第三十六話:宝の山と、街の循環
ひまわりの最初の芽が顔を出してから、数日が過ぎた。『実験農場』での朝は、その小さな緑の双葉の成長を確認することから始まるのが、俺たちの新しい習慣となっていた。
「まあ!昨日よりも、ほんの少しだけ、背が伸びていますわ!」
今日も、俺の隣で畝を覗き込んでいたエレナ様が、宝物でも見つけたかのように、嬉々とした声を上げる。その横顔は、初めて見る生命の神秘に心を奪われた、純粋な探求者のそれだった。
「はい。この子たちは、今、一生懸命に大きくなろうとしています。ですが……」
俺は、畝の土を指先でそっとすくい上げ、彼女に見せた。
「このままでは、すぐに土の中のご馳走が、全部なくなってしまいます」
俺の言葉に、エレナ様は不思議そうに首を傾げる。俺は、彼女にも分かるように、言葉を選んで説明を続けた。
「僕たちが毎日ご飯を食べるのと同じで、植物たちも、土の中からたくさんの栄養をもらって大きくなります。特に、ひまわりのような大きくなるお花は、ものすごい大食漢なんです。このままでは、栄養が足りなくなって、大きく、強いお花を咲かせることができません」
「では、どうすれば……。また、あの不思議な栄養の粒を使うのですか?」
彼女が言うのは、雪中花の時に使った馬糞や灰、そしてリーフ村のハウスで使った『化学肥料の粒』のことだろう。だが、俺は静かに首を横に振った。
「もっと、良いものがあります。この子たちのために、僕が、最高の『ご馳走』を作ってあげます」
俺の、自信に満ちた宣言。それは、この城壁都市ランドールに、リーフ村の『陽だまりの家』とはまた違う、新たな革命をもたらすことになる、壮大な計画の始まりを告げるものだった。
その計画の名は、『堆肥作り』。この世界の誰もまだ知らない、有機物を微生物の力で分解させ、最高の肥料へと生まれ変わらせる、錬金術にも似た、大地への恩返しだ。
◇
「……それで?その、最高の『ご馳走』とやらは、どこで手に入れるのですか?」
エレナ様の、純粋な問いに、俺はにやりと笑って答えた。
「これから、探しに行きます。この街は、宝の山ですから」
俺の言葉の意味が分からず、きょとんとしているエレナ様を促し、俺たちはセバスチャンとギデオンを伴って、実験農場を出た。行き先は、ランドールで最も活気に満ちた場所、中央市場だ。
朝の市場は、まさしく戦場のような喧騒に満ちていた。威勢のいい八百屋の親父の怒鳴り声。新鮮な魚を運ぶ男たちの掛け声。そして、値切ろうとする客と、それを頑として譲らない商人の、丁々発止のやり取り。その全てが、この街が生きていることを、力強く主張していた。
だが、俺が目指したのは、そんな市場の華やかな表通りではない。その裏手にある、薄暗く、少しだけ生ゴミの匂いが漂う、裏路地だった。
そこには、各商店が捨てたであろう、野菜くずや果物の皮が、木の樽の中に山と積まれている。
「こ、これは……」
エレナ様が、思わず鼻をつまむ。セバスチャンに至っては、顔面蒼白で、今にも倒れそうだ。
「ル、ルークス殿……!いくらなんでも、お嬢様をこのような不潔な場所に……!」
「セバスチャン、静かに。ルークスさんには、何かお考えがあるのですわ」
エレナ様は、匂いに顔をしかめながらも、俺の行動を、好奇心に満ちた瞳で見守っていた。
俺は、その野菜くずの山の中から、まだ新鮮なキャベツの外葉や、大根の皮などを、手際よく選り分け始めた。
「おい、小僧!何してやがる!」
突然、背後から鋭い声が飛んだ。振り返ると、そこには腕っぷしの強そうな、八百屋の店主らしき男が、仁王立ちでこちらを睨んでいた。
「人の店のゴミを漁るとは、いい度胸じゃねえか。物乞いなら、他所でやんな!」
「物乞いじゃありません。これは、取引です」
俺は、臆することなく、男の目を真っ直ぐに見返した。
「この、あんたたちが捨てている野菜くずを、俺に譲ってもらえないでしょうか」
俺の、あまりにも突飛な申し出に、店主は呆気に取られたという顔をした。
「……はあ?ゴミを、譲れだと?頭でも打ったのか、お前」
「これは、ゴミじゃありません。俺にとっては、宝の山なんです」
俺は、真剣な眼差しで訴えた。
「これを、特別な方法で土に返してやれば、どんな痩せた土地でも蘇らせる、最高の肥料になる。もし、この街の農家が、あんたたちの野菜くずを欲しがるようになったら、どうなります?」
俺の言葉に、店主の目が、ぴくりと動いた。商人としての勘が、目の前の子供が、ただの戯言を言っているのではないと告げているのだ。
「あんたたちは、今まで金を払って捨てていたゴミを、農家に売ることができるようになるかもしれない。……俺は、その最初の客になりたい。(タダでもらうこともできるだろうが、それでは『取引』にならない。持続可能な関係を築くためには、初期投資が必要だ。相手に『ゴミが金になった』という成功体験を植え付けるための銅貨一枚。費用対効果は、計り知れない)もちろん、今はまだ価値がないから、タダで、とは言いません。この野菜くず全部で、銅貨一枚。どうです?」
