第二十七話:城壁の街と、世界の広さ
「ここからが、お前の戦場だ」
寡黙な騎士が放った言葉の本当の意味を、俺は、巨大な城門をくぐった瞬間に、全身で理解することになった。
ゴー、という地響きのような音を立てて、分厚い鉄格子の門が背後で閉ざされる。その音は、俺がこれまで生きてきた静かな世界と、今から足を踏み入れる喧騒の世界とを分かつ、絶対的な境界線のように聞こえた。
「……!」
門の先に広がっていた光景に、俺は息を呑み、その場に立ち尽くした。
リーフ村の、端から端まで歩いても半刻もかからない、あの小さな世界とは、何もかもが違っていた。
どこまでも続く、硬い石畳の道。その両脇には、レンガや石で造られた、二階建て、三階建ての建物が、空を塞ぐように密集して立ち並んでいる。村の家々が、まるで子供のおもちゃのように思えてしまうほどの、圧倒的なスケール感。
そして、何よりも俺を圧倒したのは、「人」の奔流だった。
屈強な鎧を身につけた衛兵。大きな荷を背負った商人。埃っぽい作業着を着た職人。そして、俺が村では見たこともないような、色鮮やかで華やかな服を纏った人々。彼らが、まるで川の流れのように、絶え間なく行き交い、ぶつかり合っている。
耳をつんざくような喧騒。馬車の車輪が石畳を叩く音。鍛冶屋から響く甲高い槌音。市場の方から聞こえてくる、威勢のいい商人の呼び声。子供たちの甲高い笑い声。その全てが混じり合い、一つの巨大な生命体が発する呼吸のように、街全体を震わせていた。
(……すごい)
前世で、東京のスクランブル交差点を初めて見た時も驚いたが、それとは質の違う衝撃だった。そこには、ガラスと鉄でできた無機質な冷たさがあった。だが、今、俺の目の前にあるのは、土と、石と、木と、そして何より、剥き出しの人間の熱気そのものだった。
「どうした、固まって。行くぞ」
俺の背後から、騎士の低い声がした。俺は、はっと我に返ると、慌てて彼の一歩後ろを歩き始めた。腕の中のフェンは、初めて嗅ぐ様々な匂いと、大勢の人間の気配に少し興奮しているのか、俺の腕の中でそわそわと身じろぎしている。
まるで幼い妹がそうするように、フェンが外套の隙間から顔を出し、「クゥン」と小さく鳴いた。その金色の瞳が、好奇心にきらきらと輝いている。俺は、彼が飛び出さないように、その小さな体をしっかりと抱きしめた。
すれ違う人々が、俺たちに奇妙な視線を向ける。高価な軍馬を連れた騎士と、その前に乗る、どう見ても農村出身と分かるみすぼらしい子供。そして、その子供が抱える、真っ黒な子犬。そのアンバランスな組み合わせは、この雑多な街の中でも、十分に人々の目を引くようだった。
「……腹は、減っているか」
しばらく歩いた後、不意に騎士が尋ねてきた。
「え?」
「辺境伯様との謁見は、明日の朝だ。今夜は、宿を取る」
騎士はそう言うと、一軒の店の前で馬を止めた。そこは、焼きたてのパンを売る店らしく、甘くて香ばしい匂いが、湯気と共に店先から溢れ出している。
その匂いに、俺の腹が、ぐぅ、と情けない音を立てた。旅の食事は、保存用の硬いパンと干し肉だけだった。この、生命力に満ちた匂いは、もはや暴力的なまでの誘惑だった。
騎士は、俺の腹の音を聞いて、ほんの少しだけ、本当に僅かに、その口元を緩めたように見えた。彼は、店主から大きな黒パンと、何か肉を挟んだ温かいパンを二つ買うと、その一つを俺に手渡した。
「食え。これも、任務のうちだ」
俺は、おずおずとそれを受け取り、一口齧った。
「……!」
温かい。そして、柔らかい。村の、酸味のある硬い黒パンとは全く違う、小麦の豊かな風味が口の中に広がる。挟まれた肉は、塩漬けにされた鳥の肉だろうか。その塩気と、パンのほのかな甘みが、完璧な調和を生み出していた。
