった一つだけ、生涯で一度しか見つけられなかったという、奇跡のような品質の黒鉄鉱の原石を持ち帰った、と言われている」
「その人に、売ってもらえば……!」
俺が身を乗り出すと、クラウスは「まあ、待て」と手を振って制した。
「話はそう簡単じゃない。そのグラーン爺さん、相当な偏屈でな。金には一切興味がない。『この石は、俺の魂そのものだ。誰にも渡す気はない』と言って、山のような金貨を積んだ大商人さえも、追い返したそうだ。以来、誰も彼に近づく者はいなくなった」
金では動かない、伝説の鉱夫。
その心を開かせなければ、最高の材料は手に入らない。
(……面白い)
俺の口元に、笑みが浮かんだ。金で解決できない問題こそ、俺の得意分野だ。
「クラウスさん。その人の住処を、教えてください」
俺の目には、もはや迷いはなかった。
◇
クラウスに教えられた場所は、城下町の華やかな大通りとはまるで別世界の、陽の当たらない一角だった。道は舗装されておらず、汚水と泥でぬかるんでいる。崩れかけた家々からは、汚水と安酒の混じった淀んだ匂いが漂い、どこかの家からは、赤ん坊の泣き声と、それをなだめる母親の疲れ果てた歌声が聞こえてくる。希望を失った空気。それは、前世で後輩を救えなかった頃の、自分の無力感を思い出させ、胸の奥を鈍く痛ませた。
貧民街。
「……ルークス。本当に、このような場所へ?」
俺の半歩前を歩き、常に周囲への警戒を怠らない護衛役のギデオンが、眉間に深い皺を寄せて振り返った。彼の、騎士としての誇りが、この場所の空気を許せない、といった様子だった。
「大丈夫です、ギデオンさん。すぐに済みますから」
俺たちは、やがて、ひときわ古びた、今にも崩れ落ちそうな掘っ立て小屋の前で足を止めた。ここが、伝説の鉱夫グラーンの住処らしい。
俺が、意を決して木の扉をノックしようとした、その時。
「用はねえ。とっとと失せな」
中から、しゃがれた、そして不機嫌極まりない声が響いてきた。
俺は、その声に怯むことなく、扉に向かって言った。
「グラーンさん。あなたの持つ、黒鉄鉱を譲っていただきたい」
「ほう、まだそんなことを言いに来る物好きがいたか。金なら、いくら積まれても売る気はねえ。帰れ」
「お金を払うつもりはありません」
俺の、予想外の言葉に、扉の向こうの空気が、ぴたりと止まった。
「……なんだと?」
「俺は、あなたから黒鉄鉱を『買う』んじゃありません。『交換』しに来たんです。あなたにとって、その石よりも、もっと価値のあるものと」
しばらくの沈黙の後、ギィ、と重い音を立てて、扉がわずかに開いた。隙間から覗いたのは、深く刻まれた皺と、猜疑心に満ちた、鋭い一つの目だった。
「……小僧。面白いことを言うじゃねえか。この俺の魂よりも、価値のあるもの、だと?言ってみろ。それが下らねえ戯言だったら、その場で叩き出してやる」
試すような、老人の視線。
この瞬間のために、俺は新たな武器を手に入れたのだ。俺はスキルを発動する。狙うのは鉱石でも、この老人自身でもない。彼が扉を開けた瞬間に見えた、小屋の奥の薄暗い棚の上に、まるで神棚のように、大切に、大切に飾られていた、一つのもの。
それは、古びた、一台の『からくり人形』だった。
【鑑定】
【壊れかけの自動人形】
【百年以上前に、ドワーフ族によって作られた傑作。内部の歯車が一つ欠損しているため、動くことができない。】
続けて、取得したばかりの『識別』スキルを起動する。『鑑定』がモノの表層をスキャンするレントゲン写真だとすれば、『識別』は内部構造を原子レベルまで分解して再構築するCTスキャンのようだ。より詳細な、核心の情報が、俺の脳内にだけ設計図として展開されていく。
【識別】
【欠損部品:第三主ゼンマイに連動する、十七歯の真鍮製カナ歯車。】
【修復可能性:同一規格の歯車があれば、修復は可能。ただし、その製法は、現代の一般的な鍛冶技術では再現が困難とされる、ドワーフ族特有の精密な技術である。】
(……見つけた)
俺の口元に、確信の笑みが浮かんだ。金では動かせない、この頑固な老人の心を動かす、唯一の『鍵』を。
俺は、扉の隙間から覗く、老人の鋭い目を見返した。
「俺が、あなたに提供するもの。それは、『思い出』です」
「……思い出、だと?」
「ええ。あなたの魂よりも価値があるもの。それは、あなたが失ってしまった、かけがえのない時間そのものだ」
俺は、扉の隙間から、小屋の奥の棚を指さした。
「その棚の上にある、あなたの奥さんが遺した、大切な人形。……俺が、もう一度、動かして差し上げますよ」
チェックメイトだ。俺の『情報』は、あんたの『魂』の価値を、確かに上回った。
その一言に、老人の目が、驚愕に、大きく、大きく見開かれた。
---
【読者へのメッセージ】
第四十話、お読みいただきありがとうございました!
ついに始まった、黒鉄鉱入手ミッション!ルークスが、その知恵と新たなスキルを駆使して、金では動かない頑固な老人の心の扉をこじ開けようとする展開、いかがでしたでしょうか。
「クラウス、頼りになる!」「識別スキル、ここで使うか!」「思い出を動かす、か…!」など、皆さんの感想や応援が、ルークスに歯車を作らせるためのポイントになります!下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに見つけ出した、伝説の鉱夫の「本当の望み」。しかし、失われたドワーフの技術で作られた歯車を、ルークスはどうやって手に入れるのか?彼のポイントシステムが、ついに常識を超えた奇跡を起こします。次回、どうぞお見逃しなく!