俺が、懐から銅貨を一枚差し出すと、店主は、信じられないというように、俺の顔と、銅貨と、そして野菜くずの山を、何度も見比べた。ゴミが、金になる。その、あまりにも常識外れな提案に、彼の頭は完全についていけていないようだった。
やがて、彼は、がしがしと頭を掻きながら、大きなため息をついた。
「……わけのわかんねえ小僧だな。まあいいや、銅貨一枚で片付くなら、安いもんだ。好きに持っていきな!」
商談は、成立した。俺は、持参した麻袋に、宝の山を詰め込んでいく。その光景を、エレナ様は、尊敬の眼差しで、そしてセバスチャンは、この世の終わりのような顔で、見つめていた。
◇
次に俺たちが向かったのは、城壁の近くにある、騎士団の馬小屋だった。ここには、俺が求める第二の宝、つまり、大量の馬糞がある。
市場の野菜くずとは比べ物にならない、強烈な匂いに、エレナ様もセバスチャンも、今度こそ完全に言葉を失っていた。
馬小屋の管理をしていたのは、人の良さそうな、初老の兵士だった。俺が、馬糞を少し分けてもらえないかと頼むと、彼は八百屋の店主以上に、怪訝な顔をした。
「坊主、本気で言ってるのか?こんな臭いもん、どうするんだ?」
「最高の肥料になるんです。ひまわりを、太陽まで届くくらい、大きく育てるための」
俺が、目を輝かせてそう言うと、兵士は「ひまわり、ねえ」と、何かを懐かしむように、遠い目をした。
「昔、南の国にいた頃、見たことがある。見渡す限り、黄金色の花が咲いていて、まるで、地面に太陽が降りてきたようだった。……いいだろう。あの花を、この凍てついた北の地で咲かせようって言うんなら、いくらでも持っていきな。どうせ、捨てるだけのものだ」
幸運にも、彼は話の分かる男だった。俺は、心からの感謝を告げ、野菜くずとは別の麻袋に、第二の宝を、ぎっしりと詰め込んだ。
俺が深々と頭を下げた、その瞬間。
――ピロン♪
俺の脳内にだけ、心地よい電子音が響いた。
【称号の効果範囲外です。**通常ポイントとして、他者からの純粋な協力の意志を検知しました。5ポイントを獲得しました。**】
(**…5ポイントか。エレナ様の時とは違うけど、それでも嬉しい。**この街でも、人の温かい心は、ちゃんとポイントになるんだ)
俺は、誰にも気づかれないように、そっと笑みを浮かべた。
◇
実験農場に戻った時には、日はすでに高く昇っていた。俺たちが、異臭を放つ二つの巨大な麻袋を荷馬車から降ろすのを、ギデオンが、無言で、しかし力強く手伝ってくれた。
俺は、農場の隅の、日当たりの良い場所を指さした。
「よし。ここに、ご馳走のレストランを作りましょう」
俺は、まず地面に枯れ葉や小枝を敷き詰めた。レストランの、ふかふかの絨毯だ。
次に、市場で手に入れた野菜くずを、その上に広げる。これが、メインディッシュ。
そして、最後に、馬小屋から運んできた馬糞を、スパイスのように振りかける。
「う……!」
強烈な匂いに、セバスチャンが再び膝から崩れ落ちそうになるのを、ギデオンが屈強な腕で支えている。
「ルークスさん、本当に、これで……?」
エレナ様が、不安そうに尋ねる。
「はい。これから、土の中にいる小さな、目に見えない生き物たちが、このレストランに集まってきて、パーティーを始めるんです。彼らがいっぱい食べて、いっぱい遊んだ後には、最高の土だけが残る。それが、堆肥です」
俺は、最後に土をかぶせて、小さな山を完成させると、満足げにその頂点を叩いた。
それは、他の誰が見ても、ただの汚いゴミの山にしか見えないだろう。
だが、俺と、そして俺を信じるエレナ様の目には、未来のひまわりを黄金色に輝かせる、まさしく『宝の山』に、見えていた。
この小さな山が、やがてこの街の「常識」を、そして「循環」そのものを、根底から変えていくことになる。
その、壮大な食料革命の、産声が、今、静かに上がったのだ。
【読者へのメッセージ】
第三十六話、お読みいただきありがとうございました!
「堆肥作り」という、これ以上なく地味で、しかし重要な挑戦。そして、それを巡る街の人々との交流、楽しんでいただけましたでしょうか。ルークスの革命が、少しずつ街へと広がっていく予感を感じていただければ幸いです。
「ゴミを宝の山に!ルークスの交渉術、すごい!」「セバスチャンの心労が…(笑)」「不器用なギデオンの優しさ、好き!」など、皆さんの感想や応援が、堆肥の発酵を促す微生物たちのエネルギーになります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに完成した「宝の山」。この堆肥が完成するまでの間、実験農場ではどんな日常が繰り広げられるのか。そして、あの人物の再登場は…?次回も、どうぞお楽しみに!