あまりの美味しさに、俺は夢中でパンを頬張った。その様子を、騎士は何も言わずに、ただ静かに見つめていた。
◇
腹ごしらえを終えた俺たちは、再び街の中心部へと向かって歩き始めた。
道すがら、俺はスキル『鑑定』を使い、この街の「価値」を測ろうと試みた。だが、情報量が、あまりにも多すぎた。
露店に並ぶ、色とりどりの果物。【鑑定】→【南国産の甘夏】【売却参考価格:銅貨五枚】。
武具屋の店先に飾られた、鈍い光を放つ長剣。【鑑定】→【鋼鉄のロングソード】【売却参考価格:銀貨二十枚】。
銅貨五枚は、約五百円。銀貨二十枚は、二万円。父さんの鍬が銅貨一枚(百円)だったことを思えば、この街には、俺の知らない「富」が、そこら中に転がっていた。世界は、俺が思っていたよりも、ずっと広く、そして複雑な価値で満ち溢れていた。
(……まるで、巨大なポイントサイトだ)
その事実に、俺のポイントゲッターとしての魂が、わずかに疼くのを感じた。
やがて、騎士が一軒の大きな建物の前で足を止めた。それは、この辺りの建物の中でも、ひときわ立派な三階建ての建物で、入り口には『風と街道亭』と書かれた、洒落た木製の看板が掲げられている。
「今夜は、ここに泊まる」
騎士がそう言って扉を開けようとした、まさにその時だった。
「おや?その物々しい鎧は、辺境伯騎士団の……」
中から、聞き覚えのある、人好きのする声がした。ひょっこりと顔を出したのは、一月前にリーフ村を訪れた、あの行商人クラウスだった。
「クラウスさん!」
俺が思わず声を上げると、クラウスは俺の姿を認めて、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「……ルークス君!?どうして君が、こんな所に!?しかも、騎士団の方とご一緒とは……はっ!まさか!」
クラウスは、何かを悟ったように、ポンと手を打った。
「やはり、我が目に狂いはなかった!君のあの奇跡の野菜とプリンは、辺境伯様のお心をも動かしたのだな!」
彼は、再会を喜ぶように、がははと豪快に笑った。そして、俺と騎士を、強引に店の中へと招き入れた。
「さあさあ、立ち話もなんだ!長旅でお疲れでしょう!今夜の宿代と食事代は、全て私が出しましょう!これも、未来の偉大なる救世主様への、ささやかな投資というものです!」
クラウスの、嵐のような勢いに、寡黙な騎士も、さすがに少しだけ面食らっているようだった。
俺は、この賑やかで、胡散臭くて、しかしどこか憎めない行商人との再会に、この未知の街で、初めての「味方」を見つけたような、不思議な安堵感を覚えていた。
宿屋の窓から、遠くに聳え立つ、巨大な城が見える。
明日、俺は、あそこへ行く。
不安がないと言えば、嘘になる。だが、今は、胸の奥で、ほんの少しだけ、ワクワクしている自分もいることに、俺は気づき始めていた。
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【読者へのメッセージ】
第二十七話、お読みいただきありがとうございました!
初めて見る「街」の光景に、ルークスと一緒に驚きや戸惑い、そして少しのワクワク感を感じていただけましたでしょうか。村の外の世界の広さを、少しでも感じていただけていれば幸いです。
「サンドイッチ美味しそう!」「クラウスさん、再登場!」「いよいよ城へ…!」など、皆さんの感想や応援が、ルークスが貴族社会という未知の舞台へ踏み出す勇気になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに辺境伯の街に到着し、最初の味方(?)と再会したルークス。彼を待ち受ける謁見の儀。果たして、辺境伯とはどんな人物なのか。次回、物語は新たな局面を迎えます!どうぞお見逃しなく!




